ジーニアスQuest

 読んで頂いた方が、自然に幸運になってツイテくるためのパワフルな方法
   継続力をつけるための習慣化のノウハウ
  オマケで右脳開発や速読法等の記事をアップしています。  

Category: 映画とメンタルサイエンス

※「 君の名は。」という映画については、

ひどく酷評する評論家の方も多いみたいで、とりあえず普通に私の奥さんも感動してたんですが・・

( 普通に感動する嫁さんでよかったと思ってます。ただし・・辛い決断を人知れないとこで何度もしてきたような方の場合は・・そこに別の何かを投入してしまい・・心を揺さぶられるらしいです )




と言うことで・・今回もこの映画をトピックにし追記してみます。








さて


私も考察記事を書いてますが、この映画を見たうちの子供から質問されたことの一つ目は

「 瀧と三葉が相思相愛になるのが唐突すぎてわからなかった・・」ということでした。


好きになるのに理由は要らないと言い捨てることも出来ます。



しかし、質問してきた子供にも同じことを言ったのですが

この映画は展開が早いので少しわかりにくいかもしれないけれども

三葉や瀧が、その時々の情況において、いかに振舞ったか?その反応・・台詞や行動を含めて思い出しながら、一つ一つ振り返って、登場人物たちの行動を立場を自身に置き換えて点検したところ、お互い好きになるということに、そんなに唐突感はありませんでした。


瀧が三葉を好きになるのは・・

○三葉の現代っ子的清楚さや「 着物をさらりと着こなし、組紐を手際よく編む、ゆかしい美しさ 」等・・

 三葉ボディにステイしたら( いくら鈍感で奥手で朴念仁な )瀧であっても、その周辺事情や周囲の反応から、そういうのを暗黙の了解で十分察することができる



○朝食やらも妹と協力して分担して準備するしっかり者というのも明らかに察することができる

○よき友達がいることから性格も推定できる

さらには・・

○瀧の体にホームボディした三葉は、いきなり初日から新宿のカフェのアルバイトに
適応( 順応 )しガミガミ怒鳴られながらも奮闘できる・・めげない積極性<たくましさ>・・
それでいて、さらっと刺繍ができる女性らしいところ・・等々

その魅力を挙げたらキリがないでしょう。



三葉が瀧を好きになるのは・・

○瀧が正義感が強く思いやりがある・・さばさばしてる( からっとしてる )ことが随所に垣間見えている・・

○芸術的センス抜群で絵もうまい

○よき友達がいることから性格も推定できる


 それに・・本来は、父親がサポートして三葉を楽にしてあげるべきことを瀧が代わりにやって三葉を守ったところがある
 
三葉は学校で、嫌がらせを受けても「 宮水家の三葉 」としての立場やら、
いろんなしがらみに縛られ( 肩身の狭い思いを抱えつつ )じっと耐えてたわけですが・・
( 三葉ボディにステイした瀧 )が美術室で机を蹴り倒して、、これ以降は、嫌がらせ3人グループに文句を言わせなくし、もっと堂々としたほうがよいとスマホでアドバイスしたり・・

 三葉たちのために、( 三葉ボディにステイした際に )ノコギリを片手に
お手製のオープン・カフェを作ったりしている
 
 口では生活防衛のため意地を張り合って口喧嘩しているように見えるけれども、
これは、ある意味、もはや親しい身内的なダイレクトのやり取りでして・・
内心は違うやろ・・あんたら・・ごちそうさま・・という雰囲気が映像や
声優さんの声音から、そのように解釈してほしい・・という制作者の意図が何となく読み取れたので・・

次のメインのうちの子からの質問は

「 テッシーとさやかが、なぜあんな大胆な行動をとったのかが、もやもやしてわからない 」ということでした。


脇役の一人のテッシーやさやかも実に魅力的なキャラでして・・

 どうしてああいう泥を被る行動をとらせたか?製作者はどう読み取って欲しいのか?というのをちらと考えるのも面白かったわけで子供にも以下のように答えたのですが・・


糸守町の人的被害を最小限に食い止めるために

町の皆が助かるのなら自分達が犯罪者として厳しく裁かれ少年院送りになっても構わない
後ろ指をさされて町におれなくなっても厭わないという覚悟


 映画のなかでは主人公らと魅力的な脇役( テッシー、さやかを含めた )3人(正確には3人×2組)とも理性と常識、良識をわきまえた高校生なので、その想像は働くはず・・



( 架空の映画ではありますが )そんなこんなで、とにかく社会的死を覚悟したギリギリの腹を決めた覚悟をしたわけで

あんなに勇気を振り絞って社会的死を覚悟をし奮闘した理由は・・

月並みですが



 自分をより大きなものに捧げるしかないでしょう。


 テッシーらをああいう行動に駆り立てた最大の理由としては、しかない。


 ただ製作者が読み取って欲しいと感じたものは、

 私が理解した範囲では

1)テッシーは、もちろん正義感が強く町の人を助けたい・・というのはあったと思うけども

 三葉と違う意味で境遇がかぶっていて三葉が大好きだったから・・三葉( 正確には三葉の体に入った瀧を含む )があんなに必死になって真剣に訴えてるんだから、三葉のためなら泥でもなんでもかぶってやるわい・・というところの覚悟の動機が、かなり大きかったのではないかと・・

2)超がつくオカルト・マニアでムーを愛読し無線通信の知識にも長けたものがあった・・
< 伏線が張り巡らされていましたよね >

 ( テッシーの部屋からして無線機やらがいっぱいで、あまりにマニアックな部屋だったのが観察できたし変電所を爆破する直前の含水爆薬を入れたバッグの中にもムーがこそっと入っていたのを観察できた。 お守り代わりにしたと製作者は読み取って欲しかったのかもしれない・・ )

3)宮水家の能力的なものを三葉のお母さんの噂から少し聞き知って信じていて、三葉が最近つとにおかしいことにも気づいていた
 ( 想像力で補ってますが )

4)テッシーは、胆力もあり正義感が強く、本当に三葉が言うことが正しいなら、生っちょろいことをやっても、らちが明かない、秋祭りをしてる最中に町民を高校まで避難させるには、相当に乱暴だけれども、この方法でやるしかない・・と腹を決めた・・というのと‥併せて・・わいろ的な手を使い、父親の建設会社が請け負って造ったことを匂わせている変電所( 町の良くないところ・・腐敗の象徴 )を破壊したい潜在願望もあったから・・といったところでしょうか?


