個人の運気というのは、元々その人が持って生まれた「 生命の器 」や初期値的な運の強さというものがあって、これは如何ともしがたいものがあるでしょうし、生まれた環境といった背景要因もある。
さらには、人には運気の自然の流れと言いますか、何らかの春夏秋冬の大きな運の流れがあると言われています。
生きてたら上手くいかない時期だってある。
頑張っても頑張っても何故か噛み合わず上手くいかなく感じる時期もあったりしますよね。
そういうときこそ焦らず、じっくり構えて準備に時間を割き淡々と過ごすとかいう工夫をしてる方も多いと思います。
そういった個人の運気の流れというのは数多く研究されてきてますので、この記事をお読みのあなたも、一度くらいは、個々の運勢や運命を判断する占いの本とかを読んで、ご自身に当てはめてみたこともあるのではないでしょうか?
私も運命とか運勢とかに興味があって研究してきたわけですが、
そういった個人の運気というものが、元々持っている個人の運命傾向や個人の生命の波と言いますかリズムだけでなく、
どういう方と巡り合い関わるか?という( 外的な )出会い( 関わる人や本人の決意による後天的修練等 )によっても運の強化ができるし巡り合う人によって大難が小難になったり好運の波が増幅される場合がある・・あるいは、その逆もあるのではないか?
例えば
あなたが書斎で、いい気分でいるときに
いきなり誰かが書斎に入ってきて愚痴や不平不満を口にし、他の人の悪口や陰口を言い始めたら・・一挙に気持ちが盛り下がるでしょう。
人間、なにかにつけ、いい訳を言う人間、思い方、考え方が退廃的で後ろ向き・・消極的な人間とつき合ってたら・・積極的な気持ちを、そのまま保つのは割と困難ですよね。
心身統一行法を熱心にやってる方でしたら、そういう場合でも、心的態度を積極にし向けることはできるとは思いますし
真剣に実践していったら、出会う人も変わっていく場合があるし、
特に変わらなくても、普段つき合う人に接する際の自身の心的態度を尊く積極的に変えることで拓かれてくるものがあると思いますので、あくまで一般論で述べるなら・・という前提が入りますが・・
その反対に‥落ち込んでるときなんかに、「 あなたなら出来るよ・・」とにっこり笑って勇気づけてくれたら・・それだけで一挙に気持ちが持ち上がったりする・・
なかでも配偶者( 恋人を含む )ってのは、身近でよく交流してる分、お互いに相当に大きな影響を与える場合がある・・
日々生活してるなかで交流度合いが深いということを鑑みると
巡り合う人の中でも最も色濃い影響を与え合うのは「 配偶者( 恋人を含む ) 」は外せないだろう・・
人によっては奥さん( 旦那さん )との会話が硬直し
1日の会話が、「飯(めし)はまだか?」「 風呂は??」「 酒あるか?」「 ああ、疲れた・・もう寝る・・」という4つか5つの会話しかない・・(;^_^A という殿方もいるみたいなんであれでして・・(;^_^A
最も深い交流をしてるのが先生(師匠)であったり、友人だったり、なんらかの教えを書いた本から強い感化を受けてたりする場合もあるかもしれないけども
一般的・・世間的には「 配偶者( 恋人を含む ) 」の影響は、凄いあるだろう・・と思ったので、前回のブログでは「 配偶者 」にフォーカスし
戦国時代の三英傑( 信長、秀吉、家康 )で運気の12年周期の盛衰を調べて仮説検証してみました。
この配偶者との交わりによる運気のリズムについては、日本人だけでは心もとないので、例えばアメリカにおける「 自動車王 」と言われているヘンリー・フォードなんかについても調べてみたいと思います。
なお、なぜ?この方を選んだかと言いますと・・フォード氏の妻のクララという方は、アメリカにおいても評判の賢妻と言われてる方でして・・フォード氏の成功は、この妻無くしてあり得なかったとも囁かれてるからです。
そこで実際の史実に当てはめつつ検証してみたところ、フォード氏は元々初期値として、非常に強い運を持った方で・・まあ、いろいろ調べたら・・やはりこのフォードと言う方も、感化された座右の書があって、トラインの本
を青年の頃から真剣に読んで、自己を耕していたらしいです・・
今回は配偶者にフォーカスしてるので、もう長くなりすぎるので・・その言及はしませんけど・・
どう足掻いても(;^_^A・・調べれば調べるほどクララと結婚してからフォードは運気が大きく拓かれているように思います。
( そういう賢妻<優れた恋人>に出会い、よく尽くし合うことが出来たのは、フォードは、先に挙げたような一冊の本を青年の頃から、深く吟味的に読み、自身を磨くことを怠らなかったから出会ったんだ・・と言われたら身もふたもないわけですが・・)
彼女と結婚後における周期的な運気のリズムもそれとなく感じられましたので考察してみます。
先ず簡単にヘンリー・フォードの少年〜青年時代について述べるなら
フォード氏は、無類の機械好きで機械いじりが大好きでしたが学校の勉強には興味を持てず
早く仕事がしたくてたまらなくて16歳で高校を中退しています。
最初は、時計を作る大きな会社を興すのを夢みて、そのスキルを磨くために、機械工場で働き始め
その後も、かけもちで働いたりして機械に対する知識とスキルを磨くために
色んな職を転々としたと言われています。
自動車開発に興味を持った理由を自叙伝などから探ってみますと・・
フォードは田舎の農家の息子に生まれ自身が子供の頃から農業に携わって苦労していた。
そのときの農作業における人馬の辛さ、労苦を骨身に感じたからだそうでして
これを少しでも軽くし楽にしてあげたかった・・というのがあったのだとか・・・
また・・フォードが若き頃、住んでいたところからは少し離れた町で、
その当時、とても珍しかった「 車の展示会 」と言うのがあったそうで
( ※ただし当時の「 車 」と言うのは今のような、かっこいいものでは決してない )
それを見学に行って目にしたことで
自分自身で実用的な自動車を開発したい・・
という欲に火がつく原体験になった・・という記述が自叙伝の中で述べられてました。
実際にフォードは、農作業の苦役を軽くするための蒸気発動自動車を、
ありあわせの部品で試作したこともあったようです。
しかし、20代前半の頃は目標も定まっておらず職を転々としてたと言われてます。
ところが1888年 25歳の時にクララ・ジェーン・ブライアントと結婚して、そこから3年後の1891年にエジソンの関連会社に運よく就職できて夜勤の勤務をすることになりました。
