メインサイトの実践に絡んで下記の記事に詳述した旭日による観念要素の更改行法のご質問も、ちらほらあります。

特殊な日拝技法( 旭日光による観念要素の更改法 )




開運法やメンタル管理、能力開発法などを、幾ばくか研究した立場からしたら
意識的(意図的)な日拝を倦まずたゆまず続けることは
心を苦しませ悩ます雑念・妄念の整理に、案外と有効です。


特殊なやり方で行えば、思ったり考えたりすることを自覚できる表面の思考領域よりもさらに奥の思念材料が詰まった領域である「 潜在意識領 」の浄化および雑念の整理に相当程度に有効であることは別ページでも理論的かつ体系的に述べているので、この記事では、ふれません。



今回は、お金の流れをよくするのにも日拝は貢献すると考えているので、これに重点を置いて書いてみます。

なお

金運に、とりわけ有効なのは、意識的な日拝行公衆のトイレ磨きでしょう。

勿論、これらをしたからとて大金持ちになるという保証は全くありません。
しかし、いくら収入が多く資産があっても、それ以上に借金があったら、お金の流れが良いとは決して言えないですよね。
収入は、程々でも、お金の流れが良い方だっています。

尤も、どんなに贅沢のできる境涯にいたって、
不要残留本能由来の体の欲にくっついた本能心を取り締まれず、
しょっちゅう葛藤や悩みが心内に渦巻いて消極感情に振り回され苦悩や煩悶で心をすり減らしていたら、決して程度の高い生活をしているとは言えないですが・・・

それを百も承知で百歩譲っても「お金のこと」で悩むというのは現代人はありがちではないかと。

その大事なお金(の流れ)という点で意識的日拝や公衆トイレ磨きを、しないより、したほうが格段によくなると私は見ています。
( たとえ本人の年収は上がらなくても´世帯全体では´上がったりするらしいです )

トイレ掃除については多くの従業員を抱え大きな責任を負っていた立志伝中の経営者( 松下幸之助翁、本田宗一郎翁 )もトイレ磨きは常識として経営者自ら率先し、やっていたことで有名です。
参考記事1 トイレ掃除と著名人  参考記事2
※いくらでも記事が出てくるので、この程度にしておきます。

なお、参考記事1を事例として引用したのは、新型コロナウィルスの感染リスクのことにも言及しているからです。

私の場合は、新型コロナが日本に流行、蔓延後は、散歩のついでなどによる公衆トイレの掃除の回数を控えるor極力減らすようにし、かつ掃除後に普段の3倍以上時間をかけて、手や指、手の甲、手首などを入念に洗うことで公衆トイレを掃除することによる感染リスク軽減のための対処をしていました。感染リスクが全くないとは決して言えないからです。

( 尤も私みたいに、元々からして飲み屋さんやパチンコなどに全く関心がなく行かないような人間で、できるだけ自粛の生活をしてすらも仕事や生活をしている以上、全く感染リスクがないということはあり得ないと思っていますけど・・)


別の意味でも、トイレ磨きは重要です。

かくいう私も子どもの高校選びの際に、2つの高校の何れかで迷って、子どもに相談されたときに

結局、高校のトイレの清潔さを決め手の一つにしました。

もちろん、集団効果も見込んで学力面で相応の学力レベルが担保されている学校であることや学業に支障がない程度の通学距離の近さは前提の上で・・です。


何故かと言いますと

トイレが汚いと一事が万事で荒れた学校になりがちと言われているからです。

これについては考えさせられる逸話もあります。

ある県で校区でも噂になるぐらい、ものすごく荒れた学校があったそうで、教師やPTAを含め関係者が何をやっても駄目で手を焼いていたのだとか。
そういう荒んだ状況下で、その学校に、新しく赴任してきた教頭先生だったか・・がいらっしゃったそうです。

