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山本権兵衛翁とその妻 ※不思議な運の強さ 「 因果の法則の考察 」

メルマガ(205号)の隠しテーマで運の強さ( 運の良さ )は、何が関与するのか?というのを理解するために


明治時代の偉人・傑士のおひとり「 山本権兵衛翁 」が奥さんと出会ったいきさつのことを紹介し、
その後の不思議な運の良さについては、なんらかの法則関係があるのではないか?その運の良さの本質を探り、´それ´を知ることで私たちの生き方や生活に役立て得ることがあるのではないかということで少し言及してみました。

運がよくなるのにはいろんな方法やルートがあって
本人の決意というのが大きく作用しているというのは間違いないものと思われますが



苦しみの原因を作れば苦しみの結果がある期間を経て生じるけれども、
感謝される喜びの原因を作れば喜びの結果がある期間を経て生じる因果の法則・・
感謝されることと不思議な運の強さとの関係法則というのがあって、それがおぼろげに見えてきた方も多かったのではないかと思います。


こういう法則が作用してるのではないか?というのは仮説ですし戦争が関わってる方を扱うのは、今は流行らないんですが・・あえて今回もこのことについて記事にしてみます。




そもそも私が山本権兵衛という方に興味を持ったのは、



不思議に運のよい方と言われている「 東郷平八郎元帥 」のことを深堀りで調べたことがありまして
それがきっかけになっています。

 

東郷平八郎という方を一躍有名にし「 TOGO 」にしたのは


 ロシアの南下政策との軋轢で衝突した日露戦争の最終局面・・日本海海戦において翁が連合艦隊司令長官として指揮しバルチック艦隊を撃破したこと

 これが、その名を世界に押し上げる大きな要因になったと言われてます。





 この海戦では、秋山眞之参謀などの立てた戦略・戦術が、うまくはまったのはもちろん、幾ばくかの幸運が重なったことも勝利につながった・・とされていまして、東郷翁の運のよさを象徴するものとして位置付ける方も多いようです。



このとき、もし日本がロシアに負けてたらどうなってたでしょうか・・

 太平洋戦争で日ソ中立条約を一方的に破棄されて侵攻され占拠された
「北方領土」

 これは、いろんなしがらみ絡みついてて、なかなか前に進まない外交問題の一つですけど・・

 この問題が70年経った今現在ですらも解決されず、いまだに北方4島が返還されてない寂しい現状を考えたら・・よくわかりますよね・・

 

 ちなみに日本の固有の領土で占拠されて、解決のめどがまだ立ってない島のひとつの
択捉島( えとろふとう )は3186kの面積があります。
 あまりピンと来ないかもしれませんが
沖縄の大きさが島全部合わせて2271k( うち沖縄本島 1207k屐)の大きさで
沖縄より大きいんですよ。鳥取県が、3507kなので、だいたい同じくらい。

 国後島だって1490kの大きさがある。
 香川県の面積が1862 kですんで、あんまり変わらない・・

hoppouryoudo

  戦争は悲惨・・・嫌に決まってるけど、残念ながら、これが現状・・

 ですので、あの当時の東郷平八郎元帥の運のよさは、国運を左右したと言っても決して言いすぎではないでしょう。





 ですが


 ちょっと待てよ・・・


 よくよく考えてみたら、そういう国難の際に運のよい東郷翁を抜擢した方というのも、相当に運がよいのじゃあるまいか?


こういう有事に、しっかりと人事配置できる方・・というのも

「 運がよい 」に更に輪をかけて「 運がよい 」

腹も据わってるはずだ・・とふと思ったわけです。


そういう些細な興味から


日露戦争当時、4歳年下なのに東郷翁の上官で

海軍大臣だった山本権兵衛という方に好奇心が湧いて

その生き方、生きざまを調査することに至りました。




 そうしたところ


本当に・・調べれば調べるほど魅力的な方で

不思議に強運なんですよ。この方・・

「 東郷平八郎元帥は強運 」というブログやサイトは、それなりに多い割に

「 山本権兵衛翁は異様に強運 」という切り口のサイトはあまり見ないわけで残念至極なわけですけど・・とにかく運がよい方です。この御方は・・・




この方の生まれや若き頃を文献で調べたんですけど


ざっとかいつまんで語るなら

あまり裕福ではない士族の家に生まれてます。

家では父親から

スパルタの文武両道的家庭教育も受けています。
( 現代だったら、見かたによっては児童虐待になるんじゃないか・・ )

