「 生命の実相 」、「 成功の実現 」、「 あるヨギの自叙伝 」の微妙なバランス



September 06, 2009

「 生命の実相 」、「 成功の実現 」、「 あるヨギの自叙伝 」の微妙なバランス



メルマガ( ブログ )読者の方から





以前、岡崎さんは、「 成功の実現 」他述書は



1000冊の自己啓発指南書やらが


束になってかかっても敵( かな )わない・・とおっしゃいましたが

なぜ「 生命の実相 」について共感、好意的レビューをしているのですか?


というご質問が( 読者の方から )ありました。





なぜ私が「 生命の實相 」も読んだほうがいいと思うか?


について天風先生の言葉を引用しながらチラと書いてみようと思います。



( 以下引用 )



◆運命をひらくために




現実の力で解決する



多く言うまでもなく、人生はどこまで言っても現実の世界なんだから、これを忘れちゃいけないんだよ。


死んでから後が人生じゃないんだから。死んでから後のことまで考えようとするのは宗教なんだ。

天風哲学は死んだ後のことなんか考えやしないもん。


死んだ後というものは明日以後のことなんだもんね。


現在ただ今生きてるこの人生というものを考えていくということが私の主義であり、主張であるんだから。



生きていることは現実なんだ。


どんな人間でも今現在、自分自身で死んでいるとは思いやしないだろ。


生きている、息してる、血がかよってる、ものを言ってる、糞しょんべんだれる、恋をする、何じゃかんじゃ、みんな現実なんだ。


現実はどこまで行っても、現実の力以外のものでは解決できないんだよ。





べつに私は宗教をけなすわけじゃないんだけれども、ただ、見えない、わけのわからないものにお頼みして、おすがりして、それを現実だと思っている人は、観念のなかに、ある錯誤があるんです。


どこまで行っても、つねりゃ痛い、ひっかきゃ痒い、切りゃ赤い血が出るこの生命を生かしている刹那、刹那は、宇宙真理という現実のもので解決していかなきゃいけないのであります。




 ( 以上引用終わり )





もちろん、そのとおりなのでして、実際・・「 成功の実現 」


「 心に成功の炎を 」等の述書は

易やら占い・・修養書・・自己啓発書

狐付きみたいなことを書いて人を恐怖に陥れる類の宗教書


1000冊が一丸となって一緒になってワーーーーーッと攻めて来ても

一騎当千というかバッサリ一刀両断にしてしまう書じゃないかな・・というのは・・今でもそう思っています。




( なぜなら )




数多( あまた )の聖賢、先達たちは

 宗教やら哲学・・思想を通して、あるべき姿、行くべき道(光)を


明確に照らし指し示してくれてまして

その業績と貢献には頭が下がるというか

敬虔な気持ちにさせ見習うべき模範的生活内容を示してくれています。





 ですが



 一方では


 そういった聖賢たちは高い山の上から吠える( How to Say )だけで




 断絶・・絶縁がある・・と言いますか



一庶民には、( 具体的に )どうやったらいいのか( How to Do )・・全くわからない・・
地図もコンパスもない・・と言うこともできるのではないでしょうか?











それに


私なんかも、こういった哲学的問題やら、宗教上の雑多なことについて高校生〜大学生の頃から興味があって

 
( 別に神学博士とか哲学博士の学位とかは持ってないですけど )



熱心に求めましたし研究もしました。



※気取った学識やら理知を誇って、それを膨らまし、ひけらかして満足させるために学んだのではないですから念のため



 

 で




 知ることで、かえって精神的重荷を加算させたことも事実でして



こういった( 観念一点張りの哲学や宗教は )


他の方はどうかは知りませんが





( 天風哲学 )以外の観念一点張りの哲学書やら


倫理・道徳書、宗教書とかは



深刻に探求すればするほど懐疑やらが増え・・苦しみ、かえって、いよいよ


解決不能の雑多な課題やらが増えて・・迷う・・というような塩梅( あんばい )になり・・真剣であればあるほど・・かえって課題だけが残されてしまい・・精神的な消化不良を起こすというような場合もあるのじゃないか?と思うんです。



・・もちろん天風哲人の思想よりも、より高邁な思想やら高い境涯があることも否定しません。



ただし





この天風哲人の方法は、( 雲を掴むような方法では決してなく )その内容を実地に試して自らの体験で確かめることの出来ることばかりであり

これらが、キッチリ入っていればより崇い内容にもなじみやすく、そういったものを正しく峻別できて、より深く理解し生活化できるように思いますけど。



 誰だって、心を持っている・・だけど・・万物の霊長の証とも言うような・・その心をどうやったら( 我の生命要具として )きちんと( 立派に )取り扱うことが出来るのか?