これが先ずはフォードにとって幸運の兆しと言えるのではないかと思います。
フォードがエジソンの関連会社を転職先に選んだ理由は・・一説には、車のガソリン・エンジンを点火させるための電気の知識を学びたくて雇用機会を狙ってたとも言われてますが・・
クララと結婚して3年で転機を迎えてるというのも、何らかの幸運と運気のリズムを感じます。
以下にクララ・ジェーン・ブライアント女史の写真と簡単な略歴がありますので引用しておきます。
( 英語ですが )
クララ・ジェーン・ブライアント・フォード
↑ ↑ ↑
外見だけで判断するのは危険ですが・・雰囲気や印象からして、大らかで温かく包容力がある・・肝っ玉母さんタイプの感じですね。
それと・・無私的と言いますか・・我が超薄い感じがします。
自分が‥自分が・・ってのがあんまりない感じですね。(^_^)
そうして
クララと結婚後、転職先のエジソン照明会社で、瞬く間に頭角をあらわし、たった2年で異例とも言えるチーフ・エンジニアに昇進しこの会社本部で機械部の監督を任され
給与も月45ドルから月150ドルに跳ね上がっています。
このときには、昼間の勤務になっています。
※最初の勤務形態は「 夜勤 」だったのですが、敢えてそうしていたのはフォードなりの理由があって・・昼間は自分の自動車開発の研究に時間を割きたかったのでそうした・・という記述もありました。
フォードは、この会社で周囲からの信頼も厚くなっていったので、ここで、そのままずっと働いてれば順調に出世しサラリーマンとして安定した生活を営めるはずなのですが、彼は、決してこれでは満足できなかったようです。
昼間はエジソンの会社でチーフ・エンジニアとして働き、
帰宅してからは、すぐに作業服に着替えて
夜中の2時〜3時まで金鎚(かなづち)を片手に自動車を作るために働く・・
自宅の一角を改造した作業場で徹夜することも多かったのだとか。
そういうダブルワーク状態を続けるうちに
自動車の試作とサラリーマンの二足のわらじでは、
自動車開発は覚束ないと思い始め
自身の手による自動車の製作に微かな手ごたえを感じ、事業化できると確信した頃に
妻(クララ)の了解も得て7年勤めた会社を退職しサラリーマン生活に終止符を打っています。
なお
退職に際してエジソン照明会社の社長さんからは、
「 なぜこんなに高待遇で将来も嘱望されてるのに辞めるのだ!ガソリンの車なんて需要はない!
この大馬鹿もんが! 」と猛反対されましたが
エジソン本人には理解され35歳の時に独立しています。
ちなみに・・もし、クララが小利口な方だったら・・夫の退職には決して賛成してないのかもしれません。
それに、クララが夫と共に困難を共有しようという勇気や冒険心がなかったら・・H・フォードも退職を躊躇してたかもしれません。
給料の良い仕事を捨て「 あなたがやりたい好きな仕事をなさってください 」と言うことは、子供を抱えてたりなんかしたら・・妻にとっても、大変な決断であったと推察されます。
彼の下積み時代の変人エピソード(のひとつ)で面白いものもあるのですが
H・フォードは、サラリーマンとしてエジソンの関連会社で働きながら、夜は自動車開発に熱意を傾ける日々を送って、会社を退職した後しばらくして、当時、ごく一部の富裕層しか買えなかった車を購入しています。
この当時の車の金額は、まだまだ馬が主流の時代で
オーダーメイドに近い状態だったので1台4000ドルくらいでして・・
これは当時のアメリカ国民の平均年収のだいたい7〜8年分に当たる金額でした。
今の貨幣価値で換算したら、それなりに立派な一戸建ての家が買えるくらいの値段だったはずです。
なので、そんな高価なものを購入したフォードを世間( 近隣住民 )は羨ましがったそうです。
ですが、そういった世間の評判は、しばらくして・・またもや地に落ち、
批判と嘲笑の的になってしまいます。
なぜなら、フォード青年は、その高価な車を乗り回すわけでもなく
自宅の片隅を改造した作業場で分解し始め、また組み立てる・・
組み立てたと思ったら、また分解する・・
そうして、また組み直す・・という作業を黙々・・延々と始めたからです。
これが噂になっていき世間の人はフォードを
「 また、わけのわからないことをしはじめた・・本当に変人だ・・ 」としか見ることができない・・
フォード自身も決して社交的でなく寡黙( 無口 )で、仕事に関する質問をされても
YESかNoでしか答えなかったそうでして・・
今でいうところのコミュ力がない・・そのせいかもしれませんが・・周りは四面楚歌状態だったようです。
当時の人々は、そういったフォードの見えざる理念と信念・・
それに基づく行動を理解できなかった・・皆目わからなかった・・ということでしょう。
夫を信じる信念と夫愛が、めちゃくちゃ強い・・肝っ玉奥さんのクララとエジソンやバーバンク・・A・カーネギー、ジェイムズ・クーゼン等のごくごく一部の方を除いては・・
実際に農場を継いでもらいたかった父親から猛反対され隣近所の人たちからもスポイルされてたのは
自伝などを調べると間違いない事実のようです。
ですがフォードの妻のクララは、とりわけ格別に、そんなフォードを心から励まし勇気づけ、ただ口で励ますだけでなく夫と同じ方向を向いて一緒に汗を流して苦楽を共にし夫を心底から信じ支え続けてたとされています。
以下に会社に勤めながら、仕事が終わった後に作業していたサラリーマン時代のフォードが30歳くらいのときの自動車開発秘話もありました。
「自動車王ヘンリー・フォードの妻クララ夫人」( 自動車開発秘話 )
なお
H・フォードが一般的でなく変わり者だった伝説は、先に紹介したもの以外にも幾つもあって順風満帆だったエジソン照明会社を退職し35歳で独立して後
資本家( 投資家 )たちの協力を得て、会社を作っていますが・・
最初につくった会社は
「 あんまり安くしたら、資金提供した、こっち<資本家>の実入り(儲け)が少なくなるじゃないか・・それなりに高くして、経営している側のあなた( フォード氏 )とこっち<資本家>の実入り(儲け)が最大化するように、一部のお金の余裕のある人に、高い値段で売っておけば、それでよいのだ・・ 」
という、ごくごく一般的な考え方をする資本( 投資 )家たちと折り合いがつかなくなり意見が激しく対立して、それにどうしても妥協点を見つけられなかったフォードは、人間関係もごたごたし、投資家たちに幾度も言われるうちに怒り心頭に達してしまい、
その怒りが沸点を越えちゃって、とうとう自分から・・せっかく自身で立ちあげた会社を辞めたりしてます。OUCH!
