以前にもブログやメルマガ等で書きましたが、再度リライトしつつ書いてみます。

読者の方から



 ( そうするのはよくないと )思っていても

悲しみにくれ、うち沈みそこから抜けられず、うつうつとし・・立ち上がれなくなったり、怒りにまかせて怒りまくり・・怒りに身をまかせ、後であんなことするんじゃなかった・・と内心で後悔したり・・
気持ちを上ずらせて恐れなくてもいいことに恐れてビクビクしたり
上機嫌になったかと思えば、何かなしのことがあるとすぐに不機嫌になったり
劣等感に苛まれたり
ああもこうもと気を揉み煩悶したり
取り越し苦労したくもないのに夜も眠れなくなるくらいああもこうもと苦労を抱え込んで消耗し・・憔悴する・・

 このようなことは、そんなのは人間なら当たり前で、誰でもそうなのではないですか!?



 それが人間の性(さが)で「 出来る 」と思って意識してやってみても

 そんなの出来ないから悩みが増していくのではないですか?








 というような詰問にも似た感想をいただいたことがありました。(;^_^




 確かに「 諦める 」というのも方法かもしれません。(;^_^

 いくら意識してやっても体系的に取り組まなければ無理でしょう。

 実際、わかっちゃいるけどやめられない・・周りを見てもみんなそう・・・

 自分を騙しながら、愚痴をブツブツこぼし悲哀を抱えて生きていくのが、この世の大多数の人々のならわしなのだから、無駄な足掻きは止めて・・世間の顔色をビクビク伺いながら、根なし草のように、ずるずる流されるままに生きる・・というのもありでしょう。

 しかし、もし、それ( 思うためのお仕事をしている心に使われるのではなく、感じ方を司るところを鍛えつつ意志の力を煥発させて心をツールとして使うこと )が出来たらチョー〔超〕嬉しくないですか?

前頭前野を基盤として見えざるところから煥発してくる( 意志の力が活性化することで )

 事柄に心が動揺させられ引きずられ難くなるだけでなく
 プラナの受け容れが豊富になって暑さ寒さ、痛いとかいった肉体感覚にみだりに振り回されるのではなく、そういった「 感じ方 」をある程度訓練的に制御する力が培われ・・

さらには眉間の上部の内側の脳部位( 前頭前野 )を出力アンテナとして意志の力が滞りなく出易くなって、そういう動揺を身体操作とともに下腹にすっと鎮めることと連動させることで消極感情がたとえ湧いても、その波が小さい時点でピタリピタリと止めて積極方面への切り替えがスッスッと出来易くなるなら、

 そのほうが日々を恬淡かつ大らかに生きれて

( メンタルヘルス上においても )喜ばしい!ということだけは確かですよね。(;^_^





心身統一法は決して机上の空論ではありません。
リアリスティックな方法です。
How to Doを説いていて尊く清く強く積極的に感じ思えなくなる原因も明確にし、
「 対処( 克服 )法 」もしっかりしています。



人間なら誰だって、本心では感謝に溢れて、元氣と勇氣と思いやりを持って誠実に・・
明るく朗らかに力強く生きがいのある人生を生きたい( Aの生き方・あり方・思い方 )
と思っているはずです。

  だけれども
  なぜか人は恐れたり、憎んだり、恨んだり、そねんだり不平不満で心を充満させたり
  すーーぐに氣落ちしたり、むやみやたらに怒ったり、悲嘆にくれたり、皮肉ったり、絶望したり、自暴自棄になったりする・・

その挙句に、自律神経の働きを衰えさせ健康を損ねたり、自ら墓穴を掘って運命をも損ねてしまう( Zの生き方・あり方・思い方 )

古今東西の聖賢たちは、

明るく朗らかにしなさい!

仁義礼智忠信考悌

己の欲せざるところ人に施すこと勿れ!

愛と思いやりを持って身近な隣人に接しなさい!

清く正しく生きなさい!

互いに愛し合いなさい!

不放逸によりて精進せよ!


いつも喜んでいなさい!etc


と叫んで教え諭すこと( How to say )は出来ましたが

 どうして?Why?Zのように思いたくもないのに、そう思ってしまい、心に使われてしまうのか?という原因や
 では?どうしたら( How to Do )( Zの生き方やあり方、思い方 )からAのように消極感情が湧いてもピタリピタリとこれを止めることが出来て・・しっかり心を取り締まって積極的な方面の立派な思い方や考え方にし向けていけるのか?
 そして、その延長として生きがいある長閑で滔々とした豊かな人生に暮らすことが出来るのか?という実際方法を体系的に解き明かしてはくれませんでした。