これが出来ないから困っている人が多いし、何に困っているかもわからず右往左往・・右顧左眄・・七転八倒・・




苦悶というか苦労している方も多い
のですから。






・・心のコントロールが思うとおりに出来れば哲学も宗教もこの世に存在しない・・とすらおっしゃる方もいます。


それをおっしゃったのは、えーーーかげんな方ではなく



こういう問題を深く深く探求した権威とされていた哲学者のハンス・ドリュース博士




 当時、ヨーロッパ随一どころか世界一の大哲学者とされていた方です。



ドリュース博士は( この世界一とされている哲学者なら、思ったり考えたり感じたりする心のコントロール法を教えてくれるのではないか?と思い面会した中村三郎青年〔  天風哲人 〕に対して )

 「 もしも人間が人間の心のコントロールを思うとおりにできれば、哲学も宗教もこの世には生まれはしない。
 
 人間を考えるのにもっと楽に考えれるなら、宗教も哲学もいりはしない。 




 それを、お前が氣がつかないで、どこかへ行ったら何か教えてくれる人がいるだろうなどと歩いていることは、海の魚を森のなかで捕まえようとするのと同じだ!




 心というものは絶対に人間の自由にならないものだ!」と断言したのだそうです。



 ( これを聴いて中村青年は、心底から・・絶望した・・と述懐しています )



 
 ですので、このことは


 裏返せば

 
人間が人間の心のコントロールを思うとおりにできる( 具体的で実践的な方法 )
っていうのを・・解( と )いて明らかにしちゃったら

ほとんどの宗教やら哲学は必要なくなってしまう・・と言い換えることもできます。

 しかも・・これは、こういうことを生半可ではない・・真剣に研究していた・・当時、世界最高峰の哲学者とされていた方が言い放った言葉です。




( 述書ルートで天風哲学、あるいは心身統一法を知った方は、私から言わせると・・なあんて、いい星の元に生まれた方なんだろう・・って・・

うらやましいったらありゃしません )



 
 



お恥ずかしい実体験ですが


 私の場合、( 出会い方がよくなくて )探求が仇になって、かえって、( 後年 )理想と現実のギャップに、もがき苦しんだり



 さらに悲しいことには

宙に浮いたようになって、観念論の罠というか



支離滅裂・・混沌となって・・統御力も失い、現実対処力すら失われた


 思い出したくもない
悔いの残る、忸怩(じくじ)とした苦い体験もありましたし
( 今から思うと本当にあれは私だったのか?っていうくらい )

( 実際 )陰気くさーーーくなって・・骸骨みたいに、やせ衰え、頬骨がこけて

わけがわからなくなったこともありましたので。 (^_^;)




ですので



現実はどこまで行っても、現実の力以外のものでは解決できないんだ・・というのは


ソノトーーーーーーーーーーーリでして、ぐうの音も出ません。





 それに



死んだ後のことなんか考えるな・・







孔子さまも、「 未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん 」 ともおっしゃっている




今を精一杯生ききればいい・・っていうのもよくわかる


ここまでは、まさに、ぐうの音も出ないくらい全肯定です。




天風哲人の方法による心のコントロール法威力も涙が出るくらい肌でわかっています。







 ですけど



ですが・・ここからは私の事実観察に基づく意見( 見解 )ですけど





死後存続の生命( 個性 )存在の是非について言及しない・・ということは・・




人間は肉体は、どーーーーーんなに( やせ我慢したって )



どーーーーんなに高〜い地位や名誉やら栄耀栄華を極めたって




 どーーーんなに理論理屈をこねくり回したって





  ( 肉体は )自然法則( 物質法則 )で、やがて朽ち果て土に帰る






  どんなにあがいても



( 「 お葬式 」というのは、人間なら、必ず誰もが経験する 






  ということは・・まぎれもない事実でして



  観察すれば誰でもそう洞察されます。



小学生でも高学年くらいになったらわかる・・



別に、1万倍の顕微鏡で観察しなくても


フェルマーの最終定理を証明するような類まれな数学的力やらがなくても


シュレディンガーの波動方程式とか解けなきゃわからないものではない



鋭い洞察力がないとわからないものでもない



 高尚な宗教書やら深遠な哲学書を引っ張り出して





ねじりハチマキして・・1000回も読まなくたっても






 誰でも、それ( 「 お葬式 」というのは、人間なら、必ず誰もが体験する )っつうのは( まぎれもない真実・・事実だ )とわかるのではないでしょうか? 





