戦国時代の三英傑で運気の12年周期の盛衰と男女愛のエネルギーを調べてみましたが

近代の英雄を調べて見ると


前々回取り上げた日本海軍の父

 山本権兵衛翁も登喜子さんと結婚して、運気がパワーアップし
 ほぼ12年周期で運気が動いてる雰囲気が漂っています。


ただし

いくら運気の流れがきても



甘いものや脂っこいものばっかり食べて
心の態度も引っ込み思案的で取り越し苦労ばかりしてたら意志の力や決断の力が衰えて
中枢(脳)神経をぼやけさせてると


好機会が来ても気づけないし断行できないので

潜在意識のクリーニングで日々を新鮮に感じるようにメンタル管理することや神経組織を活性化するのは大事かと思います。



それはさておき


山本翁のことに戻ると



山本翁は27〜28歳頃結婚し

12年後の40才に海軍省官房主事に大抜擢されています。


 さらに12年後の52歳から53歳に日露戦争で裏方として働き、
海軍大臣として東郷平八郎を連合艦隊司令長官に抜擢するなど日露戦争勝利に大きく貢献

そこから10〜12年後の62歳〜63歳のときに総理大臣に就任し内閣を指揮

 さらにそこから10〜12年後72歳〜73歳のときに二度目の総理府大臣に就任し内閣を指揮
 
後半は少しずれてますが、
運勢のリズムに、かなり周期性があるように思います。


この方も、奥さんからも、よきエネルギーを貰って心の態度が引っ込み思案的でなく、非常に強く大胆になり
悪いものがブロックされ、行き過ぎにもならず、いいものが出やすかった・・

環境によって創られたものもよく

愛し愛され心身のエネルギーの状態がよかったので

 人生の転機ともいうべき岐路に立たされたとき、
冷静で大局的判断力もあり、腹も据わっていて
国運を飛躍させる人事を行う・・あるいは衰退から免れさせるのに大きな決断が下せたものと思います。

海軍大臣の時の裏方仕事での働きもすさまじいものがあったし総理大臣としては、その任期は短かったですが、就任してたった4カ月で 、行政組織の減量( 要するに人員整理 )、効率化と財政改革を行い放漫になった国の歳出予算11%の削減を断行しています。

これは、強力なリーダーシップ・・心の強さと私欲のなさ・・身を慎む廉潔さがないとしがらみに絡みとられ、決して実現できなかったことではないでしょうか?
( 要出典 )



以上、日本の方を参考にしてやってみましたが、試みとして海外の方を参考にしてやってみます。


海外においては例えばアメリカにおける「 自動車王 」と言われている
ヘンリー・フォードなんかも結婚してから心の態度の積極化が促されパワーアップし弾けたお陰か
運気が大きく拓かれていまして結婚後の運気のリズムもそれとなく感じられます。


この方は、無類の機械好きで機械いじりが大好きでしたが学校の勉強には興味を持てず
早く仕事がしたくてたまらなくて16歳で高校を中退し、
最初は、時計を作る大きな会社を興すのを夢みて、そのスキルを磨くために、機械工場で働き始め

その後も、かけもちで働いたりして機械に対する知識とスキルを磨くために
色んな職を転々としています。

最初は大きな時計工場を興すことを目標にしていましたが
後に自動機械( 自動車 )の開発に熱意を燃やしたのは、彼が田舎の農家の息子に生まれ
自身が子供の頃から農業に携わって苦労していた。


 そのときの農作業における人馬の辛さ、労苦を骨身に感じたからだそうでして

これを少しでも軽くし楽にしてあげたかった・・というのがあったのだとか・・・


 また・・フォードが20代の頃、住んでいたところからは少し離れた町で、
その当時、とても珍しかった「 車の展示会 」と言うのがあったそうで

( ※当時の「 車 」と言うのは今のような、かっこいいものでは決してない )

 それを見学に行って目にしたことで

 自分自身で実用的な自動車を開発したい・・
という欲に火がつく原体験になった・・という記述もありました。

実際にフォードは、農作業の苦役を軽くするための蒸気発動自動車を、
ありあわせの部品で試作したこともあったようです。


そんなH・フォードは1888年 25歳の時にクララ・ジェーン・ブライアントと結婚して
3年後の1891年にエジソンの関連会社に運よく就職できて
夜勤の勤務をすることになります。

