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2016年10月18日

山本権兵衛翁の習慣  

前回のブログ「 山本権兵衛翁に学ぶ ※不思議な運の強さ 」の記事で山本権兵衛翁の運の強さやその生涯・・さらに関わった人・・人脈を調べていったら

天風哲人ゆかりの方がどんどん出てくるのでサブテーマで少し調べてみました。







山本権兵衛翁の周辺の人脈を調べてみますと


先ず

この方のお兄さん( 吉蔵氏 )の子供さんが

山本英輔海軍大将でして天風先生の熱心なお弟子さんです。


先ほどあげた東郷平八郎翁・・
この方も、大正年間から天風先生に心酔していた方ですが


東郷翁と山本翁の実家は100mと離れてない隣人同士・・
山本翁のほうが4歳年下ですが若き頃からよきライバルで顔なじみです。

後年は、この方(東郷平八郎翁)を政争の道具みたいに扱われては困る・・
大事な方だ・・ということから、あえて、やや疎遠にしていたそうですが・・


さらには


 天風先生が、20億円以上の資金を元手に銀行の頭取をして悠々自適だったはずなのに

「 一切の社会的地位を捨てて

上野公園や日比谷公園で辻説法し始めて、湯上りのような爽快な気分に浸っていたとき

 当時の検事長の向井巌氏に見出され

向井氏から紹介され、その説法に聴き惚れて
「 この方は、大道で講演させておく人ではない 」
と思わず言ってしまったとされる原敬氏も熱心な心身統一法の実践者だったそうで・・
実は、この方も第一次山本内閣でNO2とも言える内大臣を務めており権兵衛翁と非常に縁が深い。


※ただし天風先生の場合は、講演する場所とか話す相手とかこだわりないし頓着なく・・

 上野公園とかで野外説法をしていた際は・・当時は知名度もなく聞く人も少ない・・

 たまたま道を歩いていて通りかかって興味本位に立ち止った御婆さん・・

 このたった一人の為にすら

 誠心誠意・・熱心に・・その老婆が、立ち去るまで説法をしてた。




それに、いくら資産家だったり相当に名を馳せてる方であろうとも天風先生にとっては、そんなの関心もない・・


 知名度が上がって非常に有名になって以降・・国家の要職にあるような相当に社会的地位の高い方を天風先生に紹介しても

 天風先生にとっては

「 その人が、どれくらい真理探究に燃えていて
心を尊く清く強くする自己修養・・自己統御に真剣・・熱心か? 」
という1点だけが・・どうやら最大の関心事だったみたいでして・・


 むしろ、そういう地位や財だけが誇りの自意識に凝り固まったような人の場合は・・
出直してきたほうがよいですよ・・というようなニュアンスで軽く諭され、あしらわれるケースが多かったのだとか。






それはさておき




山本翁との繋がりを調べていくと原敬氏のような総理経験者とかも講演を聞いてお弟子さんになってますが・・別にお弟子でないけれども


 斎藤実翁( 後の総理大臣 )とかも朝鮮総監時代に天風先生と知り合いになっていまして、実はこの方は山本権兵衛翁の腹心中の腹心の方で、翁が海軍大臣時代に藩閥にとらわれず抜擢した一人とされています。

斎藤実翁と天風先生


ですので、山本権兵衛翁も「 天風 」という名前くらいは知っていたのかもしれません。

 なぜなら自分の腹心中の腹心の部下である斎藤氏からも信頼され仲がよく

 志を同じくし相当に仲が良かったのに戦死した実の兄の子で甥っ子に当たる英輔氏

 さらには


 友人で志を同じくし苦楽を共にした顔なじみの東郷翁まで天風先生の講演をしげく聴講しているんですから・・当然、耳には入ってたのではないかと。





なので調べに調べまくりましたが



 山本権兵衛翁が天風先生の講義を受講した
という記録( 形跡 )や情報は一切ありませんでした。

面識はあったということだけは確認できています。
( 「 成功の実現 」の第6章に1回だけ、その名前が出てきますんで )








