前回の「 今日1日 しないリスト( To Don´t list ) 」は好評でした。


メールでご質問や感想をいただいた方のなかには、

 ギャンブルとか止められないとか・・
これは少し恥ずかしいですね・・人としてどうなのか?
( 心身統一法を知って実践してる方で )こんな相談をする方もいるのですか? 」

という意見( コメント )をくださる方もいました。

私もブログやサイトを開設以降、メールなどで相当にいろんな相談を受けてきましたが

心身統一法を知って実践してる方でも、いろんな方がいまして

ギャンブルが止められないと人知れず悩む方もいます。


車のブレーキに遊びが必要なように、

そりゃあ、人生にも遊びと言いますか
だらだらする時間、ぼーっとする時間があってもよいと思っています。

でも、生きがいや張りを感じる目標もなく、
打ち込むものもなく、無駄な時間ばかりを過ごして

挙句、お酒やギャンブルなどの遊興に溺れていったら、もったいないですよね。


また

( 私自身も相当に悩んできたことの一つですが )

 意志も弱く克己心、精神精力が無くなって
習慣統御できず、すぐに投げ出し( 継続力 )もなく中途半端だったら
それも、好ましいとは言えないでしょう。



 結局のとこ感覚の欲に惑わされ溺れていく根底には、

 満たされない寂しさや空虚感、不安、孤独感があるのでは?

と私は思ってまして・・

個人的には、そういう満たされない寂しさを感覚的欲望を満たす飢餓感に向けて満たす
という悪循環を少しずつ軌道修正するルートの一つとして


天風哲人が体系化したメソッドの実践により

( 詰まりがとれることで )生かす力が生命に流れ込み易くなって

心を取り扱う権能のある意志の力も前よりは渙発しやすくなるので、

この力で腹を作りつつ心を積極的に練り作って
ギャンブルやらお酒やらで空虚感や満たされない寂しさを埋めるよりも

より高い次元の霊性満足の喜びをもたらすもの( 事 )を見つけて
日々を充実させ打ち込むほうが建設的でよいに決まってる。

それに、心身統一法を真剣にやっていけば
運がひどく悪く、ひどい生活をしてる方でも悪癖や悪習から
抜ける可能性は´ ある ´と思ってまして


私の場合はギャンブルとかは、心身統一法を知る以前から、やりたい気持ちが全く起きなかったので
たまたま、やったりはしてこなかったですけど

これも個人の自由とはいえ

本人が止めたいのに止めれないというのは辛いと思います。



人によっては、こういう矯正は相当に時間と実践の継続が必要な方もいるのかもしれません。

この´わかっちゃいるけどやめられない件´についてふと思い出したのは

知人から

「 ギャンブルや煙草を止めるのは簡単だったけれどもお酒を全面的に止めるのは
とても難しい 」。
という´ため息交じりのボヤキ´を聞かされ
相談を受けたことがあります。


これは私も体験上、そうかもしれないと思ったことがあるのですが

実際、お酒と煙草やギャンブルでは、お酒のほうを慎むほうが
社会生活の上では難しいと思われます。



自身の体験から照らしても

「 煙草とお酒では、お酒を慎むほうが、はるかに難しい 」。

といみじくもぼやいて、相談を受けたことがある知人の感想(ぼやき)は私も同感です。

正直、冷水行を欠かさず持続させてやる事より

酒宴の席でお酒をスルーさせ上手に断りながら
宴会の司会や幹事をしたり、懇親会の会席の場で
うまくコミュニケーションをすることのほうが難しい。

飲まないことを馬鹿にされたりしたこともあって佳い気分はしてこなかったし
周りが、のんべえさんばっかりの同調圧力が強い職場とかの場合ですと特に
お酒を飲まないで、上手く断り相手の機嫌を悪くしないよう配慮しながら
恬淡とやり過ごすのを貫くのは冷水行を何年も続けるより難しいのでは?と思っていた事すらあります )



先に挙げたように社会の同調圧力もあって

知人のように、本人は、お酒を全面的に止めたくても
仕事の付き合い上、止められないというケースだってある。


知人にも、そうしたいなら宴会以外は控えるとか自分ルールを決めて
お酒と上手く付き合いつつバランス取りながら、自分軸で
ほどほどに控えていったらいいんじゃないか?とアドバイスをしたことがあるのですが

私みたいな変わり者は別にして人それぞれで、しかたないとこもあるんじゃないでしょうか?