一説には、車のガソリン・エンジンを点火させるための
電気の知識を学びたくて雇用機会を狙ってたのだとか。

「 夜勤 」にしたのは昼間は自分の自動車開発の研究に時間を割きたかったので
そうした・・という記述もありました。


 この環境を手繰り寄せれたのがフォードにとって非常に大きかったと思われます。



そうして

エジソン照明会社で頭角をあらわし、たった2年で異例とも言えるチーフ・エンジニアに昇進し
この会社本部で機械部の監督を任され
給与も月45ドルから月150ドルに跳ね上がっています。

このときには、昼間の勤務になっています。

この会社で周囲からの信頼も厚くなっていったので、
ここで、そのままずっと働いてれば順調に出世し

サラリーマンとしてではありますが、
それなりに安定し悠々自適だったはずなのですが、
フォードは、決してこれでは満足しませんでした。

昼間はエジソンの会社でチーフ・エンジニアとして働き、
帰宅してからは、すぐに作業服に着替えて
夜中の2時〜3時まで金鎚(かなづち)を片手に自動車を作るために働く・・

自宅の一角を改造した作業場で徹夜することも多かったのだとか。


そういうダブルワーク状態を続けるうちに

自動車の試作とサラリーマンの二足のわらじでは、
自動車開発は覚束ないと思い始め

自身の手による自動車の製作に微かな手ごたえを感じ、事業化できると確信した頃に
妻(クララ)の了解も得て退職を決意しています。



なお


退職に際してエジソン照明会社の社長さんからは、

「 なぜこんなに高待遇で将来も嘱望されてるのに辞めるのだ!
ガソリンの車なんて需要はない!馬鹿もんが! 」と猛反対されましたが

エジソン本人には理解され

28歳から7年間働いていたエジソンの関連会社を辞め35歳の時に独立しています。

ちなみに・・もし、クララの見栄が強かったら・・夫の退職には決して賛成してないのかもしれません。

それに、クララが夫と共に困難を共有しようという勇気や冒険心がなかったら・・H・フォードも退職を躊躇してたかもしれません。

給料の良い仕事を捨て「 あなたがやりたい好きな仕事をなさってください 」と言うことは、子供を抱えてたりなんかしたら・・妻にとっても、大変な決断であったと推察されます。

やはりクララも並の女子(おなご)ではなかった・・ということでしょう。




彼の下積み時代のエピソード(のひとつ)で面白いものがあるのですが


H・フォードは、サラリーマンとして働きながら自動車開発に熱意を傾ける日々を送って
エジソンの関連会社を退職した後しばらくして、
当時、ごく一部の富裕層しか買えなかった車を購入しています。

この当時の車の金額は、まだまだ馬が主流の時代で
オーダーメイドに近い状態だったので1台4000ドルくらいでして・・
これは当時のアメリカ国民の平均年収のだいたい7〜8年分に当たる金額でした。

今の貨幣価値で換算したら、それなりに立派な一戸建ての家が買えるくらいの値段だったはずです。

なので、そんな高価なものを購入したフォードを世間( 近隣住民 )は羨ましがったそうです。



 ですが、そういった世間の評判は、しばらくして・・またもや地に落ち、
批判と嘲笑の的になってしまいます。


 なぜなら、フォード青年は、その高価な車を乗り回すわけでもなく
自宅の片隅を改造した作業場で分解し始め、また組み立てる・・
組み立てたと思ったら、また分解する・・
そうして、また組み直す・・という作業を黙々・・延々と始めたからです。




これが噂になっていき世間の人はフォードを
「 また、わけのわからないことをしはじめた・・本当に変人だ・・ 」としか見ることができない・・

 フォード自身も決して社交的でなく寡黙( 無口 )で、仕事に関する質問をされても
YESかNoでしか答えなかったそうでして・・
今でいうところのコミュ力がない・・そのせいかもしれませんが・・周りは四面楚歌状態だったようです。

※なお、コミュニケーション力があまりない・・社交的ではなかった・・ということについては
ナポレオン・ヒル氏の著書のフォード氏に関するエピソード等から類推しています。
 





なお


敢えて言うまでもないことですが・・

人それぞれ役割があり、それぞれ異なる個性を持ち
 長所・短所もさまざまで職業的志向も千差万別です。

 
 それに・・幸福感にフォーカスして、当の本人が、日々どれくらい幸福感を実感して過ごしていたかも窺い知ることも出来ません。


ですが、いつの時代でも、そうであるように、新しい時代を切り拓くような画期的なものを生み出して何かを成し遂げるまでには・・当然、リスクは付き物だし世間の無理解・・多くの困難・・つらいこと、苦しいことに直面し、乗り越えないといけない。

