この記事はメルマガ226号の転載です。少し書き足りなかったとこ、説明不足の感があるものをリライトしています。
まあ、たまにはいいだろうと思いスピリチュアル系も追加で織り込みました。


さて


サイトを公開していますと、いろんな貴重な報告を頂けるわけですが、、

いつもの定番の・・

サイトを参考に( 心の浄化と強化に努めてたら )念願を実現しました!念願以上のことが叶いました!という類の実践による実績報告だけでなく


瞑想をどうしたら深めることができますか?というご質問や


瞑想してもナーダ音3つ目以降が聴こえないです・・とか

3つ目は、ご助言で聴けるようになりましたが
4つ目が聴こえないんですが
どうしたら聞けますか?
とか・・

瞑想に関連したご質問・・さらには心耳に響いて聴こえてくる内面のナーダ音( 秘音 )関係のご質問もちらほらいただきました。

深いナーダ音が聴けるようになる方は、頂くご報告の統計上は、2018年の現時点では、多くないみたいだし、関心が高いか?というと決してそうでもないようなので
ニーズに沿ってるのかなぁ?ズレてないか??という微かな思いはありますが

瞑想を深める一里塚になる気がしますし、瞑想が深まって、それを日常生活で生かして本当の自分に留まれる時間が増えたら佳いことも多い・・

自身でも研究してることの一つなので、今回の記事は、そういう方面の記事にしてみます。




ということで本題に入りますが今回のテーマの一つである

ナーダ音( 妙なる音 )を集中の対象にした行については


ヨーガを健康法というので終わらせたくない方にとってのバイブルとも云うべき本であるヨーガ根本教典( ハタ・ヨーガ・プラディーピカー)という書の最終章で

ハタ・ヨーガの奥義の一角と位置付けられているラージャ・ヨーガの項目にさり気なく・・あまりにもサラっと掲載されてます。



ラージャ・ヨーガは、( ご存知の方はご存知のように )

瞑想行法を修行形態の中核とする精神的実践方面のヨーガのことでして

この言葉でピンと来る人もいるんじゃないかと思いますが・・

天風先生もゴルケ村で修行中に、インドの聖者から、ラージャ( 瞑想 )とカルマ( 奉仕 )のヨーガを教えてもらったんだ・・と述べている。



ですので、ラージャ・ヨガというのにフォーカスし、そういう視点でヨーガ根本教典( ハタ・ヨーガ・プラディーピカー)という書をざっくりと斟酌してみますと

最終章のラージャ・ヨーガに繋げるために1章から3章の様々な肉体的な難行的修行や生活を純朴なものにするための心がけ・・修行に際しての細かい作法があって

なぜ?こんなことを私たち修行者は、一生懸命するかっていうと
不幸をもたらす苦の原因である煩悩

( この分野の専門家がいらっしゃったら細かいとこを指摘されそうですが、ごくごく本質のとこってのは
妄念、貪欲、瞋恚、愚痴などの動物本能的な衝動欲の虜になって動かされ悪癖や悪習の温床になりそういう善くない性癖に代表されるもの )

魂が縛りつけられ幾重にも幾重にも下敷きにされていることから魂の本来の主導権を取り戻すために
先ずは氣の通りをよくするために、いろんなアーサナ( 坐法 )で
脊髄神経軸の歪みを正し

次に、気血( プラーナ )の通りのよくなった体を土台に
プラーナ=気に対する感覚を磨き統御力を養って
最終的には4章のラージャ・ヨーガを上手く行かせるためにするんだよ・・

ハタ・ヨーガは、最終章のラージャ・ヨガの準備なんだよ・・という体系的な構成になってて

さらにラージャ・ヨーガの行修において

行修を深めていって、いろんなナーダ音が聴けるようになったら

「 秘音ナーダを観想することこそ ( 易行で )唯一最高のものと私たちは考えてます。」


というような記述をも見つけることが出来ます。


このように、ヨーガ修行の体系をまとめた根本教典においても
瞑想主体のラージャ・ヨガの行を上手く行かせるためのハタ・ヨガ的な肉体的な厳しい下準備、下ごしらえ・・

深い瞑想をするのに心に拘りやひっかかりとして雑念、妄念になり
それが度を過ぎてバランスを崩し肉性意識の本能心の虜になって
心身の上位に位置する魂由来の本心・良心の力が弱体化し遮られるようなことをしないよう

恬淡な生活を保つための戒め( 訓戒 )とか勧奨( 規範 )・・



さらには


難しい作法やらがあって・・


神経叢を浄化し心が浄化され行が深まることで
心耳に微かに響くナーダ音が聴けるようになったら

敬虔な気持ちで、それを集中の対象にした行修をするってのが

ラージャ・ヨガの行における最高峰の行法の一つなんだよ・・

というのが、この本が提唱してることの骨子なわけです。



まあ、こんなに、ざっくり書くと身もふたもない・・
もっと、格調高く高邁で難しいこと書きなさいよ!!
ほんとにもう、あんさん、簡単に説明し過ぎでしょ!!

300頁近くもある本を・・1頁も満たない十数行で説明とか・・

確かに、もう一本の柱の性的なほうは、、、
倫理・道徳性や純潔性・・転換し変容させるというのは、自己統御や修道という点からも
非常に重要な柱だと私は思ってるんですが・・

この点から観たら、( 私に洞察力がないだけなのかもしれないけど )この本は奇天烈に思え
誤解を招きかねない記述もあるように思えるので
記事の書き方によっては本道から外れたものを読者が受け取る恐れを感じたため
これは、やはり、よくないだろうと直感的に思い、要約は、ばっさりはしょってるんで

あんた、それ、まとめ過ぎ・・いくらなんでも・・あんた、はしょりすぎやろ!!と・・


万が万一ヨガの先生とかが、このブログ読んでたら、つっこまれそうですが・・(;^_^A

と・・とにかくですね。
この行に並々ならぬ関心と称賛を示しているのは本のエッセンスを掴めば事実なわけです。



そういうふうに易行だけど最高峰の行なのだ・・という視点で注意深く
ハタ・ヨーガ・プラディーピカーのナーダ音に係るとこの行修法を読んでみると

あまりに記述が簡潔なので見落とされがちですが


〇初期の行修中には、いろいろな種類の大きな音が聞こえる。
それから行が進むにつれて、次第に精妙な音が聞こえてくる。

と書かれてます。


これは、別にハタ・ヨーガ・プラディーピカーの記述のみに止まらず

インドのヨーガの行法のなかでも、ナーダ音観想というシンプルな修行方法があって


行が進むと、やがてフルートのような音が聞こえ始め、ついには金属的なひとすじの精妙で美しい音が聞こえてくる。


とも述べられています。




そうして

ナーダ音が聴けるようになったら

これらのいろいろな種類の妙音のうち


〇より微かで深い「 内部で響く音ならぬ音( 秘音 ) 」
これを聴けるように
眉間に集中して、より幽玄微妙な幽かな音を探索し、敬虔な気持ちで、より深い妙音に一心に聴き入る行を行えばよい。
そうしたらヨギは半月にしてすべての雑念を克服して、安楽を得る。

というような記述も見つけることができます。






実際の私自身の体験上も・・私は難行苦行とかしたことなく、ハタヨガで要求されるような体の柔軟性も昔ほどではないにしろ・・さほど大した柔軟性があるわけでもなく難易度の高いアクロバティックなポーズとか知らないし、やったこともないのに聴けるようになったのですが・・