 

サヤカがああいう行動をとったのは、「 三葉も好きで、とりわけテッシーが大好きだったから 」というぐあいに読み取って欲しいという製作者の意図も垣間見えました。

その他の根掘り葉掘りの質問は内輪話で恥ずかしいものも含んでるので除外しておきます。



ということで

 この映画は、心の深いところの何かを刺激し、小さな勇気を掘り出すことにもお薦めであることは間違いないですが

最後に冷静コメントもしておきます。


 エンタメ、ファンタジー映画に現実的で実際的な( 伯方の塩)的冷静コメント<ツッコミ>を締めでするのもどうかと思いますが一応・・(;^_^A


というのも・・自身の体験上

縁というのは本当に奇跡的なものだけれども

出会った後のほうがより大事というのは実感してるからです。



出会った縁を生かす

困難な環境であっても意志力を堅固にし、小さな勇気を持続し
摩擦や軋轢を生じがちな人間関係を滑らかに安寧化しうる
愛( 結ばせる力 )の実力を養うのも大事だと思った次第です。





とりあえず、この映画の感想を、あれやこれや根掘り葉掘り私に質問してきたうちの子にも
理解できた範囲で、質問に、素気なく答えた後


「 あのね・・いくら好き同士になったからとて、全く違った背景と環境で生きてきた男と女が同じ屋根の下に暮らしたらいろいろあるんよ・・

出会ってからのほうが実は大変で恋愛成就や結婚はゴールインではないさね。

一気に燃え上がって燃え尽きるような盲目的恋と愛は本質的に違うやろ。

そこから信頼を少しずつ編んでいくほうが、もっと大事で、案外と難しいんよ・・
なので( お互いあら捜しせず目を瞑り合うことや )感謝はわりに大事なんよ 」

と( 映画の本筋と全く関係ない )大人の塩対応的コメントを( わが子に )しておきました。

( 理解できたかどうかは不明・・きょとんとしてたので恐らく理解出来てない )

そういうツッコミをするところが既に私自身が「おじさん」・・ということを証明してるということなんでしょう。(;^_^A





( 関連リンク )


「 君の名は。」のレビューと考察( 3数多用の秘密と小さな勇気の伝染  )

メルマガ読者の方から

岡崎氏は映画は視られますか?
社会現象にまでなっている「 君の名は。 」についてどう思われましたか?>私は、いたく感動しました。


というメールがメルマガ読者のおひとりのTさんから寄せられました。


天風先生とかも、何かの本で「 私は作家が書いた本とかでも、心を生き生きさせる積極的なものしか読まないよ・・」と述べてたように記憶しています。

なので、私も映画とか見る際は、かなり厳選して視てるのですが
この「 君の名は。」という映画については知人だけでなく、わが子からも珍しく薦められた※ので、( 気が進まなかったけれども )このブログ記事を執筆する随分前に視ました。


( うちの子が私に薦めたのは、友達と見に行ったけれども、この映画がよくわからなかったので感想含めて私にいろいろ聞きたかったらしい )


そういう経緯もあって今回は「 君の名は。 」について遅ればせながら記事を書いてみます。

「 English edition 」全曲トレーラー




「 君の名は。 」予告





とりあえず前情報なく視たので

ただのコミカルタッチの恋愛映画で大林監督の名作「 転校生 」的なものに
ファンタジー要素とアニメ的脚色を施したものだろう

男と女で、あるいは、親と子で、体が入れ替わっちゃったよ・・どうしよう?!困った・・

というホーム・ステイならぬ
ボディ・ステイ体験を描いたドタバタ作品は今に始まったものじゃないだろう・・・
という先入観があったのですが、、、いい意味で裏切られました。

繊細な光の表現が脳に贅沢でして・・映像も音楽も声優さんの演技も素晴らしかった・・人の霊性を刺激し生きる力を強くする優れた映画だと思いました。



 特に後半においては、何度も悲劇回避の未来改変は、もう無理だろう・・やはり難しかったか・・と想像させ匂わせる映像的演出も巧みに施されていたので・・
そのたびに心が振幅したので振幅度と言いますか・・揺さぶられ度が凄かったです。

視終わった後は、小さい伏線、大きな伏線が繋がって緊張が解かれ
´謎の感動´とともに呆然としたのを覚えています。

後述しますが、優れた映像作品は、いろんな感情を刺激され揺さぶられることになり、
結果的に心の深いところのわだかまりのデトックスになり、感情が解放され楽になる・・

心の風通しがよくなることで小さな勇気を後押しする力になると思っています。

深いところから出てくる感涙の涙は、コルチゾールという(ストレスホルモン)を引き起こす厄介な化学物質を取り除くのにも役立つとも言われてますから。


「 忘れてしまった瑞々しくって切なる何か 」を思い出すきっかけになるかもしれません。

テンポが速く頭のなかで伏線を高速回収させつつ整理するのが大変だったので、
脳の体操にもよかったかもしれません。



( 実生活上では )

小さな勇気を持続することや前夜視た夢を用紙に書き出す「 夢日記 」をもう一度始めるきっかけにもなりました。




※以下の感想やあらすじは視た方じゃないとさっぱりわからないと思いますし、有名な評論家の方は酷評する方も多いみたいなので、個人的には、大の大人がこうしてガチンコで筆を奮うのは、やや肩身が狭いのですが・・
Tさんに書いたお返事に大幅加筆して、あらすじ含めネタバレの記事にしてみます。



