私が新型コロナ対策云々で
自身の立場で何か少しでも役立つ可能性があるものとして
肩の力を抜いてシェアできるのは、この程度しかありませんが
今回のブログ記事も、メルマガからの転載でして前回の内容である
「 インドのヨギの本から学ぶ感染症に罹りにくくする方法 」の続きを書くことにします。
メルマガでも「 病に対する自然の抵抗力を強める方法 」という記事を書き
´ より本質な対策として・・´ ということで天風先生のメソッドと比較をしましたが
前回の記事をざっと要約すると
〇多くの人が、自分に良くないとわかっている食物を
やめられずに食べ続けているという実態があるが
病は、悪い食べ物や食べ過ぎによって
血液の抵抗力が衰えたり性的放縦によって
意志の力が衰え活力が枯渇したとき、かかりやすくなる
感染症にかかるリスクを減らすには
活力を蓄え血液の力を強くする必要があるが
血液の流れを健康に保ち、その力を強くする原則がある。
病から身を守るには食べ過ぎを慎み活力を蓄え
自己制御、運動、適正な食事、肉類を控え無機塩類を含む野菜、果汁を多くとる
( 炭酸飲料ではない )水をよく飲む( 食物より水のほうが大事 )
それと
「 心からの微笑みを絶やさないこと 」が重要である
どうしてもほほ笑むことができない時は、
鏡の前へ行って
指で無理に引っ張ってでもほほ笑ませなさい。
微笑みはそれほど大切である。
というのが
おおまかなあらすじでした。
今回の記事はインドの聖者が指摘しているなかの
「 病から身を守る自然の抵抗力を培うには活力を蓄え微笑みを心がけること 」
「 微笑みは、深い瞑想による内なる喜びから湧いてくる他
何か善いことをしたり
親切な行為、他人に対する思いやりある行為をしたときの
よい感情から生じる 」
この意訳した文にフォーカスし
´ 情け深い思いやりある親切な行為 ´が免疫力を高める内からのほほ笑みを促すことや
私たちの生活や心( 潜在意識 )に、どういう影響を与えるか?ということについて
先のインドの聖者の本から更に掘り下げて書いてみようと思います。
先ず日々の仕事や生活で´ 情け深い親切な行為 ´をしたほうが良い
というのを単に道徳的面という、ありきたりの理由からではなく
運命( 運勢 )学的側面や性格形成に与える影響
潜在意識のお掃除に与える影響等の面からピックアップして探ってみますね。
( ピックアップするのは以下の聖者中の聖者が執筆した本からにします )
( 以下 「 人間の永遠の探求 」からの抜粋要約引用 )
〇人間社会は、まるで大きな動物園のようである。
大勢の人たちは思い思いに行動しており、流されるままで、ほとんどの人は
真の自己制御をしていない。
〇自分の明るい性格や暗い性格をつくったのは自分自身。
自分の行為がその種子を撒いたのである。
賢い人は悪い種子を自分の人生の底から取って捨てるのである。
〇( 人間には天与の自由意志が与えられており、好きなように振舞えるが )
自分の心を汚すような事をしてはいけない。
なぜなら誤った行為はマイナスの波動、すなわち邪悪な心の波動をつくり出し
潜在意識の物置に蓄積され容姿や人柄に反映していくからである。
自分の望んでいる良い性質を育てるような想念を絶えず保持し
そのような行動をして、真理に従って根気よく自分をよく変えて
よい性質の磁力を培っていく努力をし
善良な人格を身に着けていけば
善良なる知人、友人が引き寄せられやすくなり
人生はすばらしいものに変わっていく。
〇もし、あなたがすぐに人を憎んだり、いつも不機嫌だったり
怒りっぽい性格( 心理的傾向 )なら
それらの特徴は過去の行動によって蓄積されたものである。
普通、家庭では要らなくなったガラクタは全て物置きに集めておき
ときどき大掃除して処分する。
それと同じように、あなたの潜在意識の物置きには
いつかあなたを悩ませることになる有害な欲望が詰まっていて
有害な心理的傾向を形づくる蓄積材料になっている。
あなたの心の物置からそれらの不要なガラクタを取り出して
きれいに掃除するには建設的で、有益で、愛に満ちた親切な行為を
