メルマガ( ブログ )読者の方から





以前、岡崎さんは、「 成功の実現 」他述書は



1000冊の自己啓発指南書やらが


束になってかかっても敵( かな )わない・・とおっしゃいましたが

なぜ「 生命の実相 」について共感、好意的レビューをしているのですか?


というご質問が( 読者の方から )ありました。





なぜ私が「 生命の實相 」さらには「 あるヨギの自叙伝 」も読んで研究し吟味したほうがよいと思うか?


について天風先生の言葉を引用しながら比較しつつチラと書いてみようと思います。



( 以下引用 )



◆運命をひらくために




現実の力で解決する



多く言うまでもなく、人生はどこまで言っても現実の世界なんだから、これを忘れちゃいけないんだよ。


死んでから後が人生じゃないんだから。死んでから後のことまで考えようとするのは宗教なんだ。

天風哲学は死んだ後のことなんか考えやしないもん。


死んだ後というものは明日以後のことなんだもんね。


現在ただ今生きてるこの人生というものを考えていくということが私の主義であり、主張であるんだから。



生きていることは現実なんだ。


どんな人間でも今現在、自分自身で死んでいるとは思いやしないだろ。


生きている、息してる、血がかよってる、ものを言ってる、糞しょんべんだれる、恋をする、何じゃかんじゃ、みんな現実なんだ。


現実はどこまで行っても、現実の力以外のものでは解決できないんだよ。




べつに私は宗教をけなすわけじゃないんだけれども、ただ、見えない、わけのわからないものにお頼みして、おすがりして、それを現実だと思っている人は、観念のなかに、ある錯誤があるんです。


どこまで行っても、つねりゃ痛い、ひっかきゃ痒い、切りゃ赤い血が出るこの生命を生かしている刹那、刹那は、宇宙真理という現実のもので解決していかなきゃいけないのであります。




 ( 以上引用終わり )





もちろん、そのとおりなのでして、実際・・「 成功の実現 」


「 心に成功の炎を 」等の述書は

易やら占い・・修養書・・自己啓発書

狐付きみたいなことを書いて、やんわり不安にさせて縛り付けたりこの教義を信じなければあなたは不幸に見舞われる、、みたいなやわらかい恐れの観念を( 非常に巧みに )アンカーに仕込んで( セルフ・コントロールする力を高め、より主体的にさせるのではなく )特定の団体の利益誘導のために信者を縛り付けるのに利用したり・・

肉体の目は見えていても、( 本当の意味では )形而上の視野が拓けていない・・かつ、相互を( 系統化する力のない )方が書いた精神世界関係の書等も含めて


1000冊が一丸となって一緒になってワーーーーーッと攻めて来ても

一騎当千というかバッサリ一刀両断にしてしまう書じゃないかな・・というのは・・今でもそう思っています。




( なぜなら )




数多( あまた )の聖賢、先達たちは

 宗教やら哲学・・思想を通して、あるべき姿、行くべき道(光)を


照らし指し示してくれてまして

その業績と貢献には頭が下がるというか

敬虔な気持ちにさせ見習うべき模範的生活内容を示してくれています。





 ですが



 一方では


 そういった聖賢たちは高い山の上から
吠える( How to Say )だけで




 断絶・・絶縁がある・・と言いますか



凡俗凡庸な一般庶民には、( 具体的に )どうやったらよいのか
( How to Do )・・

 どこから着手したらよいのか全く( さっぱり )わからない・・
・・それに・・峰に昇るための地図もコンパスもない・・と言うこともできるのではないでしょうか?











それに


私なんかも、こういった哲学的問題やら、宗教上の雑多なことについても素朴な疑問やら興味があって高校生〜大学生の頃から

熱心に求めましたし研究もしました。



※気取った学識やら理知を誇って、それを膨らまし、ひけらかして満足させるために学んだのではないですから念のため



 

 で・・ですね。



 実は・・



 何をかくそう


 理知的に知ることで、かえって精神的重荷を加算、累積させたことも事実でして



こういった科学や合理性、、体・・体験で確かめる術( すべ )を欠いた( 観念一点張りの倫理道徳書や難解な哲学やふわふわした精神世界の部類のものは )


他の方はどうかは知りませんが





精神至上主義的( 観念 )一点張りの哲学書やら


宗教書、神学書のなかでも




独断的で現実を無視して、特定の教義に固執し、その考え方を押し付けるような類のものを大量に読んでも



えーー加減ならまだしも・・真面目というか・・深刻に探求すればするほど( 雑多な )懐疑やらが益々増え・・


説の正しさを体験で確認、評価する実際的なノウハウも提示されないので、混乱するのが関の山・・だったりなんかします。



( 宗教書、哲学書 )だけでなく



倫理、道徳書なんかを、むやみやたら、、滅茶苦茶に読んでも


フロイトやらが定義しているような超自我的な道徳の先生みたいな心の

理性心やら・・良心には警告やら忠告は出来ても

力だけはやたらとある・・じゃじゃ馬・・暴れ馬の本能心( イド )を統御する力が( 超自我的な道徳の先生みたいな心の理性心やら・・良心にはないので )


 意外に侮れない不要残留性本能心の特質を知って、うまくかわし、なだめて統御するのに


いくら道徳的理知を増やしたとしても

意志の力の出力を徐々に高めて体系的に攻略して、肉体を取り締まる力を高めていかなければ


 内心の忠告が増えるだけで


( 心身統一法 )を実践しなかったら・・


 感覚の奴隷の温床の本能心の整理も出来ず

 本来は、統御する権能のある力のひとつである( 思慮の圏外 )から出てくる、、意志の力も( 潜在意識領のクリーニングをせず奥座敷を未浄化のままにしていると )出にくくなって


支離滅裂になって、苦しみ、かえって、いよいよ


解決不能の雑多な課題やらが増えて・・迷う・・というような塩梅( あんばい )になり・・



真剣で熱心であればあるほど・・


 かえって課題や疑念だけが残されてしまい・・精神的( 内的 )な消化不良を起こすというような場合もある( かえって葛藤に苦しむことになる場合がある )のじゃないか?と思うんです。( 実体験上 )









・・もちろん天風哲人の思想よりも、より高邁な思想やら高い境涯があることも否定しません。


ただし





 この天風哲人の方法は、すべて実地に試して自らの体験で確かめることの出来る・・

しかも理にかなっていて、実行し易いことばかり
です。

 



それに・・これらが、キッチリ入っていれば・・より崇高で純度の高い内容にもなじみ接続されやすく、そういったものを正しく峻別できて・・より深く理解し生活化できるのではないか?という直覚があります。



 誰だって、心を持っている・・






 だけど・・万物の霊長の証とも言うような・・その心を


 どうやったら( 吾の生命要具として )

 きちんと( 立派に )取り扱うことが出来て、その可能率を促進させることが具体化されるのだろうか?