事業的にも、最初は、てんで上手くいかず、所謂すっからぴんを5回も経験しています。
事業やってるような方で、たった一度の手痛い失敗で、二度と立ち上がれない方だっているわけです。
そういうことを考え併せるとフォード氏は失敗に対する痛みの耐性があると言いますか・・
過敏性の人間じゃないことは確かなようでして
失敗から学ぶ力も、どこか突き抜けてる・・ある意味、( いい意味で、へこたれない )失敗に鈍いのじゃないかと思われます。
そうじゃなかったとしたら、そもそも再起を図って6度も立ち上がることはできなかったのではないでしょうか?
しかし、そうは言えども・・さらに輪をかけ腹のすわった「 奥方の内助の功 」というのは計り知れないのではないかと・・
なぜなら・・いくらフォードの心が強い・・一本神経の太い線が切れてるみたいに失敗や挫折に対して鈍い・・鈍感で失敗から学ぶ力に卓越したものがあるからと言っても、幾度挫折しようが、その心が自暴自棄で投げやりに陥ることなく維持できたのには・・我の薄い肝っ玉奥さんの強い信念と言いますか・・根拠のない自信と言いますか・・楽天的パワーも相当にあったのではないかと・・(;^_^A
こういうエピソードを知るにつけ、フォード氏同様に、いい意味で、我が薄くて´神経の太い線がどこか抜けてる大らかで底抜けに楽天的な´クララ夫人がいなかったら
フォードは、あれほどの失敗や逆境の渦中で心の積極性を保てなかったのじゃないか?
この方は元々強い運を持ってますが・・奥方の大らかな支えがなかったら・・下手すると頭のちょっとおかしい仕事虫の変人技術屋で常識を欠いた人間として生涯を終わっていたのじゃないかしらん・・夫婦揃って、まさに紙一重だったのではないか?・・としか言いようがありません。
クララの立場に立ってみると・・現実問題・・5回も破産して、素寒貧を経験してまして・・
しかも子供まで抱えているなかで一文無しになっている・・
こういう喫緊の状況が現実に幾度もあってクララに小賢しい知識が豊富で肝っ玉も小さく・・かつ我が強く冷たい方だったら・・
一般的には、不平不満を爆発させ
「 なんて甲斐性のない駄目夫なんだろう・・
ほんと何をやってもダメなんだから・・
・・私は、なんで、こんな夫と結婚しちゃったんだろう・・
ほんとにもう・・こんな生活もうまっぴらごめんだわ・・ 」
と不満たらたら・・心を消極化させて、口にする言葉も温かさや潤いがなくなって
ぶつぶつと文句や恨み事を言ってたかもしれない
いや‥普通は、こうなるでしょう・・・何らかの心がけと言いますか修練積んでない方だったら・・
心を積極化する後天的方法を知らず実践してなかったら・・あるいは、そういうのを知らなくても‥何らかの心がけのない方だったら・・一般的には、そうなっても仕方がない・・(;^_^A
しかし、もしクララが、我が薄くなく小賢しい言葉を普段から駆使し、その心( 言葉 )を温かさで満たしてなかったら
「 お隣のジョーンズさんは、もう役員になったそうよ・・
あの方の奥さん・・ミンクのコートを着てたわ・・
それなのに、あなたときたら・・ほんとにもう・・ 」と愚痴をこぼして
子供にも「 お父さんみたいになっちゃいけませんよ・・ 」とため息と軽蔑交じりに棘のある文句を言うに違いないかと・・
何らかの心がけ・・修養をしてない奥方だったら・・大半の奥方が、こうなると思う・・(;^_^A
ただ・・
もしも、こんな言葉をブツブツがみがみ浴びせられ続けてたらH・フォードは落ち込んで実用的自動車作りを断念してたかもしれない・・
しかし、もし・・このときH・フォードが庶民的な価格の高機能の実用的自動車作りを断念してたら・・今みたいに世界の各都市の道路で、これだけの車が道路を走るような世の中になってかどうか・・実にアヤシイです。
それに
( こんなこと書くとクララをこよなく尊敬してる<特にアメリカ人>に怒られるかもしれんですが )
もし、クララが、どこか抜けてて( いい意味で )鈍くないと・・
さらには、その言葉にほどよい温熱と大らかな楽天性を耕してなかったら・・
フォードが事業に幾度も失敗して落ち込んでるときなんかに
「 あなたならきっと出来るわ・・」とニッコリ励ますことはできてないでしょう。
一般的には口にする言葉を温かくできず
「 あなたは、ほんと何やっても駄目ね・・あなたには結局、素質がないのよ・・ 」
と冷静なことを恨みがましくブツブツ、ガミガミ呟いてしまい
桁外れに強運のフォードも心がぽきんと折れて立ち上がれたかどうか・・本当にわからない・・です。
そういう苦境に陥った時に、夫の成功を夫以上に信じ支えるのは
< 一度ならず幾度も破産して、素寒貧という現実 >が、
重ーく、のしかかったら心の態度を積極に変容させるのは、良い意味で、どこか突き抜けてないと・・あるいは、何らかの修養を心がけてないと、そんなに簡単ではない気がします。
フォード夫妻は何回も無一文を繰り返してたようなので、そんな中で言葉を温かくし、その態度を温情に満ちたものに積極化するのは相当に難易度が高い・・言葉を温かくするスキルにおいても非常に難易度が高いと言えるのではないかと。
・・クララが、小利口で、小賢しい・・冷めた知識を振り回す方で、言葉を温かくし勇気づける・・思いやり偏差値の低い方だったら・・・夫であるフォードの佳いとこがブロックされ
芽を出しつつあった新しい産業や当時としては画期的な新しい生産システムは潰れていたはずでしてアメリカの目覚ましい工業発展も・・フォーディズムを真似て、そこから弛まぬ改善を続けていったトヨタを代表格とする日本の現在の自動車産業の隆盛もなかったかもしれません。
H・フォードも労苦をわかちあってくれるクララの献身性は強い実感として肌身にしみて感じてたみたいで