積極的に実行する必要がある。
( ここまで )
以上の事から
ピックアップしたものを、私のほうで、さらに意訳し咀嚼し直すと
さりげない、ちょっとした親切な行為を為すことで
その刹那に、実行した方にプラスの波動、すなわち善良なる心の波動がつくり出されることになる。
本には、そのものズバリのコメントはありませんが
「 誤った行為がマイナスの波動すなわち邪悪な心の波動をつくり出す 」と聖者は述べています。
それなら逆もまた真。数学的な命題を考える要領でいくと
「 建設的で有益かつ親切な行為によって善なるプラスの波動が生じる 」
と言う事も出来ますよね。
このプラスの波動が心を清々しくせしめ、よい感情を生み自然なほほ笑みをもたらす。
自然なほほ笑みを、できるだけ絶やさないようにすることは
血液の力を強くし血液の流れを健康に保ち感染症にも強くすることに間接貢献する。
さらに
気持ちを察した親切な行為によって、その刹那につくり出されたプラスの波動は
心の浄化剤として働いてリフレッシュさせるだけでなく
潜在意識の物置にも蓄積されていき
自身の潜在意識の物置きに溜まった
いつか自身を悩ませることになる有害な欲望や消極的で有害な因子を
( さりげない形の親切な行為を実行することによって、
その瞬間、刹那につくり出されたプラスの波動が )
有害な塵芥をお掃除してくれて自分の性質を少しずつ浄化することになる。
そうした行為が習慣になることで
有益な心理的傾向( 善良なる人柄 )、よい性質の磁力を形づくる蓄積材料になっていく。
真理に従って
絶えずよい想念を保持し良い性質を育てるよう
根気よく自分を、よりよく変えていく努力をしていけば
善良なる知人、友人が引き寄せられやすくなり
人生はすばらしいものに変わっていく。
という結論が導き出されることになります。
天風先生も、口述書「 盛大な人生 」の中で
「 情け深い思いやりの気持ちで、他人が喜びを感じるようなことを言ったり
行なったり、嘘でもいいからしてごらんよ」。
といったことを先の本の口演のなかで語っていたという記憶があります。
嘘でもというところに庶民( 凡夫 )に寄り添う優しさを感じて
私はこの表現も結構好きなのですが
さらにコメントするなら
「 盛大な人生 」( 日本経営合理化協会 中村天風述 )という本の中には
欲望の中でいちばん尊いものは、霊性満足を目標とする欲望である。
霊性満足の欲望というのは、常にできるだけ自分の言葉や行いで
他人を喜ばせること。
人の心に喜びを与え 人の心に幸福を与える言葉やおこないを
義務としないで人生の楽しみとし満たしていくことである」
と述べており
三行( 正直、親切、愉快 )を楽しんで行うことを実践哲学の中に組み込んでますから
奇しくもインドの聖者の指摘とも被って似てますよね。
ですので
●情け深い気持ちで他人に親切にし喜ばすにはどうしたらよいか?
嘘でもいいから考え計画して、さりげない形にして実行する
これを実行したら、その刹那、その瞬間にプラスの波動がつくり出され
清々しいよい感情を生み自然な内からのほほ笑みをもたらす材料にもなる。
自然なほほ笑みを出来るだけ絶やさないことは
血液の力を強くし血液の流れを健康に保ち感染症にも強くせしめる。
●情け深い気持ちで他人に親切にし喜ばすにはどうしたらよいか?
嘘でもいいから考え計画して、相手の気持ちを察して、ちょっとした形に調律して実行する
それによって、その実行後に、つくり出されたプラスの波動は
通常意識では自覚できない広大な潜在意識の物置にも蓄積されていき
潜在意識の物置きに溜まった有害な欲望や消極的で有害な因子を
( 建設的かつ親切な行為直後に、つくり出されたプラスの波動が )
お掃除してくれる浄化剤にもなり
それを日々少しずつ心がけ親切にして喜ぶ行為を習慣化させることで
自分の心根を少しずつ浄化することにもつながっていく。
そうして有益な心理的傾向( 善良なる人柄 )
よい性質の磁力を形づくる蓄積材料になっていく。
●情け深い気持ちで他人に親切にし喜ばすにはどうしたらよいか?
