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カテゴリ: 「 あるヨギの自叙伝 」 落ち着いた心を維持するために

読者の方からの質問にお答えしたなかで、考え方や

実践のヒントになりそうなものの 一部を( 加筆 )編集して掲載します。



Oさん、記事掲載にご快諾いただきありがとうございます。



( ここから )


Oさま



お返事ありがとうございます。

岡崎です。

( 中略 )

( Oさん )



> 「 あるヨギの自叙伝 」は、岡崎さんが最近何度も紹介されておられて、
> 一度読んでみたいなぁと思っています。
> 問題は地元の図書館は小さくて、その本を置いていないということです。
>


確かに小さな図書館の場合は置いてない場合がありますよね。続きを読む



読者の方からの質問にお答えしたなかで、考え方や実践のヒントになりそうなものの

一部を( 加筆 )編集して掲載します。







( ここから )





Tさま



お返事ありがとうございます。



結構慌しくしていましてお返事が遅れましてすみません。



岡崎です。

>岡崎さんは、「全てを受け入れることにより、必ず自分にプラスになって

返ってくるんだ」という考えではなく、日々に

>喜びを感じ取り、それが持続につながっているというお考えですか・・・。



>今までの自分では、思いもよらなかった見方ですね。

>この見方にたどりつけるのかどうかはわかりませんが、

>がんばっていきます。




お褒めのお言葉はありがたいのですが

この見方がそんなに高尚・・とは思いません。 (^_^;)


ただ

続きを読む

「 あるヨギの自叙伝 」は、「 口述書 」同様、私にとっては自己探求のために指針にし
根本面の運命修正の因子やルート探索などの研究文献にさせていただいている貴重な書のひとつになっています。とにかくエネルギ-が高い書です。


 ただし、この本自体をじっくり読むことになるプロセスについても、
あれこれの葛藤と紆余曲折があります。


 現在のように、( 「 瞑想 」ということについて
ライフワーク的な実践研究も兼ねて、この本を傍( かたわら )において読む・・
さらにズーッと前に
一度・・( その存在は知っていましたので )
大きな書店で見つけたとき、ここに書いているほどはヨガナンダという方のことを知らなかったので


 読もうと思ってパラッと開いて2、3ページ目にある写真で( 神秘主義 )の匂いを何となく感じてしまい・・内心ウッとまず読み進めるのを躊躇し
100ページくらいパラパラとめくって・・どうも馴染めない・・こりゃあかんぞ・・と思って読むのを止めた( 結局、購入するのも止めた )ことがありますから。






 超常能力的な部類のを求めるのは私の価値観とも合わない・・

 という漠としたものが私の無意識にあって抵抗、拒絶させたせいかもしれません。

 全体をじっくり通読し、この本の著者のヨガナンダが本書で最も伝えたいシンプルなメッセージや意図(動機)にフォーカスし理解するように努めると
宙に浮いたような神秘主義に走る類のものでは決してない・・神秘主義と考えるのは、この本を上っ面でしか読んでないから、そう見えるだけ、というのが判明し、安心したのでこうしてレビューをしてるわけですが・・・ )






ということで


この本の感想を書く前に


 先ず・・この本は、一体全体いかなる方が書いたか?ということについて


この本の執筆者であるパラマハンサ・ヨガナンダという方のことについてふれてみますが


 この方をたった一言で表現するなら


 「 聖者のなかの聖者 」( キングオブ聖者 )でしょう。



 近世以降に歴史が輩出してきた聖者・・覚者とされる方々のなかでも
頭一つ( 否、頭2つくらい )飛びぬけていると表現しても
決して言いすぎではないでしょう。

 聖者で偉大な魂と称され「インド独立の父」という代名詞も持つ
 あのマハトマ・ガンジーが心底から尊敬した方でもあります。
 年下が年上を敬うカルチャーがとても強いインドにおいて
ガンジー本人にとって24歳も年下の方を心底敬って謙って弟子の立場をとっていたというのですから
尋常じゃないでしょう。


 ちなみに
  
 「ガンジーが心から尊敬したとか・・そんなのは、がせネタだろう!嘘つけ!」

とお思いの方は、かのガンジーのお墓がロサンゼルスのヨガナンダが設立した団体の
敷地内にある事実<ファクト>から察してください。
( この事実だけでもファクト・チェックは十分でしょう )
 
ということで記事を本題に戻しますが・・




「 あるヨギの自叙伝 」(森北出版)では、ヨガナンダがお亡くなりになる
(体を離れる)1時間前の微笑を静かにたたえた写真が
巻末に掲載されていまして(道を究め行を完成したヨギにはよくあることのようですが)
亡くなる日時も、あらかじめ予見し、穏やかに微笑して
まるで楽しい旅に出るかのように臨終の瞬間までを静かに受け容れています。
 

 この逸話、ひとつだけ取り上げても、この方は世俗的一般人ではないのではないか?

