パラダイム・チェンジの瞬間 ※縁を生かす ( 「 7つの習慣 」 )





ウィキペディアによるとパラダイム・シフトというのは

「 一個人の物の見方が変わることは指さない 」ということらしいのですが

事情を知ることで認識が瞬間で変わってしまった事例を2つほど掲載してみます。





1つ目は



メルマガでも時々取り上げている名著「 7つの習慣 」の逸話の中から

コヴィー博士ご自身の実際体験のなかでの瞬間のパラダイム・シフト

( パラダイム・チェンジ)を紹介します。



( 電車内で7つの習慣の著者のコヴィー博士が事実として体験したパラダイム・チェンジ )



電車の車両内の乗客はまばらで、皆、おとなしく座っていた。



ある人は新聞を読み、またある人は、目を閉じて物思いにふけり、

車内は穏やかで平和な空気が漂っていた。



そこに、ひとりの男性が子供たちを連れて車両に乗り込んできた。



子供たちは車両に乗り込むや否や、大声で騒ぎまくった。



その子供たちのために、平穏で静かな電車( 車両 )内の空気は一瞬で破られ

車両内は騒々しい場所に変貌した。

しかし、騒いでいる子供たちの父親は子供たちが騒ぐ様子に全く関心を示さず


子供たちの迷惑千万な行動を怒るわけでなく、ただじっと目をつぶっていた。

子供たちは興奮している様子で

大声を出したり、ものを投げ散らかしたりして、いっこうに、おとなしくなりそうにない。

それなのに

父親らしい男性は、何もしようともせず、目を閉じたままだった。



私は、この情況に次第に苛立ち、その男性の無責任な態度に平静を保てなくなっていった。



周りの乗客も同じようにいらだっている様子がわかる。



非難の目を皆がその男性に浴びせかけているようだった。



私はとうとう我慢できなくなって



その男性に向かって



「 あなたのお子さんたちが騒いでいて他の乗客の迷惑になっているようです。



なんとか、できませんか?」と忠告してみた。



その男性は目を開けると、まるで初めて子供たちや周囲の乗客の様子に気がついたようで



その男性は



「 ああ、ああ、そうですね。 ( 子供たちを )大人しくさせないと、、、



実は、たった今、病院から出てきたところなんです。



少し前に妻が、あの子たちの母親が亡くなったものですから・・・・。

いったいどうすればよいのか。 あの子たちも、ひどく動転して取り乱しているようで、、、」



その瞬間の私の気持ちが想像できるだろうか。



私のパラダイムは、一瞬にして変わってしまった。



突然、今の状況を全く違う目で見ることができた。



全く違って見えたから、全く違って考えることができ、全く違って感じ、

そして全く違って行動できた。



今までの苛立ちは一瞬にして消滅した。

自分の行動やイライラした気持ちを無理に抑え込む必要もなくなった。





私の心には、その男性の痛みが、胸いっぱいに広がった。





「 奥さんが、お亡くなりになったのですか。

そうでしたか・・・。 私に何かできることはありませんか? 」





一瞬にして私の全てが変わった。



( ここまで )



※ うろ覚えの記憶を頼りに執筆していますので細かい描写は本来のものとは

違っているかもしれませんので、ご了承ください。







2つ目は





鈴木秀子さんという方が、先生を為さっていて



その実際体験のなかでの瞬間のパラダイム・シフト( パラダイム・チェンジ)を紹介します。





小さな人生論(3)「致知」の言葉 ( 藤尾 秀昭 著 致知出版社 )から引用



http://www.sinkan.jp/radio/popup.html?radio=10538



http://www.sinkan.jp/special/chichi/3.html



( ここから )



「 縁を生かす 」





その先生が五年生の担任になった時、一人、服装が不潔でだらしなく、

どうしても好きになれない少年がいた。

中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。



ある時、少年の一年生からの記録が目に止まった。

「 朗らかで、友達が好きで、人にも親切。勉強もよくでき、将来が楽しみ 」とある。

間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。





二年生になると、



「 母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する 」

と書かれていた。



三年生では



「 母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りする 」





三年生の後半の記録には



「 母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる 」とあり、



四年生になると



「 父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう 」



先生の胸に激しい痛みが走った。





ダメと決めつけていた子が突然、深い悲しみを生き抜いている生身の人間として

自分の前に立ち現れてきたのだ。



先生にとって目を開かれた瞬間であった。



放課後、先生は少年に声をかけた。



「 先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?

分からないところは教えてあげるから 」

少年は初めて笑顔を見せた。

それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。



授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。

少年は自信を持ち始めていた。



クリスマスの午後だった。

少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。



あとで開けてみると、香水の瓶だった。亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。

先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。



雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。

「 ああ、お母さんの匂い!

きょうはすてきなクリスマスだ 」



六年生では先生は少年の担任ではなくなった。 卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。



「 先生は僕のお母さんのようです。そして、いままで出会った中で一番すばらしい先生でした 」



それから六年。またカードが届いた。



「 明日は高校の卒業式です。僕は五年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。

おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます 」。



十年を経て、またカードがきた。



そこには先生と出会えたことへの感謝と父親に叩かれた体験があるから

患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。



「 僕はよく五年生の時の先生を思い出します。

あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます。

大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、五年生の時に担当してくださった先生です 」



そして一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。



「 母の席に座ってください 」



と一行、書き添えられていた。



月刊誌『致知』連載にご登場の鈴木秀子さんに教わった話である。

たった一年間の担任の先生との縁。

その縁に少年は無限の光を見出し、それを拠り所として、それからの人生を生きた。

ここにこの少年の素晴らしさがある。

人は誰でも無数の縁の中に生きている。

無数の縁に育まれ、人はその人生を開花させていく。

大事なのは、与えられた縁をどう生かすかである。



( ここまで )





こういうエピソードを読んだりすると、、

縁を生かすというのは大事だな、、というのを感じます。



天風先生( 中村三郎 )なんかも





( 無茶苦茶な人生 )を歩んでいたのが

奔馬性肺結核という病がきっかけで、神経過敏になって

( 行き詰まり )( 窮する )ことで、



これまでの生き方を見直すことを余儀なくされています。





( 行き詰まり )( 窮する )ことで



発心し







カリアッパ大師に出合い、拾い上げられ



その瞬間の縁を大切にし生かすことで

あれほどの立派な方になったようにも思います。







上述の鈴木秀子さんの逸話の



 先生を( カリアッパ大師 )



 表面上は、不潔でだらしない生徒を( 中村三郎  )と置き換えても面白いかもしれません。





 カリアッパ師クラスの聖者になると



  



人の未来が観えていたのかもしれない、、とふと思ったりすることがあります。





 もしかしたら





カリアッパ師は





  カイロのホテルで中村三郎に逢った瞬間に



 ある意味、はしにも棒にもかからないような人間だった



ヤ●ザも、ビビりまくる狂犬みたいな人間だった中村三郎のなかに、、





この狂犬みたいな人物が、いったん更生すれば

人々を善導する方向で強い指導力を発揮することや



100万人とも言われている多くの人によき影響を与えて

苦悩から解放せしめるという大きな働きをすること等



未来の立派な中村天風の姿が

( 中村三郎のなかに )内伏して輝いているのを大枠で見抜いていたのかもしれません。



ちなみに



 私( 岡崎 )にとっては、



たった1冊の本が(「 縁を生かす 」)という大事な役割を果たしてくれたように思います。