とにかく、この心耳に響く妙なる音のうち、眉間を涼やかにし

内面に注意を向け、感覚を研ぎ澄まして・・
いろんな種類の精妙音のうち、よりかそけき音に注意を集中して

妙なる音に一心に聞き入ってると心の動きが止まり深い安心を感じ得やすく癒される・・
という自身の内的体験もある。

 ただし、安定打坐をやってて初期の頃に心耳に微かに響いて聴こえていた・・あの当時のシーンという微かな金属的な音について・・まだ、この段階の精妙音では、これに集中する・・というのでは深い安心や慰めが得られる・・懐かしみを感じる・・というほどのものではありませんでしたので・・

耳をすませて内面に注意を向ければ、微かに耳に響いてくる音を文章で語る事は難しいんですが・・

もし、このブログ記事をお読みの方で心身統一法に拘らず、何か精神的な行をやってる方で・・
シーーーンという微かなで美しい一筋の妙音が心に響いて聴こえる方がいらっしゃって

それが私にも聴こえるのに私は、このサイトの著者と違って、この音に集中しても癒されるという感じや懐かしさ・・安心を感じない・・という感想を抱かれて、この記事の著者は嘘を言ってる・・と疑われてしまうと・・それは本意ではないんで・・念のため追記しておきます。

その一方で、普通に生活しながら心、( 神経系統 )そして身体を浄化、強化し
生命生存力を高め慈悲心を耕す実際的生活行法である心身統一の各種行を生活に据えた土台の上で

安定打坐を淡々とやってるだけでも後述する方法などで感覚を研ぎすまして集中する力を鍛えることを日常生活のちょっとしたとこで心がけてるとナーダ音がいくつかあることに気づいて、その一つに心を一心に沈み込ませたら、それだけでも大きな効験はあったように思いますので・・これもコメントしておきます )



また安定打坐ルートから、どういうふうにして深いナーダ音を聴けるようになるか?という再現性と客観性が担保されたトレーニング法については、文献もない・・暗中模索でして正直難しい・・
訓練手順がないってのが、こんなに難しいとは・・というのが正直な感想です。



正直なとこ内から兆す訓練がほとんどですが・・


より深い精妙な音が聴けるようになり、その妙音に耳を澄ますだけで一心になり雑念が消え空に入ってから心がすっと積極に振れやすい・・というのもある。

男性なのに、なんか女性っぽい表現で申し訳ないですが(;^_^A

この美妙で懐かしいナーダ音を聴いてると存在するだけで満足という感覚が兆し
心が安心を感じ癒され慰められるし

なにかやるにつけ、一心にナーダ音に聴き入ると一心から無心になりやすく、ナーダ音ルートから無心領域をバイパスさせると、自分にとっての妙案が閃きやすいというのもある。



それに、この妙音( ナーダ音 )が聴けてバイパスするようになると

この身体が吾の本体だと思うことはないし

精神が吾だと誤ることも尚更ない。

さらには

心(および神経叢)の浄化と活性化を促し

思考と外界の「 現実 」を等閑的に観て、相互関係とかを俯瞰するのがあまりに容易になり
内向化することもない。

さらには

恬淡とした気分になって心身ともの健全性や生命状態を充実させよくするという観点から観ても平凡でシンプルだけども佳き作用があるという現実的かつ日常生活的な、よき実感もあり


いいことがいっぱい・・なので

こういうのも読者の役に立つだろうと思い・・自身を貴重な被検体・・他人事のような冷徹な科学者的視点で自身を実験サンプルとして・・内的情報を収集し少しばかり研究してるんです。





それで

ごくごく普通に仕事し家庭生活を淡々と営みながら、ちょっとした心がけで、この静謐な喜びの伴う癒しの妙音が聴けて、どこがどうということもなく、なぜか安心を感じやすく、切り替えがうまくなる・・

ヴァイニング夫人ではないですけど何の変哲もない小さな事柄のなかにも美を見出し´うっとりとする体験´が増え
上質な喜びを感じやすくなる・・

心の積極化や幸福生活の助けになるはずで、相当にいいんじゃないか・・

 こういうのを個人が配信できるというのはインターネットが高度に発達した今の時代ならでは・・

 インターネットを使うことで、今までなら決して出来なかったことが、簡単にできる時代になっています。


こういうのも今の時代でしか出来ないことだろうと思い

この関連の記事も幾つか書いてきたわけです。



ただ思うんですが、、

こういう分野に興味がある方にとっては、関心があって、知りたいのは
結局´ How to Sayの能書き´ でなく・・大事なのは、どうしたら深い慰めと懐かしさに満ちた
sacred soundが、このブログ著者の私みたいな普通の人でも
聴けるようになったか?・・


あるいは、私もこのブログの著者同様に聴けるけども
より魅了せしめる秘音が聴けて、思考の自由度の高さが増し
思考の解放感を得るようになるにはどうするか?手の届くやり方として
どう取り組むか?というHow to Doとそのルート・・道筋を示すことだと思うので

改めて・・はて??どういう経緯で自身が
これを聴けるようになったんだろう??と振り返ってみたところ





自身の場合は、どこをどう逆立ちしても(;^_^A

社会と隔絶し山奥に行ったこともない。

とにかくメインでやってた( やってきてる )のは
天風先生が体系化してくださった・・
あまりにも易行でシンプルな生活に根差した心身統一行の独習でした。

これは強い確信をもって言うことが出来ます。



とにかく、この行法を熱心に生活行事のなかに織り込んで実践し

そのなかでも1日2〜3分で実践できる安定打坐法がきっかけで
私のような、ごくふつうの人でハタ・ヨーガの行修にあるような難行苦行とかなく、さほどの体の柔軟性もなく高度なポーズとかも知らず・・ショートカットで

ナーダ音のうち2つ、3つの心耳に響く「言葉で説明するのが困難な音ならぬ内部音( 秘音 )」
が聴けるようになり
( 当時は、もったいないことに、これがなんやら、わけわからず

ほったらかし・・放置してたんですが・・)

潜在意識を再構成、再統合しつつ、よりよいもの・・より上のものに出会いたいということで願いを書いて整理して、ほったらかしにしてたら

なぜかインドのヨギの瞑想をするようになっていき


その瞑想を地道に行修し微々たる変化を積み重ねるうちに

ふと気が付いたら
心が惹きつけられる深い領域の安心を感じ魅了されるナーダ音が聴けて
広々したものを感じる機会が増えるようになったというのがざっくりしたプロセスになります。





なお、この記事を執筆してる著者である私自身がインドのヨギの瞑想について、

どの程度学んでるか?とかも、ふれといたほうが
読者の参考になってよいと思うので正直に書いときますが



私のようなものが
高い教えや方法を教えてもらってもなぁ・・もて余すんやないか??という畏怖の思いと



もうですね・・

( 時代の関係で、お会いしたことすらないけども )


天風先生および、この方の行法に対する恩義があまりに強い・・強過ぎる(;^_^A



この御方の方法に出会って実践してなかったら

ままならない心のなりゆきに煩悶し
気が散り散りになり
肉体を練磨する重要性にも思い至らず神経過敏が昂じて自律神経も勢いを無くし自信も無くし
( 今から観たらさほどでもないと思うんですが )
当時の私にとっては、主観的に感じられる事の毎日が、もう、あまりに辛すぎることに感じるようになってて・・気持ちの強さも弱りに弱って弱り果て表現できないくらいになり