くそ度胸もあって

12歳のときに薩英戦争を体験し、年齢を18歳と偽って15歳で鳥羽伏見の戦役に参戦しています。

志も情熱もある・・負けん気や粘り強さもある・・ゆえに当然頭も、どんどんよくなっていく・・

どんどん頭もよくなり志も高いので当時の雄藩である薩摩藩( 今でいうところの鹿児島県庁 )から
選りすぐられた若者になる


西郷隆盛翁や大久保利通翁とも交流しています。
( ちなみに同じ町内<加治屋町>出身です )
西郷隆盛翁に紹介状を書いてもらって勝海舟にも面会して
昌平坂学問所、開成所を経て海軍兵学校で学ぶことになります。



ですが



海軍兵学校に入学した当初は

器が大き過ぎだったのか荒くれで実戦経験のない先生を尊敬できなかったせいか・・
先生や事務員泣かせで・・もう手がつけられない・・
当時は、お酒も飲む・・

実際、卒業するまでに3回ほど退校させられそうになっている・・

だから教官の先生や事務方の覚(おぼ)えも悪いです。


心酔していた西郷隆盛翁の鹿児島帰郷( 下野 )に同参しようと血気に走って21歳くらいのときに退校し、その後、西郷本人から諭され何とか復学しています。


そういう理由もあり17席中16席で席次( 評価 )も劣等でよくなかった。

この学生に将来性を感じた先生はいなかったんじゃないでしょうか?
 ( いろんなエピソードを知るにつけ早く出てって欲しいと思った先生ばかりだったと思われます )

それが22歳で兵学校を何とか・・・ギリギリのお情けに近い状態で卒業させてもらって

 士官候補生としての訓練に入って25歳の時に

 筑波艦演習の訓練を受けていた合間に帰港し

上陸した際の品川三丁目に村田屋という士官の宿があり

ここの2階に寄宿してた時

ちょうど真向かいに女郎屋があって、そこの2階に目をやったところ


そこの開けっぴろげになった窓の奥で、わいわいガヤガヤしてる中で

一人だけ娘がシクシク泣いてるのが浮き上がって見えてしまう

それが妙に気になって
  



霊性心がひょいと煥発したんだと思いますが





 正義感も手伝って事情を聞くために会いに行く・・・

そうして実際に会って、泣いてしまった理由や生い立ちも聞いてしまう
       ↑ ↑ ↑
( 恐らく彼女をまじかで一目見て雷に打たれるようなショックを受けたんだと思います )




そっから・・


ありとあらゆる智謀と計略を使い

・・いてもたってもいられなくなったんだと思いますが・・

周りの協力( 入れ知恵 )もあって女郎屋から奪還し、

まるくおさめる・・( 何とかまるくおさまった )
  ↑ ↑ ↑

ここから、何かがはじけたようにクラリと変わって運がよくなるわけです。
  ↓ ↓ ↓


 事実として、あんなに先生から嫌われていて乱暴で席次( 評価 )もよくなかったのに

トキさんを奪還して交流していくうちになんだか運がよく上向きになり


そういう出来事があった4〜5ヶ月後くらいに、海軍のホープ(の一人)としてドイツ留学できる運びになる。


( 一説には、山本翁が、あまりに乱暴で、手に負えず、もてあましたのでドイツ艦にでも放り込んで性根を叩き直してもらえ・・という勢いで派遣した・・という説もあります )


で・・ここでもまた運命の出会いともいうべき出会いをしています。

山本権兵衛翁をして後に生涯の師のうちの一人・・と公言するような方
( モンツ伯 )に、あの奪取劇があった4ケ月後くらいにいきなり会ってるわけです



gonbee4

 <山本権兵衛翁が生涯の師と仰いだモンツ伯> ( 伯爵 山本権兵衛伝 上巻 より引用 )

この方( モンツ大佐<当時> )は高潔な人格と高い教養とを兼ね備えた
名門貴族でして、運のよいことに、この人から非常に気に入られ覚えがよくなる・・

兵学校などから8名ほど選ばれて乗艦していますが、文献を読み漁って、総合的に判断する限りでは、このなかでも特に目をかけられ一番気に入られ、最も感化されたんじゃないでしょうか?


