ジーニアスQuest

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このブログは、潜在意識のクリーニングの方法の研究や 目標達成や気の持ち方のコントロールの実際方法
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実践サイトなども参考にして心身の管理や
生活を支える生命の秘めた力を煥発させ
弱りがちな心を立て直して
生活に佳き変化をもたらす参考にしていただければ幸いです。



   

霊性成長主義および霊性満足の生き方の探求とお金のこと (続き)

※なぜ、お金さんたちに好かれるのか?



今回の内容は世間一般に膾炙された一般的なお金を得るル-トと違うルートの提示になります。

未だ解明が完全にはされてないル-ト( +未整備ル-ト )と言えるかもしれません。


それを説明するのは、とても難しいわけで、天風哲人の生きざまから説明しないといけないので、そこから解説していきます。(少し脱線もしますけどご容赦を)

中村三郎(天風先生)は、インドのカンチェンジュンガの麓の村での暮らしの中で
聖者とのちょっとした会話や巨大な滝つぼの脇での瞑想修行で少しずつ感じる心を超えた魂がインスパイヤされるという僥倖に恵まれました。

聖者のとりなしと自身の弛まぬ研鑽で
非常に苦しい痛みや途方もない不快感を心にしきりに伝える難病に感謝できるようになり、
さらにそこから、大きな体験と気づきを経て死病をも克服するという体験も得たわけです。

※私の視点からコメントするならファースト・ステップとして
聖者の諭しで魂視点から見た難病の意味を感得し、難病に感謝できるようになったのも転機になったわけで大きかったのではないでしょうか?

やはり、どんな境遇だろうと感謝で受け止めるとこから始めないと、、、
ブツブツ文句を言い、´親がちゃ´とかいう不遜な言葉が流行ってたら、そりゃあ運も開かれないのかもしれないですね。



※(思うに)自らの努力はもちろんあったでしょうけど、
インドのカリアッパ聖者のとりなし及び助けは、とてつもなく大きかったでしょう。

一般的には、カリアッパ聖者みたいな、ああいう振る舞いは到底できないでしょう。

カリアッパ聖者視点で見れば、どこの馬の骨ともわからない、
しかも小康状態とはいえ、感染性の奔馬性の肺結核を患った方の身請け人になるというのは、
簡単なことではありません。

一般には、とても、出来ないことでしょう。

カリアッパ聖者が、そういうことが平気で出来る御方で

中村三郎(天風先生)の難病は、治ると直覚し、見込みがあると思ったので、
「(インドの山奥の村に来て)修行してみるか?」。と中村三郎に打診し

三郎が感に打たれたようになって、一緒に行くことを決意したので、連れて行ったのであろうし

そういうことが出来るから´ 聖者 ´と言えるのかもしれません。

カリアッパ先生の助けがなかったら、
当時の医学的一般常識的に観て、中村三郎は、とうの昔(30代後半)に亡くなってるでしょう。

カリアッパ先生のとりなしが無ければ、
中村三郎の未来(の局面)はエネルギー状態としては低いまま、、
違ったものになっていたと思われます。



中村三郎は、修行先のインドのゴルケ村においても聖者の指導の下で弛まぬ研鑽を為さったわけで、
そういう常人には耐えることが難しい厳しい修行をバックに
聖者をバイパスした高いエネルギ-が、命に注ぎ込まれ
運命修正され奇跡ともいえる現実を体験できた、というのがあるのではないでしょうか?