立場や状況により止めたいのに止められないということってのは様々かと思われます・・


なお、自身の些末なケースで言えば、少なくともお酒や煙草などを意志の力で止める
というのに関しては
私自身は、ギャンブルや煙草を止められないという方々よりは、ほんの少しだけ
意志が強かったと言えるのかもしれません。



ですけど、それだって人それぞれの立場や事情、嗜好性とかもあるのではないか?と思われます。


 なぜなら、私なんか、心身統一法を知って実践していても
コーヒーがぶ飲みはなかなか止められんのです。_| ̄|○

コーヒーの場合は、お酒と違って飲み過ぎで救急車で運ばれたとか、
理性を失って云々というのはないからというのもあり
そもそも止めたいと思ってないからというのもあるけど・・(;^_^A


例えば

ブログやメルマガの原稿執筆に詰まったときなんか

ついつい、コーヒーを、がぶ飲みすることがあるんで・・・


だから、あんまり他人のことを、とやかく偉そうに言えない気もします。


で、まあ・・そんな感じで、前置きはここまでにして

今回の本題に入りますが

私のコーヒーがぶ飲みに限らず(;^_^A

誰だって大小にかかわらず
幾ばくかの嗜好性や
なくて七癖あって四十八癖みたいのが、幾ばくか、あるんじゃないでしょうか?

食べ過ぎ、飲み過ぎ、言葉遣いの癖、

( 振る舞いにしろ )だらだら、暇つぶし
ついだらだら、やらなきゃいけないことを先延ばしする癖等の
【 癖 】もあれば


( 取り越し苦労の癖、くよくよする癖、すぐ塞ぎ込んでしまう・・
自分を責め後悔し擦り減らす癖
人を妬む癖、人を攻撃し咎める癖、
人の目を気にしすぎる癖etc )の思い方、考え方等の
【 癖 】もありますよね。




【 癖 】のなかには幸福感や生きがい、
充実感という点で、更改したほうがよい癖もありますが

その実際的更改( 陶冶 )法を知らなかったら

 ただ流されるままで、同じことを繰り返し・・・・

そうして気が付いたら、もう老人になっていた・・ということだって
事実として、あるのかもしれません。

実際に私も「 いつかやろう 」とかいうことを考えてたら
ずるずるになって10カ月経っていたとか・・実際にあった話です。


こういったことは本当に洒落にもなりませんよね。


そういう愚を犯さないためにも

思い起ったら、何らかのきっかけになるような、ちょっとした行動で補強し


後述する感受性を立て直す方法を実践するということ。


さらに心の強さが出てきた背景のもとで

 こういう思い方、考え方の悪い癖に、自身で、はっと気づいて
空虚感や寂しさを感じたら

すぐに感謝や喜びに振り向け心を満たすよう心を少しずつ調教、訓練していく。

心の態度を清く明るい積極方向に振れるように
意志力を注いで、すっと明るく力強く、感謝や喜び、陽気な方向に切り替えていけるように
働きかけるとよいのではないでしょうか?
    ( 参考 満たされやすい神経生理状態を自ら作る )

そうして長い目で観て自分が幸せになれるような振る舞いや癖

言い換えれば自分(の心)が尊く清く明るく幸せを感じ、日々が充実するような傾向的心

幸せに感じる機会が増えていく傾向的心を

潜在意識をクリーニングし感受性を立て直すことで出やすくなる意志の力で
自己矯正暗示の力と慣性の法則を利用しつつ習慣統御して
意志(と腹)の力で方向づけし積極の方向にバイブレーションを与えて

例えば、もしもこうなったら・・とか、どうせ・・という弱気や怖れ、言い訳が
心を占めるようになっても

それとは反対の強気や勇気のほうに注意を注ぎバイブレーションを与えて


時々、自身のやってることのなかで最重要事項は何で、今やってることは、それに結び付いてるか?と問うようにしていけば

こころは一度に一つの事しか考えられないし
質問をしたら潜在意識( 心 )は、探す・・という性質がある
から
その性質を、うまく利用することで心の操縦や行動が以前よりは的確になると思います。


暗示についても、強いほう、好ましいほうに氣を注ぐことで
バイブレーションが上がって吹っ切れやすくなります。

すぐに先延ばしする癖がある方は
それと反対の「 今すぐやれ! 」と心に命令し励ます言葉の暗示を入れる等




そのようにして勢いをつけて、自身の最重要事項は何?
 今やってることは、それに結び付いてるか?と問うように
少しずつ自身の行動を結び付けていけばよいのではないでしょうか?