という考えに及ぶのは、論理的思考を持つ方でしたら、合点いただけると思いますが


 それだけで終わらず、

ヨガナンダ聖者がお亡くなりになってから20日経ってすらも
そのご遺体は、生き生きしていて
まるで、まだ生きて安らかに眠っているかのように新鮮で崩壊現象が起こらなかったのだそうです。

 遺体安置をしていたロスアンゼルスのフォレスト・ローン墓地のハリー・ロー所長が
前代未聞の出来事に、ぶったまげて直々に手紙を書いて寄越したのだとか。

 確かに・・そういう事実を実際に間近で目撃したら・・驚きますよね。

 ( この本の最終ページに「 パラマハンサ・ヨガナンダの遺体に見られた不朽現象 」
 というページが設けられ後世の方々のために客観考察し判断するための
事実( ファクト )を記した公式資料の一つとして提示されていました。




 人間生まれた以上、絶対に避けて通れないのが呼吸が止まり、他の肉体的神経機能も完全停止する´死´でして

両親から聞き及んだ生きざまを知るにつけ尊敬するようになった私の祖母は
私が3歳の時に癌で亡くなったらしいのですが
それを看取った両親の話では・・末期の頃は、体も小さくなり
モルヒネ投与しても看護してる側ですら動悸がするくらい痛々しく辛そうだったと幾度も聞かされています。


それで、と言っては言い訳めいてますが・・
このブログ記事を執筆してる私の場合・・理想的な逝き方・・とかも、若いころ・・
実は( 恥ずかしながら )7〜8歳の頃から既によく考えることがあったんです。
相当に老成してたといいますか、、(;^_^A

そういう背景もあったがゆえに最初に、この本を読んだ時、
「ああ、こういう逝き方もあるのか・・
これは人として理想的な逝き方ではないか・・」
と不思議な感覚と感動・・感慨に包まれたのを今でも・・今更ながら思い出します )


また


 この方はヨーガ行者として、はじめてキリスト教の根付いた欧米社会( 西洋世界 )に
ヨーガの真髄とキリスト教における原盤との本質一致を伝えたパイオニア・・
源流的存在としても有名です。


( ヨーガを西洋世界に伝えたのはスワミ・ヴィヴェーカナンダのほうが、
より早いとも言えなくもないですが
  大きなブームを巻き起こす熱源になったという点では、
やはりこの方< ヨガナンダ >が該当するかと思われます )

 そういう点も評価されてインドにおいては、
インド郵政省から記念切手が発行されるくらいインド国民から深く愛され
尊敬されてるそうです。




以上で、この「あるヨギの自叙伝」の執筆者についての言及は終えて


内容の核心については、ぼかしつつ全体を動かす構成や流れについて簡単に触れていきますが




 この本はパラマハンサ・ヨガナンダというヨギが、体験したことを綴った自叙伝の形式をとっています。

その生活体験を通して、私たちに、より高い人生を生きるためのアイディアを至る所に埋め込んでおり宝探しの形式の書になっています。(あくまで、これは私個人の感想ですが)

私自身も、この本を味読し研究していくうちに形而上の探求と現実とのバランス(折り合い)について、大きな探求の刺激になり安ど感が増したことは間違いないです。




また


聖者が熱望した生き方および体験したことから垣間見れる
「 全章を透徹して流れる著者であるヨガナンダが、この本を執筆した意図や核心のメッセージ 」以外の全章を歯車のように駆動させている小テーマとしては

以下の小テーマ


すなわち

「 愛( 師弟愛、家族愛、隣人愛 )の力 」「 徳の高い人物との交流により生じる力 」
「 関わる周りを幸せにする執り成しの力 」「 瞑想により生まれる力 」
「 意志の力 」「 信念(信仰)の力 」「 祈りの力 」

という小テーマがヨギの生活体験から紡ぎ出されたものとして章の中に
必ずといってよいほど織り込まれる形で本書を駆動させる形になって

それらを底支えする豊富なエピソードで章ごとに展開していきます。



お読みいただければ、この御方の生きざまを通して

全体を通底して貫かれた「 核心メッセージ( 核心テーマ ) 」を

底支えするようにして先の7つの小テーマが車輪を回転させて純粋な「 核心メッセージ( 核心テーマ ) 」を運ぶようにして各章が展開されていって「 因果法則 」などを挿入することで脇を固めてるな・・実にシンプルな構成だな・・ということに、すぐお気づきになると思いますので、そこには敢えて、ふれません。