 私なんかも、世間はどう思うか?世間からどう見られるか?とかいったことに、いちいち振り回されるのではなく、天に恥じない生き方をしたいと思い、そういった思い方、心境に近付こう、こういったことをやれば、ちょっとは心が強く尊くなるんじゃないかと思って聖書やら仏典やら含めてどーーーれくらい真剣かつ真面目に読んだかわからない・・
実は・・・ちっとばかし恥ずかしいのですが・・10代後半くらいから、日本の歴史上、時の為政者( 支配階級 )から煙たがれ、あれだけ手酷く無残な迫害をされ、幾度も禁教扱いされてきたにも関わらず・・ぶっ潰されるどころか、現代では日本の文化にも深く浸透しているキリスト教やキリストの教えを説いた経典である聖書そのものにも興味を持ち・・
聖書っていうのは旧約・新約を併せて、2000ページ以上あり66巻( 旧約39巻 新約27巻 )からなっていますけど・・これを仕事の合間や余暇等を利用し、とおしで100回じゃ足りないくらい読んで研究とかもしています・・
( 実際1回読むのだって大変なわけで・・仏典も似たようなものですが・・ )
 決して、えーわえーわのいい加減な気持ちではなく・・真っ向勝負でいっくら真剣に読んで取り組んでみても、確かに立派な事が書かれていますが生活事実としては、どーにもこーにも思ったような心持ちになれず・・・・・
 必死に読めば、そのときだけは瞬間的に、いろんな聖典やら仏典に書かれている名文句や美文、美辞麗句に感じ入り、それなりに感激はするけれども・・

 ・・いったん我に帰ると・・届きそうもない・・・何やら雲を掴むようなもどかしーーい感覚になり・・・

 実際のリアルな自分の生活やら心内は、いくら上辺を取り繕っていても・・そういった美辞麗句や名文とは、はるかにかけ離れたもので・・熾烈な心内バトル・・と申しますか・・地の底をはいずり回るようなドロドロと申しますか・・何か事があると、むっちゃくっちゃ・・ぐっちゃらぐっちゃら支離滅裂・・と申しますか・・・浅ましい・・と言いますか・・ほんとにもう・・呆れるって感じだったわけです。


 

 で、つまるところ・・

   ↓ ↓ ↓


 天に恥じない生き方を志し心を尊いものにしようと殊勝な動機で始めたにもかかわらず・・ そういった類のものを真面目に読めば読むほど届きそうもない自分に悶え苦しんで、そのことで自らを責めたり、聞き知った聖句でもって他の人(の言動)を口には出さずとも・・あの人はどーだこーだと裁いたりなんかして・・で・・そうやって内心で裁きまくる自分を・・いや・・人を裁いちゃいけない・・聖句には、ほら人を裁いちゃいけない・・と書いてあるよ・・それなのに何を裁いてるの・・と、またそれで心の声が囁き、なんて浅ましい哀れな人間なのだ・・と自分で自分を責める・・
 色んな聖典の聖句が心(理性)の声になって、あっちを立てればこっちが立たず・・とばかりにお互いにいたちごっこ的な主張をし、観念の世界の中で宙に浮いたようになってせめぎ合う・・心は支離滅裂・・という他人から見たら実に滑稽な事ですが、当の本人にとっては実に熾烈な内的葛藤の苦しみのループにはまったりなんかし・・悶えや自責の念が強くなって心が弱くなるばかり・・他人の目にはどう映ったかはわかりません・・傍からは気楽そうに見えていたかもしれませんが、当の本人にとってはもう切羽詰まっていて本当に神経衰弱一歩手前・・

※人として最も大事なことを疎かにして枝葉末節に囚われていたのだ・・ということが、心身統一法を実践することで後にこういったことも整理することが出来るようになっていったのですが、当時はわかりようもありません。


 実際、毎日が、夢遊病者のごとく宙にふわふわ浮いたようになって観念の世界をさまよい、足取りもよたよたし・・気持ちも沈みまくって、
いつも喜んでいなさい・・どころの騒ぎじゃありません・・
 まるでお葬式に行くような・・肩をしょんぼりすぼめて、くらーーーい心持ちに陥っちゃいまして・・知的にもごっちゃらごっちゃら混乱し、今から振り返ってみたら、確実に出来る事に集中せず、出来もしないようなことを書いているのを読んで節操も無くゴチャゴチャ詰め込み過ぎて消化不良に陥り、心が尊く強く清くなるどころか・・かえって心が腹下しを起こし重苦しくなり感応性能も弱−−−くなって過敏性に拍車をかけたのじゃないか・・と反省する気持ちになる・・という恥ずかしく、かつ苦い経験を持っています。

( 宗教は歴史的に愛や徳を育むという役割も果たしてきた反面、理想とするところが違っていき、同一人物が開祖の宗教を信じているはずなのに宗派分裂し骨肉の争いの原因になり憎しみを産んだり・・
 覇権争い、政治の世界なんかの勢力争いの道具にされ、国によっては宗教戦争にまで拡大する・・ということまで起きてしまう・・という非常にデリケートなところがあるものですが、
 このページで私は「 開祖らの生きざま・・そしてその本来の精神 」や「 教えの尊さ自体 」を否定してるわけではないので・・いや、むしろ尊敬しているくらいです。  これは私の個人的な体験ですし・・感じ方を司るところが立て直され鍛えられて、そういったものに対する深い咀嚼力があり統御力がついているなら、こういったものも次の段階として、取り組むのもよいのかもしれません )




