「 自己責任の原則と学びの早い人、遅い人 」


 経済番組などをたま〜〜〜に見て 


 街角インタビューで耳にするのが




「 国や政府は、一体全体何をしてるんだ!




 一刻も早く景気を回復させるように



手を打ってもらわないと困るんだよね! 



国の失策のせいで商売あがったりだ! 」



 というのが、定番の街の声ですよね。

 この些細な『 街頭インタビュー 』のなかにも、インタビューに答えた方の


依存的かつ防衛的で反応的な『 ものの観方・考え方( パラダイム:心のなかの地図:脚本 )』を垣間見て

どきっとするのではないかと思います。

 で『 率先的で主体的なあなた 』は、それらの不満の声に対して・・感情的にはそれらの叫びは誠意を持って深く理解は示す必要はありますが・・


決して同意 ( 同化 )してはいけないんですね。
 
 ( 以前の )わたしにとって、コヴィー博士の名著『 7つの習慣 』のなかの




 自己責任の原則は、正直に白状しますと、情緒的に・・あんまり受け容れたくない原則だったんです。




 特に『 自己責任 』という言葉は・・・。

 なぜなら、以前の私は、次の『 言い訳 』が非常に多く



 
生まれつきだから・・( 遺伝子のせい )とか



環境がよくない





親がよくない・・とか



あの上司のせいで・・とかいうふうに思って


( 『 思い 』を取り扱って )





『 問題 が外に存在する 』というふうに降りかかってくる問題を観ることが非常に多かったんですね。




『 問題 が内に存在する 』と認めてしまうことを( 情緒的に )納得したくなかったんです。

今だってまだ、抜けきらない癖は多々あります・・・。



正直に告白しますが・。




で、天風先生も 7つの習慣のコヴィー博士ほどは、強調していませんが、
( 責任という部分では、天風哲学の方が薄い氣がします。)

 天風成功金言集( 成功手帳 )のなかで

 ●運命に対しても、健康に対しても



あくまでも自己に絶対の責任がある








と、耳が痛むことをおっしゃっています。
 

 で、この『 自己責任 』という言葉は、厳しい感覚体験の響きのある言霊なもので・・成熟を要して、あんまり、心地よい言葉ではないと思っていて・・・
 

 だから、何回も読んでも頭( 身体 )にあんまり入ってなかったんです。

 結局、自分が受け容れたくないもんだから、勝手にそこの部分( 自己責任の原則 )を、さっぴいて自分の表面意識で薄めて(笑)自分にとって都合のいい部分だけを吸収しようとしてたんでしょうね。

 素直じゃなかったんですね。

 えっとですね。
 
 素直さや謙虚さ・・『 学ぶ 』のに、やっぱり・・とっても大事ですよ。
 

 自分の狭い浅はかな了見で判断したら、学びが遅れるんですね。
 

 ちなみに、今の私の『 学ぶ 』という言葉の定義は、眼も耳も( 既成概念を極力出さないようにして )開いて、身体も心も素直に開いて『 身体で実行すること 』を指します。


 単純にセミナーとかに行って、( 都合のいい部分だけ )耳が大きくなって、( 都合の悪い部分は)耳を( 無意識的に )塞いで、いい話( 氣持ちのいい)の部分だけを聴いて・・いいとこだけ手っ取り早くやろう!メデタシメデタシ( 以前の私の『 学ぶ 』の定義 )で・・そういう依存的・素直じゃない聞き方をした結果


 自己改善の収穫がほとんどない・・という悲しい結果に陥らなくなったことだけは確かです。( 苦笑 )



 で・・学びの遅い人は、コダワリが強くって、評論家的で氣が上ずっていて頭の表面の屁理屈をこねくり回す人が多いんですね。

 例えば・・以前の私を( かなり恥ずかしいけど )思い出せばわかりやすいので・・(笑)

 ( セミナー講師の )先生のお話の・・この部分は( 都合がよくって )・・O・Kですけど・・この部分は、ちょっとパス・・とかいうふうに・・・。( 苦笑 )

 でも・・ですね。

 当時( ●十年前 )を自己弁護すれば、私は当時の私を客観的に私なりに『 素直 』だと思っていたんですよ。

 そして、その当時、私は他人から間違っても、『 あなたは傲慢だ 』って言われたことはなかったんですね。

( だって、失敗続きだったから、傲慢になりたくてもなれんかったのです。)


 ですが、まだ『 素直さ 』が足りなかったんでしょうね。
 今から考えると・・。

 そんなふうに、自分では素直に聞いてるつもりでも、実は、理性心から批判の心を結構出して無意識にフィルターをかけたりしてるんでしょうね。




無自覚で・・今でも・・。

 だから、今までの考え方( 思い方 )や行動の仕方で上手くいかなくなって、打ち砕かれて身も心もボロボロという方のほうが、あるセミナー( ただし、すばらしいセミナー )を受けて大飛躍したりする基点になることが多いのは