勿論、それまでの中村三郎の求める求道の熱意と、ど根性が凄いというのはあるでしょう。
世界中を廻って、全く先の見えない、、、
暗中模索の苦闘の探求をした命懸けの求道の土台があったからこそ、
カリアッパ聖者とのご縁が出来て、聖者の心を動かしたのでしょう。

それを証拠に、1911年当時のカリアッパ聖者の大都市カイロにおける旅行行程で、
インドに帰路する途上で物理的に聖者とすれ違ったり、とりあえず形だけでも聖者に出会う、ご縁が出来た人々は、当時において何千人にものぼる数でしょう。


そういう方々は、聖者と応接できる要素(内的準備)もなく聖者の氣を全く引かず素通りしていった中で
中村三郎は、聖者の気(関心)を引き、応接できる大きな背景的求道の取り組みがあったというのも要因として非常に大きかったのではないかと、、、。

事実、カリアッパ聖者は、「 世の人の大半は、地位だ名誉だ、酒だ、金だと、そういうものを追いかけている。順風なら尚更そうなってしまう。人生真理など求める人は、ほとんどいないよ 」。と言ったニュアンスのことを三郎(天風先生)に漏らしています。( 「成功の実現」第三章出典 )



(少し視点を変えて)
カリアッパ聖者視点で見たら
カリアッパ聖者は、中村三郎という、たった一人の青年を根底領域から救うことで、
その後に連なる多くの未来の方を救う可能性を残したってことになります。

聖者の戦略とは、なんとも凄まじいものだと思わざるをえません。


中村三郎は、そういう、底知れぬ力を持つカリアッパ聖者のとりなしとご自身の決死の修行との合力で不治の病が快癒した後、

中国の辛亥革命に際し孫文の護衛役を引き受けたそうです。そこでは、王侯貴族のような待遇も受けたとか。

日本に帰国後は、幾つかの会社を経営したり銀行の頭取としても敏腕をふるったと言われています。

(年齢的には、大体、三十代後半〜40代はじめくらい。
静かな迫力と言いますか、ああいう生死体験を、幾度も乗り越えていたら
庶民にはない、ある種の´ 恐ろしさ(迫力)´と´ 命の器の大きさ ´も兼ね備えるに至っていたでしょう)

ところが銀行の頭取まで為さっていて経営もうまく行っていたのに

ど派手な本能満足の生活をするうちに、またもや体調がややおかしくなったのと

刹那的かつ、ど派手で快楽的な生き方より、より高い生き方を発見し、

そちらの方が、より清々しい、言い知れない悦びを心身に与え
刹那的な本能心の我儘を鎮めることを強く感じるようになったのだとか。

きっかけは、お遊びの座談会だったそう。

事の経緯はというと、、、

中村三郎は、40代でバリバリ精力的に、幾つかの会社経営や銀行経営の実務をこなしていた、
暇つぶしのついでで( 銀行経営の傍らで )ノイローゼになって、生きる気力も失せ切って、
生きる屍になってしまった方、数人を自宅に招いて話す( 雑談をする )という事になり、

奥さんも旦那(中村三郎)の話を聞きたいというので
一緒になって暇つぶしで話したのが、その´はじまり´になったとか・・

中村三郎(天風先生)にとっては、お遊び。
暇つぶしに過ぎませんでしたが、
生きることに絶望したイロ−ゼになった方々にとっては、それはそれは貴重なもので、
その雑談を聞くうちに、その顔つきが変わっていき、明るさや気力を取り戻したそうです。

蘇っていく姿を見て、得も言われぬ悦び(言い知れない幸福感)を感じたのだとか。


このように遊び半分の軽い気持ちで始めた、ささいなことが、きっかけでしたが

インドで修行し悟り得た体感の原体験をベ−スにして、お金よりエネルギ-の高いことである
心の問題の解明や人がより強くよりよく豊かで幸福に生きるための
HOW TO DOの実践的体系の構築を含む探究に取組むようになり

本腰で取り組むことを決意した天風先生(中村三郎)は、
奥さんの生活のための財産だけは残し、うまくいってた銀行の頭取を辞めちゃったと聞きます。


所謂´ すってんてれつく ´の無一文。
全くもって収入の当てのない境涯に自ら飛び込んだわけです。

社会的名士にもなってた方が、
いきなりバナナのたたき売りみたいな野天口演やりだすんですから、、

本当に振り幅の大きい人生と言いますか、命の器の大きい方の特長でしょうけど。

辞める際は相当に、凄まじいほど親戚筋に猛反対され罵られたらしいです。(;^_^A


なのに、フーテンの寅さんみたいな辻説法を上野公園などでし
止むにやまれぬ衝動に突き動かされて悟りを人々と共有しようと奮闘したり

なぜ人は心を取り締まれなくなり、不幸福な境涯に落ち込むのか?
といった本質的なことの究明に心を砕いた質朴な生活( 私の眼から見ると、これは見えざる大きな進化向上の大きな流れに貢献する、お金よりも価値高いことに取り組んでいて形而上のエネルギーが高い質朴な霊性満足の生活に該当 )をし
高いエネルギ-状態の生活をしていると、

