男女の愛のエネルギー以外で

聖者や恩師との密なる交流によるエネルギーが
心の積極性や運勢に影響を与える例としては



天風哲人の場合をケースにして深くリサーチしてみると・・
この方は少し複雑でして・・

捨て鉢になってた中村三郎( 天風哲人 )でしたが

縁あって頭山翁に拾われた16歳からの12年・・

頭山翁の福運の保護・・大きな守りを受けて
心も非常に強く積極的で28歳までは軍事探偵として活躍してます。

結婚( 奥さん )よりも
恩師の頭山翁のほうの影響を強く受けている感じです。

やはり頭山翁という方の影響圏が凄かったのだと思います。
この頭山翁という方も強烈でして

命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人・・
佳い意味で仕末に困った方で
中村三郎( 後の天風哲人 )は大きな影響をうけたようです。

ですが頭山翁と出会って12年後の28歳のときコザック騎兵に捕えられ
銃殺寸前の絶体絶命の境涯から奇跡的なかたちで
九死に一生を得てから、しばらくして当時不治の病とされた奔馬性結核に罹患しています。


事実として天風哲人( 中村三郎 )は30歳で、当時不治の病といわれた肺結核・・さらによくないことに奔馬性肺結核に罹患し、結核のなかでも、特に病の進行が早い、たちの悪い病にかかるという大きな試練に遭ってまして

そうして精神的にも、何かがぷつっと切れたようになっています・・


死ぬことをなんとも思わないような気持ちも強く心が強い豪の者だったのに・・

ほんとうにまあ・・あんなに強かった心が、
これほどまでに弱くなってしまうのか・・

というくらいに、びくびくおどおど・・
きなきなくよくよ心配性・・不安神経症候群に陥り

これほど惨めで哀れな心になったことを嘆き苦しむ。

さらには治る見込みのない病と闘い身悶えしてるうちに

さらに過敏になってキレやすく弱っていく心をなんとかしようと

高名な医者はもちろんキリスト教や仏教など有名な宗教家にも救いを求め・・

教えを請いますが・・「 祈れ 」という助言しかない・・といったようなあんばいでどうにもならない・・


理論も実践体系もなく絶望する・・



そういう辛く暗澹とした精神状態に陥いる・・という内的試練に陥っています。


これってまさに孟子の言うところの


「 天のまさに大任をこの人に降さんとするや、必ずその心志を苦しめ、その筋骨を労せしめ、
その体膚を餓えしめ、その身を空乏にし、おこなうこと、そのなさんとする所に払乱せしむ・・」

というような外的および内的試練に曝されたのじゃないかと思います。

これは、天(の氣)がある人に大任を授けようとするときは、必ず、その人の志や思い通りにはさせず、
理不尽なことが続き、トラブルも多発・・そうして精神や身心を苦しめ、その筋骨を疲れさせ、
窮乏の境遇におき、何をやってもうまくいかない、ひどい目に遭い
わざわざその人を我慢強くじっくり鍛えるものである

こういった試練があるのは、天がその人の精神を鍛え、忍耐力を強くし、
大任を担うに足る人物に大きく育てようとしている、 そんな証拠なのである 」
というようなニュアンスの言葉です。

まさに、三郎( 天風哲人 )は、これではなかったかと・・

前述したように・・戦国時代において結局勝利し、大任を果たしたのは、
天才肌の信長でも・・秀吉でもなかった・・最も辛抱強く我慢強かった家康です。

時代や国は違いますがH・フォードも、とても忍耐強く我慢強い・・
幾度挫折しても決して諦めず熱意で恐れを越えて
焦らず弛まず淡々とやり抜く性質の方だった・・ということから・・
孟子のこの言葉は、かなり信憑性を感じます。







それはさておき

そんなことが、その当時、わかろうはずもない・・

そんな余裕があろうはずもない中村三郎は、それで已む無く

 死ぬのも恐れなかったあんなに強かった心が・・なぜ?WHY?こうも弱くなるのか?