これが出来ないから、のたうち回って苦しんでいる人が多いし

心身を取り締まれないから何に困って苦しんでいるかもわからないで右往左往していると言うか、、意味なく苦労している方も多いのですから。






・・心のコントロールが思うとおりに出来れば哲学も宗教もこの世に存在しないよ・・とすらおっしゃる方もいます。


それをおっしゃったのは、えーーーかげんな方ではなく



こういう問題を深く深く探求した権威とされていた哲学者のハンス・ドリュース博士




 当時、ヨーロッパ随一どころか世界一の大哲学者とされていた方のようです。



 このドリュース博士という方は、中村三郎( 天風哲人の本名 )が心の問題を解決しようとして

 国法を犯して教えを請おうとした方のお一人で
  この世界一とされている哲学者なら、思ったり考えたり感じたりする心のコントロール法を教えてくれるのではないだろうか?心のことで言い知れない苦悶をしている・・苦悩の解決の糸口があるのではないか?と期待を抱いて、

天風哲人( 中村三郎青年 )が真理を真剣に求めて求道していたとき、最後の頼みの綱!と思って勢い込んで面会し、教えを請おうとした御方ですが


 当時、世界一の哲学者と目されていたドリュース博士は、中村三郎青年( 天風哲人 )に対して 

 「 もしも人間が人間の心のコントロールを思うとおりにできれば、哲学も宗教もこの世には生まれはしない。
 
 人間を考えるのに、もっと楽に考えれるなら、宗教も哲学もいりはしないよ。 




 それを、お前が氣がつかないで、どこかへ行ったら何か教えてくれる人がいるだろうなどと、ほっつき歩いていることは、海の魚を森のなかで捕まえようとするのと同じだよ!




 心というものは絶対に人間の自由にならないものだ!」と断言( ダメダシ )したのだそうです。



 ( これを聴いて中村青年は、心底から・・打ちのめされて絶望した・・と述懐しています )



 
 ですので、このことは


 裏返せば

心の問題というのは誰もが直面させられていることで何でもないようなときはよいにしても、健康上のことや運命上の事柄で、いざ・・という事柄があったときは本当に支離滅裂になるケースが多く誰もが、心の統御には問題を抱えているから・・こりゃあ困ったぞ・・ということで


必要は発明の母ということで


宗教やら哲学やらが生まれている・・とも言えるかもしれません。

そういう意味では


( 〔 天風解説本ではなく〕述書ルートで遮蔽なく歪みなく・・天風という方が直接語った内容として純粋保全された・・まさに宝の地図・・の原版の心身統一法を知った方は、私から言わせると・・なあーんて、よい星の元に生まれた方なんだろう・・って・・

うらやましいったらありゃしません ※まあ・・いくら秘密の宝の在り処( 地図 )を知っても実践( 掘る努力 )をしなければ・・絵に描いた餅ですけど )


お恥ずかしい実体験ですが


 私の場合、( 出会い方がよくなくて )探求が仇になって、かえって、( 後年 )空想的な理想と現実のギャップに、もがき苦しんだり



 さらに悲しいことには

宙に浮いたようになって、極端な( 足元のおぼつかない空想的 )道徳的観念論( 精神至上主義 )の罠というか



支離滅裂・・混沌となって・・統御力も失い、現実対処力すら失われた


 思い出したくもない
悔いの残る、忸怩(じくじ)とした苦い体験もありましたし
( 今から思うと本当にあれは私だったのか?っていうくらい )

( 実際 )陰気くさーーーくなって・・骸骨みたいに、やせ衰え、頬骨がこけてかなり悲惨な状態になったこともありましたので。 (^_^;)
 




ですので



現実はどこまで行っても、現実の、、リアルな力以外のものでは解決できないんだ・・というのは


そのとーーーーーーーーーーーりでして、ぐうの音も出ません。





 それに



死んだ後のことなんか考えるな・・







孔子さまも、「 未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん 」 ともおっしゃっている




今を精一杯生ききればよい・・っていうのも( 深い意味として )よくわかる


ここまでは、まさに、ぐうの音も出ないくらい全肯定です。




天風哲人の方法による心( 身 )のコントロール法威力も涙が出るくらい骨でわかっています。







 ですけど



ですが・・



ここからは私の事実観察に基づく意見( 見解 )ですけど





死後存続の生命( 個性 )存在について言及しない・・っていうことは・・




人間は肉体は、どーーーーーんなに( やせ我慢したって )



どーーーーんなに高〜い地位や名誉やらを獲得して栄耀栄華を極めたって




 どーーーんなに理論理屈をこねくり回して気取ってみても



旧約聖書のヨブ記・・じゃありませんが


  ( 肉体は )自然法則( 物質法則 )で、やがて朽ち果てて、お土に還元される( 土に帰る )






  どーーーーーーんなにあがきまくって血みどろの努力をしても



とーーーーてつもない権力と財力で不老不死の仙薬を家来たちに必死に探させた秦の始皇帝なんかも


結局、埋葬されて、お土に還元されちゃっているという( 史実が厳然としてある )んだから、しょーがないよね・・って感じがする。







( 「 お葬式( ご臨終 ) 」というのは、人間なら、必ず誰もが体験する 






  ということは・・まぎれもない不可避の事実でして



  ちょいと世間を見渡して観察すれば誰でもそう洞察されます。



小学生でも高学年くらいになったらわかる・・



別に、観察試料の前処理を何時間もしなければ見ることのできない1万倍の電子顕微鏡で観察しなくても


フェルマーの最終定理を証明するような類まれな数学的力やらがなくても


シュレディンガーの波動方程式とか解けなきゃわからないものではない


ゲーデルの不完全性定理の定理や集合論を正確に数学的に理解しなきゃいけないわけでもない






鋭い洞察力がないとわからないものでもない



 高尚な宗教書やら形而上のことを説いた深遠な哲学書を引っ張り出して





むおーーーーっ!と

 ねじりハチマキして・・1000回も読まなくたっても




 誰でも、それ( 「 お葬式( ご臨終 ) 」というのは、人間なら、必ず誰もが体験する )っつうのは( まぎれもない真実・・事実だ )とわかるのではないでしょうか? 