なぜか不思議なことに、
は?!コントですか??
ってくらい不可解な事が起こって盛り返してますよね。

( 詳しくは口述書「成功の実現」をご覧ください )

ここで天風哲人が8年がかりの探求で人の心が弱くなり
事柄に押しつぶされ心のエネルギ-状態を低くし心を後ろ暗く重くさせる、所謂、原則から外れたことをして
不幸福な境涯に落ち込む原因および前提として発見したことを感受性の視点で3つほど簡単に述べるなら

1、心が強い、あるいは弱いというのは、感じせしめる感応性能という心の性能が、そこに関係していること。

2、自覚できる表面意識の奥の「 意識に上る以前のとこ 」が原則から外れたことを日々の生活で積み重ねることで知らざる間に汚れて
心的エネルギ-状態が低く淀むようなことに至ることと
心が幸福感や安心立命を深いとこから感じることが難しくなっていくことは相関があるということ。

言い換えるなら

心の奥の潜在意識貯蔵庫に詰まった思ったり考えたり、想像したりする感じ思うための材料そのものが
調和的発展の原則から外れた消極的なもの(いわゆる心を後ろ暗く重くさせる雑念妄念の材料)で始末に負えないくらい一杯になって、
エネルギ-の状態が低くなり感謝と喜びから離れざるを得ない生活になると、

外界の印象を取り入れる知覚の窓に当たり、心の強さにも関係する感応性能も
ガクーーンと調子を崩してしまう。

そうなると( 傍からは客観的に恵まれていると見えていても )

当の本人の自覚できる心は、どこがどうという事もなく弱体化し心も取り締まれなくなって
何を見ても味わっても、初々しい気分で感動を(したくても)
ちっとも出来なくなるということ。


このことに、多少なりとも関連したエピソードを述べるなら、、

( 尤も、あまり詳しく話すと個人情報になるので、抽象化して少し変えますけど )

ある会社役員さんのMさんと話したときに、
その方が、しみじみ語ってたんで印象に残ってるんですが

Mさんは部下の従業員さんたちを沢山引き連れて、
ハワイに社員旅行に行ったのはよかったけれども、

会社の経営、経理上の様々な積み残しの問題で頭がいっぱいになり

ハワイに来てるのに優雅な旅行どころではない。

 体はハワイのビーチパラソルで寝そべって
傍からは楽しそうに見えたかもしれないが、

心は苦悩と不安で押しつぶされそうだったんですよ 」。


と苦笑いしながら話してました。


少しイメ-ジが違いますけど以下のようなイラストになろうかと思います。

体は物理的にハワイなのに、心は、ああもこうもの悩みで押しつぶされそうで
心が浮かばせる取り越し苦労に押しつぶされ今を満喫できない状態と申したらよいのか。

hawaii

もちろん、安心立命を心が感じる、、日々の心が感じる幸福感というのだけ
人の欲望がパーフェクトリーになるわけでは決してないでしょう。
生きてる以上、外的な物質的な満足も大事でしょう。

ですが、バランスの取れた生かし方という視点で見ても
肉眼の目には見えない内面で安心立命を心が感じ、それを維持できるというのは、優先順位として非常に高いでしょう。



3、意識に俎上する以前のとこをお掃除し感じせしめる感応性能の調子を整え発展に向け習慣化することをせず、

肉体本能(肉体感覚)の我利我利の快楽要求や物質的な欲を満たす事だけに邁進し
感覚や感情衝動を制御調整しないどころか、

「( 意志と腹の力で衝動を制御 )など考えたこともない」。というような

恐れ、怒り、悲しみ、取り越し苦労、疎外感、不平不満、妬み等の感覚や衝動の赴くままの消極感情本位、感覚本位、自我ファーストに深く結びついた我儘な肉体本位の衝動的な生活をし