この弱く惨めになった心・・病から来るだるさ・・不快と苦痛・・
そして死に対する不安が止まらなくなった心を
なんとか立て直すメソッドを教えてくれる人を探そうと発心し


日本( の医学者・識者、宗教家 )に助けを求めても全然駄目・・

どーにもならなかったから・・ということで

病が一時小康状態になったのも手伝ってニューソート系の1冊の本を頼りに
単身アメリカに渡ることを計画します・・


これも命懸けでしょう。

あの当時は抗結核薬( 抗生物質 )もない・・いつ死んじゃうか分からないんですから。

明治時代から昭和20年代までの間・・日本において結核は、
「 国民病・亡国病 」とまで言われるほど猛威をふるった病でして、
最近ではJOYさんとかハリセンボンの(箕輪)はるかさんが罹患することで、近年結核が増え始めた・・ということで少し認知されるようになりましたが

明治から大正の結核が猛威をふるってた頃・・天風哲人とほぼ同時代に生きた方で、哲人より4歳年上

五千円札で有名なあの樋口一葉も同じ奔馬性肺結核に罹患し発病から、わずか半年後の24歳で若くして亡くなってます。

荒城の月などを作った哲人より3歳年下の滝廉太郎も一葉と同じく24歳・・

哲人より10歳年上の歌人・石川啄木も26歳で亡くなっています。

哲人より9歳年上の正岡子規は21歳で大喀血したことで病( 肺結核 )を自覚し、35歳で亡くなるまでの14年間辛い闘病生活を余儀なくされています・・子規の場合は奔馬性肺結核ではなく、進行が遅かったようですが、「 治療には栄養が大事 」ということで大食を続け、吐き、また食べ鎮痛剤を飲む日々を送り、ときには余りの苦痛に自殺すら考えることもあったのだとか。
( 要出典 )




こういった方々同様・・中村三郎( 天風哲人 )も肺結核に罹患している時は全身のだるさ、発熱、体重減少、息切れ、血の混じった痰(たん)などが出始め、喀血することで気持ちも萎える・・毎日が死というものと向かい合わせで、日々死を自覚し不安と苦痛と闘うことを余儀なくさせられています。


そういう闘病生活を送るなかで、中村三郎( 天風哲人 )は、坐して死を待つよりは・・という・・半ばやけっぱちの決意で

軍事スパイだった体験を生かし、

ニューソート系の哲学者に教えを請うために、病が小康状態になったのを、
よい機会ととらえて国の法律を犯して密航してアメリカに渡るわけです。



しかし、藁をもつかむ気持ちで渡った先( アメリカ )で、ニューソート系の本を執筆した当の本人である
青年哲学者に会って教えてもらおうと思っても「 糠に釘 」みたいな答えで全くどうにもならない

それでアメリカ( ニューソート )に見切りをつけて


死を強く自覚し見つめる日々を送りながらヨーロッパの学者・識者を尋ね回っても駄目

とどめになったのが

当時世界一の哲学者とされてたハンス・ドリュースの

「 もし人間が心を自らの思うままにできるんだったら、
そもそも哲学も宗教も この世には生まれてはいないよ。  

あんたが求めてることは、海の魚を森に求めてるのと同じことだ・・

 心というものは絶対に人間の自由にならないものなのだ。 」

という(とどめの)一言



この言葉で魂が抜けた夢遊病者のようになって
観念し、ここまで探しても駄目・・世界一の哲学者ですらも無理というんだから、無理すじなのだろう・・
なんて俺は馬鹿な旅に出たのか・・病や不運から心を離して、それに組み敷かれずに感じたり思ったりする心を尊く強くしようなんていう発心は所詮は無駄だったのだ・・

ああ・・馬鹿だった・・もう、どうせ死ぬなら故郷の日本に帰ってお墓に入ろうとして日本に向かうための船に乗ることになります。

( さんざんやり尽くし努力しても得られるものがなかった・・というのは、本当に真剣、深刻に求め、やってきた方であればあるほど、成せなかった・・得られなかった場合の喪失感や挫折感・・・絶望感・・涙も出ないくらいの寂莫感・・というのが迫ってくるというのは私も、ほんの少し経験したことがあるので・・痛烈な痛みに似た悲しみを越えてしまって最早血の気も通ってないような一個の物体みたいな状態に落ち込んだのだと思いますが )