 このドイツ艦「 ヴィネタ 」に乗艦し1年半の厳しい訓練のなかで
グラフ・モンツ大佐(当時)の薫陶を受け講義や艦の運用実習による知識や技術の習得・・

軍政や政治経済も学び・・さらには徳目や西欧の合理主義的精神もマスターする。

 
そうしてさらに運がよくなり生活態度も改まるわけです。



このドイツ留学をした際に、あるドイツ将官に軍事において実習も大事だが思想および戦略や学術知識は、それを底支えするもので、もっと大事なので断酒をしてしっかり基礎的学問に励むことを忠告され、以降お酒をきっぱりやめた・・・という逸話も残っています。

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<山本権兵衛翁がドイツ艦ヴィネタに乗艦当時、学習の際に筆録したノート>
       ( 伯爵 山本権兵衛伝 上巻 より引用 )    


そうしてドイツ留学で、いろんなところを航海し日本に帰ってきてから

2年と半年後に帰りを待っていたトキさん( 後に登喜子に改名 )とめでたく正式に結婚するわけですが



超上げ間( ちょうあげまん )の方として前号のメルマガで取り上げた

山本権兵衛翁の奥さんの登喜子さんは

もし山本翁がこの方( 登喜子さん )と結婚して山本翁が大事にしてなかったら

恐らく山本権兵衛翁はあれほどの強運になってなかったと私は思っています。

※なお、文中で用いられている「 上げ間( あげまん ) 」というのは、間を上げる、出来事と出来事のあいだの間( ま )言い換えれば出来事と出来事をつなげる場のエネルギーを上げ交流することで、なんだか間がよくなって運がよくなっていく人・・という意味で用いています。
 女性に限ったものではないですので念のため



山本権兵衛海軍少尉の恋


海軍一の愛妻家☆山本権兵衛



海軍一の愛妻家☆山本権兵衛




知謀と胆力・・弟とのチームワーク力の炸裂ともいえる女郎屋からの奪還の細かいいきさつについては
   



 上記のサイトのほかには

山本権兵衛翁のキャリアを綴った本
  ↓ ↓ ↓
「 快傑伝 −国会図書館ライブラリーから 」


これのp76〜P104

コマ43/316〜コマ57/316

 に、さらなる詳細が書かれています。 奪還には色んな説があるようです。


一部抜粋しておきます。

gonbee

( 「 快傑伝 −国会図書館ライブラリーから引用 

もうここまで来ると映画になってもおかしくない・・
実際に少しだけ脚本を変えてドラマ化されたらしいです・・

すったもんだの押し問答で・・思わず口から出てくる権兵衛さんの小気味いい啖呵と薩摩弁
「 おい( 俺 )どんな知らぬ 」
が私の耳に焼き付いて離れません。 
 

 権兵衛翁は、おしが強く相手の弱みをつくのも上手で議論にめっぽう強かったという逸話がありますが・・
このときに既に、その片鱗が見え隠れしてます。

「 快傑伝 −国会図書館ライブラリーから 」


これのp76〜P104

コマ43/316〜コマ57/316




なお

品川で出会ってドイツ艦に乗り
 モンツ大佐(当時)の薫陶を受け、生活態度も改まり2年と半年後に正式に結婚したのは、トキさんが遊郭から「 足抜け 」するのに必要なお金を山本翁が支払い終わったからだと思われます。

( 3年月賦にしてトキさんの見請けのお金を女郎屋の主人に支払う・・という話と史実が符合して妙な信憑性もあります。

 余談ですが、このとき山本翁に策を授けて共に協力してトキさんを救った翁の実弟である太田誠実翁も後に海軍少将<admiral>にまで出世しています )








この超上げ間( ちょうあげまん )の方であるトキさんと結婚してから逆運をはね飛ばすような勢いで運がうなぎ登りによくなってさらに生活も締まってくる

これを裏付ける強運エピソードがあるので紹介してみますが


登喜子さんと正式に結婚して3年後くらいの山本翁が30歳の貧乏中尉の頃

ばりばり精力的に仕事をし

当時から日本の将来を憂えていて

危機感ももっており

海軍かくあるべしという・・周りの人には見えてないビジョンと信念を持ち

海軍の改革案をどんどん起案し、お構いなく意見を具申していた。


そうしたところ


これが理解されず生意気に思われたのか・・

あるいは

この頃には、既に若手のリーダー格になっていたらしいので
海軍内のごたごたに巻き込まれたせいなのか・・


当時の海軍トップだった榎本武揚海軍卿の癇気にふれたらしく

 一時、非職になり5ヶ月くらい浪人に近い状態に陥っています。
( 給与も1/3以下になっていわゆるニートに近い )