この本を読んで心の琴線に響く箇所も人それぞれ・・

この本を読むアプローチの仕方も‥
こういう高次元の本になってくると・・
恐らく30通りくらいの「 読み方 」があると私は思ってますが・・
 







そういうのまで書くと長くなるので・・・

全体を通して特に印象に残ったことを、ざっと列挙していくと




まず印象に強く残ったのは


11章 ブリンダバンへの無銭旅行でして、まあ、この章を読んだだけでも不可知論者の価値観の方は蕁麻疹が出るんじゃないかと、私は恐ろしくて夜も眠れないくらいですが・・(-_-;)



この章で感じさせられたのは
  
11章 以外では4章にも出てくる
同じ遺伝子を持つはずのお兄さんのアナンタという方は
( ヨガナンダと )価値観やら考え方が全然・・というか
180度違うことが不思議
なものとして印象を受けました。


 もっともムクンダ青年( パラマハンサ・ヨガナンダの幼名 )の価値観のほうが
現代においても異質でして世間的にはヨガナンダのお兄さんのほうの生き方や
価値観のほうが一般的で( 世俗的観点から見たら )親孝行でしょう。

( 世間的 )評価尺度に照らしたら
恐らく兄のアナンタ氏のほうが、世間の賛同を得られるのではないかと思います。

ですが霊性の高さや欲の傾向( どういう欲が強く、どういう欲に対し欲深く、どういうことに喜びを感じるか )という視点で見た場合に、
お二方には天地雲泥の差があるように私には見えます。

とにかく人間って遺伝子だけでは決まらない・・
とつくづく感じたと申しますか・・


また

この本をじっくり精読して研究するうちに軽いショックを受けたのを今でも覚えています。



どういうことにショックを受けたかと言いますと・・

( お読みいただいた方は、よくわかると思いますが )

11章 ブリンダバンへの無銭旅行のきっかけになった兄弟げんかのシーン

ヨガンナンダのお兄さんとヨガナンダは、和解するまでに、その価値観の違いから激しく対立し
いろんな兄弟げんかを繰り広げてるわけです・・


 兄であるアナンタ氏は勉強そっちのけで出家を切望し、
ヒマラヤの山奥で修行したくて家出を繰り返す
( 世間的尺度で観たら )親不孝の弟であるヨガナンダジに業を煮やし・・


 自分の家に弟である<ヨガナンダ聖者>が一時滞在した機会に


 また議論をふっかけてまして

「お前は何というばかなんだ! 人生は長い!」


と言い放って

 ムクンダ青年( ヨガナンダ聖者の幼名 )に兄の特権で説教し
〔 賭け 〕を申し出たわけですが・・



 アナンタという ( ヨガナンダ聖者の )お兄さんは、


( 当方の計算では ) 〔 賭け 〕を申し出て・・
その後、感動的にヨガナンダと和解した日から数えて4年後くらい、、
ヨガナンダが21才の頃に急病でお亡くなりになっています。
恐らく・・ですが20代後半〜30代前半に亡くなっている。


ですのでヨガナンダのお兄さん( アナンタ )にとって
ご自身で発した言葉は正しいものではなく誤りで
人生は、事実として、決して「 長くはなかった 」という事になります。

このことについて案外に多くの人が‥私も含めて・・ですが

呼吸が止まり肉体の生理機能が停止する「死」というものを深く考えていない。


おそらく・・ですけど・・大概の方が平均寿命の80歳ちょっとまでは生きるだろうと思って
たかをくくって場当たり本番のムードで過ごしている方のほうが
恐らく圧倒的に多いのではないか?と思われます・・

しかし、実際には、そうなるとは限らない。
人の寿命も人知が及ぶ領域じゃない面もある。

ヨガナンダ聖者のお兄さんのように公務員として安定な生活をしていたはずなのに、急病で30歳になるかならないかの年で、あっという間に亡くなるケースもあります。

平穏無事な暮らしをしてたって突発的な事故なども含め全ての方が老衰という形で亡くなるわけではありません。


( かく云う私も人生航路の軌道の微修正をするために時々、自身の人生の終焉を想って
逆算的に只今を整え、方向調整することがあるのですが )

 重さがある肉体というのを有して生きているうちに「死とは何か」ということにしっかり向き合い
  多角的な対策をしておいたほうが良いのではないかと思われます。
 ( じじくさいし、こんなこと書くと、お前は何様だ!余計なお世話だ!
と言われてしまいかねないわけで慎重に取り扱わないといけないと思いますけど・・ )