そういう衝動に振り回され自我本位の欲を満たす事ばかりに躍起になって、、

心を積極に振り向け、奥底を洗い心を喜びと感謝を伴う積極に日々耕し
行為で心的エネルギ-を清新化し積極的な方向に向けて習慣にしてあげないでいると


ただでさえ、世間はメディアとの相互依存、
相互影響の悪循環の影響もあって価値観も多様化し、何が本当に大事な事なのか?わからなくなり振り回されがちで、ぐらつきがちな世相であり、
世相のベ-ス自体が、物質主義に偏りがち。
さらに怖れや不安、不平、不満、怒りを煽って消極的な暗示感化影響を受けた低い場の雰囲気下にあるから

よほど対策を施さないと気が付いたら心も殺伐化し霊性満足から離れたことに誘惑感化も受けやすく、あちこちに心を振り回されやすくなります。

※価値観の多様化ってのは、言い替えれば、何が本当に大事なのか、混迷化し右顧左眄しわからなくなってると言うことも出来る。


自己ケアを怠ってたら妬みや不平、意気消沈させる心象材料ともいえる阻害因子が知らざる間に
潜在意識領のパイプに上塗り、厚塗りの形で幾層にも溜まってバランスの取れた原則に沿った生活から脱線しやすくなるということ。


そして、それが、ある閾値を越えると、やがて感じせしめられる心を調和や発展向上に向けて取り締まる実力のある意志の力も弱り、
その他の心を退転させる要素も絡まって、

心を監督できなくなって停滞し哀れ惨憺なことになるという事。

( 詳しくは<より深くは >「成功の実現」などの口述書をご覧いただければと思います。
これらのことを発見できただけでも、凄まじく画期的でしょう。

こんなことを自分で発見し体系化しようと思ったら20年、30年どころか
数回生まれ変わっても発見及び解明出来るか、、私には全く自信がないです。私も相当に探求してきたつもりですけど )

さらに、これに運命、運勢的な事も、少し私の言葉を足して加えるなら

自我の底の底ともいえる印象貯蔵庫が溌溂に感じられ思うことを阻害する元気をなくし気持ちを挫く因子で始末に負えないくらいになって

森羅万象、生きとし生ける生命を生成化育せしめ進化向上を促す大生命
( 天風哲学では、宇宙霊と定義 )との繋がりが弱くなると

当の本人は、大生命(宇宙霊)のことが、全くもって分からなくなり発展軌道からも外れて脱線した苦しい生き方になるということ。

こうなると元に戻るのは、とても難しく輪をかけて感謝を感じられない、、歯車が噛み合わず坂道をコロコロ転がるように刹那的で苦しい投げやりな生き方になっていきます。

いずれにしろ様々な経緯で自我の底の底の潜在意識の領域が始末に負えないくらいに汚れると
判断や決断、選択もおかしくなり、運命も、ガタガタになり、おかしくなっていくということ。

※この件については心のことなのでわかりにくいと思いますから
例えば、排水パイプが( お手入れ、お掃除を怠って )ドロドロ汚れで糞詰まって水が、あまり流れず淀み停滞し循環していかない有様を想像したらわかりやすいかもしれません。

1w


心の奥座敷が上の図の左側のイラスト図のように雑念妄念の汚泥が、どろどろで停滞し
妄念材料で一杯になり雑念妄念の材料が幾層にも折り重なって表面意識に湧かせ、重く暗くするマイナスの思考原料がどろどろに淀んでる状態だったら、
そういう材料を使って流れ作業的に組み立てて表面意識は思考をして判断し決断、行動するわけだからエネルギ-状態も低いわけで
発展軌道につながる行動も出来る可能率が極めて低く
間が悪く、どこがどうという事もなくツキもなくなって萎縮するでしょう。