当時の人々は、そういったフォードの見えざる理念と信念・・
それに基づく奉仕的行動が皆目わからなかった・・ということでしょう。


夫を信じる信念と夫愛が、めちゃくちゃ強い賢明な奥さんのクララと
エジソンやバーバンク・・A・カーネギー、ジェイムズ・クーゼン等の
ごくごく一部の先見の明がある方を除いては・・


実際に農場を継いでもらいたかった父親から猛反対され
隣近所の人たちからもスポイルされてたのは・・
自伝などを調べると間違いない事実のようです。

ですがフォードの妻のクララは、とりわけ格別に、
そんなフォードを心から励まし鼓舞し、ただ口で励ますだけでなく
夫と同じ方向を向いて一緒に汗を流して苦楽を共にし夫を心底から信じ支え続けています。

以下に会社に勤めながら、仕事が終わった後に作業していた
サラリーマン時代のフォードが30歳くらいのときの自動車開発秘話もありました。


「自動車王ヘンリー・フォードの妻クララ夫人」( 自動車開発秘話 )

こういう奥方だったら確かに・・もうなにものにも替え難いですよね。




ただ・・基本的にH・フォードが自分の損得だけ考え
自分さえよければいい・・というようなタイプの人間でしたら、
そもそも独立起業もしてないはず・・・

最近のGoogleの分析結果では出資を受けた起業家が成功する確率は15%なのだとか。

当時のアメリカでしたら・・もっと低かったのではないでしょうか?

それに・・セミリタイヤして悠々自適みたいな考えでも決してない・・と申しますか・・

彼( フォード )は一般的な仕事観からは、かなり離れたインセンティブを持って

恐怖を熱意で越え

勇気と大胆さを発揮してリスクを背負って果敢に仕事をしてたことがうかがえます。



なぜならH・フォードは、順風満帆だったエジソン照明会社を退職し35歳で独立して後


資本家( 投資家 )たちの協力を得て、会社を作っていますが・・



 最初につくった会社は


 「 あんまり安くしたら、資金提供した、こっち<資本家>の実入り(儲け)が少なくなるじゃないか・・
それなりに高くして、経営している側のあなた( フォード氏 )と
こっち<資本家>の実入り(儲け)が最大化するように、
一部のお金の余裕のある人に、その虚栄心を満たすために高く売りつけておればよいのだ・・ 」

という考え方の資本( 投資 )家たちと折り合いがつかなくなり意見が激しく対立して、
それにどうしても同意できないフォードは、怒り心頭に達してしまい自分から自身で立ちあげた会社を辞めたりしてます。


そんな感じで、所謂すっからぴんを5回も経験しています。

何かを成し遂げようとしたら、当然、困難やつらいことが幾度も出てきます。

ですので、自分の損得勘定だけで仕事( 事業 )やってるような方で、こういう理不尽なことがたび重なったら・・一般的に心が弱く・・信念も理念も弱い方でしたら、そもそも再起を図って何度も立ち上がることはできなかったのではないでしょうか?



 こういう高潔な方だから、クララみたいな、こういう殊勝な嫁が、くっついて来たのかもしれませんが

フォードが心の積極性を事実として維持できたのには奥さんのパワーも相当にあったのではないかと・・

 こういうエピソードを知るにつけクララ夫人がいなかったら

フォードは、あれほどの失敗や逆境の渦中で心の積極性を保てなかったのじゃないか?

理念や動機は、どんなに立派でも・・・奥方の支えがなかったら
下手すると頭のちょっとおかしい仕事虫の変人技術屋で
常識を欠いた人間として生涯を終わっていたのじゃないかしらん・・
紙一重だったのではないか?・・としか言いようがありません。

 