 ※スティーブン・R・コヴィー博士の執筆した 「 7つの習慣 」の
奥底の価値観を明確化し炙り出すためのワーク( 注1 )をしようがしまいが・・。








そうなると






今を精一杯生ききればいいんよ・・って言ったって



そーーーんなことを言ったって・・・天風先生・・そりゃあ・・先生・・


( 天風先生は尊敬してますど・・ )気休めっすよ・・というか・・



どんなに外面的、世間的に成功をして権力を手にし名誉を高め

 豊臣秀吉のようにお百姓さまから出世して太閤にまでなって栄耀栄華・・贅沢の限りを極め尽しても・・「 お葬式 」というのは、肉体感覚を持っている人間なら、必ず誰もが体験し




 
どーーーーーーーーーーーーーーーーんなに努力しても、( やがて土に帰る )っつう自明の理( 自然の摂理 )をポイッと眼前に突きつけられたら



( 死後存続の個性生命の実在について、詳述した何らかの考察資料があって、何らかの〔 観 〕を確立させてから )

( 1日1日を懇切丁寧に・・切実、誠実に生きるためにも )


今を精一杯生ききればよいんですよ・・と優しく諭されるなら、まだよいですが






 そういう〔 観 〕もなく

 
いくら尊敬する天風先生に



今を精一杯生ききればいいんよ・・って言われたって





 自然( しぜーーーん )に





なーーんか空虚というか空し〜〜〜い、、しょぼーーんとした気持ちになっちまいますので。







少なくとも私( 岡崎 )は・・そう思ってしまう。



死んだ後のことなんぞ考えるな・・現実の生命力以外のものでは解決できないっていうのはそのとおりですが






 どーーーんなに理論理屈をこねくり回したって( 現実として )



現実問題
 

  ( 肉体は )自然法則( 物質法則 )で、亡骸になって、、やがて朽ち果て土に帰るのはリアルな観察事実だから。




もちろん



現在、只今生きている時点で


おいらは、肉体が朽ち果てお陀仏になったらどうなるのかな?、、と
あーーれやこーーーれや


ああでもねぇ、、こうでもねぇ、、と想像することで描き出され得られる「 死 」は、

そもそも論として

 生理的肉体感覚にも、少なからず影響を受けている心が、あれこれ想像し描き出し提示してくれる視点での「 死 」であるという以上、

 そんなことはいっくら想像を豊かにして経験しようと試みても自ずから限界があるし、論理的に無理があります。


 


 
 いっくら、へ理屈をこねくり回しても

 「 肉体が朽ち果て、脳神経系をはじめとした肉体の生理器官、、知覚神経が機能しなくなって呼吸も停止し、心肺機能も停止し、お医者さまに瞳孔の確認をされて生物学的に死んだにおいて、肝心要( かんじんかなめ )の( 死んだ後 )( お陀仏・・ご臨終になった後 )を体験するはずの( わたし )が
一体全体どういう知覚状態になっているのか?

 これについては、
   心が想像し、あれこれ描き出して空想的に提示してくれはします。


ニアデス体験の研究とかもされているようですが、これも上述の理由で論理的にも限界がありますよね。







 その体験をした方の見た映像自体が条件不備、、どう足掻いても、、逆立ちしたって( 論理的、医学的にも )( 死んだ後の視点 )を越えることができませんから。




 



 ( 言葉で意味、、ニュアンスを伝えるのが難しいですけど )

 それは、キッパリ認めます。




ですが












 こういう形而上の分野について生涯をかけて相当に熱心に研究し、いろんな出来事に遭遇し体験したことのある谷口雅春という方は
 「 死んだらお了( しま )ひ 」どころの騒ぎではないとおっしゃっていて・・


正直な本音は・・私( 岡崎 )はこっち側だったりします。(^_^;)

「 死んだらお了( しま )ひ 」どころの騒ぎではないってのは・・「 生命の実相 」という書のなかでも結構好きな言葉だったりなんかしますが。(^_^;)



 じゃあ・・あんたは、「 生命の實相 」の体系を無批判に全て丸呑み盲信容認しているのか?というと( 決して )そうではありません。




 このページを執筆してる私( 岡崎 )は、別に「 生命の実相 」とかの関係者でもないし





天風会という所にも所属してませんので気兼ねせず、率直にズケズケと書きますけど







  そういうことを、決して無批判に盲信、盲従するのではなく・・あれこれ考察し批判、検証するための先人が遺した参考資料があるから


 ( 妙に恣意性があって、特定の団体に利益誘導、勧誘するためのものであったり・・その場の思いつきやらで述べているようなものとか・・変なのを読まず・・


 まず、とっかかり、、最初に読んで精査、検討する資料として、こういう体験をした方がいる・・ということで知っておいてもよいのじゃないかな?と思うからブログにも書いた・・っていうことです。







※特に 「 生命の実相 」 携帯版9巻やら10巻は

 恐怖を煽ったりとか・・興味本位とか・・系統的に整理する力のない方が下手な、、独断的なことを書いているそれ系の専門本何十冊より、



 遥か彼方・・月とスッポン以上くらいの圧倒的な差で・・公平、冷徹・・恣意性を極力排除して、しっかり文献を選んで、こういった・・本当は大事なことなのに避けられがちなタブー・・と申しますか・・難しい問題にガツーーーーーーーーーンと( 考察し批判、検証するための参考資料 )を提供しています。( 文献の選び方がすごい・・と申しますか )




 もちろん、「 生命の実相 」 携帯版9巻やら10巻よりも崇高な内容を語りまくった書もあることも知っていますが、文献の「 選び方 」が論理的にマジで優れていますので、こういうのに興味のある方は、お読みになって、日々の生活を整えることを含めて考証材料にすることが出来ます。





ま〜た・・だまそうとしてるんじゃな〜い?とか思った・・そこのあなた(^_^;)






( 冷静に考えてみてください・・


 こういうのがあるよ!ということを、あなたに紹介して

  関係者でもない・・私になんのメリットがあるんよ・・そもそも、そういう団体に所属もしてないし・・人によっては思いっきり拒絶されて小馬鹿にされるリスクのほうが


遥か彼方に多いのですから_| ̄|○ )










それに

  


 そういうことを知る・・・踏まえることとは、また別に

この「 生命の実相 」という書は、心身相関を超えたところにフォーカスして・・イワンの馬鹿のごとく徹底的に深めていますが

 お道具の心の質を高めるのによいと言いますか・・( 尊く清く力強いリズミカルな明るい純な文章・・精神を高揚させ人を深く安心させる韻やら言葉が神業〔 かみわざ 〕的に精製濃縮され純化されている )ということ

 
 

 また

 谷口雅春という方は、( 骨髄の中核部は、トランス状態で執筆なさって、後で編集なさっていたようですが )

 その著書を拝見する限りでは、求道者としての謙虚な姿勢が滲み出た筆致というのが、浮き上がって観えるのが共感できますし

 この方は、「 生命の実相 」という書で、「 生命の実相 」と同じ香りのする他のニューソート的色合いの濃い哲学やら思想・・あるいは、キリスト教やら仏教・・その他の宗教、宗派を貶( けな )したりして

 私のところが、いっちばーーーーーん!!・・他( ほか )は間違い・・劣る・・駄目駄目よ!とか言ったような対立を助長するような内容ではないということ

 また


 優位性を誇示し、他宗を憎悪したり

  排他したり悪口を言ったり糾弾したりもせず



 ( 信者を奪われて教団が衰退するのを恐れまくって )