  ですが

 非職にした榎本卿のほうが、逆にブーメランのように更迭されるという憂き目にあい、お役御免にされ



その後復職しています。



その後の不思議な強運エピソードについては事欠きません。

とどまるところを知らない異様さを呈していきます。


 例えば・・35〜36歳の頃に7カ月以上かけて精魂込めて作成し提出された
分厚い「 海軍概況調査書 」の、あまりの出来の良さと運もあって

西郷従道翁( ←西郷隆盛の弟で腹の出来た実力者で不思議な魅力のある方 )
という当時の明治政府の要人の目にとまり、この方に厚く信頼され出しビジョンを共有出来て仕事を大きくまかされる・・

 そうして日清戦争の勝利の陰の功労者にもなっています。




このことについては、司馬遼太郎氏は「 坂の上の雲 」のなかで

日清戦争時の山本権兵衛翁の働きを以下のように評しています。

( 以下引用 )

「 権兵衛は海軍建設者としては、
世界の海軍史上最大の男の一人であることはまぎれもない。

かれは、ほとんど無にちかいところから新海軍を設計し、建設し、
いわば海軍オーナーとして日清戦争の『海戦』の設計まで仕遂げた。」

  ( ここまで )


 事実として、山本翁は、40才(1891)の日清戦争開戦前に
海軍省大臣官房主事にも抜擢された後・・


国防における海軍の重要性を早くから悟って


西郷従道翁の後ろ盾のもと

陸軍重視の空気があり、風当たりが強い・・いわば逆風の中で海軍の日本( の国防 )における位置づけ、
地位向上に奮闘努力しています。

( 当時の海軍の予算は、陸軍の1/15以下 )

この当時の陸軍の顔触れは、実に、そうそうたるものでして


ざっと挙げるなら

川上操六陸軍中将・・大山巌陸軍卿、児玉源太郎陸軍次官・・そして背後にひかえる大御所の山県有朋

こういう人らを前に、近代海軍の重要性を力説し、予算獲得に奮闘し、議論をふっかけて一歩も退かなかったというのですから、ものすごい知謀・・闘志・・覇気・・さらには運のよさです。

( この当時は、陸軍の支配(制度)下に海軍が従属するような形で運営されていましたので、そういう弱い立場で、こういう人らに意見を具申し、かつ戦わせてたら、多少の筋が通っていても、なんだ生意気な・・と・・お役御免になるリスクがあります・・

 上記のメンツでは、同郷の方も含まれてはいますが長州閥の重鎮、山縣公なんかの癇にさわってたら左遷・・あるいはクビのリスクは高かったと思いますので運がよかった・・


 

それと同時に

大臣でもないのに、西郷従道海軍大臣( 当時 )から厚く信頼され、大臣みたいな権限を持って

人の育成・・士官教育や人事に筋をとおす新機軸の改革案をバンバン出し

人事制度の導入にも早くから着手し昇級制度も海上勤務や実地訓練を盛り込む等大ナタを振るう



当時軽視されていた砲術訓練に相当な力を入れる等

西欧式の新知識と見識をもとに近代的な海軍にするための大改革
( 藩閥にとらわれない大幅な人事刷新 )を断行しています。



なお



 こういう内輪の人事をいじるようなことをやるのは・・いくら大義名分があって私心がなくても

理解されないことが多く相当に辛い作業です。



これを現代で言うなれば


 大企業であぐらをかいて、しまりがなく・・士気も落ち

 ふんぞり返って部下を顎で使うような態度で過去の功績に、いつまでもしがみついて

たるんでいる出先の支社長や本部長を組織の引き締めと将来の備えの為に

 身分的には本社の課長代理程度の立場で


 お役御免にして、新しい人材を登用する

 本社でもビジョンに合わない者は上の立場でも首を切る



組織のたるんだところ


脆弱なところの膿みを出し

 返り血覚悟で

人事刷新する役回りといったところです。



これは・・ご存知の方は、ご存知のように・・

相当な不興( 恨み、憎しみ、誹り )をかい

負のエネルギーを受けます。


 相当に精神的にタフでないと体ばかりでなく

精神がやられ転落する方もいます。


国家の大事を最優先するという強い志があって
私心なく誠を尽くしたっても、そんなのお構いなく

周りの不興、妬み、憎しみ、恨みをかって

足元をすくわれたりする方もごまんといるわけです・・・
( 誇りだってあるし、我が身かわいさだって誰でも些少はある・・追い落とそうという動きだってあったでしょう。蔭口や嫌がらせ・・誹謗中傷・・当時の上司である従道翁にあることないことの告げ口も多かったと聞いています・・ )