クララの立場に立ってみると・・これ・・こんな夫は、ふつうだったら、ついていけてない・・

耐えられない・・のかもしれません。

現実問題・・5回も破産して、素寒貧を経験してまして・・
しかも子供まで抱えているなかで一文無しになっている・・

こういう喫緊の状況が現実に幾度もあったら・・

 よっぽど心の修養が出来てて心が尊く強く清い嫁さんで
夫を信じ愛して、夫と同じ方向を向いて

自分も汗を流し、夫がやってることを理解してなければ・・


儕輩(さいはい)の群を抜いた方の言葉が積極的なのとは対極で


 一般的には、不平不満を爆発させ



 「 なんて甲斐性のない駄目夫なんだろう・・

 ほんと何をやってもダメなんだから・・

 ・・私は、なんで、こんな夫と結婚しちゃったんだろう・・

ほんとにもう・・こんな生活もうまっぴらごめんだわ・・ 」


と不満たらたら・・心を消極化させて、口にする言葉も取り締まれず

ぶつぶつと文句や恨み事を言ってたかもしれない


クララが、心の消極性のひとつである嫉妬深い性質が強い嫁さんで
心( 言葉 )を取り締まれない方だったら

「 お隣のジョーンズさんは、もう役員になったそうよ・・

 あの方の奥さん・・ミンクのコートを着てたわ・・

 それなのに、あなたときたら・・ほんとにもう・・ 」と言われてH・フォードは落ち込んで
実用的自動車作りを断念してたかもしれない・・





 子供にも

「 お父さんみたいになっちゃいけませんよ・・ 」

とため息と軽蔑交じりに愚痴をこぼし


夫のモチベーションはダダ下がりし気分も滅入って暴飲暴食・・

ヤケ酒を飲み始め・・妻子に暴力的になる・・

( H・フォードの場合は、菜食主義で自身の体をよく取り締まり小食・・
食を慎んでたし、瞑想をたしなみ心を澄んだ状態にすることに長け廉潔だったようなので・・
さすがに、これはイメージしずらいのですが・・ )


そうなると輪をかけて子供も父親を軽蔑し始めて

子供は非行にはしり・・その言葉も汚くなって
子供部屋は荒れ放題・・足の踏み場も無くなり部屋に異臭が漂うようになる


やる気を失い勉強も全くしなくなる・・

勉強しなけりゃ出来るわけもなく学校が詰まらなくなって所謂・・登校拒否・・
非行仲間と付き合うようになる・・

そうして家族の会話も無くなり冷え切ってフォードの家庭は修羅場になってた可能性もあるのじゃないでしょうか?・・

( ※なお・・ひどい毒親で、こんなどーしよーもない毒親だったら、子供は非行に走ってもしょうがないのじゃないか・・というような家庭であっても、なぜ?WHY?謎・・というような、よくできた子供が生まれて、子供のおかげで毒が中和され離婚の危機や夫婦の・・犬も食わないようないさかい・・ど修羅場が回避され、夫婦仲が( よくできた子供のお陰で )なんとか保たれる場合もたまにある・・

 かと思えば、なんでこんな立派なご夫婦なのに、なぜ?WHY?こんな子供が生まれるのか?というようなこともあるみたいなので・・本当によくわからない・・魂の修行という観点から見ないと謎としか言えない・・一概には言えないわけですけど
 )





それに


 フォードが事業に幾度も失敗して落ち込んでるときに

「 あなたならきっと出来るわ・・」と励ますのではなく

もし、クララに思いやりがなく

口にする言葉を取り締まれず


「 あなたは、ほんと何やっても駄目ね・・あなたには結局、素質がないのよ・・ 」

と恨みがましくブツブツ、ガミガミ・・突き放すような消極的な言葉を呟いてたら

 さすがの天才フォードも心がぽきんと折れて立ち上がれたかどうか・・実にあやしいものです。

そういう苦境に陥った時に、夫の成功を夫以上に信じ支えるのは
< 一度ならず幾度も破産して一文無しという現実 >が、
重ーく、のしかかったら心の態度を積極に変容させるのは、そんなに簡単ではない気がします。




 クララが、もしそうしてたら・・夫であるフォードの天才性はブロックされ

 芽を出しつつあった新しい産業や当時としては画期的な新しい生産システムは潰れていたはずでしてアメリカの目覚ましい工業発展も・・フォーディズムを真似て、そこから弛まぬ改善を続けていった日本の現在の自動車産業の隆盛もなかったかもしれません。

もちろん、フォード式の生産システムは現代では、通用しなくなって終焉を迎えつつありますし

2016年現在のアメリカの車産業は、その後、フォードのような
高潔な哲人経営者・・そして、それを支える方々を輩出せしめる土壌を失ったせいか・・一部スラム化し
治安も乱れ荒廃が目立っています。

【スラム街】アメリカ・デトロイト潜入





 ですが・・とにもかくにもHフォードもクララがいなかったらどうなってたことやら・・あやしいものです。



H・フォードも労苦をわかちあってくれるクララの献身性は強い実感として肌身にしみて感じてたみたいで

彼女( クララ )のことを敬意と慈しみを切に込めてThe Believer( 僕の信者さん )と呼んでいたのだとか。



そうして

H・フォードをして

「 私の人生の最大・最良の日は、私がフォード夫人( クララ )と結婚した日でした 」

とまで言わしめ

フォード氏は輪廻転生を信じてたらしく

さらに駄目押しで

「 次にこの世に生まれてくるときは何になりたいか?」

と聞かれた際は

「 何でもかまわないが、ただ、妻とだけは一緒にいたい 」と答えたという逸話まで残ってます。

これだけ深く信頼されてたからクララから無条件の愛と献身を返されてたのかもしれないですね。

そうした妻の並々ならぬ協力と献身もあって、心を強められたH・フォードは
クララと1888年に結婚して約12年後の1899年にデトロイト自動車会社を創業しています。