その先生は、何を思ったのか赴任して早々、朝早くから学校に行き学校のトイレというトイレを磨き始めたそうなのです。

最初は、「何をしてるんだ・・??」と周囲の先生からも冷ややかに見られていたらしく
生徒も、「おかしな先生が来た・・」と奇異の目で、その先生の振る舞いを遠くから見ていたのだとか・・

しかし、その先生は冷ややかな視線を浴びてもトイレ掃除を只管続けていった。

そうしたところが
やがて、傍観していた先生も、ぽつりぽつり協力し手伝うようになり・・
学校全体を巻き込んで、生徒も一緒にやる動きに変わったのだとか

そうして数年後だったか、噂になるほど荒れていた学校が、清新で明るい雰囲気に溢れた学校になり
やがて成績の面でも優良校に変貌していったとのことです。

この公衆トイレ磨きについては、メルマガでコメントをよくいただいているNさんからも、「これはお薦めである」。というご助言を頂きましたが

(一般に)人が嫌がることを率先してやることで
感覚的に不快なことから、ひたすら逃げようとする我欲との結びつきが強い不要残留本能を、
一時的に抑え込む働きもあるのかもしれません。

仕事や勉強だって楽しいことばかりではありませんから。


私の場合は散歩などの途中で公衆トイレ掃除を、なんとなく、することが多いですが
散歩ついでの公衆トイレ磨きは体験上も、心を鎮め、瞑想的心境に誘導するのにも著効があり重宝しています。

思わず絶句するような酷い状態の駅のトイレ(出張時)やら公衆トイレ(散歩時)でも、
そのトイレの状態を自分自身の心(の状態)、心の象徴とみなして
心を綺麗にするのだという気を込めて一心に・・ひたすら、こびりついたものを、こすってると瞑想的な心境になります。

あとはピカピカにできたら気分もスッキリします。

「こんな、こびりついているものが、とれるのかしらん??」と思いながらも
ひたすら、こすっていると
やがて、その固着したものがとれていき、ピカピカになっていきますから。

そういう変化を見ると先に述べたようにスカーッと清々しい気分にもなり
精神衛生上も、とても良い気分になれます。
併せて、嫌でも継続的にやっていると・・思い方や感情、動機も次第に成長し
やがて、お互い様‥という大らかな感覚も醸成されていきます。

仏教的には、例えば禅宗の教えとかですと「一掃除 二座禅 三看経(かんきん)」と言われるほど、禅寺での修行で、なによりも大事なのは掃除とされているのは有名です。

心は外界の環境とも緩やかにリンクしていると云われているので心とリンクした身の回りの掃除をすることで、散らかりがちな心を鎮め整えるという意味もあるのではないでしょうか?
そういう意味でも、「 お掃除 」を重視しているのかもしれません。

神道などでも、「神道」で定義されているご神霊(←日本の神道の神はバイブルで定義される神とは、そもそも定義が、あまりに違うので一緒くたに考えると混同しますから誤解無きように、ご注意ください)をお招きし、清々しい気を充満させ、かつ境内を清浄に保つ「 掃除 」は神道の基本とよく言われています。

( 正直、神道は、バイブルとかに比べ研究してきた背景が私にはないので、やや無責任な発言ではありますけど‥)

( 神道を少しだけ研究した私の浅い研究でも )日本人の集合無意識の深層に埋め込まれていると考えられる古事記を紐解くと
伊勢神宮の外宮に祀られている豊受の大神( 一説には五穀をつかさどる女神、食事を司る、産業の守り神 )は
伊邪那美の大神が衰弱した際の排泄されたものより生りませる神である和久産巣日神の子と記されています。

併せて稲荷大神秘文などを見ると
豊受の大神の流れが金運ともゆかり深い宇迦之御魂神とも繋がっていく・・とあるので、そういうのを嫌がらずに、後に使う人のためにと率先してやるような方は、形而上の高次元の視点で見ても恩恵を頂きやすいのではないかと考えます。


( トイレ掃除の事が長くなったので冒頭の日拝にトピックを戻しますが )



