7つの習慣 第2の習慣 『 目的を持って始める 』 生活の中心にどういう思いを置くべきか?
 

 コヴィー博士が 7つの習慣で述べている 第二の習慣 目的を持って始める で、最も簡単で大きな効果をもたらす方法の一つとして薦めていることは

 主体性を発揮して、ミッション・ステートメント(個人的な憲法、または個人の信条)をまずは書いて明確にしてください。



 そうして個人の憲法を決めて想いを書き出したら、次に家族、組織へと広げてミッション・ステートメントを丁寧に作っていって


共有するようにしてください。


 ということではないかと思います。



 でも・・「 自分の生活信条・指針 」を書き出しなさい・・と言われても



日々の生活の忙しさに追いまくられて自分自身を見失い埋没されがちですよね。

いきなり、人生に目的を持ってください!と言われても、そんな余裕がないくらいストレスの多い現代に私たちは生きていますから・・。

これは、かなり無理ではないにしろ、きつい注文でしょう。


 そこで、博士が、自分の信条をあぶり出す方法として薦めているアイディアというのが

 人生最後の時、つまり、自身の葬儀の場面を思い浮かべて



映像化し


( 想像の中で経験して、見て、感じながら )


弔辞としてどんな言葉を


家族( 子供 )や親戚



職場の同僚に言って欲しいのかに思いを馳せてみること
なのだそうです。







 そういうことをじっくりとやっていくと




私たち自身が



普段は、あまり氣にもしていなかった大事にしたいこと


最終的な人生の道標として目指す姿なるものが、おぼろげながら浮かんでくるはずだというのです。

 その個人の憲法を静かに自問自答しながら作るときに、現在の私たちの生活パターンに影響を与えている



自身の生活の中心になるものにもはっと氣づくかもしれません。





 何を生活の中心( テーマ )にしていくかはとても重要です。





 強い優勢な思いは



現実化しやすく


 そういう『 思いの種 』は、生活の中でテーマ( 中心 )とするものに関連する情報を収集して、想念( 連想 )が、大きく成長して強くなっていくからです。



なたの生活の中心は何ですか? また、何でしたか?




 博士の著書によると、主な生活の中心や力になりやすいものは、以下のとおりです。


 夫・妻、家族、お金、仕事、所有物



遊び、友達・敵、宗教組織、自分・・・。


 なかには、脆弱で移ろいやすく不安定なものがありますね。( 笑 )


 あなたはどの『 思いの中心 』が優勢ですか?この生活の中心が何かを、よく咀嚼し、見極め、長期的に見て、それらを生活の中心に据えることが将来どういう結末を招くかを視野を広げて、あらかじめ想像し、映像化し見て感じることは、とっても有意義なことかもしれません。

 この中心になっているものが、私達の思いの力の源( 求心力と遠心力の交換 )になっています。

 多くの人は、局面によって、その中心と呼べるものが変化しているのではないでしょうか。

 でも、それは注意が必要です。

 そのまま思いを放置しておくと、物事の解決が根本的なものではなく、表面的なものになり・・

 余りにも拝金主義や個性主義に偏ってしまうと、その歪により将来的には問題の解決が難しくなり


生活の安定性が損なわれることになってしまいますから。



 また、どれが中心になっているにしろ、その中心を原則に変えるにも、戦略( 作戦 )が必要です。

 ただ・・もし、あなたが、個性主義的なテクニックに依存し、人やモノに支配されたまま流され続けるなら、内的安定を得ることが困難な人生となってしまう恐れがあるでしょう。

 それでは、主体的な人生とは呼べなくなってしまうでしょう。

 人生を成功に導くには



『 出来事( 局面 )・・環境 』から来るさまざまな情的な刺激を私たちの原則( 内的なコンパス )となる
自分で決断したミッション・ステートメントに従わせる心の強さを日々高める工夫も必要な氣がします。

 ここでは、天風先生の波乱万丈の生涯をひも解きながら、このことについて、考えてみようと思います。






 天風先生の幼少〜少年時代

 この頃の天風先生は、氣性も荒く、手がつけられないくらいの暴れん坊( 織田信長の少年時代を彷彿させるような暴れっぷり )だったようです。
 小学校を卒業して、修猷館に入っても刃傷沙汰を起こす等、恐いもの知らずの少年だったようです。
 暴れん坊ぶりは、宮本武蔵の少年〜青年時代にも酷似しているような氣もします。