今から考えたら、あれ‥本当に私だったのか??と言う感じですが

苦悩に喘ぎ、世の中がお先真っ暗・・としか知覚できず、そのようにしか感じられない・・




生きた屍状態だったわけで

バイブルとかスウェーデン・ボルグとかの書も事実として
学生時代に熱心に読んで読み知ってても如何ともし難い・・

1分が辛い、苦しいという感覚

あのままやったら確実に( 病以前のとこで )お陀仏になってたと思うんで・・






かつ日本に生まれたのは、やっぱなんかあるんだろう・・日本的なものの再発掘をして、より高いものへの´つなぎ´になればよいという気持ちが強く




安定打坐法以外でメインでやってるインドのヨギの瞑想については

「 あるヨギの自叙伝 」という本等から資料請求して受講できる
ヨガナンダジが明かしてくださった瞑想法の通信講座のレッスンをお師匠さまにしての実践で、その実践も、ごく初歩の基本のものを積み重ねただけなんです。

なお、この根源に繋がる瞑想法についてはネットやらにも、当時、この技法に関して

いろんな情報が錯綜してて拾うことも出来ましたが・・


そういうのは危うい・・正統な´つながり´があったほうがよいだろうと・・当時、直感的に判断し
( 恐らくこの直感も正解だったのだと思いますが )

日本の支部を介して手続きしていただき専用資料を郵送で頂いて以降は
資料に沿った愚直な学習で実践を積み重ねていったというのがざっくりした経緯なのですが・・

前述した理由もあって

これについては、正直、、特に高度なものは受講しておらず
レッスンのステージとしては、ごくさわりで初歩のSTEP2までの、私みたいな不器用な人間でもやれるシンプルな技法しか学んでなくて

そういう基本の段階の一つ、2つのシンプルなことを、ひたすら掘り下げて質を高め瞑想の静謐や喜びを深めるというような自身の身の丈に合った、ごくごく素朴な実践です。





なお


この記事の読者に、あんまり期待されたら困るので正直に書いときますけど
( そもそも期待してない方のほうが多いでしょうが )

インドのヨギの瞑想は、もちろん初期段階でも瞑想する1回ごとに爽やかな心地よさや満足感は感じてましたが・・

この記事を執筆してる私の場合は、「 あるヨギの自叙伝 」という本にあるような
神秘体験したとか・・聖なる体験とか・・そういうのは・・
何年もやりましたけど・・

澄まない・・ない気がします・・



それに淡々と実践した上での変化っていうのも・・


口述書を知って実践した際は1カ月くらいの実践で疑う暇なく

疑いようのない確たる佳き変化があったのですが・・

この根源に繋がる瞑想については


劇的で際立った変化とかはなく静かで微妙なものだったように思います。



瞑想の内的体験としては

毎日淡々と実践しても4〜5カ月くらいでは、もう変化にすら気づけないような非常に微かな進展で、微々たる変化が積み重なって、諸事情で瞑想できない日も結構あったけども


何年もシンプルなことを続けてて、ふと気がついたら
あれ・・そういえば・・( 自己基準ですが )割に深く入れるようになったかもな・・
というような形での微妙な進展でして・・参考になるかわかりませんが・・


神秘体験ではないけど閉眼して瞑想をして

くつろいで弛緩してるにもかかわらず内面において精神統一状態を深めていくと

身体が硬直していき、それにつられるように心内で喜びが倍加して増していき、

やがて閉眼して瞑想してる最中に、( 深く入れた時に )やわらかい光が見えて満足するというような段階です。


なお・・やわらかい光ってのも、これまた言葉で説明するのが難しい。
ただとにかく光をイメージしてというのではないですし
弘法大師も為さったと言われてる「 求聞持法 」を
( 正式なやり方ではないけども )以前、熱心にやってたときに脳裏に浮かんでた青紫色系のもやもやした淡い光でもない・・これは仙道では丹光といわれるもんだと思いますが
そういうのより、より鮮明なものです。

誤解させるとよくないので念のため追記しておきます・・

 ちなみに閉眼し眉間の少し上に意識を置いたらモヤモヤした青紫色系の光が見えるというのは
別に驚くようなことではなく不思議な事でもなく
やったら誰でもできる( あり得る )ことなんで・・
こんなのを神秘体験とか言ってたら、おかしな方向に行くと思うんで・・・



こういう内的体験って瞑想してる方でしたら割と多いんじゃないでしょうか?

それに、この段階ですと、「 あるヨギの自叙伝 」の基準からしたら、どう贔屓目に観ても精進不足は明白ですが、私の場合、そのあたりの分はわきまえてると言いますか(;^_^A
そこまで高い段階のものを求めてたわけでないので割に満足してるとこがあります。

ただ・・そんな高い段階ではないだろうという自覚はあるにも関わらず・・

瞑想が実務や日々の生活でも役立つ・・というのが、インドのヨギの瞑想でして・・

非常に微々たる進展で劇的なものはありませんでしたが・・
微々たるものが積み重なったのか・・ふと気が付くと
他人はともかく自分基準で見ると割に深く入れるようになってて

高品質な落ち着いた喜びが

ごくごくありふれた日常生活の様々な局面で


脊髄中枢神経系から静々と湧き上がり

これが心と肉体の両面に波及し


日常生活の様々な場面、場面で静々心に流れ込み躍り出てき易くなって
それが肉体本位に傾こうとする不要残留本能心を静かに、やわらかく鎮めて

いろんな生活の局面における冷静で恬淡とした対応、対処に大きく貢献している・・

運・不運とか超えたとこで恬淡とあれて

 存在するだけで満足という感覚ってのが出るのもありがたい。

これは、自身の資質云々というより

ヨガナンダジの瞑想技法が、いかに卓越してるか?
それを如実に示してるんだと思ってます。





これ以上のこの分野や技法への言及は私が執筆する役割分担範囲から外れるので
これ以上のコメントは避けますが


とにもかくにも

心身統一行法がきっかけ、バイパスすることで
感情や感覚を積極方向に統御できる意志力が渙発し、耐力もついて地味で地道な淡々とした実践が可能になり


卓越した瞑想法にご縁をいただき

記録を付けるなどの各種習慣統御のノウハウも加味することで

派手さは全くなく地味〜に取り組んだところ




やがて

より深い領域のナーダ音が聴けるようになって



この´かそけき音´を澄んだ視座で達観的に見守る
( 音を観る )というような境地が出来たのは

インドやチベットに修行に行ったわけでもない。

ごくごくふつうに誰でも平凡に出来て実にシンプルな心身統一行を生活に織り込んで・・
心の奥座敷のクリーニングと心の強化
クンバハカを習いにすることで神経生命の安定化に努めて・・ストレス負けしなくなり

特に意志の力が出てきて積極への切り替えやクンバハカが条件反射になった土台の上で

氣を満たし眉間を涼しくして安定打坐行法という小さなことを地味に・・粘り強く淡々とやったのが
最初のきっかけになったし、次の段階の条件を満たす、つなぎになってくれたというのは
どう考えても、どう逆立ちしても間違いない´論より証拠´の生活事実やと思ってます。


それに・・腹が練られ神経系統が安定化するクンバハカを心がけた安定打坐のみを地道にやって、ふっと空に入れるのを習いにしてた頃においても2つ、3つくらいのナーダ音が聴けて
この一つに心を研ぎ澄ませ耳を澄ませ注意集中すると、( 当然 )理性心(左脳系)のおしゃべりは止んで共感力も高まるし
眉間の奥の意志の力と天風式クンバハカ法による腹の力を連動させることで雑念が発動する因になる古い脳由来の( 本能心領域 )も鎮まり、日々が心地いい
爽やかな静寂は得られていたので、これで相当に良かったと思っています。



なので

こういうのに関心のある方にとっては口述書に出会って、どういうことに取り組んだことが初期段階のナーダ音を聴けるようになったことに繋がったか?