彼女( クララ )のことを敬意と慈しみを切に込めてThe Believer( 僕の信者さん )と呼んでいたのだとか。
そうして
H・フォードをして
「 私の人生の最大・最良の日は、私がフォード夫人( クララ )と結婚した日でした 」
とまで言わしめ
フォード氏は輪廻転生を信じてたらしく
さらに駄目押しで
「 次にこの世に生まれてくるときは何になりたいか?」
と聞かれた際は
「 何でもかまわないが、ただ、妻とだけは一緒にいたい 」と答えたという逸話まで残ってます。
これだけ深く信頼されてたからクララから無条件の愛と献身を返されてたのかもしれないですね。
そうした妻の並々ならぬ協力と献身もあって、心を強められたH・フォードは
クララと1888年に結婚して約12年後の1899年にデトロイト自動車会社を創業しています。
そこからいろんな試練に遭遇しますが彼は決して諦めず、9年後の変化の年である1908年に
ジェイムズ・クーゼンらの経営手腕もあって、
あの爆発的ヒットになった伝説のT型フォードを見事に完成させ1899年から
12年で大きく飛躍しています。
( T型フォードは、扱いやすく機能的で高品質なのに850ドルという価格でして
当時(1908)としては画期的でした。
この車は結局360ドルにまで価格を引き下げていまして、
彼の理念と願いのとおり庶民の手の届く価格にしています。
T型フォードは売れに売れ、クララと結婚して
12×3=36年目の1924年には1000万台を突破することになります )
こういった史実に見られるようにH・フォードは嫁さんに一途に愛され信頼され敬われ励まされて
エネルギー状態がよかったことも幸いし
多くの挫折、失敗や倒産という辛酸をなめ尽くしても、心の尊さ、強さ、温かさ・・清さを失わず、それをエネルギーに変え得ることが出来たとも言えるのではないでしょうか?
そんなH・フォードだからこそ
「 奉仕を主とする事業は栄え、利得を主とする事業は衰える 」
さらには
「 努力が効果をあらわすまでには時間がかかる。
多くの人はそれまでに飽き、迷い、挫折する 」
「 結果がわかっていなくても前進することだ。
やっている間に結果もでる 」
「 将来を恐れるものは失敗を恐れておのれの活動を制限する。
しかし、失敗は成長に続く唯一の機会である。
まじめな失敗は、なんら恥ではない。
失敗を恐れる心の中にこそ、恥辱は住む 」
こういった言葉が深い体験智として滲み出て語られたのかもしれません。
H・フォードの友人関係を調べてみますと
彼は上司だったエジソンだけでなく、あのルーサー・バーバンクとも非常に親しかったようです。
エジソンも小食で発明のヒントやインスピレーションを感受するために瞑想してたことは、あまりに有名ですが・・
ルーサー・バーバンクも聖者みたいな園芸家でして
H・フォードもエジソンやバーバンクに負けず劣らず
哲人経営者と言ってもいいくらい高潔で
瞑想をたしなみ瞑想で仕事の問題を解決したりすることも多く
簡素な生活をして、なおかつ自身の仕事が大好きだったことでも知られています。
フォードの若き頃( 30代〜40代 )の逸話を調べると・・
サラリーマン時代は昼間働いた後、いくらクララが洗濯しても追い付かない・・
機械油で真っ黒になった作業服に着替えて夜中の2時〜3時まで熱を入れて
「 実用的車作り 」という創作的行為に情熱を注いでますので、
ほぼ間違いなくリピドーを人々の役に立ち、楽にし
世の進軍に貢献する創造的なことに向けて熱変換し変容させてるかと思います。
じゃないとここまで精力的に働けないでしょう。
( それに・・いやいや、やらされてたのではなく、
自分で自発的に熱意を持って取り組んでたから時間も忘れてたのでしょう )
下手すると徹夜・・そうしてまた会社に出勤っていうのを繰り返してたらしいので
私がやらないで誰がやる・・というような強い使命観に似た動機で
パッションを持って取り組んでたかと思います。
高潔で愛妻家で簡素な生活をして自分のやってる仕事に強い誇りを持ち
好きで好きでたまらなかったのも
クララから深く尊敬され信頼され、H・フォード本人以上に
夫の成功を確信する根拠になってたのかもしれないですね。
ということで・・
やはり尽くし尽くされ、よいものを交換し合う夫婦愛のエネルギーの交流が自然にお互いの人格を創り、心を少しずつ強くする。運もよくする。
その一方で、これが何らかの原因でおかしくなって信頼を損ないエネルギーの交流がストップすると陰陽の調和が崩れ心の積極性にも少なからず影響を与え運気も乱れやすくなる。
( 自分の言葉を付け加えて表現し直してみますが・・・ )
お互い多少の欠点は目を瞑ってお互いの良いところを交換し合い、感謝し合う夫婦愛のエネルギーの交流が心の態度にも影響し円満な場合の仕事や生活にもたらす影響というのは甚大なものがあるのかもしれない・・また、このよしあしが運気の盛衰に関係するかもしれない例としてHフォードをピックアップしてみました。
何かのお役に立てば幸いです。
さらには、人には運気の自然の流れと言いますか、何らかの春夏秋冬の大きな運の流れがあると言われています。
生きてたら上手くいかない時期だってある。
頑張っても頑張っても何故か噛み合わず上手くいかなく感じる時期もあったりしますよね。
そういうときこそ焦らず、じっくり構えて準備に時間を割き淡々と過ごすとかいう工夫をしてる方も多いと思います。
そういった個人の運気の流れというのは数多く研究されてきてますので、この記事をお読みのあなたも、一度くらいは、個々の運勢や運命を判断する占いの本とかを読んで、ご自身に当てはめてみたこともあるのではないでしょうか?