 そんな過酷な状況下で

西郷従道翁という後ろ盾があったとはいえ

日本の未来を見据えて、

海軍かくあるべしという・・周りが見えていないことを

実行するために強い信念とビジョンを抱いて

腹を決め私情をこえて誠を尽くして仕事をきっちりやり遂げる。



そうして、きっちりやり遂げても

さして健康も害してない・・負のエネルギーの影響も受けてない

足元をすくわれたりもしてない

という事実から見ても

これは尋常ならざる強いビジョンと精神の強さ・・
さらに何かに守られるような運の良さだろうと思うわけです。


幹部97名解雇の大改革 日本を救った日本海軍の父 知性と胆力の人 山本権兵衛

     ↑ ↑ ↑
  当時の山本翁の立場( ポジション )からして、どれくらい大変なリストラだったかわかります。
 肝の据わった西郷従道翁ですら、懸念するほどだったようです・・

  それを、西郷従道翁に負担をかけず手を煩わせず、自らの手で、やり切ったわけですから・・



若くして軍務局長になってからも、新機軸の改革を進め、予算獲得に熱弁をふるう・・
( 日清戦争後の三国干渉があった問題を持ちだし、海軍力があったら、ああは決してならなかった・・と世界の大勢(当時)、ロシアの現状(当時)、日露関係の危惧(当時)に及んで・・当時の大蔵大臣相手に午前10時から午後5時まで・・ご飯も食べずに7時間しゃべりとおした・・大蔵大臣は、腹ペコになり、その根気と熱意に、とうとう根負けして折れて納得した・・という逸話も残っています )

こういった一連のことが国運を左右し、日本を極東の一小国としての国ではなく「 JAPAN 」として一躍世界史に登場させるのに十分な改革につながっていくわけです。

山本 権兵衛 司馬遼太郎「坂の上の雲」の中から







守られるような運のよさ・・勢いの強さの理由を考察してみたのですが



前号でも書いたように

もちろん、これまでの生きざまのなかで負けん気と粘り強さゆえに培われることになった頭の良さ・・纏うことになった闘志や英氣・・志の強さ・・・というものはあったと思いますけど、それだけでは説明できないものがある・・・

ふつう、こんなことをしたら恨みをかって一般に転落する・・・

身近で、よく知っていた甥っ子の英輔氏なんかは、権兵衛翁のことを、あんなことやってたら、ふつうは、小佐か大佐でクビになっておかしくない・・と断定してるくらいです。


なぜ、ここまで運がよいのでしょうか?

この方の運の良さの本質とは、なんなのでしょうか?




それが、これから説明するもので、これは、私の・・あくまで仮説ですが



登喜子さんとの結婚に至るいきさつからして

山本 権兵衛さんが妻の登喜子さんから受け続けていた
感謝と喜び・・敬愛のエネルギーと言いますか・・
パワーというのは桁外れ・・底抜けだった
と思うのです。



あの当時は今と違って2号さんなんて当たり前の時代なのに

遊郭から奪還して、足抜けの為の借金( 恐らく今の貨幣価値で1000万円以上 )を自ら背負う

そればかりか

将来が約束されたも同然の海軍兵学校出のエリート・・全て官費でまかなわれ、大きなミスさえしなければ一生安泰が約束されたような立場でもある・・

まあ、山本翁は、そんな気概で海軍兵学校に入ったわけじゃないと思いますけど・・

そんな方が下男みたいに謙( へりくだ )って正式に妻として迎え

結婚の四ヵ月前には7カ条の誓約書まで渡す・・
しかも漢字の読めないトキさんのために、平仮名のふりがなまで添える


山本権兵衛海軍少尉の誓約書

  ↑ ↑ ↑
こんなことされたら、当時の絶望的状況もフラッシュバックして蘇り、言葉にならないくらい感激し、ふつう誰でも泣くと思います。
 山本翁から見たら、最も身近な方である登喜子さんからの感謝のされ方や尊敬・・敬愛の念が尋常じゃないくらい深く強いものだったのじゃないかと・・・





こういった出会いと・・出会ったときと変わらぬ誠実な行為を自身も示し続け、それを恐らく生涯貫いたことで


 登喜子さんの感謝は、底がずぼんと抜けちゃって感謝念の温泉の泉源を探り当てたみたいな感じで、感謝と尊敬がデイリーベースになり・・どんなことがあっても夫を支え守ろうと思ったんじゃないかと思うのです。