深い領域のナーダ音が聴けるようになるというのは、瞑想が深まらないと聴けないようなので、いただく報告では、簡単ではない・・やや難しいようですが、、、

恐らくだけども、こういう訓練をコツコツ続けたのがよかったんだろう・・

私は難行苦行はやってないけども暗中模索の手探りの苦労は幾ばくかしてきたし
この分野は探求してきてて勝利感もある・・役割的に、このフィールドは執筆できる責任範疇なので


私が知り得て取り組んで、よくなかったものは自分の中でおさめて、しっかりブロックし
よかったものを洗練し
体験を分かち合えたらよい・・ということで





今になって気づくこともあるので参考までに書いてみます。


先ずは、あの当時・・心の深いとこ・・日常意識では自覚されないとこの心の奥座敷を清める潜在意識領域のクリーニングのための観念要素の更改行やクンバハカは心がけて心の浄化と強化に努めてましたが、
それ以外では、ブザーの音に耳を傾けて・・全身を耳にしたようにして打ち込み・・

 そのことだけ・・その後・・ブザーの音が途切れた刹那の「 空 」に自らの命をふっと漬す・・っていう天風先生考案の安定打坐を熱心にやっていました。

なお


安定打坐のやり方は、本式には知らないので・・
学びたいんでしたら、確か今は公益財団法人 天風会の各地方支部でも、いろんな講習会があるはずです。
健全で廉潔な団体と聞いてますので、そこで学ぶ方法もあります。

私の場合は「 成功の実現 」「 盛大な人生 」( 中村天風述 何れも 日本経営合理化協会 )などを参考にし

確か、あの当時、天風先生の肉声がどんなかも知りたいというのもあって
「神人冥合」というタイトルのテープ( ※当時はCDはなかった・・なお、「盛大な人生」(第六章、真人生の実現)と「神人冥合」の音源はかぶってまして、天風先生が、安定打坐のやり方や、その趣旨、目的も含めて説明してるとこがあります )を注文し、それを手がかりに

あとは自身の内から兆すインスピレーションも頼りにし、これまで、いろんな自己能力開発に取り組んで挫折してきたのですが、信念渙発することで活かせるようになったのもあり、そのなかの知識などを自分の中で活かせる形に咀嚼し直して展開応用させた行修( 独習 )です。





最初は、計画を練る前とか、入念にやったのは就寝前など1日2〜5分くらいだったでしょうか?

人は人生を通して、何に時間やエネルギーを注ぐか?という選択をするわけで、選択の連続なわけですが、これ< 安定打坐法 >に、1日当たり、ほんの数分の時間を費やして、自己と向き合う静謐な時間を持ったという選択は正しかったと思います。




ただ

それ以外にも集中する力自体をつけるのに、いろいろと、その他の小さな些細なことも、やってたわけです。



その一つが・・例えば



「盛大な人生」 第6章 真人生の探求の章で

中村三郎( 天風哲人 )が大きな滝つぼの脇で瞑想する際に

聖者から

先ずは「 天の声 」を聴く前に「 地の声 」を聴くように・・とアドバイスされてますよね。

聖者はさらに


「 地の声 」が聴けたら「 天の声 」を聴くのは容易だよ!


とも仰っています。




そこで三郎は、滝つぼの・・ゴーーーッという

けたたましい轟音鳴り響くなかで

滝の轟音以外の

鳥の鳴き声や獣の鳴き声を聞き取るように、只管

( 滝の轟音のなかで )一心に地の声に気持ちを向け
感覚を研ぎ澄まして聞き取り聞き分けるダーラナの訓練をして


かなり時間はかかりましたが、「 地の声 」が聴けるようになって・・

やがて聖者の時宜を得た助言で「 天の声 」も聴けるようになってますよね。




( なお、轟音を背景にしたなかで、そのさらに背後の微かな音を感覚を研ぎ一心に聞き取り
それに打ち込む「 地の声 」を聞き分け聞き取る訓練・・あんまり研究してない・・後付けになるけど・・ヨーガの段階では感覚を研ぎすますダラーナ(集中)を、ガムシャラにやって、それが、きちんとできるようになって
成功させることのほうが「 天の声 」を聴くよりも多大な精神的負荷と努力と時間がかかってるはず・・
一足飛びに「 天の声 」が聴けて遍満化育せしめる生かす氣を存分に受け入れやすくなったわけではない。

もちろん聖者の直轄の指導と交わり・・インドの神秘的な大自然が心の浄化に与えたインパクトは大きいでしょう。( 環境要因は大きい )

現代人の刺激の多さと複雑さときたら異常なほどです。

いたずらな複雑さと申しますか・・本能心を刺激し差別心を助長するものであふれて心は何か満たすものを探して、飽くなき欲望をそそらされ、心は休まるとこを知らず不満に喘いでいて、喘いでいることすらも分からず、等身大の自己自身と向き合う時間も持たず疲弊し苦しんでる方も多いです。

ですので、天風先生の場合は、インドの大自然のなかで、いろんな雑多な刺激や気を散らすものがなく、聖者の指導の下で、ほぼ強制的に自己と向き合う質朴な修行に専念できた・・というのは環境面からの心の浄化や強化という点でアドバンテージが大きすぎる・・

ですが・・そこを差っ引いても

中村三郎( 天風先生 )は、難病がきっかけで弱り果てた心に七転八倒・・悶え苦しんで・・
病を治したいのはやまやまだけども、それ以上に元の心の強さの半分でもいいから取り戻したい!!
死刑宣告を受けて断頭台に上がっても動じなかった・・あれほど強かった心が

なぜこんなに、びくびおどおど、ひ弱くなって、女々しくなってしまったのか?


とにかく当時の心の強さの半分でいいので取り戻したい・・

という強い願いを持って当時の世界的肺の権威とされた北里博士のごときお医者さんや日本の著名な宗教家にも援けを求めた・・

しかし、どうにもならず・・

日本が駄目なら世界だ!ということでアメリカを皮切りに世界の2/3を探し回って・・・

そのプロセスで

奇縁で聖者の指導のもとで真理に取っ組む縁を与えられ、その行修のなかで感覚を研ぎすまし一心に尽くす・・
心を一心・・ひたすらに何かに打ち込む力をつける行という「 地の声 」を聴く
というステップを踏み、その基礎段階を踏まえて
その条件を満たして「 天の声 」が深い領域で聴けるようになってることに、ご注目ください。

私の内なるインスピレーションを直感的な知恵にした判断もありますが

「 地の声 」を聴けるようになるのに感覚を研ぎ澄まして徹底的な注意集中の力を鍛える

心を只管、ある対象に注ぎ一心にして、感覚を研ぎ
心を一心にし極限まで注意集中する実力自体を底上げし強化する地ならしの訓練のほうが

「 天の声 」を聴けて、深い領域で溶け込ますようになるまで、恐らく3〜4倍くらいの精神的負荷と負担のかかる奮闘努力と時間がかかって・・その土台があったればこそ、力を抜いた時に聴けるようになってると直感的には思っています。

極度の注意集中と、無心あるいは虚心の状態は非常に近接している・・というのが、私の直感です。

そういう、とことんまで研ぎ澄まして注意集中する力を磨いていったもの・・そういう基礎条件が満たされてないと天の声を深いとこで聴く準備的なものは決して満たされなかったはず・・ 