私も運命とか運勢とかに興味があって研究してきたわけですが、
そういった個人の運気というものが、元々持っている個人の運命傾向や個人の生命の波と言いますかリズムだけでなく、
どういう方と巡り合い関わるか?という( 外的な )出会い( 関わる人や本人の決意による後天的修練等 )によっても運の強化ができるし巡り合う人によって大難が小難になったり好運の波が増幅される場合がある・・あるいは、その逆もあるのではないか?
例えば
あなたが書斎で、いい気分でいるときに
いきなり誰かが書斎に入ってきて愚痴や不平不満を口にし、他の人の悪口や陰口を言い始めたら・・一挙に気持ちが盛り下がるでしょう。
人間、なにかにつけ、いい訳を言う人間、思い方、考え方が退廃的で後ろ向き・・消極的な人間とつき合ってたら・・積極的な気持ちを、そのまま保つのは割と困難ですよね。
心身統一行法を熱心にやってる方でしたら、そういう場合でも、心的態度を積極にし向けることはできるとは思いますし
真剣に実践していったら、出会う人も変わっていく場合があるし、
特に変わらなくても、普段つき合う人に接する際の自身の心的態度を尊く積極的に変えることで拓かれてくるものがあると思いますので、あくまで一般論で述べるなら・・という前提が入りますが・・
その反対に‥落ち込んでるときなんかに、「 あなたなら出来るよ・・」とにっこり笑って勇気づけてくれたら・・それだけで一挙に気持ちが持ち上がったりする・・
なかでも配偶者( 恋人を含む )ってのは、身近でよく交流してる分、お互いに相当に大きな影響を与える場合がある・・
日々生活してるなかで交流度合いが深いということを鑑みると
巡り合う人の中でも最も色濃い影響を与え合うのは「 配偶者( 恋人を含む ) 」は外せないだろう・・
人によっては奥さん( 旦那さん )との会話が硬直し
1日の会話が、「飯(めし)はまだか?」「 風呂は??」「 酒あるか?」「 ああ、疲れた・・もう寝る・・」という4つか5つの会話しかない・・(;^_^A という殿方もいるみたいなんであれでして・・(;^_^A
最も深い交流をしてるのが先生(師匠)であったり、友人だったり、なんらかの教えを書いた本から強い感化を受けてたりする場合もあるかもしれないけども
一般的・・世間的には「 配偶者( 恋人を含む ) 」の影響は、凄いあるだろう・・と思ったので、前回のブログでは「 配偶者 」にフォーカスし
戦国時代の三英傑( 信長、秀吉、家康 )で運気の12年周期の盛衰を調べて仮説検証してみました。
この配偶者との交わりによる運気のリズムについては、日本人だけでは心もとないので、例えばアメリカにおける「 自動車王 」と言われているヘンリー・フォードなんかについても調べてみたいと思います。
なお、なぜ?この方を選んだかと言いますと・・フォード氏の妻のクララという方は、アメリカにおいても評判の賢妻と言われてる方でして・・フォード氏の成功は、この妻無くしてあり得なかったとも囁かれてるからです。
そこで実際の史実に当てはめつつ検証してみたところ、フォード氏は元々初期値として、非常に強い運を持った方で・・まあ、いろいろ調べたら・・やはりこのフォードと言う方も、感化された座右の書があって、トラインの本
今回は配偶者にフォーカスしてるので、もう長くなりすぎるので・・その言及はしませんけど・・
どう足掻いても(;^_^A・・調べれば調べるほどクララと結婚してからフォードは運気が大きく拓かれているように思います。
( そういう賢妻<優れた恋人>に出会い、よく尽くし合うことが出来たのは、フォードは、先に挙げたような一冊の本を青年の頃から、深く吟味的に読み、自身を磨くことを怠らなかったから出会ったんだ・・と言われたら身もふたもないわけですが・・)
彼女と結婚後における周期的な運気のリズムもそれとなく感じられましたので考察してみます。
先ず簡単にヘンリー・フォードの少年〜青年時代について述べるなら
フォード氏は、無類の機械好きで機械いじりが大好きでしたが学校の勉強には興味を持てず
早く仕事がしたくてたまらなくて16歳で高校を中退しています。
最初は、時計を作る大きな会社を興すのを夢みて、そのスキルを磨くために、機械工場で働き始め
その後も、かけもちで働いたりして機械に対する知識とスキルを磨くために
色んな職を転々としたと言われています。
自動車開発に興味を持った理由を自叙伝などから探ってみますと・・
フォードは田舎の農家の息子に生まれ自身が子供の頃から農業に携わって苦労していた。
そのときの農作業における人馬の辛さ、労苦を骨身に感じたからだそうでして
これを少しでも軽くし楽にしてあげたかった・・というのがあったのだとか・・・
また・・フォードが若き頃、住んでいたところからは少し離れた町で、
その当時、とても珍しかった「 車の展示会 」と言うのがあったそうで
( ※ただし当時の「 車 」と言うのは今のような、かっこいいものでは決してない )
それを見学に行って目にしたことで
自分自身で実用的な自動車を開発したい・・
という欲に火がつく原体験になった・・という記述が自叙伝の中で述べられてました。
実際にフォードは、農作業の苦役を軽くするための蒸気発動自動車を、
ありあわせの部品で試作したこともあったようです。
しかし、20代前半の頃は目標も定まっておらず職を転々としてたと言われてます。
ところが1888年 25歳の時にクララ・ジェーン・ブライアントと結婚して、そこから3年後の1891年にエジソンの関連会社に運よく就職できて夜勤の勤務をすることになりました。
これが先ずはフォードにとって幸運の兆しと言えるのではないかと思います。
フォードがエジソンの関連会社を転職先に選んだ理由は・・一説には、車のガソリン・エンジンを点火させるための電気の知識を学びたくて雇用機会を狙ってたとも言われてますが・・
クララと結婚して3年で転機を迎えてるというのも、何らかの幸運と運気のリズムを感じます。
以下にクララ・ジェーン・ブライアント女史の写真と簡単な略歴がありますので引用しておきます。