そうなると






今を精一杯生ききればいいんよ・・って言ったって



そーーーんなことを言ったって・・・天風先生・・そりゃあ・・気休めっすよ・・というか自然( しぜーーーん )に空虚な気持ちになっちまいますので。






少なくとも私( 岡崎 )は・・そう思ってしまう。



現実の力以外のものでは解決できないっていうのはそのとおりですけど



 どーーーんなに理論理屈をこねくり回したって( 現実として )



現実問題
 

  ( 肉体は )自然法則( 物質法則 )で、やがて朽ち果て土に帰るのは事実だから。





 じゃあ・・あんたは、「 生命の實相 」を全て容認しているのか?というと( 決して )そうではありません。




 私は、「 生命の実相 」とかの関係者でもないし





天風会にも所属してませんので気兼ねせず、率直にズケズケと書きますけど







 生命の実相と天風哲学



 上記でも書きましたように




  そういうことを、決して盲信するのではなく・・あれこれ考察する資料があるから( まず最初に読む本として )知っておいてもいいのじゃないかな?と思うからブログにも書いた・・っていうことです。




※特に 生命の実相 携帯版9巻やら10巻は、●ーラの泉

とかいう番組とか・・あるいは、妙な番組・・どっかのタレントが書いた本とか・・恐怖を煽ったりとか・・興味本位とか・・下手なことを書いているそれ系の専門本何十冊より、遥か彼方・・月とスッポン以上くらいの圧倒的な差で・・公平、冷徹・・恣意性を極力排除して文献とかもしっかり選んで、こういった・・本当は大事なことなのに避けられがちな・・難しい問題にガツンと検討を加えています。


ま〜た・・だまそうとしてるんじゃな〜い?とか思った・・そこのあなた(^_^;)






( 冷静に考えてみ・・これを、あなたに紹介して私になんのメリットがあるんよ馬鹿にされて変テコで異常な人間だと思われるリスクのほうが


遥かに多いのですから_| ̄|○ )



それに

  


 そういうことを知る・・・踏まえることとは、また別に

この書は、お道具の心の質を高めるのによいと言いますか・・( 尊く清く力強いリズミカルな文章・・魂を高揚させる人を深く安心させる韻やら言葉が神業〔 かみわざ 〕的に精製濃縮されている )ということ

 また



 「 生命の実相 」で説かれているような( 心の上位領域からの力の呼び覚まし )ルートもあるんじゃないのかな?・・ということです。


  「 生命の実相 」は





肉( 常に遷り変わる信頼の置けない物質・・肉体・・そして現象 )を切らせてパッと( いったん )否定して


骨( 迷妄、執着 )を絶つことで




 栄枯盛衰の現象の奥の本源實在( 生命の實相 )に視点をフォーカスさせることで
推理や考察を超えた直覚領域の視野を啓いて・・統御力というより高揚的、大覚突沸拡大力で現象を超克する力を啓く手法というか・・ルートですので


( 言葉で表現すると陳腐というか・・困難というか  )


 ただ



 


 拡張解釈し過ぎますと・・


( 私は、「 生命の実相 」とかの関係者じゃないので率直に書きますけど )


( 錬身の重要性 )が希薄、疎かになって・・肉体制御による心の調律のルート・・が・・おざなりになり・・疎かにしがちになります。





過大なストレス、負のショック・衝動の波を肉体操作により安定した部位で受けな、流すことをせず



 心で受け続けると・・そのダメージが自覚されないうちに・・・少しずつ累積して・・



 自覚したときには・・二進も三進( にっちもさっち )もいかなくなる・・というようなこともあるかもしれない・・私みたいに_| ̄|○


まあ、私の場合、神経ズタボロ、病や虚弱で悲惨・・よりも
精神的な内的苦悶のほうが遥か彼方に辛かったですけど(^_^;)





 
それに、「 生命の實相 」を、どんどん拡張解釈して極論していくと



物質本来無し・・というのも量子論から物質をどんどん還元していけば、そのとおりというのも理解はできますけど・・。





( 生命の實相的な言語表現で肉体を表現するなら )


 なぜ?私たちは、無碍自在の生命波動の投影凝縮した精神素材的エネルギーの顕れである( 仮想の )・・濃厚で粗雑な肉体をつけて生活しているのか?


 というのがボヤケテしまいがちになるのじゃないかな?と思います。




 それに



 心にも肉体にも働きかけることが可能な




 尊厳な意志の力で心身に働きかけ制御することで心を調律、洗練したり



 




 理想を意志し心を要具として立派に統御しつつ、理想に向けて艱難に立ち向かい( 悩みつつも )焦らず弛まず粘り強く努力を重ねたり


消極的な行為で人を非難し憎悪し傷つけたり誤ってしまったことを謝罪し和解して・・心で和解するだけでなく積極的行為でやり直すことで、消極的な心も修復され均( なら )されていく




 ( 身体を使った )愛他的行為やらで得られる恬淡とした喜びを栄養にして心やら感性も、どんどん成長するし磨かれる


 ときには、挫折したり、挫けたっても・・不屈の意志で、( 涙を拭いて )また立ち上って奮闘する


   そういういぶし銀の尊い体験を通じても繊細な感受性( 感応性能 )も磨かれていく・・



 また






 嫌でも何でも・・らしい行為を焦らず弛まず続けていたら・・

心がそれについてくる場合がある




「 生命の実相 」を拡張解釈していくと



 そういう( 肉体の重要性 )やら( 肉身をくっつけた生活の重要性 )


( 一定の行為を反復する時間〔 期間 〕の重要性 )が希薄



うすーーーーくなるのじゃないかな?