そうして、心を一心にして打ち込むことで聴ける基準に達する「 地の声 」が聴けて、条件が満たされたら、ほぼ自動的に

ほどなくして「 天の声 」が聴けるようになってます。



そうして一心から無心になる時間が増えると、さらに次の条件が満たされて


「 心 」という入れ物が、遍満化育せしめる生かす氣を存分に受け入れやすくなり

( 生かす気が入りやすくなることで )

あんなに病を気にして惧れ迷い苦しんでいたのから、気持ちを自然に病から引き剥がせて

( 生かす氣が導入されたことで本然の力が出るようになり 

人としてあるべき元気もりもりピンピンした状態が、無理なく自然にメンタルイメージとしてメンタルピクチャーとして脳裏に兆すようになって

植物神経の機能も蘇り

恬淡とした強い心を取り戻し、( 病を気にしなくなることで )例えば小さな切り傷とかを自然に治す自然治癒力も最高度に発現し程なく生命の蘇りを果たしてますよね。

( 病を治そうとし病と取っ組んでイメージ療法よろしく無理に元気な姿をイメージして云々でない・・

 聖者の元で、より高次元の魅力的な真理に熱心に取っ組むうちに
 身の病のことを気にし想わなくなった・・

闘病( 病と平面的に闘う )するのではなく、病とは別の、ふさわしい積極的テーマに心を向けた・・

聖者の指導の下でテーマを「 高次元の真理の覚知 」にして段階的に取っ組んだ・・


そうしたら

( 聖者の元での直轄指導という余りに大きなアドバンテージはありますが )
遍満化育せしめる生かす氣が入りやすくなって

( 心機転換され )

心が病からくる苦しみ、悩みから自然に気持ちが、そこから引き剥がされて、ごくごく自然に疑う余地もなく、本来のあるべき姿が兆し出し、そう想えるしかなくなった・・そうして病を忘れ気にしなくなったら、本来の治す力である自然療能力が最高度に発現し勝手に治った・・ということも重要な箇所だと思っています。

そのことにもご注目ください )



なので、私も最初は、これをヒントにして

私自身の内から兆すインスピレーションを頼りに取り組んだわけです。


ただしインドの山奥に行くわけにもいかないんで


それに似た状況を探して、私のような者でも届くレベルのとこから段階的に取っ組んだんです。







やり方は・・例えば

真理が書かれた「 成功の実現 」などの口述書を読み込むなど、いろんな下準備や下ごしらえもしましたけど


地ならしが出来てからは

「 成功の実現 」等の口述書は暇があれば1日のうち5分でもいいので

真理に触れる機会を持ったのと


日常生活においてやった小さなことは



ミキサーに野菜や果物を入れて
スイッチを押してガーーーッと回して

それが回転して、けたたましい音を鳴らして生野菜や
果物などを砕いてる最中に

その音が鳴り響いてる・・まさに真っ最中において


軽いクンバハカで眉間を涼しくし

ミキサーの破砕音以外の外界の「 かすかな物音 」をジー――ッと聞き取るように努めたりしました。



これだって、まあ状況的には似てますよね。


ただし、スケールが小さすぎるし


これでしたら中村三郎( 天風先生 )が取っ組んだ課題とは比べ物にはならないくらい簡単でしょう。

だって天風先生の場合は、世界最高クラスの山の麓の巨大な滝つぼ(の轟音)の傍で
その背後の獣や鳥の声を心を澄まし思いを尽くして感覚を研ぎ澄まして聞き取る訓練です。


それに比べて私は・・ミキサーのガーーーッって音です・・_| ̄|○

な・・なんてスケールが小さいんでしょう。ほんと、ちっちゃ・・_| ̄|○


これじゃ・・もう比べるのもこっぱ恥ずかしい・・穴があったら入りたいレベルでしょう。

こういうの書くのも恥ずかしいけども・・・


※これは・・・実際に、それなりの大きな滝のそばで
その轟音がゴーーーーッと鳴り響いてる最中に
それを背景にして、そのさらに背後の鳥や獣の鳴き声を
感覚を鋭敏にし心を尽くして一心に聞き取ることを
日本のどこかの滝でもよいので実際に現場に行って為さってみたら
もう並大抵の集中力じゃ、できないことがわかるはずです。
極限レベルやと思います。

しかもインドで、天風先生が瞑想修行した、その滝ってのも、相当にスケールが大きかったはずなんで・・







ですが、まあ驚き呆れたことには、そんなスケールのちっちゃい・・
ギガを越えたテラ・スケールが小さいミキサーを利用した「 地の声 」を聴く訓練ですらも

私の場合、ガ―――ッっていう音が響いてる背後の音を感覚を研ぎ澄まして聞き分け聞き取るの意外に難しかったので

自身の一心に打ち込み集中する力そのもの・・心を尽くし、思いを尽くすことをこれまで、ほとんど鍛えてなかったことに思わず呆れてアハハと独り笑いしたことがあります。

こういうの・・氣をいろんなことに散らされ、徹底的に注意集中する力そのものが著しく衰えて、さまざまなことに擦り減ってる現代人にとっても・・意外に大事な訓練かもしれないですよ。ばかに味気なくシンプルなものですけど・・

資金繰りに苦労してる社長さんとか、部下の扱いに困ってる部長さんだけでなく(;^_^A
育児の悩みに覿面してるお母さんとかも・・こういうふうに生活のありふれた場面における心がけで出来る一心に打ち込むことをして、その力を磨いて底上げしてったら・・とにかく悩みに覿面してるのから一旦心を引き剥がして、落ち着いた気持ちで観ることが出来やすくなるでしょう。



それはさておき


こういうのやってくと、もう、なおさら中村三郎( 天風先生 )のスケールの巨大さと
研ぎ澄まされた注意集中力の凄まじさに、あの当時、畏敬の念すら覚え、さらに尊敬念が高まったのも併せて記憶してます。





そういうのを心を尽くして聞き取るのに馴れて背後の音を聞き分け聞き取れるように・・そういう私のような者でも手の届く小さなことをごくごく平凡な生活のなかで注意集中の訓練をしつつ
先にも述べたことに留意し安定打坐法も全霊でブザーの音に自身の全てを打ち込み、溶け込ませるようにしてやりましたし




こういったこと以外で



例えば

以前にもメルマガで書いたように


虫歯の治療で歯医者さんに行って、診察台に仰向けになってる時

もう1時間以上まな板の上の鯉状態でいないといけないので
心がけ次第で、毎回、強制的な訓練になるでしょう。(^_^)


実際のやり方は

ドリルでキュイーーン・・キュイーーンという音が響いて歯を削ってる最中を

安定打坐法の絶好の機会だわい!しめしめ・・と、とらえて

ドリルで虫歯を削られてる、あの音が脳内で響いてる・・

その真っ最中に、肩の位置を下げ( 横隔膜を下げて )小指を締め肩の力が下がりやすいようにし足の親指を締めてムンと肛門を締め上げ・・氣を下腹に満たして圧を高め動揺を感じたときは息を止めた絶対クンバハカの完全充実体にし

やや気持ちが落ち着いてきたら

キュイーーン・・キュイーーンという音の背後で流れるクラシックのBGMの韻律を眉間を涼しくし感覚を研ぎ澄ませながら一心に聞き取るように心がけて

そのクラシックのリズムを楽しむというような、ごくささやかな小さなことをしたり



はたまた


You tubeの動画から

クリスタルボウルとかで諧調の違う音を順に鳴らしてる動画を探し

そのなかで

ひとつの諧調の音だけに意識を置いて
眉間を意識し、涼やかにし、一音だけをひたすら追いかけるというような些細なことも

たまにやったわけです。
( これも以前メルマガで書きましたよね。不評だったですが・・ )