( 英語ですが )
クララ・ジェーン・ブライアント・フォード
↑ ↑ ↑
外見だけで判断するのは危険ですが・・雰囲気や印象からして、大らかで温かく包容力がある・・肝っ玉母さんタイプの感じですね。
それと・・無私的と言いますか・・我が超薄い感じがします。
自分が‥自分が・・ってのがあんまりない感じですね。(^_^)
そうして
クララと結婚後、転職先のエジソン照明会社で、瞬く間に頭角をあらわし、たった2年で異例とも言えるチーフ・エンジニアに昇進しこの会社本部で機械部の監督を任され
給与も月45ドルから月150ドルに跳ね上がっています。
このときには、昼間の勤務になっています。
※最初の勤務形態は「 夜勤 」だったのですが、敢えてそうしていたのはフォードなりの理由があって・・昼間は自分の自動車開発の研究に時間を割きたかったのでそうした・・という記述もありました。
フォードは、この会社で周囲からの信頼も厚くなっていったので、ここで、そのままずっと働いてれば順調に出世しサラリーマンとして安定した生活を営めるはずなのですが、彼は、決してこれでは満足できなかったようです。
昼間はエジソンの会社でチーフ・エンジニアとして働き、
帰宅してからは、すぐに作業服に着替えて
夜中の2時〜3時まで金鎚(かなづち)を片手に自動車を作るために働く・・
自宅の一角を改造した作業場で徹夜することも多かったのだとか。
そういうダブルワーク状態を続けるうちに
自動車の試作とサラリーマンの二足のわらじでは、
自動車開発は覚束ないと思い始め
自身の手による自動車の製作に微かな手ごたえを感じ、事業化できると確信した頃に
妻(クララ)の了解も得て7年勤めた会社を退職しサラリーマン生活に終止符を打っています。
なお
退職に際してエジソン照明会社の社長さんからは、
「 なぜこんなに高待遇で将来も嘱望されてるのに辞めるのだ!ガソリンの車なんて需要はない!
この大馬鹿もんが! 」と猛反対されましたが
エジソン本人には理解され35歳の時に独立しています。
ちなみに・・もし、クララが小利口な方だったら・・夫の退職には決して賛成してないのかもしれません。
それに、クララが夫と共に困難を共有しようという勇気や冒険心がなかったら・・H・フォードも退職を躊躇してたかもしれません。
給料の良い仕事を捨て「 あなたがやりたい好きな仕事をなさってください 」と言うことは、子供を抱えてたりなんかしたら・・妻にとっても、大変な決断であったと推察されます。
彼の下積み時代の変人エピソード(のひとつ)で面白いものもあるのですが
H・フォードは、サラリーマンとしてエジソンの関連会社で働きながら、夜は自動車開発に熱意を傾ける日々を送って、会社を退職した後しばらくして、当時、ごく一部の富裕層しか買えなかった車を購入しています。
この当時の車の金額は、まだまだ馬が主流の時代で
オーダーメイドに近い状態だったので1台4000ドルくらいでして・・
これは当時のアメリカ国民の平均年収のだいたい7〜8年分に当たる金額でした。
今の貨幣価値で換算したら、それなりに立派な一戸建ての家が買えるくらいの値段だったはずです。
なので、そんな高価なものを購入したフォードを世間( 近隣住民 )は羨ましがったそうです。
ですが、そういった世間の評判は、しばらくして・・またもや地に落ち、
批判と嘲笑の的になってしまいます。
なぜなら、フォード青年は、その高価な車を乗り回すわけでもなく
自宅の片隅を改造した作業場で分解し始め、また組み立てる・・
組み立てたと思ったら、また分解する・・
そうして、また組み直す・・という作業を黙々・・延々と始めたからです。
これが噂になっていき世間の人はフォードを
「 また、わけのわからないことをしはじめた・・本当に変人だ・・ 」としか見ることができない・・
フォード自身も決して社交的でなく寡黙( 無口 )で、仕事に関する質問をされても
YESかNoでしか答えなかったそうでして・・
今でいうところのコミュ力がない・・そのせいかもしれませんが・・周りは四面楚歌状態だったようです。
当時の人々は、そういったフォードの見えざる理念と信念・・
それに基づく行動を理解できなかった・・皆目わからなかった・・ということでしょう。
夫を信じる信念と夫愛が、めちゃくちゃ強い・・肝っ玉奥さんのクララとエジソンやバーバンク・・A・カーネギー、ジェイムズ・クーゼン等のごくごく一部の方を除いては・・
実際に農場を継いでもらいたかった父親から猛反対され隣近所の人たちからもスポイルされてたのは
自伝などを調べると間違いない事実のようです。
ですがフォードの妻のクララは、とりわけ格別に、そんなフォードを心から励まし勇気づけ、ただ口で励ますだけでなく夫と同じ方向を向いて一緒に汗を流して苦楽を共にし夫を心底から信じ支え続けてたとされています。
以下に会社に勤めながら、仕事が終わった後に作業していたサラリーマン時代のフォードが30歳くらいのときの自動車開発秘話もありました。
「自動車王ヘンリー・フォードの妻クララ夫人」( 自動車開発秘話 )
なお
H・フォードが一般的でなく変わり者だった伝説は、先に紹介したもの以外にも幾つもあって順風満帆だったエジソン照明会社を退職し35歳で独立して後
資本家( 投資家 )たちの協力を得て、会社を作っていますが・・
最初につくった会社は
「 あんまり安くしたら、資金提供した、こっち<資本家>の実入り(儲け)が少なくなるじゃないか・・それなりに高くして、経営している側のあなた( フォード氏 )とこっち<資本家>の実入り(儲け)が最大化するように、一部のお金の余裕のある人に、高い値段で売っておけば、それでよいのだ・・ 」
という、ごくごく一般的な考え方をする資本( 投資 )家たちと折り合いがつかなくなり意見が激しく対立して、それにどうしても妥協点を見つけられなかったフォードは、人間関係もごたごたし、投資家たちに幾度も言われるうちに怒り心頭に達してしまい、
その怒りが沸点を越えちゃって、とうとう自分から・・せっかく自身で立ちあげた会社を辞めたりしてます。OUCH!