 反対のための反対をしたり、ゆるやかな恐怖観念のアンカーを仕込んでいるようなことも( 「 生命の実相 」を入念に精査した限りでは )( 薄い ) ようでした。
( 全くそういうのが無いとは言い切れませんが(^_^;) )



 



( ただし、谷口雅春という方は、人間は、ただの有機物質・・化学的に定義された・・ただの物質〔 主成分が炭素と水素の有機物 〕の塊・・としてのみ観る唯物的な見方には、理責めで排斥しまくっているようですけど )




 それぞれの思想( のうち光明思想的な香りのする思想 )やら教えは尊重し認めつつ・・



 そういう・・いろんな思想( のうち光明思想的な色合いの哲学 )やら
宗教、宗派、教義とかを超えて真髄で調和せしめる原盤、、始原の力のことや、原盤と結びついた内在の尊い何かについて・・ただただ・・一途ひたすらに・・( ニューソート思想 )を大きく包摂しつつ・・黙々と説きまくっている( 書きまくっている )ということ。












( ただし、「 生命の実相 」に関係した団体に

〔 過去に 〕入ったことはないし

 文献のひとつとして研究( 人物研究及び周辺研究を含む )はしていても


 現在も、そういう団体に入る気もない私が「 生命の実相 」を・・

 忙しいなかで時間を創って、相当に慎重に吟味し
 精査するだけで上述の判断をするのは・・ある意味、無責任かもしれません )



それに

現実はどこまで行っても、現実の力以外のものでは解決できないと天風哲人はおっしゃっているけれど
 


 「 生命の実相 」で説かれているような

 心身相関を超えたところの高次領域

 何か知らぬ直覚的、、豁然( かつぜん )とした処からの・・
 ( 内から自然に催されてくる )内流的自覚を得る・・



 つまり( 心の上位領域のもうひとつ〔 先 〕からの

 高次元の強い力の呼び覚まし )ルートから・・


 下位の心身への好ましい影響やら境遇改善やらを含めて・・

 ・・空想でも妄想でもなく・・

 
 そういう、ルートで現実の力、生活事実として突沸的に現実的に解決できる場合( ルート )もあるのじゃなかろうか?ということです。



 全ての人に適用できるか??という再現性の確保・・と言う点で弱いことは認めますけど・・。(汗

※実際、彫刻家の服部仁郎氏( もうお亡くなりになっているようですが )は、こういった記事を書いている私のように時間をあれこれとやりくりして1年間位かけて全巻をじっくり慎重に研究しなくても



 
 服部氏の場合・・たったこれだけ・・というか


  時間性も無視というか


 歌4首とパンフレットを読むだけ長い間、心に抱いていた迷いや疑いなどが何かの拍子に忽然と解( ほど )けた歓喜で・・その随伴現象のひとつとして肺炎( 病苦 )がスカッと癒えて・・肺炎が消えるだけでなく・・



 さらに本2冊読むだけで、自らだけでなく他人を癒す不思議な治病力が発現したとかいう報告も「 生命の実相 」のなかに体験談が述べられています。( 昭和初期ではありますが「 徳島毎日新聞 」にも掲載されたようです )

( ※詳しい経緯については「 生命の実相 」携帯版 5巻をご覧ください )


 「 生命の実相 」にはいろんな方々の様々な体験談が実名で公表されていますが



 ( 服部氏の事例に見られるように )心の上位の、、何らかの、、時間、縦横、高さ、、厚みのある空間、物質、、を内包している三次元空間、心理的仮想空間よりも、さらに次元の高いところからの高級かつ強くやわらかい見えざる無形の力の流れ込み

( そういうのを仮定、想定しないで )



プラシーボの力


現実( リアル )に医学的な所見( 検査 )で

「 あんたは、正真正銘、、確実に肺炎です! 」としっかり診断されていたのが

 医学・・生物学やら解剖学などで適用されている法則を思いっきり無視しまくって


 医学的、解剖学的に肺炎という炎症症状がリアルに生じてレントゲン等で病患部の陰影がはっきり目認できているのが




 医学的処置を施すことなく


 (  プラシーボで )

消えたり( 一足飛びに癒えたり )する( 突沸現象が事実として起こる )というのは

 少なくとも( 私には )到底思うことができません。ヾ(´ω`=´ω`)ノ




( 何らかの高い次元の強い癒す力の流れ込みの想定〔 仮説 〕をしない )で



医学的、解剖学的にリアルに肺が蝕まれて炎症していた患部が

プラセボ

あるいは

暗示誘導による自己催眠状態( リラックス状態 )において 脳内情報処理の介入的書き換えを施すというテクニック


脳機能学者の苫米地氏の言葉を借りれば、逆腹式呼吸法でリラックス状態を作って物理的現実空間にゆらぎを生じさせていき、、抽象度を上げていって、上げた状態でもって心理的(情報空間)に書き込まれ既に刷り込まれた内部表現を書き換えることによって

いろんな苦悩、患いが消えていくのだ、、という説明のみでは、論理的に納得できない
、、と申しますか(~_~;)


( 私< 岡崎 >は苫米地氏の本も研究を兼ねて幾つか速読したことがありまして、きちんと咀嚼して整理できてるかはわかりません。 

 ※苫米地氏の本が気になる読者の方は本を読めばいいと思いますので先を急ぎますが )


 
解剖学的に病んで膿んで苦痛を呈し炎症を起こしている病患部が

プラセボで( 現実に )消える・・という仮説のほうが

不合理で非論理的で医学や生理学、解剖学を無視してる・・と言いますか・・。( 超汗


 それに

 そういった現象以外に・・特に不思議な癒す力が現実( 現実の力 )として生じるというのは( 服部氏の保有していた余徳というか・・背景的何か・・の縁〔 えん 〕 )それに・・氏の日々の鍛錬・・卓抜した集中力のお陰 )と( 高次元の聖なる何かの力 )が( 束縛が解けることで )流れ込みが強くなったからかもしれません。

 服部氏の場合は、( 私と違って )「 生命の実相 」という書に

よほどの縁( えにし )があったということなのでしょう。


 まあ・・こういう・・( 一般に )実証できない・・確かめようのないことを理由に持ち出すこと自体が・・ある意味反則かもしれませんし

 論理や科学重視の私も終わってしまったかな・・
という観もあったりなんかします。_| ̄|○ 


   

もっとも



 この「 生命の実相 」というのは大学生の頃にも金箔の装丁が美しくて、聖書かなにかの類のものかな・・と思い読んだことがあり・・( 調査済み )・・というか・・・ニューソート系はもうコリゴリのはずだったのですが

 ひょんなきっかけから

 
 九州商人さんという方の「 生命の実相 」のAmazon レビューを読む機会があって・・以下に引用しますけど

( 以下引用 )

