私のとっても大好きな映画のひとつに「 陽の当たる教室 」という映画があります。
主人公はホランドという音楽教師です。
ですが、このホランド先生・・あまり・・ぱっとしません。
作曲家になりたい!と思っていたのですが、( 才能が開花せず挫折し )
生活のために音楽教師を選んで、嫌々ながら・・もがきながら・・挫折しかかりそうになりながらも、その場でベストを尽くして、ひたむきに教師という役割を果たし続けます。
そうして毎日毎日心を新たにして音楽の素晴らしさや楽しさを生徒に伝えていくうちに心が変わっていきます。
生徒を教える素晴らしさや教師としての生きがいを感じるようになっていくのです。
私が、最も印象に残ったシーンは ご覧になった方じゃないとわからないと思いますが必死に練習しても・・練習してもクラリネットを吹くことができずに、( 彼女の目には優秀に観える兄や姉と自分を比較し )劣等感に苛まれて悩んで泣き出す・・一人の少女をホランド先生が解きほぐして、うまくクラリネットを弾けるきっかけになったシーンです。
これは、挫折を経験し、教えている教師自身に克服体験があり、かつ痛みが手に取るようにわかっている凡夫?ホランド先生でしか解きほぐせなかったのかもしれませんね。( 笑 )
この・・いくら練習してもできなかったクラリネットを弾けた・・という些細で小さな自信が、その後の少女にどのような影響を与えたのでしょうか?
映画をご覧になった方は、この・・自分自身をみにくいアヒルだとみなしていた少女が、白鳥と氣づいて努力した30年後にどういう人物になるかご存知ですよね。

ネタばれになるので書きませんが、そういう些細なきっかけ( 積極的な刺激 )が心機転換になって、大きく人生が転回・飛躍することもある・・というのを強く感じました。
この少女がホランド先生の引退の日を飾る重要なスピーチを行うのです。
陽のあたらない( と思っていた )教室が( 実は )陽のあたる教室だった!とわかる感動的なスピーチ・・です。
ところで
話は変わりますが
この「 陽のあたる教室 」に登場する少女に似たような逸話も思い出しましたので紹介します。
その主人公は名大統領として名高いD・ルーズベルト大統領夫人のエリノアという方です。
エリノア夫人は、人道主義者として、人種差別に反対し、つねに、悲惨な状況に置かれている人々に慈愛の目を向け、世界中の人々の権利を守るために貢献したファースト・レディです。
「 世界人権宣言 」は、彼女の陰の努力なくしては起草されなかったとさえ言われています。
そういう世界的な貢献をしたエリノア夫人ですが、少女時代は、富裕だったけれども、幸福ではない少女時代を過ごしていた・・とのこと・・
と・・言いますのも、彼女の家は、名門中の名門だったらしく、母親はもちろん、叔母も非常な美人で社交界の花形だったそうです。
しかし、エリノアは、劣等感に苛まれていたらしくて、ダンスやスケートも( 不器用で )まったく・・てんで駄目で・・内気でオドオドして自信がなく自分自身が綺麗ではない!と思い込んでいたらしいです。
お母さんが美人なら、( 基本的に )綺麗でないはずはないのですが・・

ですから、ダンス・パーティのときは、いつも仲間はずれ・・劣等感の塊だったようです。
まさに「 陽のあたる教室 」の・・( いくら練習しても )クラリネットを弾けずに孤立していた泣き虫だった少女と同じような惨めな思いを抱き続けていたようです。
しかし、そんな彼女に「 踊りませんか? 」と声をかける男性がいた・・
その男性が、将来大統領になるルーズベルト青年だったのです。
そういう小さなきっかけが機縁になって、小さな自信を育んでいって・・エリノアは、ルーズベルト青年と結婚・・メデタシ・・メデタシ・・
ですが、これで話は終わりません。

夫が出世するのは、内助の功は必須のようです。
エリノアは、夫のルーズベルトが他の政治家達とホテルなどで夜を徹して会議している最中に、しょんぼりしていた

ルーズベルト夫人( エリノア )は、私よりも、はるかに不幸で不安に駆られている人の存在に氣づいて、巻き込まれることなく、彼女らを鼓舞激励して助けるという影響の輪に集中することで、見事に恐怖心を克服していったそうです。
エリノア夫人は、些細な幸運( 積極的な刺激 ・ きっかけ )を最大限利用して、本来の魅力ある自分自身を育てていったのだと思います。
エリノア夫人がもし、不器用ではなくダンスが得意で社交的だったら・・
劣等感に苛まれて、本来の内面の美しさや自分自身の魅力に氣づいて、育てていかなかったら・・。
どうだったのだろう・・と・・仮定してみたのですが・・
もし、ダンスが得意で社交的だったら・・後の大統領になるルーズベルト青年に出会って、結婚は出来ていたかもしれないけれども、内助の功で、ルーズベルト青年を名大統領の域に到達させることは出来なかったのではなかろうか?
という氣さえします。
なぜなら、富裕だったけれども辛い・・過酷な心の少女時代を経て、他人の痛みがわかり、かつ、その痛みを乗り越えた方だったから、周囲にも深い思いやりを示す方になっていったのだろうと思えるからです。
こうして考えると、まさに人生塞翁が馬・・で、何が幸いして、それが福になるかは、わからない・・ということですね。

欠点があるから、人は素直になれることもあるのかもしれません。
また、エリノア夫人は、他人と比較して自分自身の弱点( 不得意なこと )に焦点を合わせていたときには、本来の内面の魅力に氣づきませんが、得意なことや小さな勝利体験に焦点を合わせていくことで、内面の強さを養って、強めて・・磨いていったのではなかろうかと思いました。
参考文献
マーフィーの黄金律
PS
※根深い劣等感の克服は、エリノア夫人のように努力を積み重ねて劣等感を抱いた体験を上回る、それ以上のプラスの体験で上塗りするか、
もっと本質的には、瞑想等で絶対的な領域にアクセスして比較を超えた何かを掴むしかない気がします。