裏返せば、たとえ不遇な境遇であったり、精神的にも苦しい状態であったとしても、

メインサイトに書いてるように3つの問題を意識し、
意識に上る以前の潜在意識領域のパイプに詰まった障礙(消極的思考因子の目詰まり)を
少しずつ掃って心を奥底からクリ−ニングしていくことで( パイプを綺麗にし )

上図の右側みたいにしていったら、向上発展せしめる気とも言うべきエネルギ-の流入状態もよくなり高まって日々に明るいものが兆すようになるし場との融和が図れ
発展と調和を促す大自然の活かす力との繋がりも徐々に強まるということ。

そういう後天的取り組みで心的なエネルギ-の状態がよくなっていくと、どこがどうという事もなく間もよくなって発展軌道に乗せる可能率が高まる。

そう出来れば、比較的楽に本来の幸福で充実した生きがいある生活に誘導されやる可能率が高まると言うことになります。

メインサイトにも書いてるように。

少なくともHOW TO SAYではないから凄い希望が持てると思いませんか?



※退転せしめる背景( 温床 )の一つは、口述書にも指摘がされているように、心をあちこちに振り回すことにしか注力してないマスメディアの報道のあり方というのは案外大きいのかもしれません。

テレビ、新聞などメディアの報道は耳目を集め騒がせ、世間に自分たちの隠然とした影響力(権力)さえ誇示し行使できれば、基本は、なんでもありで、

不都合なことは見て見ぬふりのスルー。そして人心を振り回して視聴率さえ稼げればOKというマスメディアの報道のあり方が世間に与える影響は、思ったよりかは大きい。メディアの力は、よきにつけ悪しきにつけ大きい。
決して無視は出来ないでしょう。

( 事実を報道するにしろ、ピックアップしフォーカスする事実自体が
恐れや不安、怒り、不満を煽り人心を振り回す消極的なのが多いのは今に始まった事ではないです。
当然ですが、そこに溌溂とした清新さを増し霊性を耕す視点などありません。
よいとされる記事ですら購読率を増したいために意外性にフォ-カスし、人心をウロチョロ、ちょろちょろあちこちに振り回すだけ、というようなものになりがちです )


※メディアは、隠然とした権力を揮いたくて、人心をあちこちに振り回すことにしか興味がないと考えるくらいのほうがいいかもしれない。そう考えると気楽に見てられるかもしれません。


それに力だけは強い不要残留本能に訴える嫉妬や怖れを煽る消極的なものがメディアで報道されるものには傾向として多いので、、
情報の本質を見極め、高い次元で等閑視的にいなすスキルがないと
好ましくない影響を受け、そちらにリアルをより強く感じる生活に誘導される可能性もあるということかもしれません。

連想暗示を上手くいかせるヒントとして
この記事でも少し詳しく書いたように。


※いなす方法を知らず、受け身で影響を受け過ぎると、
大概のメディアの情報が人々の不安や恐れ、不満、怒りを煽ることをベースにした心を、振り回し、ざわつかせるもので

さらに言えば暗く重くするものが多いし、そこには多面的で俯瞰的な視点を提示するものや
霊性を耕す視点など皆無です。



とにかくメディアの影響を受けた世の中(世間)は、圧倒的に消極的な暗示が多く
世間とメディアの相互影響で、消極的な雰囲気下にあるから、


心の統御や日々を朗らか、発展的に生きることに取組むような方は
意識的努力をしないと、ほんと禄でもなくなります。

ある人が、世間では「弱った、困った、情けない、恐れ、不安、愚痴っぽい事、不幸、病、最悪、、etcを
話のタネのベ−スに話したほうが圧倒的に同調と共感を得られやすくて会話が盛り上がって続くので困る」。
「逆の話題で励まそうとしても、何か白けられてしまう。お酒の席では一層拍車をかけて尚更」。とぼやいていました。
心の態度を積極に高めることに取り組んでいる方の場合は、こういう課題を抱くケースも、案外多いのではないでしょうか?