さらには


眉間を涼しくし

軽いクンバハカで

右脳訓練でお馴染みの七田眞先生のオレンジカードなどを十秒くらいジー―ッと凝視して、瞑目し

そのハッキリした残像が、やがて消えるまで、その「像」を追いかけることを日々の仕事に取り入れてやったり


それだけでは飽き足らず


以前もメルマガで書いたように


例えば


以下のような黒点





  ●





こういうのを眉間を意識し、涼やかにして

ジーーッと10秒くらい凝視し、注意集中し

閉眼した際に、ハッキリ脳裏に浮かぶ反転した白い残像が、やがて脳裏内で暗闇に消えるまで追いかけて無念無想・・無心の状態を味わい


 さらに黒い点の面積を小さくし


   ・ ←こういう0.5mmにも満たない黒点でも

ハッキリと残像が脳裏に浮かんで、それが長く脳裏に残せるように徹底的な注意集中の訓練をし、仕事の切り替え時などに活かしたわけです。


( これも私にとっては、すごく良くて

よかったからメルマガに書いたら

読者(の一部の方)には、こんなの全然脳裏に浮かばない!と不評だったみたいでして・・
だいぶん、ごちゃごちゃメールが来たんで・・段階的にやればできると思うんですが・・(;^_^A







あとは、安定打坐以前のとこで地ならしをし、後天的な自発的小さな訓練で心を積極にする行法・・

日常生活で心がけたのは、サイトにも新たにリライトしてSTEP1として書いてるように

心の特別なお手入れなどの潜在意識領に溜まった肉性意識由来の消極的な要素・・自己否定 、怒り 憎しみ、 嫉妬、懈怠などの表面意識に浮かび上がった時に雑念、妄念の温床になるところの心象材料のクリーニングに努め日々の生活においても、そういう類の念に巻き込まれないように客観的相対思索でで対応し



こういう私でも手の届く・・かつ、日常生活の、ありふれた局面で出来る小さなことを日々の生活で心がけ

心の強さ、神経系統の安定・強化を施すのと併せて

心に引っ掛かりを作って、神経を昂らせ日々の瞑想の深まりを妨げるような
( 本心・良心に反した )氣が咎めるようなことはしないことを決意し


日々の仕事やプライベートの日常生活で、手の届くとこで三勿・三行( 恐れず怒らず悲しまず、正直、親切、愉快 )を、やれる身近なとこで恬淡と心がけた・・

メインでやったのは、そういう、ごくふつうのシンプルなことくらいです。


恐らくそういうことも貢献したのだと思ってます。

なぜなら



人体の神経系統のうち内分泌を司る叢がクリーニングされ浄められて氣血の導通がよくなってくると
この精妙な音が聴こえてきやすくなるんだよ・・という記述も先のヨガの根本教典に書いてあったように記憶してますんで・・

肉体や神経系統の上流に当たる精神方面から精神を積極的にする後天的な小さな訓練を地味にやって小さな条件を積み重ねて下流部に波及させてクリーニングして・・なおかつ、クンバハカを癖づけて神経生命を安定化させていったのは‥当然大きかったのでしょう。




そんなこんなで大自然の神秘の氣を受け容れやすくなる安定打坐を淡々とやってたら


心をひょいっと霊的境地に入れるのが容易になり

それが楽しくうれしくて更に打ち込んで熱心にやってたら

程なくして


微かな音として心の耳に響いてくるシーーーンという無機質で金属的な音・・

当時は、ナーダ音とわからず

ブログにも書いたように、あの当時ですらも、もうヨーガによい印象がなかったので
ほんとあの事件は私にとっても大きかった・・ヨガ=危うくて怪しいという先入観が入ってしまって、探求を5年以上遅らせたと思う・・

で・・当りは付けてても、ほったらかし状態だったのですが・・(;^_^A


これが耳の遠くから、シーーンという音として聴けるようになり
何か聴いてるだけで神経系が、いい意味で活性化し澄んでくる・・というのが心に兆し感じられるようになっていきました。




( ちなみに、この時、この当時のシーーーン・・・という微かな音ならぬ微細な金属的な音は、不快ではないけども

 まだウットリするような心地よさや奥ゆかしさ、安心を感じせしめ慰めをもたらす多重的な美妙音としては、この当時の段階では、まだ浅くて聴けてない段階・・ )




そういう段階から

( 口述書で学んで心身統一法やって心を積極化することに努めたら )割と無邪気で無垢な本心・良心も( 自己基準で見て )以前より出やすくなった感もあり

日々の生活で気咎めを享けるような本心・良心に反したことはしないというのを決意し

※心身統一行をやってったら、怒りや懈怠な気持ちに一拍置けるようになったのも大きい


先のような些細で小さなトレーニングを粘り強くコツコツしつつ

淡々と安定打坐をやってるうちに、その音は
いろんな音が混ざってると気づいて

確か初期段階では

シーーーーン以外にジーーーッという虫の羽音みたいな音とかティンシャみたいの含め
3つくらい、この安定打坐を丁寧に実践してる段階で

いろんな諧調の音が混ざってるんじゃないのか?これ??へーーっ・・面白いな・・というのがわかって

眉間に意識を持って行って

その一つの音に意識を合わせ集中するなどの´聞き分け´があの当時出来てて、これだけでも脳のおしゃべりが止まるし、動中の静ひつに留まりやすいので、大きな効験を得てたと思います。






面白かったのは

この内部音に、じーーっと注意を向けて感覚を研ぎ澄まして一心に聴いてると、当然心のおしゃべりは止むわけで
脳のおしゃべりを止める作用も「 ナーダ音 」は、あるというのを当時発見したし

ナーダ音が介在することで脳のおしゃべりが止むと静寂と安らぎの門が見えてくるなというのも発見しました。

また

思ったり考えたりする心が何かに気を取られ忙しくし過ぎて

澄んだ・・純粋観照的位置から外れて余裕を無くしてるとナーダ音は聴こえないというのも気づいて

このシーン・・ジーーッ・・+αのティンシャみたいなのにやや近い音・・という微かな音ならぬ音( 秘音 )を
眉間を涼やかにして一心に一音に集中して聴き入った後は意識を拡げて

「 音 」を高い視座で見守る( 音を観照する )
というような立場で大らかに過ごすことを心がけるようにしたのも覚えてます。




ただし、そこからさらに、より深い美妙音かつ多重的になって

心が釘付けになり聴いてると慰められる懐かしい美妙音( より深い秘音 )が
聴けて溶けて行って自分がなくなるという感覚を覚えることが増えるようになっていったのは・・