( 習慣慣性がつくと、あまり力を要せず楽に出来るようになります )


ちなみに


いくら社会的ステータスが高かろうが

外界の印象を五感で感じせしめる感受性を司るとこの
心の働きが、その調子を崩したら


世の中は癇癪の種・・苦の娑婆にしか感じられなくなります。

( このことについては、「私もそうだった」という報告をチラホラいただくので
人知れず苦悶してる方は多いと思っています )


潜在意識をクリーニングするというのは主体性、自律性・・

自らを乗り越えていく自己陶冶だけでなく


感じせしめられる知覚を清明にすることや運・不運・・健康にもかかわってきますので

    相当に大きな問題提議なわけです。





じゃあ一体どうすれば感受性を積極的に訓練し潜在意識も清まるのか?

そして癖をよいほうを育てるように習慣にするには、どうしたらよいか??
ということについては、これまで言及した方は多くないわけですが・・



これについては、一般化は出来ないにしろ
幾つかの方法があると思っていまして



潜在意識を清め、少しずつ、よい癖をつけ、好ましい性質を強めるようにするには




そういうことは出来ないという思い込みを捨てて




弱気や言い訳の自分が出てきたら、それとは対極の
自己暗示の言葉による暗示を叩きこんで

意志の力を煥発し自身が育てたい、尊いよい性質のほうに
振動数を与えて波動を高めてやる。



少しだけでも内省の時間をもち

今日一日よくやれたと少しでもやれた自分を褒めて敬ってやる。

この際、他人と比較しない

人が持っていて自分は持っていないと羨ましがったり
人と争って負けることで劣等感を持ったりすることは、
心の調教、自己訓練には、あまり意味のないことなので

他人と比べず、「自分は自分」という軸を持つ

というのが、よい性質を少しずつ強めていく自己訓練の原則、やり方になるのですが・・・


先にも述べたように、そもそも感受性を司るとこが調子を崩してたら

そういう、よい性質を育てる自己陶冶の余裕や内面を耕す心の強さすらも出てこないです。
( 体験上(;^_^A )


ですので大前提の「 感受性を積極化できる方法 」も参考にしてください。


その方法としては


眠りに落ちる寸前の眠りとの境界のときに思い浮かぶ想い( 連想 )自体を
   できるだけ清らかで明るい積極連想にする「 観念要素の更改 」を心がける。

( 方法1 参考ページ

※概念図を下記に掲載しておきますが・・

これを続けていったら、しない以前よりは活かす気( 生命要素 )が入りやすくなり
感謝が習いになるのでお薦めです。

sennzaiisikinohenkaimage11




そうして、今日一日をよくするために何が出来るか?静かに問いかける

( 方法2 )


気が向いたら

目覚めて意識がまだはっきりしない半覚醒の状態の時に

すぐさま、早暁の旭日に突貫し、
謙虚な気持ちで低頭瞑目し、ただ、ひたすら有難いなぁと黙然し瞑目感謝する。
( 方法3 参考ページ )


たった、これだけでも続けることで自分でも気がつけぬ心の原盤のとこを
直(じか)にクリーニングすることになります。


これも滅茶苦茶苦労した末に閃いた行法ですが・・

 この方法は一般的な日拝法よりも深いとこを洗えるので、深いとこに埋まった
有害な消極因子を洗浄して、そういう消極的連想が、しない以前よりは湧き難くなるものと思います。




そうして

五官感覚を通じて心に入ってくるものが心を萎縮させたり汚したりしないか?
口から出す言葉が心を上塗りで汚す低劣で愚痴塗れな言葉でないか?
内面も含めて意志(と下腹)の力で、しっかり取り締まって、
育てたい好ましい性質のほうに氣を注いで強めてやる。


さらには


ホ・オポノポノの4つの言葉や


有難うございます等の言葉を呟くことで

顕在意識を耕すことで間接的に水面下に沈んだ気のつけぬとこ( 潜在意識 )をクリーニングできて調和に満ちたものにする。
( 方法4 )
等があります。




実践に際して(方法1)と(方法2)が難しい方は(方法3)か(方法4)を心がけ、記録をつけて習慣慣性を味方にして、頭でわかっただけで終わらせず
少しずつ運動神経と申しますか・・まで落とし込み・・体になじませてやる。