※心を弱めることにならない効果的な読み方というものがある・・確実に出来る事に集中する・・ということも今ではわかっていますが・・一般的に、殊勝な動機で取り組んだとしても、そうすることが、かえって心をひどく弱めることにもなりかねない・・と思っています。 
 ちなみに、今も研究がてら時々聖書を速読する( ←現在は速読が出来るようになっているので読むのも速いです )ことがありますが、今は読んでも、あれもできてない・・これもできてない・・というように心を悩まし弱まらせる感覚を覚えることも無ければ・・当時は、読むたびに感じていた聖句に責められるような感じを覚えて出来てない自分に暗くなり読むのが心苦しくなっていく・・というような感覚に襲われることもありません。 


時に比喩で語られた難解な聖句にはたと考え込むケースはありますが・・





 ですので、心を統御する実際方法とご縁がない方の場合は、いくら志しても出来ないのだから、さっさと諦めて、世間からどう見られるか( どう思われるか?)をひたすら気にし、世間様に恥ずかしくないように・・恥ずかしくないように・・と世間というよくわからないものの目や評判をびくびく気にしたり、良心は警告しても、みんながやってるから・・というのを言い訳にし悪習に振り回され我儘勝手な自我に良心を押さえつけられ、本能心と理性心のせめぎ合いを果てしなく続けて・・・
「 世間さま 」の顔色をビクビク伺いながら、軸も無く、世間さま教に縛られながらふらふら生活していく・・というのも心身統一法を知って生活に取り入れなかったらアリだと思います。
 

 それに・・


 心をツールとして使いこなす力のある意志の力の煥発の実際方法なんていうのは、西洋哲学の影響もあって有知識者階級の方々の間なんかでも「 意志というのは心の一部、心の属性 」という常識が、未だにまかりとおっていますので、そういった集合無意識的な観念とかも素直に受け入れて実行するのを邪魔することになって、

真剣に実践した方だけが日々の生活の中で感じられる以下の感想

  ↓ ↓ ↓

あっ!これだこれ・・本当だ・・天風先生がおっしゃっていることは本当だわい!!


感情のコントロールとかも生かす力を豊富にし意志の力を活性化させ腹を練る体系的な方法を施せば意外に楽に出来るんだ・・びっくり!!




こういった感想を抱く機会を、なおさら難しくしているのではないか?と思います。





とにもかくにも



そういった西洋哲学由来の常識をいったん脇に置いて

その気さえあれば誰でも出来る簡単で具体的な方法として天風という方が16年の求道と探求の歳月の末、インスピレーションを与えられることで解明できた「 感じるところを鍛える感応性能の立て直し&意志の力の煥発法 」を真剣に実践していくと

感じせしめる感応性能の働きが力強くなって心をツールとして使いこなす力が少しずつ、少しずつ培われてきて

これまでとは違い

怒りや悶え、怖れの感情が湧いても意志の力が働いてピタリピタリと止めることが出来たり

 スーーッと消える・・という体験とかも増えていく・・





そういったことを実際に出来るほうが、ごく自然なことで出来ないほうが不自然になってくるのではないかなぁ?

と、実習を積み重ねて実際に体験した自分自身( の体験では )そこはかとなく、そう思います。
 
 

PS

 傍からは気楽そうに見えても、その実のところは心内で事あるごとに勃発する壮絶なバトル・・と申しますか・・

 弱音ばっかり吐き、じゃじゃ馬で我儘で甘ったれなのに力だけはやたらと強い(不要残留)本能心と論理を司る理性心との際限のない闘いを止められず、苦しんでいたような状態から、そういうのを兆しの時点でパッパッと止めさせたり
 取り越し苦労や煩悶等の消極感情が湧いてきて際限のない無限ループに入りそうになったときに
ピタリピタリと止めて、積極的方面にサッと振り向ける意志の力の煥発方法については
 ずぇったいに外してはいけないコツが3つありますが、この方法の骨髄のところは、この記事で述べるのは避ける事にします。
  「 成功の実現 」及び「 心に成功の炎を 」に、誰でも実行出来るシンプルな方法として、そのエッセンスが語られていますので、図書館で借りる等して、強い問いを心に抱いてご自身で探してみることをお奨めします。
 もったいぶって情報をさっさと教えないのは不親切だ!けしからん!!とお思いになる方もいらっしゃるかもしれませんが、少しは苦労するほうが心に染み込みやすいし、長い目で見たらそのほうが成果が出ますから。