先にも言及したように

「 成功の実現 」「心に成功の炎を」等の実践で、もうわかったような気になってしまい・・

これ私の課題の一つで悪い癖なんですが・・
もう、これでいいんやないかと思って過ごしてたんですが・・(;^_^A

天風哲人が定義なさってる先天の一気( 宇宙霊 )に対する憧れや中村三郎を天風にした真の聖者という方に対する強い関心が昂じて更に探求してったら

もっと内奥に迫る高いものがあるというのを知ってしまい(;^_^A

「 あるヨギの自叙伝 」の通信講座やったら、さらに深く、先天の一気の内陣に迫れるんやないかと・・中二病がさく裂した。(;^_^A


十代の頃、こういう類のことを純粋に求めた経緯はあったんですが・・世知辛い世の中に揉まれるうちに


もう、とうの昔にあきらめてた十代半ば〜後半の頃の憧れが昂じてしまい

日本の支部経由で資料請求してアメリカのロサンゼルスから送ってくださったヨガナンダジの瞑想法の通信講座の専用資料を、お師匠さまにし

あまり器用でない私の身の丈に合ったレベルのさわりのもの・・
これを普通に生活しながら、優先順位を上げてやれる範囲で、淡々と粘り強く実践して掘り下げていったら

正直、短期的には、さしたる顕著な変化はなかったんですが・・・

心身統一行の実践で、淡々とした粘り強さは、我ながら驚くほど人一倍蘇ってたので
劇的な変化とかなくても別に心折れることもなく気にすることなく熱心に続けてたら
( 諸事情で瞑想できない日もあったけども、初期の頃は習慣化を促すのに簡単な記録を付けながらやってました。

 どれくらい優先順位を上げてたかと申しますと就寝前の鏡を用いた命令暗示をしないで、この瞑想を優先することも多かったので、相当に優先順位は高かったです )


そうして継続力を養いながら、愚直に続けてったら


ありゃりゃ??そういえば・・と気が付いた時には

より深い・・心を魅惑してやまない心耳に響く、音ならぬ秘音のうちの・・
より深い懐かしさを感じせしめるものが聴けて、聞き分けれるようになったというカラクリがあるわけでして
( 心身統一行の幾つかを熱心に行じてバイパスした土台での )
インドのヨギの科学的瞑想のごくさわりの私の身の丈に合ったものを淡々と実践し微々たるものを積み重ねたのが、とても大きい・・これと相関が強いと自己分析してます。

あとは就寝前に、この瞑想すると「 観念要素の更改 」が、やけに都合がよいというのもあったので・・






なお


これが聴けるようになって、驚天動地のことが起こったかと言いますと、前述したように、決してそんなことはないです。

ただ

とにかく聴き入ってるだけで慰められ癒され安心するというのが大きいし


自身が以前より変わった気がするな・・と思ったことの一つは

日々に平安感が増したということや、ごく平凡な事象の中にウットリする機会が増えたこと以外では


恬淡とした大胆さがついたってことでしょうか?





ちなみに

これは自身の資質が優れてるというのでは決してなく

幾度も強調しておきますけど


心身統一行法をバイパスし心の浄化と心の強さ、仮我である「自分」に対する信念をつけ神経系を安定化させて、気持ちの強さ、ひとつのことを淡々と実践できる粘り強さ、信念の強化を施した生活土台の上で

心( および神経系統 )をTPOに応じて身体の持ち方で守る防衛法にも慣れ

仮我とはいえ自我の積極化に努め
幾重にも「 防波堤 」を張り巡らした・・

そういう´( 仮我である自我を積極方面に振れやすくし鍛え強くしたこと )´を背景にした上で


精神の進化を促す純度の高いシンプルな瞑想に取っ組むという縁を与えられたということ・・


これが大きい・・

これが秘密の鍵で
これが防波堤になって「 間 」に入ってバイパスし克己心や「 粘り強さ 」というのを蘇らせ培い繋ぎになってなかったら・・
どんなに空威張りしても‥やせ我慢しても(;^_^A
自分を自分と感ずることからは、逃げられないし、誤魔化せないし、さけられない。

「 朝から晩まで、寝ても起きても、なんで・・Why?自分は自分と感じるのだろうか?
 たまにはAさんになりたいものだ 」としみじみ思っても絶対Aさんにはなれませんよね。

自分を自分と感じることからは、どう足掻いても避けられないし逃げられない・・その自分( これは仮我で、自我とされるものですが )
その自我を積極に感じやすく振れるようにしつけて鍛えて強くしていかなかったら


インドのヨギの瞑想は高純度でシンプルであるがゆえに( 粘り強い精神精力や仮我である自我の積極性が訓練で耕されてなかったら )ただでさえ
以前は根がなくなってしまってて、なにやるのも中途半端で
諦めやすくなってたのに・・
簡単なことを黙々と粘り強く実践できなかったはず・・




それに、初期の頃は、さしたる顕著な変化もなかったので
以前の私だったら、いくら方法が優れてても
恐らく・・すぐにほっぽり出してたんじゃないかと・・

あとは何度も書くように

やはり・・そうは言っても

パラマハンサ・ヨガナンダという・・かのガンジーも尊敬したという聖者中の聖者( 天風先生が師事したカリアッパ聖者と同等か、それ以上の聖者 )が明かしてくださった
瞑想技法がシンプルなのに卓越してる・・そもそも論として方法自体が優れていて

瞑想が深まっていったら、どういうふうな現象が自身の内面に起こるか・・というナビがしっかりしてて、実際に、そうなったということもあり、信頼感も抜群だった・・というのもある。

「 あるヨギの自叙伝 」などの基準に照らして自身は、精進不足っていう自覚はあるけども、それでも大きく心の安定に寄与してる、これは、この瞑想技法が優れてるという証拠だと思ってます。





なお


この記事をお読みになってる方は、

割と瞑想も練度の高い方が多いみたいで瞑想についても割と質問が多い・・


なので、私自身は、先にも述べたように、瞑想については、その成果に割に満足してて、深まっていったという生活実感と確頼感、勝利感はあるので・・どうしたら瞑想が深まりますか?というご質問について、この時点での自分なりの実際体験上のお答えも出来るので、しておきますが





どんな瞑想をするにしろ


瞑想の深化で重要なのは

先にも述べたように、そもそも論として、無心あるいは虚心の状態と徹底的な・・極度の注意集中状態というのは近接して表裏一体の関係があって近・現代人は、これがすり減り衰えてるから、注意集中する力自体を日々の生活の中で少しずつ鍛えるということ

そうしたら自然に無心の状態に入っていきやすい

さらには

人間だれしもが持ってる無垢な霊性由来の高次の囁きとも云うべき
本心良心( 霊性心 )に背くような

気が咎め、雑念、妄念になってマイナスの氣を発生させ心を汚し傷つける言葉や行いをしないように心がける。

( それと対極の )
高級な心領域の霊性心が満たされ嬉しく楽しく清々しくなる霊性を成長させる栄養源になる・・建設的なのをもたらす氣で心内がいっぱいになる霊性満足の感謝生活をシンプルに心がけ肉性意識領域の芥( ゴミ )を上質な喜びで間接的に洗う。

霊性満足の生活って、簡単には
他人の幸せや精神的向上の喜びを我が喜びにせしめるような

手が届く些細な決断で、できることで

親切な言葉や行為を仕事などを通じて身近な小さなとこで心がけ、そういう小さく些細な条件を積み上げる。

こういう些細な決断によって行った行為で霊性を肥やす栄養にするというもので
手の届く些細な決断で出来る身近なとこで、こういう小さなことをシンプルに心がけ、積み重ねて、心内を嬉しい清新な氣で一杯にする。