わたしは現在まで、576冊の自己啓発書を読んできた「自己啓発書マニア」です。『7つの習慣』も読みました。『思考は現実化する』も読みました。古典では幸田露伴『努力論』から中村天風『成功の実現』までほとんど読みました。
それら自己啓発書の中で、この『生命の實相』は第一位です。

( ここまで )

のうち

この( 九州商人さん )という方の場合は・・私( 岡崎 )と違って



中村天風『成功の実現』までほとんど読んで・・それにもかかわらず
自己啓発書の中で、この『生命の實相』は第一位と断言している点に
思わず・・あれれのれ??おかしいな?と・・この文章( レビュー )に敏感に反応してしまいました。


・・で・・再調査( 再吟味 )ということになった次第です。

大学生当時と違い、速読ができるようになっていたというのが大きいし

 ルートの整理、整地をしたかったというのもあります。

 
 また





 もうひとつの大きな理由は

 サイト公開以降


 忙しい合間を縫いながら・・電子メールやらで通算しますと
何千通ものいろんな相談を受けてきまして・・

( 読者の方々から「 生命の実相 」について、ぽつぽつ質問があったりしたのも再吟味理由のひとつとしてあげられます )



 ルート的には




肉( 常に遷り変わる信頼の置けない物質・・肉体・・そして現象・・
ある意味では、感覚意識・・心も )を切らせてパッと( いったん )否定して


骨( 迷妄、執着 )を絶つことで


 抽象度を高めて


 栄枯盛衰の現象の奥・・現象発生前の原盤とつながった高次元・・かつ内在の絶対積極に内的視点( 注意 )をフォーカスさせることで
推理やら思惟を超えた直覚領域の視野を啓いて


 統御力というより相対現象を超越したところ< 嚇灼とした至福の流れ >に自己意識を引き上げ( 内在の )絶対積極の力と同調することによって啓きだす手法というか・・によって現実生活に( 現実的力 )として反響させるということのようですので


( 言葉で表現すると実に陳腐というか・・気になる方は、とにかく原書をじっくり読んだらよいと思いますが  ※そういうルートからも・・刹那、高品質な歓喜の流入で瞬間的に本来的クンバハカになるのじゃないか?とも思われます。
  証明ができませんが  )



ただし
 
 


 拡張解釈し過ぎますと・・


( 私は、「 生命の実相 」とかの関係者じゃないので・・これまた率直につらつら〔 実体験も交えて 〕書きますけど )


 「 生命の実相 」は、( 下位のルート )をバーーーッサリ切捨てているため




( 錬身の重要性 )が希薄、疎かになって・・下位の力とはいえ神経系統でバイパスされ生命エネルギーとして見えざる心と見える体に内在化する( それ:生命エネルギー: プラナ )を制御することで( 見える体に働きかけることで )心を調節したり、生命エネルギーの収受率を高めて訓練的に向上、発展練磨するルート・・




( 外部から )
神経系統に働きかけることで心に与えるルート
( 外科的なもの、薬やら、あるいは、経絡の調整・・抗酸化力のある緑黄色野菜やら季節に応じた果物・・適正な食事なんかもこのルート )




が・・おざなりになり・・錬身やら医学的なものを疎かにしがちになる怖れもあるのじゃないかと思います。


( ※「 生命の実相 」のシンパの方は、「 生命の実相 」を悟って、そのとおりに生き切れば、そういう下位のルートは自然に整ってくる・・と主張する方もいらっしゃるかもしれないですが )



( それに・・生活している以上は、実際問題、いろんな人がいますし、いろんな人事世事の摩擦や軋轢は避けられない場合もありますから )


過大なストレス、負のショック・衝動の波( 乱れ )を肉体のちょっとした体捌( さば )きにより安定した部位で受けな、流すことをせず( えーー加減にし・・軽視して )



 心や頭・・あるいは、鳩尾等の弱いところでまともに受け続けると・・そのダメージが自覚されないうちに・・・少しずつ累積して・・大事な・・自覚できないところで肉体生命を守るために黙々と働いてくれている植物神経の調子がおかしくなっていき、次第に体の勢いが無くなって



 自覚したときには・・神経過敏になって二進も三進( にっちもさっち )もいかなくなって、そこから脱け出す( 神経系統のバランスを整える )のに方法が全くわからず絶望する・・



というようなこともあるかもしれない・・私みたいに_| ̄|○


 あるいは、心と体は、神経系統をバイパスにして複雑に絡み合って互いに強く関係し合っていることは



 体のどこかに不快で嫌な痛み、炎症があったら、どーーーんなにやせ我慢しても
どうも幸せな・気持ち( 上機嫌 )になれない、、という、実にありふれた平凡な事柄からも類推できます。



 これは、体( の不調和 )が心に好ましくない影響を与えている、、という例、、と言えるのではないでしょうか?




  高徳のヨギなら、弟子とかの代わりに
 ( よくないものを自らの身に引き受けて )
かつ

痛みを心から切り離す術を心得ているようですので

 勿論、例外はあるとは思いますが



 一般には病で嫌な痛みや炎症があったら、幸せで上機嫌にはなれないでしょう。

  


 しかし


 こと影響力という点では


  見えざる心が見える体に響いて与える影響のほうが、はるかに大きいということも言えるのではないでしょうか?


 リューマチやら喘息、、顔面神経痛、、とか、、胃潰瘍、、胃アトニー、蕁麻疹、、偏頭痛、、etc

 その症状は多種多様ですが「 心理的な、、内的要因、精神的なもの、、心の状態 」が深く関わっているケースも結構ある、とも言われていますし、


最近の研究では

  細菌感染やらにも何らかの「 心理的な、、内的要因、精神的なもの、、心の状態 」によって血液の保有する免疫作用( 自然治癒力、細菌への抵抗力 )が衰えることも、原因のひとつとされているようです。



 


  
まあ、私の場合、神経かびーーーーーーん、病や虚弱・・はたまた・・ある事情で結構大きな借金を抱えていたときに悲惨・・惨めーーーーよりも


 精神的な内的苦悶のほうが

 遥か彼方イスカンダルに辛かったですけど(^_^;)


  




  



 で






 ここまで引っ張って・・天風先生をスピリチュアル論で擁護するなら

まあ私の場合は・・本音は( 前述したように )


「 死んだらお了( しま )ひ 」どころの騒ぎではない側だったりなんかしますし

 天風先生も「 死んだ先のことは考えるな 」と言ってるだけで
「 死んだらお了( しま )ひ 」になるなんてことはどこにも書いてませんが




  天風先生は、( 死んだ後のことなんか考えんなよ! )今を精一杯味わい生かす力の受け入れを豊富にして尊く清く強く生きることに集中しなよ!とおっしゃっているけど

 要するに

 
  心身統一法を忠実・・地味ーーーに・・規則正しく忠実に実践していったら


 そういう精神世界のこととか、全く関心なく・・知らなくても
 
 神秘体験やらなくとも・・そういうことを( ただ知識として )やったらめったら知ってる専門家もどき・・みたいな方々よりも

 

  信じなくてもよいので、地味に・・日々新たな気持ちで実習を重ねてみなよ!

