読者の方からのご質問  自我意識と真我の違い他1件 




サイトを実践なさった方からいただいたご質問のなかで公開してもよいと判断したものを抜粋して掲載します。
いただいたご質問?( ご要望 )は非常に長いものなので、それを要約すると、だいたい以下のような内容になります。




( ここから ) 



 サイト等で書かれていることを幾つかピックアップして実践したり

 お奨めの本を枕元に置いてしんみり読んだりすることで



紆余曲折はありましたが



以前の荒んだ生活や心境からすると信じられないくらいの変貌がありました。





新しいことに挑戦しようという意欲や向上心も出てきました。



神経をピリピリさせることなく

ストレス負けしなくなって

毎日を楽しく穏やか朗らかに過ごす時間が増えているという生活実感があります。



ただ



「 成功の実現 」「 心に成功の炎を 」「 研心抄 」等で、天風先生が説かれている「 真我 」については、あれこれ考えてもよくわからないし、自我意識と真我の違いもよくわからず混乱しています。



いろんな本やらを読んでも、いろんなサイトを見ても、いろんな情報を仕入れれば仕入れるほど、

それぞれの方がそれぞれの立場で、それぞれ違ったことを主張していて混乱( 迷い )の度が増しています。





 どういうふうに整理したらよいでしょうか?



( 緊急ではないけれども )困っています。





( ここまで )





というようなご質問?ご要望?があって、以下のようにお答えしました。



( お答えした内容を簡単に要約すると )



 毎日を楽しく心穏やかに過ごせているのなら

 眉間に皺( しわ )を寄せて



自我意識と真我の違いがどうとか、ごちゃごちゃ考えないほうがよいのではないでしょうか?(;^_^



心でも無い、肉体でも無い「 真我 」というものは

言葉で考えてどうこうするものでもないですし、批判的なお仕事しかできない理性心でどうこうできるものではないですので・・・。



 今までどおり、参考になった本やご自身との相性もよかった方法を淡々と実践されたらよいのではないかと思います。


ただ・・



これだとあまりに不親切ですので(;^_^



「 自我意識と真我の違い 」を腑に落ちさせるのによい方法のひとつを強いて挙げるならば



安定打坐法を身心を打ち込んで丹念に実行し、無になりきる特殊な訓練をこつこつ積み上げるとよいかと思います。



( ※ふだんから心が虚ろになりやすく、あらぬ空想に心が彷徨いやすい、、、そういう性向があって瞑想をするのがあまり好ましくないような方でも、軽いクンバハカ体勢にして安定打坐の実習を行う方法は無難で安全な方法かと思います )



また



天風哲人が語っていることは

疑わしく思う気持ちがあり過ぎて、心がなかなか定まらない状態であったとしても



恐怖念を冷徹な眼で詳しく分析してみると



その多くは

( 鍛錬すべき対象で、自己表現したり、使命〔 Mission 〕遂行の生命用具に過ぎない )〔 思考器官の作業場としての脳神経系、心と体をつなぐ神経系統を含む 〕骨と肉の塊である肉体や磨ける鏡のごとく研ぎ上げる必要のある思考器官の心を自分だと勘違いし( 錯覚する )ところが温床となって生じている場合が多いみたいですので

( 「 般若心経 」とかで言うなら「 夢想の転倒した心〔 転倒夢想 〕 」に陥っている状態 )




天風哲人が「 想定 」していることを認めて信念したほうが、



 勃々とした勇気も出やすくなるし、お得だよ・・と自ら(’の心)に言い聞かせるのも

「 あり 」かと思います。







それ( 自我意識と真我の違い )以外にも



読者の方から



 ( そうするのはよくないと )思っていても

悲しみにくれたり、怒りに身をまかせたり

恐れてビクビクしたり

上機嫌になったかと思えば、何かなしのことがあるとすぐに不機嫌になったり

劣等感に苛まれたり

 煩悶したり

取り越し苦労して夜も眠れなくなるくらい消耗する・・



 このようなことは、そんなのは人間なら自然で当たり前で、誰でもそうなのではないですか!?



 それが人間の性で「 出来る 」と思ってやっても

 そんなの出来ないから悩みが増すのではないですか?

 出来ないのが当たり前なのだから諦めるほうがよいのではないですか?



 というような詰問にも似た感想もありました。(;^_^



 確かに「 諦める 」というのも方法かもしれませんね。(;^_^



 ただ



 もし、それ( 心のコントロール )が出来て、



 事柄に心が引き摺られ難くなって

 心気転換がすぐにスッと出来るなら、

 そのほうが日々を恬淡と楽に生きれて

( メンタルヘルス上においても )「 お得 」ということだけは確かですよね。(;^_^





心身統一法という自力の方法の実習を積み重ねると

出来るほうが、ごく自然なことで、出来ないほうが不自然になってくるのではないかなぁ?

と、実習を積み重ねて実際に体験した自分自身( の体験では )そこはかとなく、そう思うのですけど。(;^_^









ところで





 

 劣等感の克服ということと心のコントロールというのはちょっとニュアンスが違うかと思います。



 根深い劣等感の克服というのは、なにくそ!という闘志力に転換し

  努力を積み重ねて劣等感を抱くに至った体験( 出来事 )を上回る、それ以上のプラスの体験( 出来事 )を( 努力をコツコツ積み重ねて )経験することで上塗りするか



さもなくば





もっと本質的には、瞑想等で絶対的な領域にアクセスして比較を絶した何かを掴む必要がある気がします。



( そういう点では、天風哲人の心身統一法の守備範囲よりも高く精妙な領域を扱っている

   「 あるヨギの自叙伝 」の著者のパラマハンサ・ヨガナンダジの瞑想法なんかは、心の調和を乱し歪ませている根深いコンプレックスを拭い去る( 溶け去らせる )のに有効だと確信していますが、人はそれぞれ、いろんな背景を背負っているし・・これも人それぞれかとも思います(;^_^ )





( 関連記事 )


安定打坐と客観視  「 議論も千万の理屈も高度な思索も空しい 」