そういうふうに元気をなくし運も悪化してるところから
少しずつ、しかし着実に、どのように立て直して頭(体)も心もプラスで一杯にし発展軌道に乗せた生活を実際に可能にするか?ということ等も
天風哲人は、インドでの悟りの原体験をベースに、その後の弛まぬ求道と探求、、さらには、それらによって誘発された高次のインスピレーション(霊感)で解明しています。
これは言うなれば

ごく普通の庶民にも幸福に生かすための自己統御の道を開いたと言えるのではないでしょうか?


こんな画期的方法が、ありきたりの学問研究等で生まれるはずはないよ。
と思っていたのですが、どういうルートで解明できたかを精査すると、たゆまぬ探求を背景にした高次のインスピレ-ションが関わっていました。やっぱりでした。

この天風って方は、自身で編み出した行法を世界一熱心に実践し冷水行も日々の習慣にし何十年も、それを続けてこられた方でした。そういう心身を清浄にする鍛錬をした背景のある方がインスピレ-ションを感じ編み出し体系化し語るものが発展と清新の気を与え読む人を勇気づけ元気にしないはずないでしょう。



ほんでもって、ここからが、お金のことについての、より突っ込んだ内容になるわけですが

中村三郎は、20代の軍事探偵時代に、当時の敵国(ロシア)のコザック騎兵にスパイ容疑で捕縛され、
明治時代は国際法が整備されてなかったから

簡易の軍事裁判で死刑宣告を受け
「 銃声一発であの世行き 」というギリギリの境涯で
断頭台と言えるような場に実際に乗っかっても
他人事のように自らを俯瞰的に観て、ギリギリの境涯ですらも、
その心をざわつかせることのない心の強さがある、、所謂「 豪の者 」でした。

ところが、そんな途方もないメンタルの強さと胆力の強さが´けた違い´の方が
九死に一生を得て奇跡的に助かって以降、
軍事探偵とは別の比較的安穏な任務をしていた際に死病に取りつかれました。

この当時における不治の病( 奔馬性肺結核 )になったことが、きっかけで、

心のことで七転八倒、散々っぱら悩み苦しみ喘ぎ恐れ悲しみ恨み迷い抜くという境涯に陥り
医学はもちろん宗教にも救いを求めました。

しかし世界的な肺の権威の医師に診てもらっても、どうにもならないと余命宣告され

国内の、、日本史に出てくるような当時における、それぞれの宗教、宗派を代表する著名な宗教家にもすがり
教えを乞うて実践するも、どうにもならず心がこんがらがった糸くずみたいになって余計に、、、
泣きたくなるくらいに弱---くなり

一般人のいわゆる豆腐メンタルよりも輪をかけて弱く、かつ地獄の三丁目みたいな、、、
表現するのが難しい、、形容しがたい心境になってしまったと聞きます。(;^_^A

それで、元の心の強さの半分でもいいから取り戻したい。

このまま死ぬくらいならと病が小康状態になったタイミングも見はからい
背水の陣の決意をし、意志の力を奮い起こし密航という手段まで駆使し
( お気楽、ご気楽な観光とかじゃない真剣、深刻な求道で )アメリカ(の自己啓発作家)に会いに行ってます。
※肺病を患ってたらビザなどおりるはずもないから、密航しかなかったのだとか。

会いに行くのにも当時のお金で億単位の所持金を持って渡っていますよね。

これだって大名の出自とはいえ、途方もない額でして、
これだけの額が集まったのが不思議なくらいです。

また当時の貨幣の価値で「 億単位 」のお金を持ってアメリカに行ったのに、
当時のアメリカは、日本と比べ物にならないくらい物価が高くて、
アメリカで暮らしているうちに途中でお金が無くなって
スッテンテンになってしまうという体験も中村三郎(天風先生)は為さっています。