1 映画の展開とストーリー構成

先ず映画の展開とストーリー構成について説明するなら・・序盤は、まさに想定通りコミカルタッチのドタバタで入っていきました。

ですが、彗星接近にまつわる大イベントを中心軸に据えて中盤から後半にかけて一挙に暗転しシリアス化していきました。

「 彗星は美しいもの、壮麗な天体現象として鑑賞し楽しむもの 」という意味付けから

中盤においては、「 彗星接近は災厄をもたらすもの、、大切な人を奪うもの 」へとパラダイムがガラリと転回し暗転するのは、

あれは最初の導入の美しい映像と台詞の刷り込みが効いていたし、
序盤のかけ合い漫才のような軽妙な展開に心が安心しきって無防備になり、すっかり忘れさせられてしまったというのもあったと思っています。

中盤から終盤にかけて主人公たち( 瀧、三葉 )の体の入れ替わり現象が急に起きなくなった理由が明らかになるにつれて一気に私の心のおしゃべり( 細かいツッコミ )が止んで映画に没頭していきました。


中盤の暗転を受けての後半は、

彗星接近およびそれに伴う避けられない大惨事の事実を受け入れ
「 確定された未来 」において、自分に何ができるか?今からでも何かできないのか?
という苦悩から生まれた深刻な問いからの瀧の行動が駆動力になって展開していきます。


三葉の未来を知ってしまい、いてもたってもいられなくなった瀧は

それでも三葉にもう一度会いたい一心( 恋心 )で

三葉の生きた名残を( 記憶の底から呼び覚まして )探すプロセスで思いついたヒントを手がかりに
「 体の入れ替わり 」のトリガーの一つ( ←三葉が造って奉じた彼女の半身の象徴体である口噛酒を飲む )を閃き実行し、結びの力を強めたこと。

これが新しい流れを作る事態打開のきっかけになります。

余談ですが・・お酒やお水は情報を転写しやすいと言われてます。神人と言われた黒住宗忠公なんかの伝記や記述を読むと、この御方が取り扱った、お神酒やお水で信じられないような奇跡が頻発してたらしいんで・・


瀧が口噛酒を飲んだ後の一連のシーン・・これは本当にもう神がかってると言いますか・・圧巻なのですが・・

瀧は、口噛酒をトリガーにして三葉の生きていた時間軸の平行世界に遡及的にダイブし、その際の( 生まれ直し )のプロセスで三葉の魂( 彼女が生まれてからの全ての情報 )に同調したことで三葉の使命、代々背負った使命・役割・召命的なものも、おぼろげ乍ら感受してしまう・・

 信じる信じないはおいといて、人間って死ぬ( 肉体に閉じ込められていた魂<および意識>が肉体から離れるご臨終の )ときに、これまでの人生が、走馬灯のように高速で蘇り、その生涯において特に深く強い印象を与えたシーンがめくるめくように蘇ってくると言います。
 ( これは国も人種も民族も文化も性別も世代も違う臨死体験者が共通して体験してることなのだとか )

 

 このシーンは、瀧が、口噛酒を飲んだ後に、運命の赤い糸の象徴である「 赤い組紐 」が時空を遡及して伸びて三葉の魂を探し当てた。

 そうして、それを媒介にして、時間軸を遡り三葉が生まれて生きて体験してきたこれまでの過去の情報が印象深い出来事を中心にどっと意識の中に流れ込んで「 生まれ直した 」ということを宇宙創成をも巻き込んだ壮大な映像で示した・・ということなのでしょう。



それと同時に

瀧の切なる願いのとおり

隕石衝突直前の当日の三葉ボディに見事ステイでき、

未来の情報を知って未来の記憶を保持した立場で

この時間軸の平行世界における三葉・・そして町民を彗星の隕石衝突から救うために、( 三葉ボディにステイした )瀧はすぐに行動を開始します。


このへんの一連のくだりも・・

瀧の行動力や正義感が強く優しい性格含めて

瀧なら、すぐに勇気を奮い立たせて、そういう行動をとらせるだろうな・・というのは、

冒頭のほっぺの絆創膏のシーンやらお祖母ちゃんをすぐにおんぶする行動やらから
伏線が十分に効いてましたので違和感がありませんでした。

そうして、タイムリミットが迫ってる中で、瀧はテッシーらのよき仲間にも相談し事態打開の状況を準備して作っていきますが・・

計画遂行中に´己の力の限界´も思い知らされ一旦挫折することになります。


「 俺じゃダメなのか・・ 」という
( 三葉ボディにステイした瀧 )自身の台詞に、それが凝縮されているんじゃないかと・・・


考えあぐねた瀧は

町長( 三葉の父 )を説得し町民・・そして三葉を実際的に救うには三葉本人及び血脈の力が絶対的にいると閃き、

 その三葉(の魂及び意識)は、きっと自分の体に入れ替わって入っており

ご神体のある山頂にいるはずと瀧は確信します。

 そうして山頂に到着して自分の体に入った三葉を探し、時間の揺らぎが生じた( カタワレ時の時空の境目で )三葉と奇跡的な邂逅を果たします。

 そのわずかの時間に彼女に自身の切なる想いのありったけを告げ、この平行世界の時間軸で生きる町の人たちの未来も彼女らに引き継ぎ託すことになります。

( ※瀧が三葉に組紐を渡した瞬間に、確定されてた歴史が揺らぎ再度組み直され繋ぎ直された・・・そうして、カタワレ時が終わって、別れた瞬間、瀧が、瀧の時間の世界で経験してきた確定された未来(記憶)にも揺らぎが生じ現実感覚を伴ったこれまでの瀧の記憶は< うつろう夢 >に変換され肉体感覚を伴う記憶も失うことになる。
 記憶を失ったということが過去が組み直され、未来も揺らいだことを匂わす状況証拠になっていると私は理解しました )