そうしたところ乗った船がスエズ運河にさしかかった時

イタリアの砲艦が座礁して、運河が塞がって通れなくなる・・
( 当時は運河の通れる幅が狭かったらしいです )


それで一時避難的に、その船はアレキサンドリアの港に錨を降ろすことになり・・


その処置の間に幾ばくかの暇が出来たので

同じ船で仲良くなったフィリピン人の釜たきにピラミッド見物に誘われた・・

この時の中村三郎( 天風哲人 )の当時の心境は・・

「 結核で、どうせ俺はすぐ死ぬ・・
もう、どうせ死ぬなら日本で死のうと思って船に乗って日本に帰る途中
なんか変なことになった・・どうせ日本に帰って墓に入るのに、
ピラミッド( でっかいお墓 )なんかを見たってしょうがないだろう 」
というような実に自棄的で投げやりな気持ちだったらしいですが・・

なぜか妙に気が向いたので

( ←こういう気持ちが湧き出たのも聖者に引き合わせる天の意向だったのだろうと思います )

フィリピン人の釜たきに誘われるまま

エジプトのピラミッドを見に行くために立ち寄ったカイロのホテルで大喀血し、
へろへろ・・ぐったりした時に運命的にカリアッパ聖者に会っています。

( 命懸けの発心をして死との肉薄を強く自覚した日々を送って約5年後・・
奔馬性肺結核と診断されてたので、当時の医療事情では、いつ死んでもおかしくなかったと思いますが・・
元々ずば抜けた生命力もあったのでしょう。よく体ももってくれた・・運命も待っててくれたんでしょう  )

これが35歳くらいの時です。

そこから聖者のもとで直にヨーガの行を伝授され食事を正され、果物や野菜中心にしたり
雪解け水が流れる川で難行をしたり・・ヒマラヤの第三ピークの山のふもとのゴルケ村・・そこから歩いて6〜7kmのとこにあった巨大な滝つぼの傍で瞑想したり・・瞑想の帰り際に聖者とざっくばらんに話したりした末3年近くの行で急速に心の進化・変容を体験せしめられることで悟得し


心の強さ、尊さ、清さも取り戻され・・

自身の修行の自助努力にプラスして聖者の信念と癒しの力が加わることで

元気でぴんぴんした姿を自然に脳裏に描けるようにもなり・・

「 誰がなんと言おうと俺は治る!」という強い信念を抱くに至り・・免疫力も高まったお陰か
後遺症は残ったものの・・奔馬性肺結核も奇跡的に治ってしまう。


その後12年で大きく飛躍しています。


 その絶頂期が

35+12=47歳

つまり天風哲人が47〜48歳のときである
1924年あたりでしょうか?

このときの会員の顔ぶれを見たら実に錚々たるものです。






 ですが、その後12年を経て1936年以降くらいから天風哲人本人の心の強さ、高尚さは不動ですが

個人の運勢は衰えていきます。

恐らく当時の人々の強欲的なエゴ・・天の調和から外れた( 怖れや不安、利己的強欲性等の暗愚面 )が増大していった社会風潮というのもあったのでしょう。

哲人は、そういう風潮に逆行するようなことを

自らのインスピレーションと意志と信念を曲げずに孤軍奮闘で、
国賊と罵られようが戦争に反対したから運気が衰えたのだと思われます。

当時の世論の99%が狂ったように戦線拡大に向かっていた・・1920年代に成立した排日移民法なども戦争に向かうバックボーンにあったようですが・・新聞の論調なんかも政府や軍の強硬派に迎合し権力におもねる形で偏向報道が凄くなって、すべての新聞が戦争一色になっていったらしい・・



当時の報道姿勢やジャーナリズムを責めるのも実に簡単ですが・・それより、なぜ?どうして、狂ったように、こうなっていったのか?というのを研究する方が、ひょっとしたら後学の為になるのかもしれません・・・

 あの当時、良識と大局観・・冷静な国勢分析にも優れた骨のあるジャーナリストが全くいなかったとは到底思えないので・・






ちなみに・・あの当時、ある程度の影響力のある方で時の政府及び軍部に
反対の声を挙げれたのは、若槻 禮次元総理、米内光政元総理、
岡田啓介元総理、中野正剛翁、頭山満翁など、ほんの一握り・・