嘘でもいいから考え計画して、さりげない形に調整して実行する
それにより絶えずよい想念を保持することにも貢献し良い性質を育てる材料になり
そういう心がけを根気よく続けて
自分をよく変えていく努力をしていけば
善良なる知人、友人が引き寄せられやすくなり
人生がすばらしいものに少しずつ変わっていく。
●情け深い気持ちで他人に親切にし喜ばすにはどうしたらよいか?
嘘でもいいから真剣に考え計画し、さりげない形に調律して実行する
これはシンプルだけど、実行後に、実行した本人にプラスの波動がつくり出され
ほほ笑みを生むよい感情の材料となって
免疫力も強くし人生を少しずつ素晴らしいものに変えていく
なお、困ってる人を助けたりして親切にするのは当たり前・・
「人には親切にしましょう」とか・・
何を今さら小学生の道徳の授業じゃあるまいし・・
という想いを抱いている方のほうが大多数と思います。
それに、「 なんのてらいもなくやったこと( やってること )が
結果的に、そういえば親切な振る舞いだったかな 」というのが自然で理想的ですが
ケースによっては難しいってこともあり得ますよね。
世の中を見渡すと、その実態は親兄弟や親族間、愛を誓い合った夫婦間ですら
和解できず骨肉のいがみ合い、争いをして訴訟にまで至るケースだってあるくらいです。
さらに言うなら
( 現代社会では、親切心が仇になって付け込まれたりすることもありますので、
´ 見極め ´は必要です )
ですが、あくまで一般論としては
最初は嘘でもいいから有益で建設的な親切を心がけ愉しんで、
さりげない形で実行することで、
実行した、その刹那、瞬間に生まれるプラスの波動が
本人の潜在意識のお掃除になって有害な欲望の種子を摘み取り不幸や悪運を
小難や無難で防ぐことになり
さらには運勢や性格にも少なからず影響するということなら
まあ、改めて気を入れて心がけてもいいか??
と思い直す方も幾ばくか出てくるんではないでしょうか?
極論すれば「 毎日、1回は誰かに、さりげない形に調律した親切を心がける 」
でもよいとすら思います。
相手の気持ちを察知しつつ、相手に合わせて
上手く調律、調整し、ちょっとした親切にする・・
これだってお金をかけなくたって
知恵を絞れば出来ることは沢山あるような気がしますから。
( 別にお金をかけてもいいけど )
何れにしろ、インドの聖者のみならず日本が世界に誇る偉大な哲人
天風先生もお薦めしてるんですから、やらない理由は無いですよね。
( 編集後記 )
新型コロナウィルスの感染が世界化し
コロナ・ショックで世の中が殺伐とし
人心も冷えつつあるので
こういう世界的な危機、試練のときこそ
これまでの旧い生き方を脱いで新しい生き方を探求する。
人の心を冷やし、恐れさせるのではなく温める
( 気持ちを察知しつつの )´さり気ない、ちょっとした思いやり´や
新しい霊性満足的生き方への意欲、動機付けや手に届く´ちょっとした親切´は大事と思って
敢えて、´相手の気持ちを察する形の、ちょっとした親切´というのにフォーカスして
霊性満足の事や潜在意識のお掃除の視点から考察してみました。
こういうときこそ
やれ中国人だ、やれ韓国人だ・・ドイツ人だ、アメリカ人だとかを越えて
ペイフォワードの連鎖が湧き興って
ペイフォワードの( 相手に応じた )
ささやかでさり気ない形に調律した親切運動が世界的に感染して
冷えた人心を温めていければよいのではないかとすら思っています。
( 追記で )
あと、「 人間の永遠の探求 」で気になった病に関する箇所は
人生ドラマを生きる上で劇中の劇を
「 本来の自分 」と混同せずに演じられるようにすべきで
痛みや怒りや悲しみなど、どんな肉体的または精神的苦痛に襲われても
それらを本来の自分自身と区別して
感情を入れ込まず深刻になり過ぎないこと・・
客観的に観ることが大切で
苦痛から自分を分離する最善の方法は、問題解決の方法を求めながらも
心の奥ではいつも傍観者の立場でそれを見ることは叡智を開発する助けにもなる。
という一文でした。
慢性的な病に苦しんでいる方は特に
心の奥ではいつも観察者、傍観者の立場でそれを俯瞰する