しかし、そんな時ですらも不思議な機縁で、同時通訳のバイト(しかもバイトの相手が富豪で留学してきた華僑の医学生)が見つかって不可思議、思いの想定圏を超える形で、

何か大きな舞台で、監督兼脚本家が高い位置から役者をホイホイ配置するみたいな感じで

するする、するりと窮地を脱してますよね。


弘法大師 空海だって、私度僧が遣唐使になるのは、途方もない財が必要だったのが、
人の命のあり方をよりよく変え、生活をよりよく変える真理探究に燃えに燃えまくって、高い境涯に自らの心を少しでも引き上げ近づけようと発心、発願し
一層学びを深めたいと熱願し苦闘し、そういう高いエネルギ-の質朴な生活をしてたら、

なぜか不思議なことに、思いの想定を超える所謂想定圏外でザクザク財が集まって
( お金だけでは決して国家事業の遣唐船には乗れないわけで )それ以外にも奇跡的ともいえる成り行きで
遣唐船に乗るという夢が叶っています。

その後、密教の奥義を青龍寺の恵果和尚という当代最高の師から伝えられ灌頂を受け、その目的を達成してますよね。

その後の空海の活躍もすさまじく、日本で初めての庶民のための私立学校である綜芸種智院の設立や満濃池の改修など社会に尽くす事業も手がけています。

これは、恐らくお金などより遙かに高い価値を持つことに取組んだからではないかと。


お金そのものを求めて、水平次元で欲するのではなく
形而上のエネルギ-視点で見てお金より遙かに価値高いことに熱心に取り組む生活を意識するということ。

そうすることで、命の活かし方の次元が上がるから、それを助けるために、
普段は、偉そうにしているお金さんたちが、なぜか奇妙なことに必要な時に必要な分、
追いかけるようにして、すまなさそうに後にくっついてきたという見方も出来るのではないでしょうか?


あっしらを捨てるんですか??そんなご無体な・・まってくだせえ!!
お役に立ちたいんでやんす・・というような感じ。

※ここで価値について、コメントするなら、、
価値があるっていうのは、より本質的には、人の生活をよりよく変えるでしょう。
 
お金だって人の生活を変えますけど、
命の活かし方の根本に働きかけ生活をよくするシンプルな実際的ノウハウは、世間的には軽んじられがちとは言え

実践さえ継続できれば当の本人の命のあり方を変え、その延長の生活を健全にし、心を尊く強く出来て、より良く変えます。
ゆえに一層価値が高いでしょう。

( お金の場合は、分不相応に器を越えて持ち過ぎたら、高額宝くじに当たった方のように生活が乱れて不幸になる方だっていますけど、
人が心を積極化できず脱線し不幸福な境涯に落ち込む原因を解明し、そこから、どのように具体的に立て直すことができるか?その方法を教え、人それぞれの潜在的可能性を実際に拡げてあげる実際ノウハウは、よくすることしかしないんだから、一層価値がありますよね )

もちろん、お金さんたちは、現代社会で、幸福の要素の一つであることも間違いないことでしょう。

しかし、物質的満足や感覚の満足を超えた「 より高い生き方 」という、世間一般には、あまり知られてない未だ整備されてないル−トというのがあって、そういう高い次元の生き方の探求を、ある意味余儀なくされ理想を体現しようとするプロセスで、無頓着でお金さんを大切にしないのに、
なぜか、お金さんたちに好かれまくって、お金さんに困らなくなるという方もひょっとしたらいるかもしれないと考え、
そういう霊性本意の生活法の研究をするのもワクワクさせられるし、そういう事の研究も、やぶさかではないと考えます。

というのも、天風先生ご自身も絶体絶命のところから聖者と深い出会いを為しインドで修行して
日本に帰国後は銀行の頭取を為さったりしていて銀行経営だってうまく行ってたわけです。
そのまま既定路線を歩んでたら、普通に富豪か、大そうな資産を築いて、それに近い状態にはなれたでしょう。