 
先述したように、いくら健康に気を付けてても
人の寿命なんてエニグマで、わからないとこもあるということで・・

11章と併せて43章も考えさせられ参考になると思いました。






 
 また

 第12章 わが師のもとで という章も考えさせられました。

 この12章では、( 当時 )ヨガナンダ師( ムクンダ青年 )と同じ修行者の立場の
「 クマール 」という才気溢れる人物が出てきます。

 で



  この「 クマール 」という人物はヨガナンダ師( ムクンダ青年 )の
師匠に当たるユクテスワ大師に素質を認められ
1年ほど僧院で修行していたようですが


 あれこれあってユクテスワ大師のもとを去らざるを得なくなります。


 この本に登場するユクテスワ大師は、ご存命当時は、ほぼ無名で・・
亡くなられてから「 あるヨギの自叙伝 」の出版で少しずつ少しずつ知られていった方でしたが・・・

 ( お読みいただいた方はお分かりのように )天風哲人〔 中村三郎青年 〕が師事したカリアッパ聖者をも凌ぎかねない )
この方をよく知る内的に拓かれた人には覚者として知られていた方であったことが知られています。

にもかかわらず


 その直弟子だったはずのクマールは運命軌道を更改するファクターの一つとも言われている
あんなお師匠さまが側にいらっしゃって交流し守護され、霊性の進化を促すエネルギ-を貰える尊い機会をいただき直に指導されたのに
肉性意識由来の不要残留本能心の整理や統御も含め
真理探究のための廉潔な修道生活をするには不向きな放蕩に陥る誘惑を避けられず
これまでの、よくない生活を深い所から変えられず自己陶冶が出来なかったのか・・

人格の練磨・・倫理的純潔性そして自己陶冶・・その延長にある運命更改は、
いくら底知れない力を秘めた覚者が傍にいらっしゃって、交流できるという
大きな機会とアドバンテージを得てたとしても
完全な丸投げ、人任せで出来ることでは決してないのだなと本( 12章 )を読みながら私自身、反省的に考えさせられたのを覚えています。

 
 さらには


17章 サシと3つのサファイヤの章も考えさせられました。
 
 ここの章でも・・サシという人はユクテスワ聖者と交流し
インスパイアされる尊い機会があって
サシはユクテスワ聖者を心から信頼し尊敬していて
たった、その一点のお陰で、17章の逸話にあるようなすごい奇跡的な恩恵を受けたわけだけども・・
サシご本人は意志の力や克己の力が弱く根もなく、奇跡的な恩恵に預かった後も
やさぐれた生活を改めることが出来てないという生活事実があることから
聖者との交流で得られる力(の恩恵はあっても)
それだけでは生活を深いところから変え魂を優れさせ人生を拓くというのに限界があることがわかります。


また、この章で特に印象深かったのが
懐疑主義で不可知論者の獣医のロイ氏の目には
今現在では、知る人ぞ知る伝説の聖者のユクテスワ聖者は蔑みの対象でしかなかった・・
( サシがユクテスワ聖者を心底信頼してたのと違って )
あの当時・・ただの平凡、凡俗な方としてしか肉眼の目に映すことが叶わず
それどころか・・見下し蔑んでいたというのも強く印象に残っています。

ロイ氏にしてみれば、情状酌量の余地は、少しはあるのかもしれない・・
なぜなら、ユクテスワ聖者は、亡くなられて以降も、ほぼ無名。
ごくごく一部の内的に拓けた方にしか知られてなかったようですから・・

あまりにも世間的価値尺度に染まってしまい、
そういう世俗視点でしか観れないと、曇らされて
そういう眼でしか見れない・・ということかもしれません。




 ですが・・ほんとまあ・・せっかく身近に、あんなリシ
( レジェンド級の聖者・覚者 )がいらっしゃって、
これまた聖者中の聖者として後年知られることになるヨガナンダジまでもが・・
ロイ氏の´及び知らぬところで´彼の幸せと内的成長のために執り成しをしてる。


( しかも当の獣医のロイ氏は、ヨガナンダジやユクテスワ大師らを端から馬鹿にして
蔑んで憎悪の対象にすらしているにもかかわらず・・)
´彼の執り成しをして力を尽くしてもいる・・

 価値観を共有でき、謙譲の徳が備わってる( or 備わるに至った )方の場合は
パラマハンサ・ヨガナンダやユクテスワ聖者という方と´関われた´という、
ただ、その一点だけで個人差や恩恵の限界はあるものの
蒙が拓かれ内的に成長し幸せに導かれる、きっかけを得ている方もいるわけです。