という態度でいることは大事な気がします。
PS
以下はおもしろ動画です。
ほほ笑みには程遠いですが、付け焼刃にはなるかもしれません。
自身の立場で何か少しでも役立つ可能性があるものとして
肩の力を抜いてシェアできるのは、この程度しかありませんが
今回のブログ記事も、メルマガからの転載でして前回の内容である
「 インドのヨギの本から学ぶ感染症に罹りにくくする方法 」の続きを書くことにします。
メルマガでも「 病に対する自然の抵抗力を強める方法 」という記事を書き
´ より本質な対策として・・´ ということで天風先生のメソッドと比較をしましたが
前回の記事をざっと要約すると
〇多くの人が、自分に良くないとわかっている食物を
やめられずに食べ続けているという実態があるが
病は、悪い食べ物や食べ過ぎによって
血液の抵抗力が衰えたり性的放縦によって
意志の力が衰え活力が枯渇したとき、かかりやすくなる
感染症にかかるリスクを減らすには
活力を蓄え血液の力を強くする必要があるが
血液の流れを健康に保ち、その力を強くする原則がある。
病から身を守るには食べ過ぎを慎み活力を蓄え
自己制御、運動、適正な食事、肉類を控え無機塩類を含む野菜、果汁を多くとる
( 炭酸飲料ではない )水をよく飲む( 食物より水のほうが大事 )
それと
「 心からの微笑みを絶やさないこと 」が重要である
どうしてもほほ笑むことができない時は、
鏡の前へ行って
指で無理に引っ張ってでもほほ笑ませなさい。
微笑みはそれほど大切である。
というのが
おおまかなあらすじでした。
今回の記事はインドの聖者が指摘しているなかの
「 病から身を守る自然の抵抗力を培うには活力を蓄え微笑みを心がけること 」
「 微笑みは、深い瞑想による内なる喜びから湧いてくる他
何か善いことをしたり
親切な行為、他人に対する思いやりある行為をしたときの
よい感情から生じる 」
この意訳した文にフォーカスし
´ 情け深い思いやりある親切な行為 ´が免疫力を高める内からのほほ笑みを促すことや
私たちの生活や心( 潜在意識 )に、どういう影響を与えるか?ということについて
先のインドの聖者の本から更に掘り下げて書いてみようと思います。
先ず日々の仕事や生活で´ 情け深い親切な行為 ´をしたほうが良い
というのを単に道徳的面という、ありきたりの理由からではなく
運命( 運勢 )学的側面や性格形成に与える影響
潜在意識のお掃除に与える影響等の面からピックアップして探ってみますね。
( ピックアップするのは以下の聖者中の聖者が執筆した本からにします )
( 以下 「 人間の永遠の探求 」からの抜粋要約引用 )
〇人間社会は、まるで大きな動物園のようである。
大勢の人たちは思い思いに行動しており、流されるままで、ほとんどの人は
真の自己制御をしていない。
〇自分の明るい性格や暗い性格をつくったのは自分自身。
自分の行為がその種子を撒いたのである。
賢い人は悪い種子を自分の人生の底から取って捨てるのである。
〇( 人間には天与の自由意志が与えられており、好きなように振舞えるが )
自分の心を汚すような事をしてはいけない。
なぜなら誤った行為はマイナスの波動、すなわち邪悪な心の波動をつくり出し
潜在意識の物置に蓄積され容姿や人柄に反映していくからである。
自分の望んでいる良い性質を育てるような想念を絶えず保持し
そのような行動をして、真理に従って根気よく自分をよく変えて
よい性質の磁力を培っていく努力をし
善良な人格を身に着けていけば
善良なる知人、友人が引き寄せられやすくなり
人生はすばらしいものに変わっていく。
〇もし、あなたがすぐに人を憎んだり、いつも不機嫌だったり
怒りっぽい性格( 心理的傾向 )なら
それらの特徴は過去の行動によって蓄積されたものである。
普通、家庭では要らなくなったガラクタは全て物置きに集めておき
ときどき大掃除して処分する。
それと同じように、あなたの潜在意識の物置きには
いつかあなたを悩ませることになる有害な欲望が詰まっていて
有害な心理的傾向を形づくる蓄積材料になっている。
あなたの心の物置からそれらの不要なガラクタを取り出して