山本権兵衛翁を色々文献調査したら



山本権兵衛翁が、トキ( 登喜子 )さんと結婚した後のエピソードとして、

以下のことを普段心がけていたということが述べられていまして、




相当に自己統御力に卓越した方だったということがわかっています。



列挙してみます。


●お酒も煙草も一切やらない・・そういう欲を放棄し、大きなことの為に犠牲にする

 トキ( 登喜子 )さんと出会ってドイツ留学以降は、
どんちゃんさわぎの宴会があっても
お酒も飲まず、痴話話やおべっかも大嫌いで
午後9時には、「では失礼」・・とすたこらさっさと帰っていた。



一説では、山本翁の父の五百介氏がお酒が原因で病になったことから、
お酒は強いにもかかわらず、その害を痛感して、あえて飲まなかった・・・

もう一つの説は、西郷従道翁の説諭で、ふっつりやめた

他にもあって、前にも書きましたが・・ドイツ留学した際に、あるドイツ将官に
軍事において実習も大事だが学術は、もっと大事なので
断酒をして学問に精励することを忠告され、そういう欲を・・より大きな欲のために犠牲にした・・・
という逸話も残っています。

 煙草嫌いは、もともとだったのだとか。
 ( 小耳にはさんだ話では馬に乗るのも大嫌いだった )


なお

 この方は地位や名誉にあまり頓着がない方で、権力におもねることも・・どうやらあまり好きではなかったらしく


 山本翁が軍務局長時代には既に自宅から徒歩で職場( 霞が関の海軍省本部<当時> )に向かうのが日課になっていたそうなのですが・・

そのことを知っていた松方正義総理大臣( 当時 )が、山本権兵衛局長に用事を思い出したので


甥っ子さんを使いに出し


甥っ子さんは、朝早くから、当時の仕事先の海軍省の本部に向かって、てくてく歩いている山本翁を何とかつかまえて


「 私の叔父である松方総理が●×の用事があって呼んでいますので、ちょっと総理の自宅においでください!」

と要請しても

 山本翁は( 内容の軽重や緊急性を判断した上で )

 「 そのご用件でしたら職場で伺いますので、そこで改めて依頼してください・・
その旨総理にお伝えください 」と総理の直々のお使いできた甥っ子さんに言い・・


 別に特別扱いすることもせず・・構わず、職場に向かって、さっさかさっさか歩いて行った・・

 松方総理( 当時 )は、使いに出した甥っ子さんから、そういう、つれない返事をされ、簡単にあしらわれてしまった・・ということを聞いて苦笑いした・・という逸話も残っています。
 
 

●家も質素で客間が一つしかない( ←総理時代ですら、こんなありさまだったらしい )

 ふつうは、こういうふうに出世したら、たいていの人が大豪邸を建てたり酒池肉林に身を浸したりするもんですが・・こういうのにも頓着が無い・・遠く離れた生活・・

 この方は西郷隆盛翁に心酔しまくってた方なので、恐らく西郷遺訓なんかも読んでたはずで

「 命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり・・・」
ってのも心魂に刻んでたのか・・かなり近いことを心がけてたらしい雰囲気も、そこはかとなくあたりに漂ってます。

 そんな具合で始末に困る・・と申しますか・・権力におもねることも大嫌いで地位や名誉にも頓着なかったにもかかわらず・・
後に政治にも関心を持ち・・ここでも、ころころ転がるようにして出世してしまい、
晩年は総理大臣を務めることになったわけですが

総理大臣になってからも・・相応の堅固な生活は変わらず

自制の利かない生活から離れるという厳しい自己節制を己に課し

夜の晩さん会とかも翁が主催の場合は
翁の方針で午後9時以降は、しないことになってたらしく他の方が主催したものの場合で午後9時以降の晩さん会の場合は招待されても基本的に出席しない・・


宴会でもお酒を一滴も飲まず閉会したら、いそいそと帰宅する・・

 
業務も引き締まったものだったらしく業務処理が早い早い・・べらぼーに早かった。


パクパク片づけ、指示も的確

朝の散歩をすませると、午前9時きっかりに首相官邸に出て業務につく。

そして細大もらさず書類に目を通し、少しでも疑問があったら担当大臣を呼んで事細かに質問する。

大臣の方もいつ呼び出されるかわからないし、その質問が怖いくらい的を得すぎていて心臓に悪いくらい・・なので質問に答えられるように勉強もしておかなければならないので、うかうかしてられない・・