そうして、( 未来の情報を知った )瀧から使命を引き継いだ三葉本人、テッシー、さやかのよき仲間と・・さらには宮水家全体も連携して( 集合的未来の分岐点において )新しい流れをつくるために奮闘し町民を避難させることに奔走し

最終的クライマックスにおいては、まさに、このときのために町長になったともとれる父親に使命を思い出させ、説得するために、三葉は、生命のありったけのありったけをぶつける・・

( これ以降の展開は想像力で補ってますが )

そういった主要登場人物たちの犠牲精神に溢れた小さな勇気の連携が伝播し、その結集的な合力により

重要な集合的的未来の分岐点における、主要登場人物たちの気高い献身的犠牲を捧げもの(のエネルギー)にして、悲劇回避された形の新しい平行世界の流れができて、再度組み直され繋がることで

中盤における「 彗星接近・衝突は深刻な災いと苦悩をもたらした凶事 」という意味づけを・・

それを厳粛に受け入れた上で、この出来事があったからこそ二人は巡り合う( 結び合う )ことができたのだ・・という「 奇跡の出会い 」へと、観ている観客の解釈を、再度くらりとパラダイム転換させ終着させていくというストーリーの流れと解釈しました。





2 映画の中核メッセージと登場人物たちの出会いと愛の成長、愛の純化について



弁解しておきますが・・映画から何を感じ、くみ取るか?というのは人それぞれかと思います。
それに、あんまり書くと、感想を書いた人の個性( 感性 )・・背景的なもの・・
何に注目し、どこを観察し、そこに何を投影してるか?何に共感したか?
ということまで読者にバレバレになってしまうわけなので、
ほどほどに書かないといけないわけです。



それに・・正直・・製作者の意図や中核メッセージを読み違えて解釈と理解が不十分なところもあるかもしれません。
  
 ブログ読者の中に、この映画のコアなファンや関係者がいたら、私の理解不足を指摘され怒られる( 笑われる )かもしれないんで前もって弁解したうえでつらつら書くのでしたら


 映画のテーマとしては、「 魂のカタワレを求め合う時空を超えた壮大な旅 」として解釈するのがすっきりする感じでして・・


中核メッセージとして私が受け取ったことは・・

( 月並みですが )


 「 愛が人を強くする 」ということ

 ●愛することで人は強くなり・・感謝出来るようになることで、そこに新たな視点が加わり
パラダイムが転換され「 事柄 」に対する主観的な解釈も転換され運命を切り拓く力が生じてくるということ
 


さらには

 ●「 <ある意味では、これまでの自分を殺して >自らを他に捧げる愛と意志(  決意 )の深まりと小さな勇気を奮い起こす行為の持続 」によって人は変貌( 成長 )を遂げるきっかけになるんだよ、、

小さな勇気、自分をより大きなものに捧げる利他的行為は決して自分の成長だけにとどまらない。

周りにも勇気や善意が伝染して大きな力になっていくよ・・というのを暗に示していると感じました。

( ただし、あくまでこの感想を書いてる筆者である私が感じた解釈です )




こういった他のために自分を犠牲にしようとする「 勇気ある一歩 」が周りに伝染し絶体絶命の既定路線の運命を覆す奇跡を起こすことは弱肉強食の動物界ですらもごく稀に、現実にみることができるようです。



 ※草食動物のバッファローがライオンを敗走させ仲間の子供バッファローを救う 
( 4分40秒からの逆転の展開 )

 ※バッファローの群れがライオンに立ち向かうとき、ライオンの覇気に、めちゃくちゃビビってるシーンもあって妙に可愛いらしく感じる場面もあります・・
 ただ傍から見るとバッファローのほうが潜在的には強いだろ・・とも思うんですが・・

  やはり、そこは草食動物のバッファロー・・ライオンの気迫に、恐れて中々踏み込めないでいるところで群れの中のある1匹のバッファローが、気持ちを奮い起こして牙をむくライオンに( 痛みを覚悟し )一歩を踏み込んで立ち向かっていった瞬間から、その形勢が変わっていきます )




自らを他に捧げる愛が人を強くし、小さな勇気(決意)が周りにも伝播して連携され大きな力になっていく・・という実際の事例<最近のニュース>を探して挙げるなら

( 最近になってこういうことがあったというのをネットのニュースで知ったのですが )

暴走するトラックを目撃し、とっさの判断で勇気を奮って自車にぶつけ停止させた男性がいたのですが・・その勇気や善意が伝播したかのように連携されて3人が協力し合って一人の男性を救い大惨事をも未然に防いだ以下の記事なんかが、その好例と思います。

通勤中“奇跡の連携” 暴走するトラック目撃 自車にぶつけ停止、救出 
看護師が心臓マッサージ 3人に印西署が感謝状

https://www.chibanippo.co.jp/news/national/416953




こういったことを裏付ける研究もされてまして

「 つながり ●社会的ネットワークの驚くべき力 」の著書のカリフォルニア大学サンディエゴ校のジェームズ・ファウラー教授とハーバード大学のニコラス・クリスタキスらが行った研究によると・・「 集団において行動は感染していく 」というのが確かめられています。


この方の研究では「 肥満も禁煙も幸福も伝染する・・」
特に「 肥満が伝染する 」というのが、つとに話題になったことがありまして、ご存知の方も多いかもしれませんが・・

その趣旨は「 ある集団のうちの誰か一人が太ると、その人を除いた当人と関係の深いグループ内の平均体重が増加する・・その逆もあって誰か一人が( 決意をして )痩せると、関係の深い所属集団全体の平均体重も減る。」というものです。


これは「 ( 関係性の深いグループにおいて )行動は伝染しやすい 」ということを示している。


同教授らの研究によると誰かが決意し慈善行為( 利他的行為 )を行うと、ただ、それを観察するだけでも、( それが伝染し )自分も´いいこと´をするきっかけになるということも確認されているのだそうですから。


それに、人はひたむきな愛( 結ばせる力 )の匂いを嗅ぐと生きる力が強くなるんじゃないでしょうか?