事業的にも、最初は、てんで上手くいかず、所謂すっからぴんを5回も経験しています。
事業やってるような方で、たった一度の手痛い失敗で、二度と立ち上がれない方だっているわけです。
そういうことを考え併せるとフォード氏は失敗に対する痛みの耐性があると言いますか・・
過敏性の人間じゃないことは確かなようでして
失敗から学ぶ力も、どこか突き抜けてる・・ある意味、( いい意味で、へこたれない )失敗に鈍いのじゃないかと思われます。
そうじゃなかったとしたら、そもそも再起を図って6度も立ち上がることはできなかったのではないでしょうか?
しかし、そうは言えども・・さらに輪をかけ腹のすわった「 奥方の内助の功 」というのは計り知れないのではないかと・・
なぜなら・・いくらフォードの心が強い・・一本神経の太い線が切れてるみたいに失敗や挫折に対して鈍い・・鈍感で失敗から学ぶ力に卓越したものがあるからと言っても、幾度挫折しようが、その心が自暴自棄で投げやりに陥ることなく維持できたのには・・我の薄い肝っ玉奥さんの強い信念と言いますか・・根拠のない自信と言いますか・・楽天的パワーも相当にあったのではないかと・・(;^_^A
こういうエピソードを知るにつけ、フォード氏同様に、いい意味で、我が薄くて´神経の太い線がどこか抜けてる大らかで底抜けに楽天的な´クララ夫人がいなかったら
フォードは、あれほどの失敗や逆境の渦中で心の積極性を保てなかったのじゃないか?
この方は元々強い運を持ってますが・・奥方の大らかな支えがなかったら・・下手すると頭のちょっとおかしい仕事虫の変人技術屋で常識を欠いた人間として生涯を終わっていたのじゃないかしらん・・夫婦揃って、まさに紙一重だったのではないか?・・としか言いようがありません。
クララの立場に立ってみると・・現実問題・・5回も破産して、素寒貧を経験してまして・・
しかも子供まで抱えているなかで一文無しになっている・・
こういう喫緊の状況が現実に幾度もあってクララに小賢しい知識が豊富で肝っ玉も小さく・・かつ我が強く冷たい方だったら・・
一般的には、不平不満を爆発させ
「 なんて甲斐性のない駄目夫なんだろう・・
ほんと何をやってもダメなんだから・・
・・私は、なんで、こんな夫と結婚しちゃったんだろう・・
ほんとにもう・・こんな生活もうまっぴらごめんだわ・・ 」
と不満たらたら・・心を消極化させて、口にする言葉も温かさや潤いがなくなって
ぶつぶつと文句や恨み事を言ってたかもしれない
いや‥普通は、こうなるでしょう・・・何らかの心がけと言いますか修練積んでない方だったら・・
心を積極化する後天的方法を知らず実践してなかったら・・あるいは、そういうのを知らなくても‥何らかの心がけのない方だったら・・一般的には、そうなっても仕方がない・・(;^_^A
しかし、もしクララが、我が薄くなく小賢しい言葉を普段から駆使し、その心( 言葉 )を温かさで満たしてなかったら
「 お隣のジョーンズさんは、もう役員になったそうよ・・
あの方の奥さん・・ミンクのコートを着てたわ・・
それなのに、あなたときたら・・ほんとにもう・・ 」と愚痴をこぼして
子供にも「 お父さんみたいになっちゃいけませんよ・・ 」とため息と軽蔑交じりに棘のある文句を言うに違いないかと・・
何らかの心がけ・・修養をしてない奥方だったら・・大半の奥方が、こうなると思う・・(;^_^A
ただ・・
もしも、こんな言葉をブツブツがみがみ浴びせられ続けてたらH・フォードは落ち込んで実用的自動車作りを断念してたかもしれない・・
しかし、もし・・このときH・フォードが庶民的な価格の高機能の実用的自動車作りを断念してたら・・今みたいに世界の各都市の道路で、これだけの車が道路を走るような世の中になってかどうか・・実にアヤシイです。
それに
( こんなこと書くとクララをこよなく尊敬してる<特にアメリカ人>に怒られるかもしれんですが )
もし、クララが、どこか抜けてて( いい意味で )鈍くないと・・
さらには、その言葉にほどよい温熱と大らかな楽天性を耕してなかったら・・
フォードが事業に幾度も失敗して落ち込んでるときなんかに
「 あなたならきっと出来るわ・・」とニッコリ励ますことはできてないでしょう。
一般的には口にする言葉を温かくできず
「 あなたは、ほんと何やっても駄目ね・・あなたには結局、素質がないのよ・・ 」
と冷静なことを恨みがましくブツブツ、ガミガミ呟いてしまい
桁外れに強運のフォードも心がぽきんと折れて立ち上がれたかどうか・・本当にわからない・・です。
そういう苦境に陥った時に、夫の成功を夫以上に信じ支えるのは
< 一度ならず幾度も破産して、素寒貧という現実 >が、
重ーく、のしかかったら心の態度を積極に変容させるのは、良い意味で、どこか突き抜けてないと・・あるいは、何らかの修養を心がけてないと、そんなに簡単ではない気がします。
フォード夫妻は何回も無一文を繰り返してたようなので、そんな中で言葉を温かくし、その態度を温情に満ちたものに積極化するのは相当に難易度が高い・・言葉を温かくするスキルにおいても非常に難易度が高いと言えるのではないかと。
・・クララが、小利口で、小賢しい・・冷めた知識を振り回す方で、言葉を温かくし勇気づける・・思いやり偏差値の低い方だったら・・・夫であるフォードの佳いとこがブロックされ