   スピリチュアルまっ青の

  リアリズムの( How to Do )の教えである


  心身統一法(道)に結びつく昨日よりも今日の忠実・・地道、堅実な努力によって

  
  ひ弱な体も逞しく・・強くしなやかになって病( 病院 )知らずになり

( これについては、私自身が実際に体験した生活事実としてそのようになったので )

  さらには


 
 神智学やらで定義されているような形而上の領域における、、三層構造になっているとされる肉体の上位の見えざる淡い体・・感じる体としてのアストラル体やコーザル体のうち、アストラル体( 幽体 )レベルの汚れ( これ〔 アストラル体 〕が天風先生が述書でおっしゃるところの感じせしめる感応性能・・サジェスティビリテートとの連関が強く、本心、良心に反することを気咎めしているのに続けたり、物質本位に偏り過ぎて、享楽的でふしだらなことを続けているとアストラル体が自覚されないうちにじわじわ汚れていき感覚を心に取り次ぐ感じるアンテナとも云うべきサジェスティビリテートの調子が狂う・・

そうして

生き方が享楽的で刹那的、自分さえよければよい・・という、じこちゅーに染まって、自分では正しいことをしているつもりでも、結局自ら墓穴を掘るという実に嘆かわしいことになる・・と当方は考えていますが )

 そういった濁りや、生命エネルギーの糞詰まり、、滞り、、不調和も真剣にやることで徐々に正され調和されクリアに磨かれ強く美しく丸くなっていくのじゃなかろうか?とも思えてしまう・・。


  

 そうして


 その随伴現象として

  日々に恬淡とした・・有り難いな!・・面白いな!・・凄いな!という新鮮で高級な味わいが・・自然に流れ込んできて・・それを、( 嫌でも )しーーみじみ感じられやすくなっていく。


  耐久力が昂進する体勢であるクンバハカ体勢というのもスピリチュアル的方向から見たら

  もっと価値高い・・おっそろしく値打ちのある行法で

  この特別な体勢を取って( あるいは、近付けるための練磨をし )

    身体方面から生命エネルギーを制御し充実の極に仕向け徐々に高めていくことで


   防御膜( 見えざるシールド )みたいな生命磁場みたいなのが内部から放射形成されて

  精神的な打撃やら外界のいろんな軋轢・・摩擦による心が受けることで生じた、、避けられない、、脊髄神経反射を調節して


再反射の好ましくない波を

 瞬間( 刹那 )の



人知れず・・こっそり


 行う肉体操作のいなし( 身体の特別な持ち方・・体のさばき方 )※・・によって

 要するに※肛門を引き締めてパッと肩の力を抜き臍下3寸の仮想内部空間を連合的にズンと充実させる。  


天風哲人のように・・まだ飼いならしていない・・ばかでかーーーーい虎がいる檻に入って
そのなかの威勢のよい虎をペシペシと叩いても
そういった猛獣から危害を加えられないくらいの・・本来のクンバハカ

 あるいは、凶暴な猛獣が蠢く密林のジャングルに分け入っても
野獣のえさになるどころかネコみたいに温順にしてしまう高徳のヨギの如き・・本来的なクンバハカではなく

    にわか仕込みのクンバハカでもよいので・・それを人知れず・・こっそりする( やらないよりやったほうが絶対によい )



 たったこれだけの些細な行為・・本当に紙一重のこと

 生命エネルギーの消耗を抑えて

 過度な感覚刺激の動揺をスッと鎮め

不思議なことを直に不思議に感じる、感じせしめる繊細な感性( 神智学ではアストラル・ボディと関係が深いと当方は考えていますが )が傷つくことから守ってくれ・・身体の勢い・・自覚できないところで肉体生命の営みをしてくれている植物神経の調子がおかしくなるのを防いでくれるというか


 もういっちょおまけで(*・ω・)ノ

   ・・そういう神経系統とも重層・・階層的に結びついている・・より繊細な感じる体とも云うべきアストラル体( 吾の肉体とは別次元の繊細な淡い衣※アストラル体 )のダメージを最小限に食い止め、和らげて
ちょいとぐっすり( 楽しく )寝入るだけで修復されやすくなるのかもしれません。





  だから高度な逆説論法で、( 天風哲人は )そんなの関心持たなくてもよろしい・・


 日々研鑽し新しい感謝を味わいつつ自己陶冶に努めるんだよ!ということで
 本当は、そういうことを相当研究、知悉していても、そんなことを語ったらどっしりと地に足がつかなくなるかもしれないという危惧があって( 扱わなかった )のかもしれないですね。


 深読みし過ぎかもしれないですけど。




 ただ


 結局・・臨死体験の研究やらを含めて精神世界のこととかに理屈の上では詳しい、、

 そういう専門家もどきの方たちは、

ただ知ってるだけの( How to Say )が、ほとんどで・・


 だから・・それがどうしたのですか?

 で

 結局何したらよいのでしょうか?とポソッと質問したら・・



 うーーーーむ・・そこが問題・・とばかりに腕を組んで眉間にしわを寄せて難しい顔をするだけで



 明確に、きっちり答えられない・・お茶を濁されて終わってしまう場合がある・・

( おいおい )
  

 そういう点では


この天風という、お爺さんの方法は、方法を提示している方の側が
滅茶苦茶不利なのが特長のようです。

  




  

 この天風という敬愛すべき、じっちゃんの方法は、心理、生理学的にも合理的で実証的・・実践項目が明確で、地に足がついていて( あいまいさ )がない・・

 かつ

 馬鹿みたいにシンプルなので、方法を提示した側が非常に厳しい・・恐ろしくシビアな位置に立っている。

 

 そして



  盲信は要求してないけれども実践は要求されていて


 もしも・・きちんと実践して


結果が出なかった場合に


 そのことに対して


 明確に実践項目を打ち出しているので

   あんたみたいな凡人には量りがたい・・深い事情があるのだ・・とか・・(^_^;)
  信心が足らないからだ・・とか・・(^_^;)

 そういう( 言い訳がきかない )



 まあ、こういうことは、精神世界の大御所の方々が言うところの・・精妙な領域について、しっかり実験的、他の方にも客観的に見えるかたちで確かめる方法が確立されないと、わからないのかもしれません。



 当人以外に知覚できないもの・・・かたちを超えたもの・無形の事柄に関しては、それぞれの主観的な考えを述べて論じあうこと自体が( ある意味 )無意味であって・・どこまで信頼してよいのか私もわかりませんので。



 しかし

 

 天風先生の心身統一法は( 精神世界の大御所のお歴々の方々がおっしゃる・・精妙な領域 )を仮定して観ても・・


 相当に魅力的な方法なんじゃなかろうか?と・・ふと夢想したりなんかしています。 

 


それはさておき

 






 嫌でも何でも・・らしい行為を焦らず弛まず続けていたら・・

心がそれについてくる場合がある。




「 生命の実相 」をあまりに拡張解釈していくと



 下位ルートとは言え、薬とか果物とか、薬草、緑黄色野菜に代表される活性酸素を消去しやすい坑酸化力のある健全な食物とかを含めた医学的なもの、食育的なものを過度に軽視したり
 そういう、、前述した( 見えざる心とつながった肉体の重要性 )やら( 鈍重で濃厚な肉身をくっつけた< 体験的 >生活の重要性 )


( 更なる飛躍、向上に向けて一定の行為を反復して積極的な行為によりプラスエネルギーを蓄積して

 上達、練磨し熟練する・・努力を傾注する時間〔 期間 〕の重要性 )が希薄



うすーーーーくなるのじゃないかな?