随分以前に何かのアンケートの記事で知ったもので出典引用できませんが

助かるか助からないかわからない生還率30%未満というような大手術で奇跡的に助かるような方は

孫の顔を見たいとか、、愛したい理由、生きたい理由が強いほど助かる率が高いというのを目にしたこともあります。







「 君の名は。」という映画の中にも良き出会いや勇気ある一歩を連携させた良き仲間とのよき結束的交流がありましたが

そうした出会いと交流により成長し自らの愛( 結ぶ力 )も進化しお互いを捧げ合う男女の愛から、その愛が拡大し・・
アガペー的な、よりかぐわしい愛( より高次、広範囲の関係性の結びの力 )に昇華・純化されていったようにも感じました。

 架空の映画ではありますが、多くの方が共感したのは、情的なリアリティをそこに見たからかもしれません。


映画の中から三葉が変わっていったプロセスとその理由を具体的に挙げるなら


主人公の一人である三葉は、ど田舎暮らしで糸守の町のあまりに濃くて狭い人間関係に閉口し、

宮水家が守ってる伝統のせいで、父親( 現町長 )とも確執があり別居状態です。


見てるだけで息が詰まりそうなぎくしゃくした関係でしたよね。


母親とも死に別れ、祖母と妹との三人暮らしで一カ月の三葉のお小遣いは1500円以内の質素な暮らしです。


嫌々やらされてきた巫女としての神事的な行事も、やらされ感が強くて、只管つらいだけ、クラスメートにも冷やかされたりし本音は逃げ出したい。

経済的には慎ましい暮らしですが
町の人からは一目置かれている名家の´宮水家の三葉ちゃん´として、
しっかり者でいなきゃいけないという立場もストレスが多く憂鬱でしかない。


それら諸々が原因でクラスにおいても、隠れファンは多いものの
「 ( 地味なのに)やや浮いた存在 」になって苦しい立場になってしまっています。

 そんな具合で・・気心の知れた仲良し友達はいるけれども( いろんなしがらみに縛られ )
肩身の狭い息苦しい学校生活を送り町も好きでなかった。

町も家も・・全てが嫌で葛藤し心内でせめぎあい・・逃げ出したかったわけです。

日々を生活するための生きる力も弱っていた。


ですが


三葉にとってはストレスで詰まらないこと・・わけもわからず、祖母に促されやってきたこと・・
古くさくてクラスの一部からも、からかわれ恥ずかしいし重荷の種でしかなかったこと
それらの意味( なぜ?)や宮水家が背負った使命・役割・召命的なものを瀧との良き交流で
「 知った 」ということ

( 彗星最接近の1か月前くらいから高校生の瀧と10回程度入れ替わって、そこで体験したことと瀧とスマホで交流することで、客観的な視座から町を冷静に見つめられるようになって、さらに、そこから未来の情報を共有し、やっと気づけるわけですが )

それらを知ることで、三葉の心のなかでパラダイムシフトが起こり
三葉の糸守町に対する想い( 態度 )もガラリと変わっていきます。

ここらあたりは、やや唐突に感じられたのですが・・
そこは「 想像力 」で補って言外のものを読み取って欲しい・・という製作者の意図も何となく感じますが、、、


 三葉は瀧との交流で( わだかまりが溶解していき )自身の置かれた状況を少しずつ前向きにとらえることができるようになり、生きる力が強くなった・・ということではないかと・・
 
 映画を観察したら前半と後半の「 三葉本人の表情にも微妙な差がある 」
 瀧が三葉と入れ替わって瀧の意識が入った際の三葉は当然凛々しい・・凛とした美しさがあるわけですが・・
映画後半の三葉本人の微妙な表情の変化からも凛々しさや生命の強さ、輝きが増しているように感じられました。



( かなり想像力で補っているところがありますが )

※事実として、三葉の体に入った際の瀧は、田舎暮らしも悪くない・・という日記のコメントも三葉に残して、巫女修行・・その他諸々に戸惑いながらも悠々伸び伸びと生活しています。

 そういう良き刺激を受け

 三葉は瀧との交流で自身の置かれた状況を少しずつ前向き、積極方面からとらえることができるようになって´感謝する方向に気持ちの方向が鞍替えされたということ

  


そうして


瀧から切に想われてることを励みにし三葉は苦しいことから逃げずに立ち向かう生命の勢いを得て

受け継がれてきた宮水家の血脈の力も加わって
町の人たちを助けたい気持ちとして沸騰することになったわけです。




忘れてはならないのが

瀧から三葉へ捧げられた一途な愛(  男女愛 )が三葉のあきらめない生きる力を取り戻し
駆り立て、後押ししたというところだと思います。


瀧に想われ、自分も瀧が好きで、何としてでも生き延びて
もう一度会いたいという切なる気迫が、転んで力も尽き、
あきらめかけた時にも立ち上がる力になっています。


それを裏付けるシーンが

 町の人たちを何とか助けたい・・そして自分も生きたいという気持ちを奮い起こし、町長である父親を説得するために

町役場に走って向かう途中、
  
空を見上げた時、思わず段差につまづいてしまい

坂で転んで気を失いかけたところから、よろめきながらも立ち上がって勇気を奮い起こして
決意し再び走り出す・・

思わず・・頑張れ!あきらめるな!と祈り、拳を固めて応援したくなる・・あのシーンでしょう。
( 背筋に気が流れて鳥肌が立ちました )




ひたすらな愛の味を知ると人は強くなるのでしょう。



町民避難の実権を持つ現町長である父親を説得する直前の三葉の、なんともいじらしい鬼の形相にも、

そういった、お互いを捧げ合うひたむきな男女愛により強められた想いの力( 生きる力 )と伝統によって練られた血脈の力が´ 合わさった力 ´として象徴され印象的なシーンになっていました。