 そうして


登喜子さんから底抜けの感謝と恩義の念( この念がまたそんじょそこらとは桁違い・・尋常じゃない守りとしてのもの )が山本翁に絶えずしんしんと注がれることになり

これは、とても心地よい軽い氣になって妻を見るだけで自分がぱっと明るく元気になる・・嬉しく幸せになる・・
気持ちが晴れて楽になるというような感じで

夫の仕事へのテンションを上げまくっていた・・
 ※感謝され敬われたら誰だって嬉しい・・気持ちも明るく強くなる・・
これが、こんこんと・・ずーーーっと続く・・しかも身近な人からそれが与えられる・・という・・男性側から見て、とても嬉しい状態・・


その一方で

他からの嫉妬や妨害・・恨み、つらみ・・悪運(の念)・・これは重い氣で
重く暗くし、嫌な気分にするものですが・・これをブーメランのように吹き飛ばしてしまう鉄壁の見えざる守護念になって

竜巻のように守護してブロックし吹き飛ばして
たんじゃないか?と思っています。


ややスピリチュアル入ってますが・・ いろんな経緯で登喜子さんは超上げ間( ちょうあげまん )の方 になったのじゃないかと・・思われます。






なお

登喜子さんは

家が貧しくて学校にも通わせてもらえなかったらしいですが

妻となってからは

どんどん出世する夫に恥をかかせまいと

寝る間も惜しんで勉強することで

もう、相当に努力し頑張ったのでしょう・・

夫( 山本翁 )の助けもあり、学校にも行かず独学で読み書きや礼儀作法・・

その他諸々のことを凄まじい速さで習得し

 家事や子供たちの教育一切を任される


来客した部下とかにも腰があまりにも低く、それがあまりに自然なので、

応対された部下は、恐縮してしまい冷や汗が、じっとり滲んできて上司の山本翁との用件より、そっちのほうが印象に残るほどだったらしい・・

( 部下たちの間で、やっぱりお前もか・・と噂になるくらい )


また

自分が辛い目にあったせいか

 後年、山本総理の召使いとして、雇った方にも、とても丁重に接し優しかったらしく
 
後に「 賢夫人 」と言われるまでになっています。


山本権兵衛青年( 当時 )の人を見る目は、まっこと確かだったということでしょう。


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  ( 伯爵 山本権兵衛伝 上巻 から引用 )








また

山本翁の事を色々調べるに


この方は超上げ間( ちょうあげまん )の登喜子さんに支えられて日本の大きな危機をその強運と腹と頭で

二度救った( 守った )のじゃないかと思っています。




一度目は日露戦争にいたる過程で海軍大臣として予算獲得に奔走し

いよいよというときに予算が尽きた連合艦隊の旗艦ともいうべき「 三笠 」の購入に西郷従道翁と命をかけた
( 不正流用なので褒められたものではないですが、動機と志が昨今のとは違い過ぎるので )

幕末のエピソード




さらに私情をこえて・・合理的判断と・・ちょっといい・・(運がよい)という理由で

この三笠に乗艦する「 東郷平八郎翁 」を連合艦隊司令長官に抜擢したこと




2度目は、時の総理大臣が急死した空白期間に


関東大震災(1923・9.1)という未曽有の大災害が起きたのですが



関東大震災があった1923年9月1日 




その折に総理大臣として任に当たり

 後藤新平氏を復興を担う内務大臣として

東京復興の責任者においたことです。







もちろん、私たち・・あるいは、これから生まれてくる方々のほうが
遺伝学的にも
進化・向上という点でも「 もっと優れた立場で生まれる 」というのは
あるのかもしれませんけど



この方は、とにかく大きい生命力を有していて
覇気や闘気が凄まじく


あの時代の歴史のうねりというのもあったと思いますけど

それでいて生活に対する自制力もある方だったようです。




十数冊、この方関連の本を国会図書館ライブラリーで読んで調べたところ
トキ( 登喜子 )さんと結婚後のエピソードとして、
以下のことが述べられていました。



●お酒も煙草も一切やらない

 トキ( 登喜子 )さんと出会ってドイツ留学以降は、
どんちゃんさわぎの宴会があっても
お酒も飲まず、痴話話やおべっかも大嫌いで
午後9時には、「では失礼」・・とすたこらさっさと帰っていた。

よっぽど奥さんが好きだったということでしょうか?