 なのにロイ氏は、こんなレジェンド級の聖者たちとあれほど物理的、時間的には
身近に接する機会もあったのに・・


 上から目線で高飛車に接して‥と言いますか、むしろ蔑んで見下して接していた事実がある・・

ということです。


いくら恵みを享けれるような・・レジェンド級ともいえるような覚者が
( 物理的に )身近にいらっしゃって交流しても、
その交流により生まれる力のみでは限界があるし
相手を見下し蔑むような、やり方の交流では、どうにもならないとこがある。

 さらに言うなら

 本人が全く内面領域の研鑽をせず価値観が違うと肉眼の眼で見えても
知覚し感じられる世界なるものが違って、こうも結果が変わってしまうのか・・ 

いくら価値観は違えども・・それは背景があるからしょうがないとしても
人と交流する際は少なくとも心の頑迷さや傲慢性を干渉させ
多様性を認める謙虚さを伸ばすことは、大事な徳目だとつくづく、しみじみ思った次第です。


 



読後の印象を要約するなら

この書は、聖者中の聖者であり、真のヨギとも言えるヨガナンダ聖者が見えている景色を
垣間見ることのできる書でして・・

神秘現象・・神秘体験、、常軌を逸脱した非凡能力など

そういう非凡現象が連続する内容に卒業試験等の
( 誰もが経験したような )身近で共感できる出来事(の内容)などのオブラートをかけ
織り交ぜ、さらにユーモアというので包み込んでいます。

 ( 大事なこと・・中核のメッセージ )を溶けやすいオブラートに優しく包んで

読み手が( そのエッセンスを内服することで )蒙を破り啓発させ高いレベルに引き上げよう・・という熱誠のこもった筆致になっているという印象です。

 仕事や生活の言行や動機を正して日々の生活を調和に満ちたシンプルなものに仕向けようと精魂を尽くしている・・

 これぞ正に「 聖者中の聖者( インドの大師 )直筆の本 」という印象でして
人によっては大きな価値観変容を促し自己探求の端緒になる1冊になる可能性を秘めた本と言えると思っています。


この本が「成功の実現」などの口述書のシリーズ本よりも、より高尚で高い境涯を扱っているのも
私の場合は参究する理由になってますけど


 こういう分野に探求熱があって興味のある方にとっても名著中の名著でしょう。
 

そもそも私がこの本を研究しようと思った動機の一つは、正義感が頗る強い御方だったとはいえ
あんな荒くれで我儘で乱暴だった中村三郎( 天風先生 )を
「 中村天風 」に変容させたカリアッパ聖者のような´インドの大師´と言われる方に
強い興味が湧き、その延長で「インドの大師直筆の本」という噂があったことから読もうと思った
というのが、きっかけとして大きいですから。



 

尤も・・神秘主義のにおいを感じて、幾度も、内心で放り投げる・・
という事を繰り返しましたけど・・


あとは「 瞑想 」についても学ぼうとして読もうと思ったというのもあります。


今は、マインドフルネスなどの技法が話題になっていますが


 いかなる瞑想を為さっていようと・・・瞑想の目的をどこに置くべきか?その指針や
オージャスのコントロールなどの天風先生が扱ってる範疇を越えたとこの課題も見えてくるし
 どれくらい進展したか?そのガイド役にもなるのではないでしょうか?


ということで、かなりぼかしましたが・・以下のレビューや以下の記事なんかも参考にされたらよいと思います。

 あるヨギの自叙伝レビュー

 

※ちなみに聖典のなかのバイブル研究とかをライフワークでしてるような方でしたら

インドのヨーガ聖者がバイブルのなかの重要な聖句をどうとらえてるか?というのを知るのもよいと思います。実に圧巻でした。

 特に・・「 ヨハネの黙示録 1章10節〜 」の解釈や「 ヨハネによる福音書 14章26節 」等の人々を幸福に導くのに重要だけれども、これを解き明かすのは、まっこと困難な喩えを、現代人にも分かりやすく、あっさり・・しかも実際体験的に解いてるのに驚く方もいらっしゃるかと思います。

 なので、こういうことを長年苦労呻吟して解明に力を尽くしてきた方にとっては相当に美味しい書と思われます。 私も、ほんの少しだけ研究してきた経緯があるので・・これを知った時は、本当に嬉しく驚いたものですから・・



PS

 天風哲人のご生涯や足跡と重ね合わせると、
そこに奇妙な共通点とシンメトリーがあることを
執念で発見したので、こういうのに興味のある方は、
以下のサイトページもご参考にしてください。

ヨガナンダと中村天風の共通項と微妙なシンメトリー
  


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