冷や冷やもので必死に勉強する・・

首相官邸が、これほど忙しい空間になったのは、官邸始まって以来
前代未聞とまで云われたのだとか。

だから、就任してたった4カ月で 行政組織の減量( 要するに人員整理 )、効率化と財政改革を行い放漫になった国の歳出予算を11%も削減することができたのでしょう。



 歳出予算11%削減というのがどれくらい凄いかと申しますと・・

平成の時代に当てはめたら・・例えば平成28年度の国の一般会計予算は
約96.7兆円ですんで、その11%といったら約10兆6千億円の放漫なところ・・だぶついたところの歳出を減らした・・という意味になります。

 基準に満たず、この人のゆえに人員整理された方はいるわけで、整理されてしまった方から見れば山本翁は裁き主なわけですけども国家(や国民)全体として考えてみたら山本翁は、すごい福男になるのかもしれません。


( 出典 シーメンス事件と山本権兵衛内閣 )



そういうのまで深堀していったらキリが無いので、おいといて・・

実際、山本翁のお陰で、藩閥関係なく取り立てられ相当に活躍できた方が多くいたみたいで

 山本翁のビジョンや人格的磁力に魅了されそれが伝染して翁にその能力を見出され開発せしめられた方の場合は・・多少仕事がきつくても構わない・・・・

 肉体的にはきつくても・・好きなこと・・得意なこと・・誇りを持てることを全力でやらせてもらえて
精神的にも充実し満たされ清々しい・・国の為に貢献させていただているという気高い感覚ももらえる・・
 そういう感じで嬉々として働く側近の方も引き寄せられるようにして集まってきて、それなりに周りにいたそうです・・
( 後に総理大臣になった斎藤実翁なんかがその代表例で、この方は、山本権兵衛翁に目をかけられ長州出身でも薩摩出身でもない・・岩手出身の方ですが全く藩閥に関係なく抜擢されています・・ )





まあ・・(文献を調べた範囲で)多数決でいったら・・

こんな方に仕え支える側近たちは、

別の意味で・・自分がそういう節制が出来ない・・いろんなしがらみを整理できない方の場合は、なんだか気が咎めて煙たくて、さぞ大変だった方も結構いたのかもしれませんけど。




  総じて、煙たく感じる方のほうが多かった・・とも聞いてます・・

 周りもある意味ではすごかったと思います。

 こういう人をトップに据え得る社会的な雰囲気があったというだけでもビックリ・・凄いことです。




とりあえず・・こういった・・修行中のお坊様みたいな山本翁の習慣が幸いして

翁が大臣のとき・・1907頃、渡英したところ、

当時のイギリスの海軍のトップにいたく気に入られ

( なぜなら、イギリスのフィッシャー海軍卿という
当時イギリス海軍の父と言われてた方も、お酒も飲まず煙草も吸わず謹厳・・

夜は9時くらいに「 では失礼 」と・・さっさと帰る習慣で、キングの命でもなければ決して出席しない・・それについていけない・・しがらみに絡みとられて、生活の整理が出来ず、しまりのない側近からは煙たがられていたらしく )

それが原因なのか・・よくわかりませんが

 二人で意気投合しまくって異例ともいえる長時間にわたる親密な懇談になり

イギリスとの同盟が深く堅固になったらしい・・というウソみたいな実話も残っています。




さらに


●身持ち堅固で浮いた話が一切ない


山本翁と登喜子さんが夫婦仲がよかったというのも間違いないようです。
この人( 山本翁 )関連の資料を読み漁りましたが

そのなかに子供さんらの証言も入っていて
「 夫婦で争いをしているのを見たことがなかった・・」
と口をそろえて証言しています。

●一汁一菜のつつましい食事・・

夜は比較的早く夜10時前には寝て朝は4時半に起き朝の散歩は毎日欠かさない

家では、家の掃除が日課( 総理大臣になっても退役しても変わらず )

 