きれいに掃除するには建設的で、有益で、愛に満ちた親切な行為を
積極的に実行する必要がある。
( ここまで )
以上の事から
ピックアップしたものを、私のほうで、さらに意訳し咀嚼し直すと
さりげない、ちょっとした親切な行為を為すことで
その刹那に、実行した方にプラスの波動、すなわち善良なる心の波動がつくり出されることになる。
本には、そのものズバリのコメントはありませんが
「 誤った行為がマイナスの波動すなわち邪悪な心の波動をつくり出す 」と聖者は述べています。
それなら逆もまた真。数学的な命題を考える要領でいくと
「 建設的で有益かつ親切な行為によって善なるプラスの波動が生じる 」
と言う事も出来ますよね。
このプラスの波動が心を清々しくせしめ、よい感情を生み自然なほほ笑みをもたらす。
自然なほほ笑みを、できるだけ絶やさないようにすることは
血液の力を強くし血液の流れを健康に保ち感染症にも強くすることに間接貢献する。
さらに
気持ちを察した親切な行為によって、その刹那につくり出されたプラスの波動は
心の浄化剤として働いてリフレッシュさせるだけでなく
潜在意識の物置にも蓄積されていき
自身の潜在意識の物置きに溜まった
いつか自身を悩ませることになる有害な欲望や消極的で有害な因子を
( さりげない形の親切な行為を実行することによって、
その瞬間、刹那につくり出されたプラスの波動が )
有害な塵芥をお掃除してくれて自分の性質を少しずつ浄化することになる。
そうした行為が習慣になることで
有益な心理的傾向( 善良なる人柄 )、よい性質の磁力を形づくる蓄積材料になっていく。
真理に従って
絶えずよい想念を保持し良い性質を育てるよう
根気よく自分を、よりよく変えていく努力をしていけば
善良なる知人、友人が引き寄せられやすくなり
人生はすばらしいものに変わっていく。
という結論が導き出されることになります。
天風先生も、口述書「 盛大な人生 」の中で
「 情け深い思いやりの気持ちで、他人が喜びを感じるようなことを言ったり
行なったり、嘘でもいいからしてごらんよ」。
といったことを先の本の口演のなかで語っていたという記憶があります。
嘘でもというところに庶民( 凡夫 )に寄り添う優しさを感じて
私はこの表現も結構好きなのですが
さらにコメントするなら
「 盛大な人生 」( 日本経営合理化協会 中村天風述 )という本の中には
欲望の中でいちばん尊いものは、霊性満足を目標とする欲望である。
霊性満足の欲望というのは、常にできるだけ自分の言葉や行いで
他人を喜ばせること。
人の心に喜びを与え 人の心に幸福を与える言葉やおこないを
義務としないで人生の楽しみとし満たしていくことである」
と述べており
三行( 正直、親切、愉快 )を楽しんで行うことを実践哲学の中に組み込んでますから
奇しくもインドの聖者の指摘とも被って似てますよね。
ですので
●情け深い気持ちで他人に親切にし喜ばすにはどうしたらよいか?
嘘でもいいから考え計画して、さりげない形にして実行する
これを実行したら、その刹那、その瞬間にプラスの波動がつくり出され
清々しいよい感情を生み自然な内からのほほ笑みをもたらす材料にもなる。
自然なほほ笑みを出来るだけ絶やさないことは
血液の力を強くし血液の流れを健康に保ち感染症にも強くせしめる。
●情け深い気持ちで他人に親切にし喜ばすにはどうしたらよいか?
嘘でもいいから考え計画して、相手の気持ちを察して、ちょっとした形に調律して実行する
それによって、その実行後に、つくり出されたプラスの波動は
通常意識では自覚できない広大な潜在意識の物置にも蓄積されていき
潜在意識の物置きに溜まった有害な欲望や消極的で有害な因子を
( 建設的かつ親切な行為直後に、つくり出されたプラスの波動が )
お掃除してくれる浄化剤にもなり
それを日々少しずつ心がけ親切にして喜ぶ行為を習慣化させることで
自分の心根を少しずつ浄化することにもつながっていく。
そうして有益な心理的傾向( 善良なる人柄 )
よい性質の磁力を形づくる蓄積材料になっていく。
●情け深い気持ちで他人に親切にし喜ばすにはどうしたらよいか?