あまりにも少数だったと言われています。

山本権兵衛総理および原敬翁が内大臣の時に改正できた

「 軍部大臣現役武官制 」

これが、復活しちゃって軍部の力があまりに増して力の均衡が崩れてしまったのも、やはり相当に痛かったのじゃないか・・

原敬翁が1920年代に暗殺されたのも実に痛かった・・
あの頃は、有能な政治家が凶刃にばたばた倒れていってる・・



新渡戸 稲造翁も一定の影響力はあって戦線拡大に反対なさってますが、
1933年日本が国際連盟を脱退した頃にお亡くなりになってます。


言論界における有識者とされる方とかも当時は率先して戦争に賛成する方々が多く、
宗教界も積極的に戦争を推し進めた宗派もあったり、
そういうのを好まない宗派についても、はっきり声を挙げて反対しなかった・・
( 雰囲気的に、もはや反対できない状況になっていったらしいです )

( 敗戦後は、なんでこんな馬鹿な戦争をしでかしたんだ・・俺も・・実は私も、この戦争には反対だったのだ・・そもそも、国力が違いすぎてただろう・・という声が言論界にも出てきたし宗教界を中心に驚くほど沢山あがったらしいですが・・残念ながら後の祭りでした )




そんななかで、天風哲人は、強くインスピレートされたものと・・

ご自身が実際に30歳の頃にアメリカに行って、
その豊かさや強大な工業力・・ヤンキー魂とかも・・恐らく肌で知っていた・・というのも理由のひとつだと思われますが

孤軍奮闘で戦争反対の論陣を張り

非国民と言われようが・・
官憲に目を付けられ牢屋に入れられようが

軍部にわけのわからないいちゃもんをつけられて自宅を取り壊されようが、お構いなく

「 正義の戦争ではない!それに、このまま調子に乗って
戦線を拡大し続けてったら国が危うくなる・・下手したら国としてのかたち(体)がなくなる 」



と、開戦前・・そして開戦当初から、一貫して反対し

「 自ら反みて縮くんば、千万人と雖も、吾往かん 」

を地で行った・・と申しますか・・



哲人の意に反して日本が日米開戦にも踏み切って



奇襲攻撃で日本が真珠湾攻撃で戦果をあげて浮かれてる時も

 「 これで日本は火の海になってしまう・・」と慨嘆し嘆き悲しんだのだとか

さらには

弟子や知人が出征するときは「 生きて帰れ 」と励ましたとかいう逸話も残っています。



挙げていったらキリがなくなりますが

こんなふうに大東亜( 太平洋 )戦争に反対し続けたから、

心の強さや尊さは不動でも、個人としての運気は一時期衰えたのだと思われます。

( 要出典 )





私自身が、各論では、離れたところでアプローチを変えて実践研究しつつも

バックボーンについては未だに、現実の力を大事にする天風哲学や心身統一法のコンセプトを根幹に据えて
研鑽材にしてるのは、こういったことも理由の一つになってるわけでして、

私自身も、先の戦争において、欧米が絶対の正義だとは微塵も思ってませんが・・
当時の日本の行為が正しいとも思ってはいません・・


天風哲人がガンジーの視点と同じ視点で戦争に反対したかもわかりません。
( それにガンジーの視点や施策が日本になじむかも議論の分かれどころですが )

とにかく当時の哲人のリアリズムとインスピレーション・・
リアリズム・・現実の力に根差して日本の国を守ろうとする愛
理念と信念の強さ・・・いずれも凡愚を抜きん出てまして非常に卓越してたと思うわけです。


こういうの書くと長くなるので・・先を急ぎますが・・





天風哲人は1936年から9年のそういう苦難と変節を経て


1936年+9年=1945年の敗戦の国家存亡の危機の際

戦争終結・・さらなる悲劇を食い止めた陰の立役者のおひとりとして
命懸けの決断と体を張って騒乱を鎮めることで、ひっそりと活躍後

 
1945+3年後の1947〜1948年くらいから

戦争中にB29に乗って作戦参加して不時着し捕虜にされたアメリカの飛行中尉が
半殺しの目にあうような窮地に瀕した際に天風哲人が機転を利かせて助けた奇縁※もあって

当時の日本に絶大な影響を誇っていたGHQに、記念講演を依頼される等して、また少し盛り返しています。


( ※戦時中、天風哲人が自宅を潰され疎開させられていた茨城県で、B29に搭乗して東京空襲の作戦に参加してたB29の搭乗員<アメリカの飛行中尉>が、疎開先の田んぼの脇に不時着し、それを見つけた農民たちに捕えられ、にっくきアメリカの敵を捕まえた・・と大騒ぎになっていた・・