不退転の・・もう一歩も退かない・・という鬼気迫る決意で迫る三葉の気に父親( 町長 )が完全に呑まれていましたよね。
 ( ここも、ぞわわっと鳥肌が立ちました。不覚にも、その健気さと美しさに心を持ってかれて、ぽろっと涙腺崩壊してしまう・・ )




そうして、愛が純化され、高められて、ぐるりんと一回りし・・時間を経て何とも愛おしく穏やかな男女の出会いに収束していきました。

なお、私が鳥肌が立ったシーンが詰め込まれた映像は以下の公式MVの後半( 4分25秒くらいから )に凝縮されていました。








3 映画で印象に残ったシーン




先に列挙したシーン以外で印象に残ったものを幾つか挙げるなら


◎時間の揺らぎをが生じることで( 時空の境目<カタワレ時>で )時空を超えて二人が邂逅できたシーンが
深刻なシーンなんですが、実に初々しく微笑ましいです。
 思わず笑える掛け合いもあって格別によかったです。


それ以外で印象に残ったシーンを思いつくままに列挙するなら


〇節目のシーンにおける三葉、瀧のそれぞれの「 涙 」が美しく印象的

 涙が自分でも気づけない´全て´を魂の次元で知っているということを物語っているのでしょう。
 

〇三葉が疾走するシーンが幾つか出てきますが、三葉ボディにステイした瀧を含めて、とにかく走るシーンが、どのシーンも惚れ惚れするくらい、その姿が格好いい( 姿相がとても美しい )
 ( 思い出すだけでドーパミンが出る )

〇陰湿な陰口をたたく輩から三葉及び( 三葉の体にホームステイ・・もといホームボディした瀧自身 )を守るために美術室で机を蹴り倒して、、
 これ以降は、嫌がらせグループに文句を言わせなくするシーン


〇( 私自身の想像力で補ってますが )主要登場人物たちが町の人たちの生命を救うために自分たちを社会的に殺す痛みを通過する覚悟をした利他的小さな勇気( より大きなものに自らを捧げる献身的行為 )が伝染し積み重なって

( これらのひとつひとつの行為は一見頓挫し無駄に見えますが・・)

終局的には町長の非常に厳しい崖っぷちの決断・・この決断というのは、例大祭<秋祭り>で町の皆が楽しんでる最中に消防を出して唐突な町民避難の指示を避難訓練の形で出すという異例の決断を下す・・その段差を下げ大きく貢献したであろうこと


さらには


かなり切ないですが・・

〇奥寺先輩と瀧の恋のキューピッド役をすることで瀧を好きになっていることに、やっと気づいた( 鈍い )三葉が瀧に会いに東京に行く決意をしてからの道中の葛藤や結末のシーン(伏線回収の回想シーン)

※音楽とセリフがマッチし、台詞との「 間(ま)」が絶妙で私みたいな大の大人ですらも音楽聞くだけで台詞や映像が蘇って、三葉の葛藤やいじらしさと受けたショックに心を持っていかれそうになるので多感な中・高・・大学生生でしたら、痛みを催すほど心を揺さぶられる学生さんらも多いんじゃないかと思いました。


 映画を見た際の、おぼろげな記憶を掘り起こし、たどったところ、私のうろ覚えの記憶では、「 瀧が奥寺先輩と三葉セッティングで( ぎこちない )デートをしている最中のシーンにおいてBGMとして流れていたのが上記の(切ない)三葉のテーマだったと記憶しています。思い出すとダブル・ラップして余計にやり切れなく・・切なくなる音楽です。


4 映画を視聴して気づいたこと( 3数の多用など )


その他気づいた点は



●割れた隕石が宮水神社の近くにある宮水三葉の家に、ほぼ直撃する形で落ちている

 宮水家が代々背負ってきた使命と史実を符合させ映像で明示している
 

●ちょっとした映像やさり気ない会話で巧みに登場人物の心情や、その後の展開を暗に匂わせている

例 ▽トンビの飛ぶ高さが登場人物たちの気持ちの浮き沈みを象徴しているように見えた
  ▽四葉との神事の舞自体が、彗星落下の一連のことを暗示している
  ▽国語の古典の授業でカタワレ時に起きそうなことを暗示
  ▽おばあさんの台詞 「 よりあつまって形を作り、捻れて絡まって、時には戻って、途切れ、またつながり。それが組紐。それが時間。それがムスビ 」これが、謎を解き、今後の展開をも匂わせる重要な台詞になっている
 ( この量子論的考察も面白い )


  ▽映画序盤でのテッシーの台詞 「 エヴェレットの多世界解釈に基づくマルチバースに無意識が接続した 」という発言は、この映画の平行世界( パラレルワールド )の概念を匂わしているように思えた。

  ▽天候とかも登場人物の心情を反映していて、瀧が三葉の生きた証を探しに旅館を出て山頂のご神体のあるところに向かう途中、瀧の強い悲しみと絶望を表わすかのように雷雨になっている

  ▽告白は上手くいかないことを、テッシーに借りた自転車が落ちて壊れることで暗示
  しかし、かろうじて三葉から組紐を受け取って希望はまだ残されていることも、何とか無事に着地し体勢を立て直すことで暗示
  ▽瀧が三葉および糸守町民を救うことを決意し、おばあさん( 一葉 )と話すシーンで茶柱が2本立っている( 吉兆の暗示 )
  ▽三葉が父親( 町長 )説得のため役場に向かう途中の坂で転倒した際、意識が一時的に飛んだことをトンボが飛び立つことで暗示
 
  
  ▽目標をもって努力してきたのに思うように行かず、「 自分には無理かもしれない・・やはりできない 」と思って投げ出してしまいそうな時にも、
 「 夜明け前が一番暗い 」と考えることで混沌とした状況を実際に突破してきた方も多いと思いますが・・
 この映画においても、そのことを暗示するかのように描かれていました。