瞑想以前に

いたずらに複雑なもんや大きな決断を伴うようなことではない・・

人として当たり前で、こちらのほうが本来は楽な生き方である気を咎めさせない
爽やかで恬淡とした霊性満足的な感謝本位生活への小さな行為というのを積み上げる

些細な決断や心がけで出来る身近で、ささやかなことを心がける

これももう、弱まりがちな霊性を高め日々の瞑想を少しずつ深化させるのに
めっちゃくっちゃの・・くったくたに重要やと思ってます。


そのためにも霊性が覚知されて肉体を思う本能心や心を思う理性心ではない・・
もいっちょ上の霊性心が出やすくなって

生きとし生ける生命を活かす清々しい氣を大量に受け入れやすく
仮我とはいえ自我が積極化されることで神経系が静かなバイブレーションで活性化しやすくなるような

心身の積極化と心の調和をもたらす日々の生活に根差した各種行法
( 心身統一法を支える各種の行である観念要素の更改、積極観念の養成法、神経反射の調節 )
等・これも本当に小さくて簡単なことばかりですが、これに実意丁寧に取り組み

奥底の肉性意識領域に溜まっていて、心の全体をして、心の態度を積極に置き本心良心の出どこを遮り共感や思いやりから遠く離す動きをせしめる心を消極方向に振れやすくさせる肉性意識由来の雑念妄念素を少しずつ洗い


かつ

思いやりに根差した霊性由来の正直、親切、愉快を合言葉にした三行などの積極的な行為を肩の力を抜いて小さな決断で、気軽にできる些細なことを恬淡と心がけ小さな条件を積んでいくことで
その行為の刹那に生まれて、霊性を高める肥やしになる積極的で清新なプラスの氣・・

言い換えれば霊性心を嬉しくさせる氣が生じることで間接的に神経系統さらには肉性意識の本能心を鎮め洗い清める。
( 何か、些細な決断で済む身近な人の幸福や喜びの足しになることを身近なとこで等身大で恬淡とやってったら心が嬉しく清々しく爽やかになりますよね。
このときに積極的な行為で霊性を成長させ心を清新にするプラスの氣が、その刹那に体内に発生し神経系統を通じバイパスし脳の中枢の癒しのホルモン系統の分泌を促し心の全体に積極的な佳き影響を与えると私は観ています )


※とても難しいことのように思うと難しいですが・・
 無財の七施というのありますよね。(^_^)
 ニコッと笑顔というのだって立派な施しになります。



そういう感謝を前面に押し立てた・・人としてごく当たり前のシンプルな霊性満足的な純正の生活をしてったら

瞑想で精神統一し深く深く入っていくときに

呼吸を乱す雑念が湧きにくく良心に引っ掛かりがない

というような下ごしらえがあり、さらに先のような一心に打ち込む集中する力を訓練で鍛えたものでもって



そういう下準備があった上で



安定打坐法やその他の瞑想にギュギュっと打ち込む・・


そうすると心に、けい礙( けいげ )がなく



心が澄んでいて嬉しいし、集中する力もつけてるので、すすすっと深いとこに入りやすくなる・・と思ってます。

これはもうテクニックとプラスアルファの問題ですが・・・
でも、これだって考えたら・・すぐわかるでしょうに。(;^_^A

( たいていが、ほんの些細なことがきっかけで
それが積もってこじれる場合が多いわけですが )

あいつ・・あの野郎、憎ったらしい・・許せん!
考えただけではらわたが煮えくり返るわ・・とか

あいつ、羨ましくてしかたがない・・とか

心配事だの、過去にやった失敗、腹立たしいことなど、

心を鎮めようとすると次々に雑念が浮き上がったり

源とのつながりが薄れて何かイライラしてたり不平不満や愚痴や悩みで心が一杯だったり・・

心を一心にする力を無くし感謝本位の霊性満足生活から、どんどん離れてたら


いくら最先端、最高度な瞑想テクニックを知っててもスッと深いとこに入れんでしょう・・(;^_^A


いただくご報告から、クリスチャンの方も割と、このブログを読んでるようで、稀に相談があるんで追記しますが・・祈りを日課にしてる方でしたら・・そういうふうに心が消極化して、ひっかかりがあったら深く深く祈れんでしょう・・


ただし、安定打坐法の場合は、驚くことに、そういうムシャクシャした場合でも、たった1分の実践で空境を味わえる優れた行法ですけど・・今回は安定打坐とは別の瞑想のことで一般論を述べてるので・・念のため

それに、霊性満足の感謝を本位にした・・人として、ごくごく当たりまえ・・
そっちの生き方のほうが楽な生活を人として、等身大に、ふつうにやって・・
その上で、例えば安定打坐をよくされてる方でしたら、それに打ち込むと、同じ打坐をやっても、より次元の高い打坐が出来ると思うんで・・





そういう小さなことを心がけた生活土台を踏まえた上でテクニック論になりますが




瞑想していて

呼吸が深く静まってくると



どんな瞑想をするにしろ


高級心とも云うべき良心が咎めない・・本心・良心が喜ぶことを心がけてると

すぐに深い瞑想に入りやすいわけで


心を統一状態にしてって


だんだん呼吸そのものが長く静かになっていき

瞑想の初期の爽やかな変容意識状態( いわゆるトランス状態 )に入っていきますよね。



そうして意識が深まってくと




やがて

体がジーンと痺れたようになって

不安や恐怖心で筋肉が硬直するのでなく

深い平安感や安心感で筋肉が硬直し動かせなくなる・・という兆しが出てくるかと思います。



瞑想と呼吸生理と催眠が深まった際の生理現象の一つである
腕カタレプシーなどの部分硬直ではなく
緊張や不安で筋硬直が起こるのではなく

瞑想の初期の意識状態の深まりの中では

不安や恐れとは真逆で体全体の筋肉が硬直化したようになっていきますよね。


( このあたりのことは精神科学的・・生理科学的には・・
時間がなく、まだあんまり研究は深めてないんですけど

浅〜中等度催眠のときに生じる生理的段階と酷似してるのかもしれません )



そういう瞑想の初期状態になって、さらに呼吸を鎮めてから

眉間に集中し、涼やかにし内面に注意を向けて、感覚を研ぎすまして、よりかそけき美妙音( 秘音 )を探す時間を数分でも持って静謐に浸るようにすると
うっとりせしめる4つ目以降のインナーサウンド( より精妙な音 )が聴こえて
心はそれに惹きつけられ慰め癒されざるを得なくなってくるはずです。


ただ


先にも言ったように

心身を取り締まって生活がシンプルで綺麗になって肉性意識内に溜まった妄念が整理され( 肉性意識や心性意識じゃない・・もいっちょ上の感覚を越えた次元のとこから )本心・良心( 霊性心 )が兆し出やすくなって感謝生活が少しずつ出来るようになってるならそこまで先鋭化させる必要もないかもしれません。



4つ目以降のナーダ音が聴こえたら・・

もちろん心の平安感や


日々をさばさばした気分で過ごすという点でも

恐らくナーダ音は助けになってくれるし

素晴らしい事だし、恬淡とした大胆さが出てくる

不要残留本能心に煩わされ難くなるという感覚もあるけども


だからって


もし、私がこういうことを書いてるから取り組んだけども
ナーダ音が聴こえない・・という場合があっても落ち込まないようにお願いします。m(__)m

深いナーダ音が聴けるようになる方は、頂くご報告の統計上は、多くないみたいなので・・



それよりは


いい方法あるから・・安心してください。



少し肩の力を抜いて心身統一の高級な心性で
そっちの生き方のほうが楽な霊性満足的な

人として、そういう生き方のほうが、本来的には、やりやすい純正な生活を

あなたの身近なとこで心がけたらよいのではないでしょうか?
そういう小さな些細なことをしてったら、( 深い瞑想を妨げがちな )肉性由来の本能心が積極的行為で積極的な氣が生じることで洗われ鎮めやすくなって・・妄雑念が拭われて、忘れたころに癒され慰められる深い美妙音が聴けるようになるでしょうから。