 このときの生活の中心( 思いの中心 )は、自己中心と敵中心の思いが優勢だったのではないかと思います。
 

 すなわち、判断基準が、「 私が気持ちよくって、得することはなんだろうか? 」という思いで渦巻いており、常に力は変動して、移ろいやすく( 自己中心 )、いつも、仇討ち・・復讐心でいっぱいであり、力の発祥点が、恨みや怒り、敵愾心という消極的な氣持ちから出てくるため、人格が歪められていったのではないかと思います。




 天風先生の少年〜軍事探偵時代 
 


 あまりの乱暴狼藉ぶりに手を焼いたご両親が、頭山満という巨大な人物( 国粋主義者なのか・・極右なのか・・とにかく謎の多い人物 )が主宰する玄洋社に預けたようです。
 

 玄洋社では、『 玄洋社の豹 』と呼ばれるような命知らずの氣の強い若者だったようです。
 
 氣の強さと胆力、度胸を買われて、軍事探偵としての活躍も凄まじいものだったらしく

 日露戦争の真っ最中に、コサック兵に捕まって死刑宣告を受けたときにも、覚悟を決めていたらしく、処刑前夜もぐっすり淡々と眠って、死に対する恐れを感じなかったらしいです。
 
 それほどの胆力があった鼻持ちならない人間( 天風先生自らが当時の自分をこう評している )だったらしいのです。
 
 このときの生活の中心は、『 お国中心 』・・お国のため、という思いと『 敵中心 』の思いを抱えて、東奔西走していたようです。



 
 死を常に意識して、自覚( 覚悟 )して、しかも『 お国のため 』という強烈な( 日本国民の集合無意識的な )エナジーをバックにして

大義名分を持って、そこに自らの生きる意味と存在価値を見出して、志を持って生活するのですから、強いはずですね。




 天風先生の病難時代 

 日露戦争時代の八面六臂の活躍が知られるところとなり、根津嘉一郎という当代きっての実業家であり、政治家に見初められて
29歳で、大日本製粉の重役に就任して経営にたずさわるようになったようです。
 
 しかし、1年も経ないうちに奔馬性肺結核( 肺が蝋燭のようにどんどん溶けていってしまう不治の病とされていた難病 )を発病し、
( 歴史の教科書にも出てくる結核の病に関しては最高権威とされていた )北里柴三郎博士の治療を受けても病状はいっこうに良くならず・・

 あれほど胆力のあった

( 軍事探偵として捕らえられ、死刑宣告を受けても


顔色一つ変えなかったほどの肝っ玉のすわった )天風青年が



これほど弱くなるのか・・っていうくらい、意氣地のないひ弱な・・



神経過敏な人間になってしまった
らしいです。



このことについては


関連記事もご覧ください。

世界的な大富豪であったロックフェラーも似たような経験をしています。

世界的大富豪 ロックフェラーの繁栄を確保した就寝前とスペシャル・ラッポー ( 特別暗示感受習性期 )のこと 「 道は開ける 」 D・カーネギー




 ちなみに・・
 
 このときの中村青年の寝入りばなの連想の扱い方は、自らの病に対する医学知識( 希望的ではない絶望的な知識 )を寝入りばなにもう一度復習して心細い、絶望的なイメージを常に寝際の思いの鋳型として植えつけていったことが、神経過敏に自らを仕向けていった原因の一つではないか?と先生ご自身も述べておられ、この経験が後に『 観念要素の更改法 』を閃くきっかけになったものと私は感じています。

 そういうひ弱な自分自身の心の強さを半分でもいいから取り戻したかったらしく、医学、宗教、心理学、哲学書を読みあさったようです。
 聖書やコーランまで読破したというのですから・・。

 このときの生活の中心は、病を治したいという『 自己中心 』でしょう。
 あるいは、『 宗教組織 』を中心にしていたかもしれませんね。

 ひ弱になった原因は、寝入りばなの扱い方がルーズだったというのもあるでしょうし、もう一つ忘れてはならないのは、志の欠如でしょう。
 
 『 お国のため 』という思い( 強い志 )を抱いて、常に生命を捨てる覚悟で日々を過ごしていた頃は、自らの存在意義や生きる意味をそこに見つけて、そこに自らを投入していましたが、戦争が終わると、志や生きる意味、『 お国を生活の中心 』にする求心作用で得られる思いの遠心力による力が消失してしまうことで、力を得ることが出来なくなったということもあるかもしれませんね。