 その代表的なものが・・悲劇の運命に立ち向かい新しい未来を切り拓くために苦闘する三葉が、気を失い諦めかけたところから、ありったけの生命力を振り絞る´あのクライマックスシーン´でして・・
「 ( 暗い夜 )として背景も暗い映像 」として暗喩的に描かれていると私は解釈しました。 
 
●運命の赤い糸の象徴の組紐<の移動、受け渡し>が物語を左右する鍵になっている

 ( お互いが生きている時間軸の平行世界をつなぐ鍵 )

 ちなみに、瀧の魂及び意識が( 三葉ボディ )にステイしたときには、( 三葉が髪を結うのに使う )赤い組紐は決して髪に使われていない。

 それと対称になるように

 三葉の魂及び意識が( 瀧ボディ )にステイしたときには、( ミサンガ的に瀧が手首に巻いて使っている )赤い組紐は決して使われていない

●日本の神事や日本的な調和美がふんだんに出てきて日本の神話が底流に流れている

お祖母さんの台詞なんかは、人知を超えたはかり知れない見えざる力・・サムシング・グレートの力を「 ムスビ 」という言葉を使って端的に表現してるように思われました。

 これは日本の神道の底流に流れる思想を凝縮してると思われます。


 それに・・日本の神事や神話・・さらには、それにまつわる日本的な調和美がふんだんに出てきてることを思いつくままに列挙するなら・・


▽三葉は神社の神職の娘の一人として巫女としての修養を積んでいる( 神楽舞、口噛酒 )
▽瀧の通う高校の名前は神宮高校で、通っている高校では神宮祭が企画されている
▽風景描写も注連縄(しめなわ)が張ってあるご神木の描写があったり、山頂のご神体・・道祖神の描写がある等・・日本に連綿と受け継がれてきた神話、神事にまつわる風景が、ちらちら挿入されている
▽最後に二人が出会うシーンを四谷の須賀神社前の階段にしているetc

そういう意味で大枠の流れに古事記の伊弉諾、伊弉冉の創世神話( 国産み物語 )がバックボーンにあって複層的に・・最底流において重ねているのじゃないか?という以下のブログ記事の考察は私もその通りだと思いました。




http://world-fusigi.net/archives/8612162.html

https://note.mu/noyasuyukio/n/n5e671af13774

伊弉諾( イザナギ )、伊弉冉( イザナミ )の創世神話における( 国産み物語 )を底流に複層させているというのを表すシーンとして イザナギの象徴としての瀧が、柱の象徴である、ご神体を軸に左回り( 時計と反対周り )をして相手であるイザナミ( 三葉 )を探しイザナミの象徴としての三葉が右回りで相手であるイザナギ( 瀧 )を探して出会っているという指摘は‥私は映画を見ていて気づかなかった鋭い指摘なのですが・・下記の映像( 2分15秒〜 )を見ると確かにそのように回っています。

 細かいですが・・出逢う直前のシーン(4分6秒〜 )で瀧と三葉は、瀧が右回りで三葉は左回りで、すれ違って、( 改めて )瀧が左回りで三葉が右回りでお互いの魂の半身に出会っています。新海監督は、恐らくこういう細かいとこも拘って作り込んだんじゃないかと・・








●三という数字にまつわることが暗示的に多用されている
 ※「 結び( ムスビ ) 」というのを製作者がつとに意識したからではないでしょうか?

  結ぶためには、むすばせるのに何らかの大いなる見えざる力が必要でして・・そこには必ず2つの相対関係があって、更に、その間に流れる力を媒介し繋ぐ(結ぶ)何かが必要になります。
 そういう意味から「 3 」という数字に( ムスビ )は象徴されるとも言えます。

 「 3 」をムスビの象徴数とし、数字や期間、状態を表す各段階などに変換して映像で表しているように思いました。

 旧約聖書のヨセフの夢解釈なんかでも夢に出てきた7つの雌牛や7つの穂を「 7年後 」という年数として解釈する聖書の件もありますよね。



 映画の中で3というものが象徴的に多用されてる・・というのを思いつくまま・・思い出すままに例示すると

 ▽葉という名前 
 ▽三葉、四葉(妹)と祖母(一葉)の3人で暮らす
  ▽一葉、二葉、三葉(四葉)の三世代が登場人物( 但し三葉らの母親の<二葉>は数秒しか登場しないけども)
 ▽前々前世( 三代遡る )
 ▽こんな濃くて狭い町は嫌だ!来世は東京のイケメン男子にしてくださぁい!と言って三葉が鳥居前で大声で絶叫し、願掛けしたとき反射して返ってきた´こだま´が3回
 ▽3年(2013年と2016年)のタイムラグ( 時間軸のずれ ) 
 ▽隕石は1200年周期。今回で3度目の落下を匂わせている
    ( ご神体のあるところにできたクレーター、糸守湖 )
 ▽彗星接近という出来事に対する観客のパラダイム・・意味解釈を3度変更している
  序盤は、「 壮麗な天体現象 」 中盤は「 災厄をもたらすもの 」 終盤は、全てを受け入れた上で、これがあったから決して巡り合うことのないはずの二人に奇跡の出会いがあった・・という「 災いの中の祥事 」というパラダイムに終点させている