 

  そこは( 「 生命の実相 」において )

     注意をしたほうがいいのじゃないかな?と私は思っていますし、生命の実相で説いている・・( 本来相 )が、( 心身統一法を併用することで )現象生命に実際生活として顕現するのが早まるのではないか?とも思います。



 ※精神方面に興味のない方は、肉体が重要なのは当たり前じゃないか?と思うかもしれませんが・・


( あくまで、主観的意見です。一方で、この本を読んで事実として、実際に・・このルートで病が癒えたりしている〔 今後、もっと、こういう方面の研究をしたほうがよいと思われる 〕素晴らしい事実を否定しているわけではないですので念のため・・研究して欲しいから書いている・・ということです )





  で




 「 生命の実相 」を出してしまいますと・・



「 成功の実現 」、「 心に成功の炎を 」との不協和音が出てきます。

( 敏感な方はおわかりになるのじゃないかな?と思うのですが )


 それを大らかに包容して調律する書のひとつが



 インドの聖者が執筆した



「  あるヨギの自叙伝 」です。




以下でも、力不足なりにレビューしました。



「 あるヨギの自叙伝 」( パラマハンサ・ヨガナンダ著 森北出版 )のこと




じゃあ・・( 理由があって伏せていた )これを絶賛しているから



 「 あるヨギの自叙伝 」だけでいいのかと言うとそうではありません。



 この書も( 私のなかでは )名著のひとつなのですが・・・・感動はしても・・( 一市民、ユーザー目線で冷徹に見ると  )あまりに高すぎ・・の感は否定できません。




 それに、この書は



 天風哲人が定義している心身統一法よりも



より高度、精妙、デリケートな領域を担当していて









 心身精錬が出来て、心の上位の領域が相当に洗練され・・清廉な生活土台がある方じゃないと



実際問題・・ついていけそうもない・・と感じることもあるのじゃないか?と思います。



 これをご覧のあなたは違うかもしれませんけど。


 また



   たいていは心やら体・・惰性的習慣( 悪習 )の下敷きになっている・・

   本来は、心や体を取り扱う主宰権能のある・・見えざる本体の我のことや





   想念( 想い )を選ぶことのできる意志の発祥点についての言及

 

 さらには





具体的に・・




 心身を( 我 )の召使い・・従僕として統御し得る



   ( 惰性的習慣やら、あれこれに・・封じられ、埋もれてしまって下敷きになった )最高権能の意志の力をどう煥発するのか?



そうして最高権能の意志の力を強めつつ

 どのように心( 想念 )や体を忠実な家来というか忠僕に積極的方向に馴らしていくのか?
 



 あるいは 






  欲望のうち、邪念、妄念の整理と操縦法

  



  心身統御法についての具体的な言及が


「 あるヨギの自叙伝 」には全く方法が述べられてなかったから・・です。






ですが、「 成功の実現 」「 心に成功の炎を 」等の述書で扱っていない領域


ここを「 生命の實相 」が埋めてくれて
  

「 生命の實相 」がバッサリ切り捨てた領域( 錬身やらのルートのこと )


 これを、「 成功の実現 」「 心に成功の炎を 」が徹底的に深めているのですが



 この二つを合せると・・なんとも言えない不協和音が生じる部分がある・・ように感じられる

 で・・この不協和音を調律する書として「 あるヨギの自叙伝 」という本があって均せるのじゃないかな?と・・思いました。


 これも価値観を共有するのがなかなか困難な書かな・・とも思いますし、このブログ読者 の方のなかにはお読みになっている方もあるかもしれませんが、( 初めて、その存在を知った )という方で、均衡の取れた霊性満足の生活やら自己統御にご関心のある方・・あるいは、何となく・・このままでいいのかな・・という行き詰まりを感じている方はお読みになってもいいのではないでしょうか?


PS



 世俗的成功とかが無性にツマラナイ・・なんだか馬鹿馬鹿しく思えてしまう・・弊害もありますので・・ご注意ください。




「 あるヨギの自叙伝 」( パラマハンサ・ヨガナンダ著 森北出版 )のこと







PS ちなみに、私がメインで解明できたのは「 期間の壁 」「 習慣化ということ 」・・少しずつ( 無理のない方法で )軌道を修正していくこと・・

   ある意味、これだけですので・・悪しからず。

 


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