 お金を思いの中心にして生きる人が、懸命にお金を稼ぐことに徹しきって、お金を稼いで・・何らかの原因で急激にお金を維持する力を失って・・お金という移ろいやすいものを心の拠り所にして、それが亡くなったら急激にその力を失うのもうなずける氣がします。





 天風先生の原則探求時代

 救いを求めて、国法を犯してアメリカ随一の青年哲学者のS・マーデン氏をはじめとして



イギリスのアデントン・ブリュース博士、フランスのリンドラー博士、ドイツのドリュース博士等、世界中の偉人・哲人に会うけれども求める答えを得ることが出来ず、病はどんどん悪化していくばかり・・
 このときの思いの中心も 病を治したい・・以前のような強い心を取り戻したいという『 自己中心 』の思いが優勢だったのでしょう。 




 天風先生の原則発見時代
 


 絶望して、帰郷を決心するも、マルセイユ行きの船が座礁して、カイロに一時停泊することになり、そこで、ヨガの大聖人カリアッパ師と運命の、不思議な出会いを果たし、ヒマラヤの奥地で『 再新再生 』の境地に至ったようです。
 
 このときは、『 原則中心 』の生活が優勢になっていたのでしょう。





 天風先生の実業家時代
 


 病もインドでの修行と深い悟りのお陰で平癒し、帰国途上で、辛亥革命の最高政務顧問としての地位、権力を得て、劣勢の孫文を援助して活躍するも革命に失敗し帰国
 
 以後数年の後に瞬く間に、日本貯蔵銀行頭取等の要職を務めるようになり、財界のトップにまで登りつめていったようです。
 このときは、『 仕事 』と『 お金 』、『 遊び 』が思いの中心にあったようです。

 家族を省みることなく、家にも帰らず、仕事に没頭し、稼いだお金を、宴会の場で撒き散らしたり・・
 とにかく派手ですね。



 ただ、そういう『 原則 』に反することを『 思いの中心 』にして、激しく強い欲望を燃やして追求してそこに、力を求めていくと、身体の方が正直みたいで、だんだん身体がおかしくなって、体調を崩していったらしいです。


 天風先生の原則中心時代
 
 突如それまでに得た、財界トップのポジションも財産も投げ打って、日本貯蔵銀行の頭取が上野公園で大道説法を始める・・

 

 まあ、常人にはこの決断は、きついですね。
 いったん、『 今までの生活の中心にしていたもの 』をばっさりリセット・・というのは・・。
 こういうことが出来たのは、一度、『 原則中心 』の生活の味を知っている天風先生だから為すことが出来た決断だと私は思います。
 普通は、お金や地位を得ることに汲々として・・
 
 連想( 思い )を集中して組織し、徹することができずにいるのが、凡人の性なのですから・・。

 でも、私たちにも、できることはあります。

 それは、過去をしみじみ振り返ってみて、生活の中心( 思いの中心 )に置いていたものと、そういう思いを中心として生活して、得られた喜びや充足感という幸福の内容量( 深さや広がり )を一つ一つ比較して深く内省してみたらいいんです。

 もしかしたら、あなたが、今追いかけている夢は、あなたの内側が発祥点じゃないかもしれないです。

 



( 参考記事 )



夢を叶える宝地図のこと・・ちょっとした秘訣
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 この宝地図・・有名ですが・・うまくいく方とうまくいかない方・・思いっきりワカレルようでして・・・私も原因がよくわかりません。

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願望実現のパターン 潜在意識が活性化すると 無意識の活用と自己実現

  
 何れにしろ・・どんな能力開発やら自己啓発の学習をするにしろ・・
  心のお手入れといいますか  
   潜在意識のクレンジングが重要というのは・・非常に痛感します。  
   

宝地図の実現力を高める方法 自己実現( 願望実現 )・・自己啓発のためのテープ学習
     とかも参考になるかもしれません。

欲する事柄をグングン引き寄せる・・習慣化のための日常心得

 上記をベースに・・ご自身のライフスタイルやら
  好みに応じて・・それぞれアレンジ為さってもいいかと思います。