 

  そこは( 「 生命の実相 」において )

  注意をしたほうがよいのじゃないかな?と私は思っていますし、生命の実相で説かれている・・トップダウンの( 直覚領域 )が、( 非常にバランスのよい天風哲人の心身統一行法を日課として生活に溶け込ます向上へ向けた日々の地味な努力を重ねることで )接続されやすくなって、


 かつ


 「 生命の実相 」を精神至上主義として捉えてしまう誤解も減って

 理知的煩悶の罠に陥ることからも回避できて


 現象生命に実際生活として淡々と顕現させるのが早まるのではないか?とも思います。



 ※精神方面に興味のない方は、肉体が重要なのは当たり前じゃないか?と思うかもしれませんが・・


( あくまで、主観的意見です。

 一方で、この本を読んで事実として、実際に・・この生命の実相で説かれているルートで突沸的に病が癒えたりしている〔 今後、もっと、こういう方面の相互交流や研究をしたほうがよいと思われる 〕事実を否定しているわけではないですし


 こういったことは内面のことは、とてもデリケートな事であり、再現性の確保とかも困難かもしれないけれども、こういうルートもあるよね・・ということを認めているから書いていますので
 )
 ( 今は、とにかくいろんなサイトがあって、「 生命の実相 」を思いっきりこきおろして非難しまくっているサイトとかも沢山あるみたいですが、私は、そういうことが出来るほど自分が偉いとは思ってませんので念のため )




  で




 心身相関を超越したところの全託・・かつ内在の高次元の絶対積極との同調の教えである「 生命の実相 」を
( 苦しまぎれに勢いで )一例として・・出してしまいますと・・



心身相関原理を高度に応用し洗練した自力、自助努力の教えである「 成功の実現 」、「 心に成功の炎を 」との不協和音が出てきます。

( 敏感な方はおわかりになるのじゃないかな?と思うのですが )


 それを大らかに包容して高い次元で相互接続し調律する書のひとつが



 インドの聖者が執筆した



「  あるヨギの自叙伝 」( 及び「 人間の永遠の探求 」 )です。




以下でも、力不足なりにレビューしました。



「 あるヨギの自叙伝 」( パラマハンサ・ヨガナンダ著 森北出版 )のこと







 「 あるヨギの自叙伝 」は( 態度保留にした部分もありますが、慎重に精査したなかでは )( 述書3部作 )を高次元に昇華し得る( 天風哲学のコンセプトを高度に保持した高次元の名著であり高次元の方法 )なのですが・・・・感動はしても・・( 一庶民、ユーザー目線で冷徹に見ると  )あまりに高すぎ・・の感は否定できません。





 それに、この書( 及び方法 )は



 天風哲人が扱っている心身統一行法の守備範囲よりも



より高度、精妙、純度の高い、デリケートな領域を担当しているようでして









 ( 富豪であるとか世俗的地位がどうとか、世間的名誉とか学識とかも、関係なく )心身精錬が出来て、堅固な道徳的な生活を営める土台と準備の出来た方








 心の上位の領域が相当に洗練され・・廉潔な生活土台( の準備 )がある方じゃないと



実際問題・・ついていけそうもない・・と感じることもあるのじゃないか?と思います。



 これをご覧のあなたは( 私とは )違うかもしれませんけど。


 また



  
  

具体的に・・


 本能心と理性心を懐柔し


 心身を( 吾 、われ )の召使い・・従僕として立派に統御し得る



   ( 惰性的習慣やら、あれこれに・・封じられ、埋もれてしまって下敷きになった )心身を取り締まるための最高権能の意志の力というのは、

なぜ弱るのか?

 ( 具体的に )どのようにしたら( How to Do )自然に煥発してくるものなのか?



 

 そうして最高権能の意志の力の出力を強め発達させつつ

 どのように心( 想念 )や体を忠実な家来というか忠僕に積極的方向に上昇スパイラルの輪を形成させながら馴らしてその可能率を促進させていくのか?
 



 あるいは 






  欲望のうち、煩悩的な・・( 結局は幻滅しストレスフルな苦しむ欲望に遷移していく )我欲、私欲・・不要残留性本能心由来の邪欲の整理と転換・活かす方法

  



  心身統御法についての具体的な言及が


「 あるヨギの自叙伝 」「 人間の永遠の探求 」にはヒントはあったけれども余りに高すぎると言いますか・・よほど準備が出来た方でないと届きそうにない・・と言いますか

吾が体や心の下敷きになって意志の力が埋もれているような方のための( 具体的 )なレシピが述べられてなかったから・・です。


( 優劣・・というより役割分担が違うから・・かもしれませんが )





ですが、「 成功の実現 」「 心に成功の炎を 」等の述書で扱っていない領域( 要するに・・どんな方だって忙しい仕事や生活のさなかであっても、たまーーーに・・ふぃっと想いを馳せたことがあると思う・・死んだ〔 肉体が朽ち果てた 〕後に俺〔 わたし 〕ってどうなるのかな?ということ あるいは、全託的な行き方、ご先祖様を敬し大事にする事など  )


ここについての考察材料を「 生命の實相 」が( 恣意性を極力排除した内容として )提供してくれていて

( ←妄信するとかいうのではなく、考察のヒントということで紹介しています  )

  

「 生命の實相 」がバッサリ切り捨てざるを得なかった領域( 低次とはいえ錬身やらにより訓練的に積極化しバランスを調えスパイラル化していくことや神経系統で肉体と相互につながった生命エネルギーを制御することによる心の調律、発達、独特の個性、独特の人間性の向上ルートのことやら・・)


 これを、「 成功の実現 」「 心に成功の炎を 」が徹底的に深めているのですが



 この二つを合せると・・それぞれの書でダブっている・・共通して説かれている内容についてすらも・・言語による表現は同じでも微妙なニュアンスが違っていたり

 
潜在意識に対する考え方や仮説に共通する部分はあっても・・教えの立て方・・重心の置き方、、それにルートというかが全く違いますので




 比較研究すると、なーーーーんとも言えない不協和音が生じる部分がある・・ように感じられる。




(  比較考察すること自体にかなりの無理がありますし

 それぞれの団体の公式見解ではなく・・
独自の研究で・・ここに書いているスピリチュアルなことから
天風会というところを誤解して欲しくない
ですけど※相当に研究したとはいえ、あくまで個人の独自研究枠を出てないので )