あとは


以下のPDF

http://hinatabokkomura.com/tempu/images/etc1.pdf

これに書いてるような天の声・・
これは、私はナーダ音だと思ってますが

これ(ナーダ音)を聴き分けれるようになって、
シーンとかジーンとかより、もっと奥ゆかしい・・
かそけき美妙音を発見し、
それに心を溶け込ますようにする。
( 方法5 )


これに聴き入り没入させるのもクリーニングになるという直感があります。


そうして

不要残留本能心由来の雑念がこれに溶けてしまうような
精妙な多重音を聞きとれるようになると
平安感や心の安定感も以前より高まっていくんじゃないかと・・


ちなみに

ナーダ音については

佐保田博士がハタヨガ・プラディーピカを翻訳した
「 根本ヨガ教典 」のなかにも
ナーダ音に集中するのは一般人にとって最高によい方法・・
という記述を発見することもできます。




空海も私度僧として唐に行って2年で目的を達成して日本に帰ってきて

太宰府の観世音寺に滞在してた際

「 秘音観想法 」という体内のかそけき秘音を聞き分ける修行を為さったとされてますし
( 例「 空海とヨガ密教 」という本にも、その記述がある )

禅宗の「隻手の音声」はナーダ音であると指摘する方もいます。

さらに

これまた関係者に怒られるかもしれませんが

カトリック教会の聖女としても知られるアビラの聖テレジアもより深い領域の
ナーダ音が聴けていたという記述も「聖テレジアの自叙伝( 日記 )」から
探すことができています。
( 英語の本なので本の引用まではしませんが )




今の時代は、そういった資質に格別優れた方じゃなくとも

時代の恩徳で、私たちのような一市井でも内なる平和をもたらす、

このナーダ音が聴けるような時代圏になってるのじゃないかと思っています。


なお


ナーダ音が聴きとれない方で、

「 先に挙げた(方法1)や(方法2)が、どうも、うまくいかない・・



何を基準にして、これが上手くいったかが、皆目分からない・・疑心暗鬼になる。


そもそも、綺麗な気持ちで寝入るという


「 綺麗な気持ち 」というのが、さっぱりよく分からない・・」


という方は


(方法3)や(方法4)を心がけるのもよいですよ。



 これだと、少なくとも実践できたか?出来なかったか?くらいは

自分で評価できますよね。



そうして


 客観的に自分でもやれたかどうか?というのは分かると思いますので、



手帳などに記録つけをして


 継続することで


 心身の微妙な変化・・内面の変化・・小さな変化を心を鎮めて見つめてやる・・

 その際、静々とした穏やかな喜びや気力が蘇える感じがあって
日々の仕事や生活に新鮮な気持ちが出てきて具合がいいようなら続ける・・

 

そういうふうにして自分に合ったものを探しながら

潜在意識をお手入れし清め明るくし強めていくと
生かす力( 生命要素 )が豊富に導入され心が積極に振れやすくなって

 平安感や心の統御力も高まり、

 心の力や心の性能が高まって生命の力も勢いを増し

  心の幸福感度も高くなって、願うこと自体も変容し変わってくるし

 人それぞれの理想に向かいやすい潜在意識になるんじゃないかと思います。



この土台の上で
ビジョンボードやらを作ったり・・
STシート法等の潜在意識の刻印メソッドを実行するとよいということになります。

( 潜在意識がクリーニングされてないと生命の底力が出ないし、潜在意識が清まってないと導かれるものがなく、ビジョンボードも上手くいかない方が多いという報告も受けていますので )


ところで

私の場合、サイトの実践による皆様のメールやご報告にも助けられていまして

方法を洗練するのに役立っています。

以下の報告もいただきました。
Tさん!有難うございます。


( 以下引用 )

去年の7月にはじめてメール差し上げました。Tと申します。
問い合わせをさせていただいてから
200日以上過ぎましたが昨日3月1日。
ついに念願が叶いました。
21日で結果や40日で結果と言われますが
自分の場合は年をまたいでと正直長かったです(笑)

岡崎さまへの「よい結果報告」の1つに加えていただけますでしょうか。
よろしくお願いいたします!

( ここまで )