 農民を中心に村の衆が大ぜい集まって、その中尉を寄ってたかって袋叩きにし、荒縄で縛り上げて・・それが周りにも伝わって・・ものすごい大騒ぎになってたらしいですが、すぐ近くにあるお寺や教会からも助けの手は差し伸べられない・・・人道的な観点から、助け得る人がいなかったので、天風哲人から助けられた飛行中尉は・・よっぽど感動( 感激 )したのでしょう。

 戦時中でもあったし、当時の雰囲気から、勢い( 弾み )で殺されても仕方のない状況だったのではないでしょうか?

 この飛行中尉は恐らく死を覚悟してたのかもしれません。



 なぜなら、助けられた、その中尉は戦後、従軍記者になってまでして志願して、日本に行って・・名前も知らされてない天風哲人を探しまくって、お礼をしようと行動したくらいなので・・

 あの当時の状況からすると、助けるのも命懸けで簡単ではないでしょう・・
 当時のような状況じゃなかったら、スッとやれる人もいるかもしれないけど・・


あの当時だったら、( 何も考えない無垢で無我の領域から )本心・良心を煥発させて、( 何も思惟を働かせず )こういう人道的なことやるのも相当難しいはず・・

 官憲が恐ろしくて・・・敵の捕虜を助けたら憲兵に目を付けられ、自分も難癖つけられて牢屋に入れられるかもしれない・・恐ろしい・・そんなリスクは負えない・・といった判断が働くでしょう・・理性心を働かせ思惟が働いたら・・そんな状況だったと言えるかと )





その後はロックフェラー三世から請われて何十億円ものお金を積まれようが決してアメリカに行かず

 疲弊し誇りや自信を失った日本人の魂の復興の為に力を尽くしたのは、このブログ読者の方でしたら
よくご存じのことと思います。


そういった個人の史実を俯瞰すると


心の置き方の積極化で氣の受け入れを豊富にし生命エネルギーの状態をよく保つ・・運勢や運命という点で

人との交流というのにフォーカスするなら

先ず先に挙げた5事例のうち4事例

特に( 信長、秀吉、家康 )については、「 嫁さんパワー 」は意外に侮れない・・と申しますか・・
個々の運勢にも大きく寄与してる気がします。


また12年の周期の前後3年くらいに人生の岐路になるような
大きな決断をくだすことがあり、
それがまた運気のリズムに影響を与えているような傾向を見てとることが出来ます。

 
なんらかの運気の盛衰の法則性があるように思えます。



なお

こういう分野では「 安岡陽明学 」とかが有名ですが

12年周期の運勢の盛衰というのは、
個人だけでみるのではなく、お相手( 配偶者 )や子供、父母等も考慮してトータルで運の勢いを見る・・
というのも´あり´かもしれないなと思った次第です。




ということで


やはり霊性の高い方と出会って謙虚な気持ちで交流するのが
一番生命のエネルギーの調和を促し、氣の受け入れが大きくなり、心に張りと活気をもたらし、その置きどころを尊く清く強くせしめる・・

それによって内在の発展的な気持ちを引き出し、強調するのに影響を与え
心の消極性( 妬み、恨み、憎しみ、臆病、傲慢性、横暴、色情、怠け癖 etc )
が発動しやすくなって芽吹いて・・一時的にはよくて快を味わっても結局は、大きな苦しみになり退廃化し不幸や滅する方向に向かうのを干渉させブロックし、それが強くなるのを抑える力が強い

その次が金もいらず命もいらず・・というような
強烈な師・・その次が信じてくれる配偶者( <夫婦愛>のエネルギー )・・
といったような感じの・・階層的力関係の法則があるのかもしれません。