日拝について敢えて´意識的´( 意図的 )としたのは、お日さまを日光浴的に体に曝すというのは、
世界の誰だって、無意識の形でやっているということも出来るからです。

私自身の些末な体験でも、お日さまが昇る直前、昇って直後くらいの瞬間に体を曝すという行為は、若い頃(十代の頃)に半ば強制的、無意識的に3年間続けていたことがあります。

ですが開運や金運どころの騒ぎではなかった経験も持っています。

というのも・・・

事例の一つとして私自身の黒歴史?の一つである高校の頃の体験を敢えて書いてみます。
あの当時、一応、進学校とされる高校に通っていたのですが

その高校まで通学するのに朝5時半に起床し、朝6時過ぎには、自転車にまたがって、こぎ出して
自宅から約10劼らい先にある某駅の電車に乗る。
しかも、この電車は二両編成で乗車駅は途中駅で、始発駅ではなかったので朝のラッシュで3年間、座れた記憶がないというのが、かなり残念だったですが・・

その満員電車に揺られ着いた駅から約2km位離れた高校まで早歩きで行かないと
8時半からの高校の授業に遅刻し間に合わない。

簡単に言うなら1日の往復の通学に約5時間かかる(準備まで入れると約6時間)という、かなり交通の便のよくないとこから高校に通っていたわけです。
(帰省した時、こんなところを、よく3年間も通っていたな・・とつくづく思うわけで現在も交通事情は、相当によくないですけど・・)

根性だけはあったので一度も遅刻したことはありませんでしたが・・いつも8時20分から25分くらいに席についていた記憶があります。

そういう環境でしたから早暁の旭日を日光浴的に身体に曝すのは、
( 自転車を漕ぎながらではありましたが )半強制な環境にありました。あの当時。

しかし、そういうのを3年間、半強制的に、ひたすら続けたって
必死過ぎて(余裕がなく)早暁の旭日を意識し味わおうという意識すらなかったわけです。

どう振り返ってみても高校時代は、いつも歯を食いしばっていた印象で、この当時も、あまり良い思い出がない・・
体力的にきつく、感謝をするのが、かなり難しい・・辛いという感覚が強かった高校3年間でしたから。

( 後年、心の統御やメンタル管理などを研究するプロセスで閃いて体系化したわけですが・・
高校生の時に、未来の自分から「 特殊な日拝行 」や歯を食いしばるのではなくクンバハカで臍下に気を込める行法等を優しく教え諭され理論的なことも含めて噛んで含めるように助言されていたら、もう少しは当時の境遇に感謝できていたのではないか・・自分の心に対し澄まないことをしたと思っています。あと、時間がない中で、いかに効率よく勉強できるか?どうしたら頭がよくなるかを一生懸命探求し工夫した覚えがあります )

少し脱線しましたが・・私の高校時代の体験みたいに無意識的ではなく
日拝についても感謝を先に置き´ 意識的(意志的)に ´続けて体験を深めていくことが大事だと考えます。



意識的日拝の継続は、後述する観念浄化に貢献し、自己を取り巻く観念を明るくするだけではなく有難いことに金運とも関係していると私は考えています。


この説についてはこの記事でも引用したように日本一の観相師と言われていた方も開運法の一つとして提唱しています。

金運だけでなく心を日々新たにするのにも意識的な日拝は有効です。
尤も・・従来のやり方では潜在意識の深い所のお掃除は出来ませんが
一厘のコツをつかめば表面意識では自覚されえない奥まった領域の潜在意識を浄化し観念の浄化にも頗る好影響を与えることができます。



また、これを心がけると、しないよりは、眠りにつく寸前の寝際の想い(観念要素)の積極更改( 連想暗示法 )がうまく行きやすくなると実感しています。
方法論として日本人に合っていると思いますからフィードバックし、記録を付けたりして色々研究されたら良いのではないでしょうか?


こういう意識的行為を積算することは易行以外の何ものでもありませんが

記録を付け体験をフィードバックする等して、いろいろ試行錯誤され体験を深めていかれたら良いと思っています。