 ▽瀧と三葉は3歳差で実質3回対面で逢って会話し、3度目の正直で、新しい可能性を掴んでいる
 ( 瀧が中学生のとき<1回目 ただし諸事情で失敗>、カタワレ時に時空を超えて<2回目 成功はしたが生活圏を共有することは出来ない>、歴史改変した後に最後のシーンで<3回目 新しい再会として時空間を共有し生活をすることを匂わす> 
※ただし電車で目が合ったシーンは会話してないので除く )
 ▽結びを司る重要な3つのアイテム( ミサンガ的な組紐、iphone<スマホ>、口噛酒 )
 ▽体の入れ替わり現象のトリガーは3つある( 寝ること、カタワレ時、口嚙酒を飲む )
 ▽三葉、勅使河原克彦( テッシー)、名取早耶香( さやちん )の3人組の仲間
 ▽三葉、勅使河原克彦( テッシー)、名取早耶香( さやちん )は、糸守高校2年3組に在籍
 ▽三葉ボディにステイした瀧に憧れて告白する女生徒は人仲間で告白
 ▽奥寺先輩が好きで、瀧をうらやましく思っている男性アルバイト店員は
 ▽瀧、司、真太の3人の仲間 ▽三葉に嫌がらせする3人組 ▽瀧、司、奥寺先輩の3人旅
 ▽糸守町の被害を最小限にした主要人物構成が、( 祖母の一葉、婿入りの父のとしき、孫の三葉<四葉> )の世代の協力と三人組( 瀧、テッシー、さやか )・( 三葉、テッシー、さやか )の協力によって為されたetc

 まだまだあるかもしれません。 

 この記事書いた後に調べたら以下の記事もあり、同じことを指摘してる方もいましたので引用しておきます。

「君の名は。」の「三」が持つ深すぎる意味に注目!


5 映画を視聴してモヤモヤしたこと



なお、同じ映画を見た子供からも質問されたものに自分なりに理解して答えたものとも少し関係してくるのですが・・
どこか咀嚼しきれず消化不良でモヤモヤした点は・・


糸守町の人的被害を最小限に食い止めるために

町の皆が助かるのなら自分達が犯罪者として厳しく裁かれ少年院送りになっても構わない
後ろ指をさされて町におれなくなっても厭わないという覚悟


 映画のなかでは主人公らと魅力的な脇役( テッシー、さやかを含めた )3人(正確には3人×2組)とも理性と常識、良識をわきまえた高校生なので、その想像は働くはず・・



( 架空の映画ではありますが )そんなこんなで、とにかく社会的死を覚悟したギリギリの決断をしたわけで

あんなに勇気を振り絞って泥をかぶる覚悟をし奮闘したのに


平行世界における新しい歴史の流れを繋ぎ直して作った代償( 見返りに、大事なものを捧げるということ )のゆえなのか

誰からも顧みられることもない・・瀧が三葉の体に入ったことや三葉の体に入って町民を避難させるために奮闘した記憶は、すべて消え

町の人はもちろん、汚れ役を覚悟し献身的な役割を果たした当の本人の三葉やテッシー、サヤカたちですらも、歴史の組み直し、繋ぎ替え過程で、その記憶が薄れ、< 主要登場人物たちの記憶が、どんな形で記憶されてるか、どういう記憶として残ってるか不明ですが >つじつま合わせ的な何らかの記憶改変がされているらしく・・映画を見てる観客だけが、天の目線で、その全貌を知ってるというもどかしさでしょうか?
 
そのもどかしさ故なのか??なお一層爆裂的に三葉、瀧・・テッシー、さやからの幸せを( 俯瞰的視野から )・・もはや映画というのすら忘れて祈り応援したくなるので・・

 思考実験するのにも、とても優れたものだと思います。


 
6 Amazon primeは意外にお薦め



ということで、どう伝えていいか??言語化表現作業がとても困難でして・・まとまりを欠いてますが

このブログをお読みの方で、「 君の名は。」という映画を、まだ視てない方・・あるいは、1度視た方で、もう一度観たい方は、

息抜きがてらにぼーーっと見ることで心の深いところのデトックスになり、心身の風通しを良くする・・更には・・この映画はコミカル映画かと思いきや・・精神性も非常に高いので人間本来の霊性も刺激されてよいのじゃないかと思います。

7月26日からレンタル開始になるようなので・・


なお


とにかくリーズナブルに視聴したいのでしたら7月26日からレンタル開始されるので、そのときにTSUTAYAなどでレンタルするというのが方法です。

ですが、恐らくレンタルショップでレンタルするには、この映画は人気があって、なかなかレンタルが難しく( ほとぼりが冷めるまで )視れないかもしれません。


 ですので、早く見たい・・あるいは、もう一度見て確認したい方の場合はAmazon Primeビデオでレンタルで視ることも検討したらよいです。
 
 面倒なので詳細は書きませんが

 Amazon Primeの画面からタイトルバーの「 プライム・ビデオ 」のリンクを探してクリックし
検索欄に「 君の名は。」と打ち込んで検索するとよい

※7月26日からレンタルできると思います。




ということで「 君の名は。」をどう伝えていいか??言語化表現作業がとても困難でして・・まとまりを欠いてます。

 ツインソウルやソウルメイト・・「 魂のかたわれである半身を探す時空を超えた壮大な旅 」と捉えることもできるのですが、、、そんなテーマを掘り下げて書いてたら長い記事がさらに長くなるんで・・避けますが・・

ちなみに、山本権兵衛翁の不思議な運の強さの記事に、微かに書いたように、山本翁とその妻の登喜子さんは、ソウル・メイトじゃなかったかと・・これは、ヘンリー・フォード夫妻にも言えるかもしれない・・
( 話長くなるので、これ以上のコメントは避けますが・・)







とにかく「 君の名は。」という映画は非常にバイブレーションも高く光の表現が優れていて脳に贅沢な栄養を与えてくれる・・さらに人の心の深いとこに訴え命の生存力を高める´何か´

 もっと言えば、慌ただしい毎日に忙殺されてる私たちに
「 忘れてしまった切なくて瑞々しい何か 」を思い出させるきっかけになるのかもしれません。

 思考実験をするのにも、とても良い映画でした。


もう一度見たい方にもお薦めですので。

 ( 私も記憶があいまいなところがあるので確認してみようと思っています )




小説君の名は。 (角川文庫) [ 新海誠 ]

↑このページのトップヘ