嘘でもいいから考え計画して、さりげない形に調整して実行する
それにより絶えずよい想念を保持することにも貢献し良い性質を育てる材料になり
そういう心がけを根気よく続けて
自分をよく変えていく努力をしていけば
善良なる知人、友人が引き寄せられやすくなり
人生がすばらしいものに少しずつ変わっていく。
●情け深い気持ちで他人に親切にし喜ばすにはどうしたらよいか?
嘘でもいいから真剣に考え計画し、さりげない形に調律して実行する
これはシンプルだけど、実行後に、実行した本人にプラスの波動がつくり出され
ほほ笑みを生むよい感情の材料となって
免疫力も強くし人生を少しずつ素晴らしいものに変えていく
なお、困ってる人を助けたりして親切にするのは当たり前・・
「人には親切にしましょう」とか・・
何を今さら小学生の道徳の授業じゃあるまいし・・
という想いを抱いている方のほうが大多数と思います。
それに、「 なんのてらいもなくやったこと( やってること )が
結果的に、そういえば親切な振る舞いだったかな 」というのが自然で理想的ですが
ケースによっては難しいってこともあり得ますよね。
世の中を見渡すと、その実態は親兄弟や親族間、愛を誓い合った夫婦間ですら
和解できず骨肉のいがみ合い、争いをして訴訟にまで至るケースだってあるくらいです。
さらに言うなら
( 現代社会では、親切心が仇になって付け込まれたりすることもありますので、
´ 見極め ´は必要です )
ですが、あくまで一般論としては
最初は嘘でもいいから有益で建設的な親切を心がけ愉しんで、
さりげない形で実行することで、
実行した、その刹那、瞬間に生まれるプラスの波動が
本人の潜在意識のお掃除になって有害な欲望の種子を摘み取り不幸や悪運を
小難や無難で防ぐことになり
さらには運勢や性格にも少なからず影響するということなら
まあ、改めて気を入れて心がけてもいいか??
と思い直す方も幾ばくか出てくるんではないでしょうか?
極論すれば「 毎日、1回は誰かに、さりげない形に調律した親切を心がける 」
でもよいとすら思います。
相手の気持ちを察知しつつ、相手に合わせて
上手く調律、調整し、ちょっとした親切にする・・
これだってお金をかけなくたって
知恵を絞れば出来ることは沢山あるような気がしますから。
( 別にお金をかけてもいいけど )
何れにしろ、インドの聖者のみならず日本が世界に誇る偉大な哲人
天風先生もお薦めしてるんですから、やらない理由は無いですよね。
( 編集後記 )
新型コロナウィルスの感染が世界化し
コロナ・ショックで世の中が殺伐とし
人心も冷えつつあるので
こういう世界的な危機、試練のときこそ
これまでの旧い生き方を脱いで新しい生き方を探求する。
人の心を冷やし、恐れさせるのではなく温める
( 気持ちを察知しつつの )´さり気ない、ちょっとした思いやり´や
新しい霊性満足的生き方への意欲、動機付けや手に届く´ちょっとした親切´は大事と思って
敢えて、´相手の気持ちを察する形の、ちょっとした親切´というのにフォーカスして
霊性満足の事や潜在意識のお掃除の視点から考察してみました。
こういうときこそ
やれ中国人だ、やれ韓国人だ・・ドイツ人だ、アメリカ人だとかを越えて
ペイフォワードの連鎖が湧き興って
ペイフォワードの( 相手に応じた )
ささやかでさり気ない形に調律した親切運動が世界的に感染して
冷えた人心を温めていければよいのではないかとすら思っています。
( 追記で )
あと、「 人間の永遠の探求 」で気になった病に関する箇所は
人生ドラマを生きる上で劇中の劇を
「 本来の自分 」と混同せずに演じられるようにすべきで
痛みや怒りや悲しみなど、どんな肉体的または精神的苦痛に襲われても
それらを本来の自分自身と区別して
感情を入れ込まず深刻になり過ぎないこと・・
客観的に観ることが大切で
苦痛から自分を分離する最善の方法は、問題解決の方法を求めながらも
心の奥ではいつも傍観者の立場でそれを見ることは叡智を開発する助けにもなる。
という一文でした。
慢性的な病に苦しんでいる方は特に
心の奥ではいつも観察者、傍観者の立場でそれを俯瞰する
という態度でいることは大事な気がします。
PS
以下はおもしろ動画です。
ほほ笑みには程遠いですが、付け焼刃にはなるかもしれません。