一説では、山本翁の父の五百介氏がお酒が原因で病になったことから、
お酒は強いにもかかわらず、その害を痛感して、あえて飲まなかった・・・

もう一つの説は、西郷従道翁の説諭で、ふっつりやめた

他にもあって、前にも書きましたが・・ドイツ留学した際に、あるドイツ将官に
軍事において実習も大事だが学術は、もっと大事なので断酒をして学問に励むことを忠告され
きっぱりやめた・・・という逸話も残っています。

 煙草嫌いは、もともとだったのだとか。
 ( 小耳にはさんだ話では馬に乗るのも大嫌いだったらしい )


なお

 この方が総理大臣になってからは

夜の晩さん会とかも翁が主催の場合は
翁の方針で午後9時以降は、しないことになってたらしく
招待されても宮様方以外の招待は受け付けず決して出席しない・・


山本翁がお酒も飲まず、いそいそと帰宅するもんだから

宴会担当は、午餐会しか開けず担当者は、泣きっつらだった・・




こんな方に仕え支える側近たちは、

別の意味で・・自分がそういう節制が出来ない・・いろんなしがらみを整理できない方の場合は、なんだか気が咎めて煙たくて、さぞ大変だったことでしょう。

 



ただ

この山本翁の習慣が幸いして

翁が大臣のとき・・1907頃、渡英したところ、

当時のイギリスの海軍のトップにいたく気に入られ

( なぜなら、イギリスのフィッシャー海軍卿という
当時イギリス海軍の父と言われてた方も、お酒も飲まず煙草も吸わず謹厳・・

夜は9時くらいに「 では失礼 」と・・さっさと帰る習慣で、キングの命でもなければ決して出席しない・・それについていけない・・しがらみに絡みとられて、生活の整理が出来ず、しまりのない側近からは煙たがられていたらしく )

それが原因なのか・・よくわかりませんが

 二人で意気投合しまくって異例ともいえる長時間にわたる親密な懇談になり

イギリスとの同盟が深く堅固になったらしい・・というウソみたいな実話も残っています。

さらに


●身持ち堅固で浮いた話が一切ない


山本翁と登喜子さんが夫婦仲がよかったというのも間違いないようです。
この人( 山本翁 )関連の資料を読み漁りましたが

そのなかに子供さんらの証言も入っていて
「 夫婦で争いをしているのを見たことがなかった・・」
と口をそろえて証言しています。

●一汁一菜のつつましい食事・・

夜は比較的早く夜10時前には寝て朝は4時半に起き朝の散歩は毎日欠かさない

家では、家の掃除が日課( 総理大臣になっても退役しても変わらず )

 






  やはり不思議に運のよい人というのは
強烈に恩義に感じ、
絶えざる感謝をされ続けてる方が身近にいる・・と思ってます。


苦しみの原因を作れば苦しみの結果が生じるけれども、
感謝される喜びの原因を作れば喜びの結果が生じる・・
ある意味、因果の法則・・

不思議な運の強さの法則があって

強烈に感謝される喜びの原因を作っているのではないかと思うのです。


  天風先生も軍事スパイの時に
女の子を救ったことが
 絶体絶命の境がいから救われる機縁になったことを述べたことがありますよね。


22.誠、中村天風の命を救ったもの

( 以下引用 )
makoto


以降の顛末は
22.誠、中村天風の命を救ったもののサイトに書かれています。

( ここまで )




ということで、ついでに



天風先生の事が出たので

天風先生関連で山本権兵衛翁の周辺の人物を調べてみると面白いことが分かったので
紹介してみますね。

( 興味のない方にとっては私の悪い癖がまた出た・・と思われてしまうかもしれませんけど・・ )



山本権兵衛翁の周辺を調べてみますと


先ず

この方のお兄さん( 吉蔵氏 )の子供さんが

山本英輔海軍大将でして天風先生のお弟子さんだった方です。


先ほどあげた東郷平八郎翁・・
この方も、大正年間から天風先生に心酔していた方ですが


東郷翁と山本翁の実家は100mと離れてない隣人同士・・
山本翁のほうが4歳年下ですが若き頃からよきライバルで顔なじみです。

後年は、この方( 東郷平八郎翁 )を政争の道具みたいに扱われては困る・・大事な方だ・・ということから、あえて、やや疎遠にしていたそうですが・・


さらには


 天風先生が、二十億円以上の資金を元手に銀行の頭取をしてたのに

「 一切の社会的地位を捨てて

上野公園や日比谷公園で辻説法して、

湯上りのような爽快な気分に浸っていたとき

 当時の検事長の向井巌氏に見出され

この方から紹介され、その説法を聞いて
「 この方は、大道で講演させておく人ではない 」

と感銘を受け天風先生の講演を熱心に聞いていたとされている

 原敬氏も第一次山本内閣で山本総理の下で内大臣を務めています。




ついでのおまけに言えば

 山本権兵衛翁の腹心中の腹心で、翁が海軍大臣時代に
藩閥にとらわれず大抜擢し引き上げた一人とされる斎藤実翁( 後の総理大臣 )も
朝鮮総監時代に天風先生と知り合いになっています。