しかし、まあ、見事なくらいにあっさりと、そういうのを捨て無一物になって、
焼きおむすびを持参し、上野公園とかで、フーテンの寅さんじゃないけど、

頭取までやったような方が、自身の悟りを分かち合いたい、
一人でも、苦しみ多い人生から蘇らせ喜びを分かち合いたいなと切に思って
バナナのたたき売りみたいな・・いわゆるゲリラ・ライブみたいなことを熱心に為さって奮闘してますよね。

こんなことは、内的動機が浄められてないと出来ない行為でしょう。

 私も、これがあったから、ここまで研究してるってのもあるわけですけど。
 天風先生(中村三郎)が銀行の頭取で終わってたら、
ここまで熱心に実践研究してなかったでしょう。


 それに、こういう高い次元の命の活かし方の探求を余儀なくされ、
心身を清め鍛え理性心や本能心を超えた霊性心(神道では直霊)にそっと心の耳を傾け耕す生活に熱心になり
役立ちに心を向けたって富豪にはなれないかもしれません。

むしろ、形而上の善を優先し本当の意味で探求すればするほど今の世の中では、どうやら富裕とは離れる傾向、いびつな構造があるかもしれません。哀しいことに。

このことについてはこの記事でも簡単に言及してますけど。

ですが、眼に見えるものを追い求めることを最優先する物質的かつ本能的な(肉体感覚)満足でもなく理知を最優先する理性満足でもない。
感じせしめられる心をも超えた、眼に見えざる、心より霊妙な魂本意、情け深い霊性満足の生活法の探求及び、それらのバランスを取った生活は、そういう人が増えれば増えるほど社会の厄介な問題が氷解しやすくなるだろうし

実践する本人にとっても´人生のエンドロールが流れる日´に心の後悔は少ない生活であると直感しワクワクしながら研究しています。


※後半ペ-ジも、形而上のことに言及しながら、内的動機を正すことの意義や重要性について、もっと踏み込んだことを書いて公開してたんですが、流石に難し過ぎ。(^_^;)

世の中、色んな人がいるわけで

知っても人によっては真面目な人ほど煩悶が増して

メリットよりもデメリットの方が大きくなるかもしれないという懸念があり、インスピレーションの助けを借りて書いてるんですが
時期が来てないというのが強くプライベート設定にしました。すみません。m(__)m

いずれにしろ、先に挙げたことを意識したら、お金の使い方も発展原則に沿ったものに変わってくるものと考えます。
続きを読む

スティーヴン・プレスフィールドは彼の著書「The War of Art」(アートの戦争)において、
「レジスタンス」について詳しく語っています。

彼によれば、「レジスタンス」は、夢や目標を追求しようとするとき、
新しいライフスタイルを追求しようとするとき、

または私たちが創造的な作業に取り組もうとするときに顕れやすいとされています。

レジスタンスは、私たちが変化を恐れ、快適ゾーンにとどまりたいと思うときに発生する内面の抵抗と言い変えることも出来るでしょう。


それは、怠惰、恐れ、不安、罪悪感、言い訳、自信の欠如、気晴らしに逃げる、完璧主義など、さまざまな形をとります。


このレジスタンスは、私たちが成功することを妨げ、理想の人生を生きることを阻むとされています。


私たち全員が、ある時点でレジスタンスを経験します。それは、誰しもが直面します。

なぜなら、レジスタンスは主に自己防衛機制の一環として存在するからです。

人間は本能的に不確実さやリスクを避ける傾向があります。
もちろん変化や未知への恐怖は生存の観点から見て有用の側面もあります。

新しい行動を取ることは、その結果が未知であるため、リスクを伴います。

よって、私たちの脳は安全で快適な「現状維持」を望む傾向があり、これがレジスタンスの一部として発動するとも言えるからです。

しかし、外界の万象は流転します。私たちは忘れがちですが。

ですから、いくら快適でも「現状維持」に甘んじていたら、それこそがリスクでしょう。

また、人間の心理には「不適応な信念」や「自己否定的な思考」など、自己成長や成功を妨げるパターンが存在します。

これらはしばしば、自己価値の低さや恐怖、不安を生み出し、それがレジスタンスとして表れることがあります。続きを読む

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