 それまで、その方の心の表面を覆って受け入れを邪魔していた『 屁理屈( へりくつ)観念の心と身体 』が、もはや自らの限界を悟って謙虚になって


『 純真無垢な謙虚なもの 』が内側から滲み出てくるからだろうと思うんです。




 そういう心と身体になって、本当に受け入れ態勢O・Kということなんでしょう。多分・・。




 
 この屁理屈や表層的なこだわりを溶いて学ぶ( 理想的な )氣構え・体勢については


私もいつも肝に銘じている次のエピソードがありますから、何らかのヒントになるかもしれません。


 これは天風先生が、打ち砕かれて、身も心( 既成概念・固定観念 )もボロボロの・・まさに絶体絶命の限界状況というタイミングで

 カリアッパ師と運命的に出会い

『 お前の知らない消息があるから、ついておいで 』と諭されるカリアッパ師の言われるがままに、インドの山奥にまで出向いたにも関わらず・・・。
 
 いざ、村( 確か私の記憶ではゴーグ村 )に到着してみると、現実は、非常に厳しくて

日本では華族の身分、世界最高の医学の知識( コロンビア大学で医学を学ぶ )まで修めて医学的知識に自負のあった方( 天風先生 )が

 犬畜生にも劣るスードラ族という身分に落とされて・・犬や牛よりも先にご飯も食べられないところにまで( 惨めに )成り下がって・・・

 挙句の果て

2ヶ月以上もほったらかしにされて・・

 ※すごいですね。私だったら、1週間耐えられるかわからないです。こう  いう屈辱の状況に・・。
  私なんて天風先生のような頭脳も地位もないですが・。( 苦笑 )

 脱線しました。( 笑 )

 で・・

 まったく、教えを説く素振りも見せないカリアッパ師に業を煮やして( 直談判で )尋ねたときの会話です。
 

天風先生( 当時 中村三郎 )


 『 いつになったら、( わたしが助かる道 )を教えてくれるのですか? 』

カリアッパ師


 『・・・わたしが、毎日毎日、お前を連れて来た翌日からでも教えたいと思って、お前をじっと見ていると

お前の頭の中はな、わたしがどんなにいいことを言ってみても、そいつをみんなこぼしちまう。


( 中略 )お前の頭の中には、今までの役にも立たない屁理屈がいっぱい詰まってる以上、いくら俺が尊いことを言ってみても


それをお前は、無条件に受け取れるか。受け取れないものを与える。そんな愚かなことは、俺はしないよ。わかったかい? 』

( 天風先生座談から )


 これは、本当に、手厳しいし・・でも学ぶところが多いんです。
 

「 一応、参考になるかもしれないから聴いておくか・・」とかいうような仙骨がちょびっとそりかえったような身体と自らの傲慢さを自覚できない心のあり方では与えるだけ無駄ということをカリアッパ師はインスピレーションで看破したんでしょうね。

 で『 自己責任の原則 』に戻るのですが、この原則やコヴィー博士の第一の習慣をなんとか身体にねじ込んで( 体験的に )学ぶには、

 『 責任を受け容れる痛みの自覚 』→『 素直さの定義と自覚 』という前準備の【 成長の細かいプロセス 】がバックボーンに必要かもしれません。
 それと、与えられることに対してリラックスして素直・謙虚に喜ぶ姿勢・・。
 

 なぜなら、自分自身を好きじゃないと人も好きになれないし、愛されたことのない人は本当の意味で人を愛せないから。
 与える前に受けるのが上手じゃないといけません。

 コヴィー博士の奉仕的な生活がピラミッドの最下部にあって、この7つの習慣という名著が産まれたことを俯瞰( ふかん )しなければなりません。
 
 奉仕が喜びというような( 豊かさマインド )がアタリマエのこととして根付いている非凡な方?と私のように奉仕が喜びなんてあんまり、考えたこともなかったような凡夫がこの第一の習慣を習慣にするには、さまざまな
壁があるんですね。

 見えない壁が・・。

 で・・自然体のリラックスした身体に根ざした素直・謙虚になれないと愛を真正面から垂直に受けにくいんですね。
 


 それと・・次の『 自覚 』という自己の頭の中の脚本を客観的に見つめる能力( 客観視 )にも練磨する必要があると思います。
 
 天風先生は特定意識による思考の客観化と定義しているようです。

 この『 客観視 』については

 例えば

あなたは今、思ったり考えたりしていますね。

この文章を読んで妙に納得してみたり、批判してみたり・・・・。

 始終あなたの心は思ったり考えたりしています。

 でもあなたは、思ったり考えたりしていることを客観的に赤の他人( 第三者 )のように静かに眺める( 見つめる )こともできますよね。

 思考を第3者の立場で観察できることに気付くはずです。

 あなたは、今何を考えていますか?冷静に第三者の立場で眺めてみてください。
                   
      


 あるいは、あなたは今この文章を読んでいるわけですが、読んでいる自分をまるで他人のような立場で静かに眺めてみてください。

 ああよくこんなわけのわからんこと書いてる文章、頑張って読んでいるなぁ・・とかいう風に・・・。

 そういうふうな『 客観視 』をすることを習いにすると




7つの習慣の非常に重要なアイディアである


『 刺激と反応の間の選択の自由 』に、はっと氣づくことが出来るようになりやすいんです。

 で、テレビの何氣ない街頭インタビューの出来事からも『 観方・あり方 』に氣づけるんですね。

 

 

( 参考記事 )



夢を叶える宝地図のこと・・ちょっとした秘訣
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 この宝地図・・有名ですが・・うまくいく方とうまくいかない方・・思いっきりワカレルようでして・・・私も原因がよくわかりません。

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願望実現のパターン 潜在意識が活性化すると 無意識の活用と自己実現

  
 何れにしろ・・どんな能力開発やら自己啓発の学習をするにしろ・・
  心のお手入れといいますか  
   潜在意識のクレンジングが重要というのは・・非常に痛感します。  
   

宝地図の実現力を高める方法 自己実現( 願望実現 )・・自己啓発のためのテープ学習
     とかも参考になるかもしれません。

欲する事柄をグングン引き寄せる・・習慣化のための日常心得

 上記をベースに・・ご自身のライフスタイルやら
  好みに応じて・・それぞれアレンジ為さってもいいかと思います。