そこからいろんな試練に遭遇しますが彼は決して諦めず、9年後の変化の年である1908年に
名参謀ジェイムズ・クーゼンらの経営手腕もあって、

あの爆発的ヒットになった伝説のT型フォードを見事に完成させ1899年から
12年で大きく飛躍しています。

( T型フォードは、扱いやすく機能的で高品質なのに850ドルという価格でして
当時(1908)としては画期的でした。

 この車は結局360ドルにまで価格を引き下げていまして、
彼の理念と願いのとおり庶民の手の届く価格にしています。
 
 T型フォードは売れに売れ、クララと結婚して
12×3=36年目の1924年には1000万台を突破することになります )





こういった史実に見られるようにH・フォードは嫁さんに愛され信頼され敬われ励まされて
エネルギー状態がよかったことも幸いし

 多くの挫折、失敗や倒産という辛酸をなめ尽くしても、心の尊さ、強さ、清さを失わず、
それをエネルギーに変え得ることが出来たとも言えるのではないでしょうか?



そんなH・フォードだからこそ


「 奉仕を主とする事業は栄え、利得を主とする事業は衰える 」


さらには


「 努力が効果をあらわすまでには時間がかかる。
多くの人はそれまでに飽き、迷い、挫折する 」

「 結果がわかっていなくても前進することだ。
やっている間に結果もでる 」


「 将来を恐れるものは失敗を恐れておのれの活動を制限する。

しかし、失敗は成長に続く唯一の機会である。

まじめな失敗は、なんら恥ではない。

失敗を恐れる心の中にこそ、恥辱は住む 」


こういった言葉が深い体験智として滲み出て語られたのかもしれません。



H・フォードの友人関係を調べてみますと

彼は上司だったエジソンだけでなく、あのルーサー・バーバンクとも非常に親しかったようです。

エジソンも小食で発明のヒントやインスピレーションを感受するために瞑想してたことは、あまりに有名ですが・・

ルーサー・バーバンクも聖者みたいな園芸家でして
H・フォードもエジソンやバーバンクに負けず劣らず

哲人経営者と言ってもいいくらい高潔で
瞑想をたしなみ瞑想で仕事の問題を解決したりすることも多く
簡素な生活をして、なおかつ自身の仕事が大好きだったことでも知られています。

フォードの若き頃( 30代〜40代 )の逸話を調べると・・

サラリーマン時代は昼間働いた後、いくらクララが洗濯しても追い付かない・・
機械油で真っ黒になった作業服に着替えて夜中の2時〜3時まで熱を入れて
「 実用的車作り 」という創作的行為に情熱を注いでますので、
ほぼ間違いなくリピドーを人々の役に立ち、楽にし
世の進軍に貢献する創造的なことに向けて熱変換し変容させてるかと思います。
じゃないとここまで精力的に働けないでしょう。


( それに・・いやいや、やらされてたのではなく、
  自分で自発的に熱意を持って取り組んでたから時間も忘れてたのでしょう )


下手すると徹夜・・そうしてまた会社に出勤っていうのを繰り返してたらしいので
私がやらないで誰がやる・・というような強い使命観に似た動機で
パッションを持って取り組んでたかと思います。





高潔で愛妻家で簡素な生活をして自分のやってる仕事に強い誇りを持ち
好きで好きでたまらなかったのも
クララから深く尊敬され信頼され、H・フォード本人以上に
夫の成功を確信する根拠になってたのかもしれないですね。




 ということで・・

やはり夫婦愛のエネルギーの交流( 言葉、態度、振る舞い )が自然にお互いの人格を創り、心を少しずつ強くする。

その一方で、これがおかしくなると陰陽の調和が崩れ心の積極性にも少なからず影響を与え運気も乱れる。



夫婦愛のエネルギーの交流が心の態度にも影響し円満な場合の仕事や生活にもたらす影響というのは
甚大なものがあるのかもしれない・・また、このよしあしが運気の盛衰に関係するかもしれない例としてHフォードをピックアップしてみました。

 何かのお役に立てば幸いです。