 で・・この不協和音を高い視座から調律する書として「 あるヨギの自叙伝 」という本があって高次元で均( なら )せるのじゃないかな?と・・思いました。


 これも価値観( 世界観 )を共有するのがなかなか困難な書かな・・とも思いますし




 このブログ読者 の方のなかにはお読みになっている方もあるかもしれませんが、( 初めて、その存在を知った )という方で、均衡の取れた内的成長や内的満足の調和の取れた生活やら自己統御にご関心のある方・・あるいは、何となく・・このままでよいのかな・・という漠然とした( あこがれ )というか何かを感じている方はお読みになってもよいのではないでしょうか?


( 「 あるヨギの自叙伝 」・・あるいは、「 人間の永遠の探求 」は、天風哲人の述書のコンセプト( 体系 )は、維持しつつさらに一回り高い次元にした内容です。
 日本人には、ひじょーーーにとっつき難いというのはあるかもしれませんが




ぶっちゃけ、〔 心情的には悔しいけど 〕天風哲人の書より格が上で


ヨガナンダという御方は、



「 生命の実相 」が切り捨てざるを得なかった領域を論理的に埋めています。


 目は見えていても、形而上の目が拓けていない方が書いた精神世界関係の書とは一線を画していて

 ヨガナンダという御方は、観念で信じ込んでわかっているのではなく

 そうあるべきだと信じている、、のでもなく

 本当に直接体験で知っている・・


 形而上のことについて、きちんと、現実存在として、わけがわかった方であり



 近世が生んだ( 先覚者 )とされる方の中でも頭一つどころか、頭二つくらい抜けたような方です。(汗
 


 かつ


 一般にわけがわからない、、とされている形而上の領域由来の力を純真無垢に頼みにして、現実の力として、きちんと生かしてきた・・・・圧巻の生涯を送った方が書いた書のようです。


 また



精神世界等が見逃してきた大きな穴


失われた意識的意志の力と意識と肉体制御の輪も

( 天風先生同様に )見逃してないです。

 これは本当に凄いと思いました。




 このヨガナンダというインドの聖者でありかつ、神秘者ともされている御方は



( ※ヨガナンダジの科学的瞑想方法やエネルギー補充体操は、手順が明確で体できちんと確認できますので

 あくまで、いろんな文献を調べて実地で、、体で研究して精査した私の所見では )
神秘者というより、生理学、心理学、医学や一般常識にも精通していて

厳密・・リアリズム・・地に足の着いた冷徹な( 科学者 )の顔もあるという感じです。

 
PS



 ただし

 私みたいに、ヨガナンダという方絡みの・・いろんな文献を読んだら

 読み方・・読む人によっては世俗的成功とかが無性にツマラナイ・・なんだか馬鹿馬鹿しく思えてしまう・・弊害も、ちょっとだけありますので・・ご注意くださいませ。( 合掌 )





「 あるヨギの自叙伝 」「 人間の永遠の探求 」( パラマハンサ・ヨガナンダ著 森北出版 )のこと







PS ちなみに、私がメインで七転八倒・・暗中模索しながら解明できたのは「 期間の壁 」「 建設的な習慣の轍( わだち )化ということ 」・・少しずつ( 無理のない合理的方法で )軌道を修正して、ちょっとずつ意志の力を強めて習慣を更改し人格に
練り入れていくこと・・


 マイナスに支配された潜在意識的抵抗を解除するノウハウ

   ある意味、これだけですので・・悪しからず・・



まあ、これだけ・・ではありますが・・高い内容のものと、つなげてあげることのできるパイプにはなると思います。


私自身が( 惰性的 )習慣性の克服ということには悩んできましたので。




( 注1 )

 コヴィー博士が「 7つの習慣 」という書で薦めているワークのひとつは

大切な親友が亡くなったという知らせを受けて・・厳粛な気持ちで葬儀場に
臨んだら・・その葬儀で飾られていた写真は自分の写真だった!というイメージワークをすることで、どんな人間になりたいか?どんな貢献をし、どういう弔辞を読んでもらいたいか?等の価値観をあぶり出し明確にするワークのことです。

 詳しくは「 7つの習慣 」をご覧ください。








※念のため申し添えますが・・私自身は実体験上・・精神世界の関係者やら、そういう類の関係者( ついでに自己啓発なんちゃらセミナーとかの主催者も )とされる方は、特に( 精神世界等がばっさり無視・・というか見逃してきた・・見つけられなかった大きな穴の領域を天風哲人の心身統一法があっさり体系化してカバーしている関係上・・ )この御方の合理的で実証的な心身統一法を素直・・謙虚に学んで( 率先 )実践研究して欲しい。


本音は、そういう方面の幹部であればあるほど・・頭を丸めて天風会という所に弟子入りして
 見逃していた大きな穴に気づいて


 そのコンセプトを謙虚に学んで実践研鑽して・・そこに連なる関係者やら末端の方に教えてあげて、実践する方が増えていったら・・

 とっても素晴らしいことが興るのじゃなかろうか?

と夢想していますが・・



だからと言って・・

( 狐付きみたいなことを説いて恐怖を煽ったり、ゆるやかな恐怖観念を巧みにアンカーに仕込んで特定の組織の利益誘導のために組織に縛り付ける類の宗教団体とかは、論外、、別にして )、
 時の流れの老朽にも耐えて連綿と続いてきた・・生き方の手本〔 模範 〕を示し照らしてくれた人物や高等宗教やら精神世界の内容を全否定しているわけでもないですので

どういう信仰( 信条 )を持っていようが当方は関知しませんし
( ※日本国憲法でも保証されていますし )

 どちらかと言うと・・心身統一法を地道に実践していったら・・私の場合は
却って・・そういった高等宗教とかを、宗教なんて、ただの現実離れした空想、迷信・・世迷言、、と懐疑していたのから、敬意と尊重ができるようになったクチですが(~_~;)



 先祖代々の信仰を改めてまで天風哲人の主宰する団体に入れとは言ってませんから誤解のないようにお願いします。




( 別に入ってもよいとは思いますが )
←これを書いている私も吾ながら馬鹿じゃなかろうか・・と言うくらい実践研究してますが( 事実として )天風会に入ってないし



 天風先生の方法( 具体的方法 )は、そういう高等な教えとも( 教義やイデオロギーを超えて )高次元で融和できるし誰に迷惑をかけることもなく・・手鏡1枚( 欲を言えば ブザー音 )があれば人知れずやれることばっかりですので。