芽を出しつつあった新しい産業や当時としては画期的な新しい生産システムは潰れていたはずでしてアメリカの目覚ましい工業発展も・・フォーディズムを真似て、そこから弛まぬ改善を続けていったトヨタを代表格とする日本の現在の自動車産業の隆盛もなかったかもしれません。
H・フォードも労苦をわかちあってくれるクララの献身性は強い実感として肌身にしみて感じてたみたいで
彼女( クララ )のことを敬意と慈しみを切に込めてThe Believer( 僕の信者さん )と呼んでいたのだとか。
そうして
H・フォードをして
「 私の人生の最大・最良の日は、私がフォード夫人( クララ )と結婚した日でした 」
とまで言わしめ
フォード氏は輪廻転生を信じてたらしく
さらに駄目押しで
「 次にこの世に生まれてくるときは何になりたいか?」
と聞かれた際は
「 何でもかまわないが、ただ、妻とだけは一緒にいたい 」と答えたという逸話まで残ってます。
これだけ深く信頼されてたからクララから無条件の愛と献身を返されてたのかもしれないですね。
そうした妻の並々ならぬ協力と献身もあって、心を強められたH・フォードは
クララと1888年に結婚して約12年後の1899年にデトロイト自動車会社を創業しています。
そこからいろんな試練に遭遇しますが彼は決して諦めず、9年後の変化の年である1908年に
ジェイムズ・クーゼンらの経営手腕もあって、
あの爆発的ヒットになった伝説のT型フォードを見事に完成させ1899年から
12年で大きく飛躍しています。
( T型フォードは、扱いやすく機能的で高品質なのに850ドルという価格でして
当時(1908)としては画期的でした。
この車は結局360ドルにまで価格を引き下げていまして、
彼の理念と願いのとおり庶民の手の届く価格にしています。
T型フォードは売れに売れ、クララと結婚して
12×3=36年目の1924年には1000万台を突破することになります )
こういった史実に見られるようにH・フォードは嫁さんに一途に愛され信頼され敬われ励まされて
エネルギー状態がよかったことも幸いし
多くの挫折、失敗や倒産という辛酸をなめ尽くしても、心の尊さ、強さ、温かさ・・清さを失わず、それをエネルギーに変え得ることが出来たとも言えるのではないでしょうか?
そんなH・フォードだからこそ
「 奉仕を主とする事業は栄え、利得を主とする事業は衰える 」
さらには
「 努力が効果をあらわすまでには時間がかかる。
多くの人はそれまでに飽き、迷い、挫折する 」
「 結果がわかっていなくても前進することだ。
やっている間に結果もでる 」
「 将来を恐れるものは失敗を恐れておのれの活動を制限する。
しかし、失敗は成長に続く唯一の機会である。
まじめな失敗は、なんら恥ではない。
失敗を恐れる心の中にこそ、恥辱は住む 」
こういった言葉が深い体験智として滲み出て語られたのかもしれません。
H・フォードの友人関係を調べてみますと
彼は上司だったエジソンだけでなく、あのルーサー・バーバンクとも非常に親しかったようです。
エジソンも小食で発明のヒントやインスピレーションを感受するために瞑想してたことは、あまりに有名ですが・・
ルーサー・バーバンクも聖者みたいな園芸家でして
H・フォードもエジソンやバーバンクに負けず劣らず
哲人経営者と言ってもいいくらい高潔で
瞑想をたしなみ瞑想で仕事の問題を解決したりすることも多く
簡素な生活をして、なおかつ自身の仕事が大好きだったことでも知られています。
フォードの若き頃( 30代〜40代 )の逸話を調べると・・
サラリーマン時代は昼間働いた後、いくらクララが洗濯しても追い付かない・・
機械油で真っ黒になった作業服に着替えて夜中の2時〜3時まで熱を入れて
「 実用的車作り 」という創作的行為に情熱を注いでますので、
ほぼ間違いなくリピドーを人々の役に立ち、楽にし
世の進軍に貢献する創造的なことに向けて熱変換し変容させてるかと思います。
じゃないとここまで精力的に働けないでしょう。
( それに・・いやいや、やらされてたのではなく、
自分で自発的に熱意を持って取り組んでたから時間も忘れてたのでしょう )
下手すると徹夜・・そうしてまた会社に出勤っていうのを繰り返してたらしいので
私がやらないで誰がやる・・というような強い使命観に似た動機で
パッションを持って取り組んでたかと思います。
高潔で愛妻家で簡素な生活をして自分のやってる仕事に強い誇りを持ち
好きで好きでたまらなかったのも
クララから深く尊敬され信頼され、H・フォード本人以上に
夫の成功を確信する根拠になってたのかもしれないですね。
ということで・・
やはり尽くし尽くされ、よいものを交換し合う夫婦愛のエネルギーの交流が自然にお互いの人格を創り、心を少しずつ強くする。運もよくする。
その一方で、これが何らかの原因でおかしくなって信頼を損ないエネルギーの交流がストップすると陰陽の調和が崩れ心の積極性にも少なからず影響を与え運気も乱れやすくなる。
( 自分の言葉を付け加えて表現し直してみますが・・・ )
お互い多少の欠点は目を瞑ってお互いの良いところを交換し合い、感謝し合う夫婦愛のエネルギーの交流が心の態度にも影響し円満な場合の仕事や生活にもたらす影響というのは甚大なものがあるのかもしれない・・また、このよしあしが運気の盛衰に関係するかもしれない例としてHフォードをピックアップしてみました。
何かのお役に立てば幸いです。