こういった規律正しい生活を心がけていたようです。






こういうエピソードを知るにつけ・・・

 統御方法や念願実現のノウハウ・・運を開く実際法を研究してる私にとっては不都合・・と申しますか・・・
いろんな複雑な思いが錯綜するわけですが

山本翁は生涯の伴侶となった超福女の美しいトキさんに意外な形で出会い結婚し

モンツ艦長の薫陶を受けて順調に出世し海軍官房主事〜軍務局長〜海軍大臣〜総理大臣というキャリアを経る中で




世俗の誘惑の引力も強くかつ多くなって・・

ドロドロしたものにまみれ誘惑される空間や場面がさらに多くなって

転落の落とし穴も巧妙で多くなっていったと思うんですよ。





いくら美妻をいただいて誓ったからとて
つい気持ちが緩んで、何かの拍子にお酒に溺れたり誘惑に負け転落する方だって多い・・と思うのです。

ですが、そういう誘惑をはねのけて


以下のつつましい習慣

 ↓ ↓ ↓

●青年(30代くらい)の頃から、宴会でもお酒は飲まない・・煙草も一切やらない・・
夜9時以降の宴会は出ない・・

●浮いた話が一切なし・・よき家庭人

●一汁一菜のつつましい食事

相撲や芝居が多少好きで趣味は読書

早朝の散歩と掃除が日課





これを慎ましく貫いて、厳しく自己を訓練し、私心を超えて国の為に尽くし大きな進化向上を確実に果たしているのですから・・








それに天風先生の講演を万一聞いていたとしても・・

どんなに早くても晩年(60代後半以降)となります・・

なので、そういうノウハウを知らなくても、こういった慎ましい習慣を30代くらいから貫いていたことになるわけです。




人里離れたところで晴耕雨読的生活のできる方でも案外難しい

俗世のしがらみを断って修行するお坊さまでも案外難しく心が折れて挫折したり、戒めを破ってしまうこともある・・一般市民もしないような破廉恥なことをしてニュースになる・・そういうのは今も昔も変わらない・・現代でもありますよね。


それなのに・・これだけの国家の要職にあって、様々な誘惑の多い方が、先にあげたことを生活の中で誠実に貫いて、放漫になったり贅奢に陥ったりせず心の落ち着きを保って生活を律することがどれほど厳しく大変なことか・・・




それでいて、いざ仕事となると
押しても引いても動かない強靭な意志の強さ・・覇気
よいと思ったことはどこまでも貫く押しの強さ・・金剛のごとき信念


さらに


的確で誠意のこもった仕事ぶり
公平、公正な人事、適材適所の配置
( 閻魔帳と言われるくらい
部下の仕事ぶりや性格、日頃の素行・・付き合い・・
家族構成まで把握して、当人の本来の力が発揮されやすい適材配置に心を砕いた )

 周囲が震えあがる・・虎みたいな覇気を放つこともあったらしい
( この方の前に立つと、普段の状態でも燦々と輝く灼熱の太陽の前にある思いがした・・と回想してる方もいます )



かと思えば


強面ながら

ニコニコすることも多く
腹も出来ていて部下に大きく任せて成果を上げたら部下を褒め励まし持ち上げ


失敗したら後の責任は自分できっちり取る・・



 意志の力が煥発しビジョンを強く持ち信念が金剛石のように固まり

これだけの、よき習慣を統御し日課にし続け


積極的な生活態度を貫いて

私心を離れて国の為に誠心誠意尽くし続けたのですから

裏返せば、そういう習慣を保てたから、余計なことにうろちょろ心が分散せず
そういう爆発的パワーが生まれた・・





いろいろ考察するに・・


 激動の時代をたくましく生き抜くプロセスで

モンテ艦長・・西郷隆盛、従道翁等のよき師

特に良き妻で福女に変貌した登喜子さんの底抜けの感謝と恩と愛のエネルギーを滔々と捧げられ・・

自身も誠実な愛を注いでお互いに情愛を交換し合うことで自然にそういった覇気や英氣・・よき習慣を会得し福男になっていった・・




お互いがよき交流をすることで周りも巻き込まれてミックスアップしていったのかもしれない・・

心身統一道( 心身統一法 )を知らなくたって立派に運を切り拓いて

知って実践してる方以上に、心を統御し習慣統御してる事実があるわけで

いろんなルートがある・・と言えなくもないなと思った次第です。



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navikan at 00:47│Comments(0)TrackBack(0)

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