斎藤実翁と天風先生


ですので、山本権兵衛翁も「 天風 」という名前くらいは
知っていたのかもしれません。

 なぜなら自分の腹心中の腹心の部下である斎藤氏からも信頼され仲がよく

志を同じくし相当に仲が良かったのに戦死した実の兄の子で
甥っ子に当たる英輔氏

 さらには


実家から100mも離れてないところにいた友人で志を同じくし
苦楽を共にした顔なじみの東郷翁まで
天風先生の講演をしげく聴講しているんですから・・

当然、耳には入ってたのではないかと。





なので調べまくりましたが



 山本権兵衛翁が天風先生の講義を受講した
という記録( 形跡 )や情報は一切ありませんでした。





ただ・・思うんですが

 天風先生の講義を幾度も直に受けて

その薫陶を受けるという恵まれた方であっても

意志の力が弱く習慣を統御できず

心を取り締まる力が弱い・・闘志や覇気がない・・

 お酒も節度を保てず煙草すら止められない・・

食事もだらしない・・生活に締まりがない・・ぬるく、だらしない・・

という方は結構いたと思うのです・・





 その点、この方は、青年の頃から身持ちも固かったという
エピソードがあるとはいえ




美しいトキさんに出会い結婚し

モンツ艦長の薫陶を受けて順調に出世し海軍官房主事
海軍大臣〜総理大臣というキャリアを経る中で




世俗の誘惑の引力も強くかつ多くなって・・

ドロドロしたものにまみれ
誘惑される空間や場面が

さらに多くなって

転落の落とし穴も巧妙で多くなっていったと思うんですよ。





いくら美妻をいただいて誓ったからとて
何かの拍子にお酒に溺れたり誘惑に負ける方だって多い・・と思うのです。





 

ですが、心を引き締め、しがらみを整理し色んな誘惑をはねのけて
天風先生のノウハウを知らなくても・・聞かなくっても

以下の習慣

 ↓ ↓ ↓

●青年(30代くらい)の頃から、宴会でもお酒は飲まない・・煙草も一切やらない・・
夜9時以降の宴会は出ない・・

●浮いた話が一切なし・・よき家庭人

●一汁一菜のつつましい食事

相撲や芝居が多少好きで趣味は読書

早朝の散歩と掃除が日課



これを慎ましく貫くんですから・・

それに天風先生の講演を万一聞いていたとしても・・

どんなに早くても晩年(60代後半以降)となります・・

なので、そういうノウハウを知らなくても、こういった習慣を30代くらいから貫いていたことになるわけです。




人里離れたところで晴耕雨読的生活のできる方ならともかく

これだけの国家の要職にある方が、俗世のしがらみを断って修行するお坊さまでも案外難しく
心が折れて挫折することもあるという
先にあげた習慣を生活の中で誠実に貫くことがどれほど厳しく大変なことか・・・







それでいて、いざ仕事となると
押しても引いても動かない強靭な意志の強さ・・覇気
よいと思ったことはどこまでも貫く押しの強さ・・金剛のごとき信念


さらに


的確で誠意のこもった仕事ぶり
公平、公正な人事、適材適所の配置
( 閻魔帳と言われるくらい
部下の仕事ぶりや性格、日頃の素行・・付き合い・・
家族構成まで把握してたらしい )

 周囲が震えあがる・・虎みたいな覇気を放つかと思えば

強面ながら

ニコニコすることも多く
腹も出来ていて部下に大きく任せて成果を上げたら部下を褒め励まし持ち上げ


失敗したら後の責任は自分できっちり取る・・



 意志の力が煥発し信念が金剛石のように固まり

これだけの、よき習慣を統御し日課にし続け


積極的な生活態度を貫いて

私心を離れて国の為に誠心誠意尽くし続けたのですから

裏返せば、そういう習慣を保てたから、そういうパワーが生まれた・・と言えなくもないわけですが・・





いろいろ考察するに・・


 激動の時代をたくましく生き抜くプロセスで

モンテ艦長・・西郷従道翁等のよき師

特に良き妻である登喜子さんの底抜けの感謝と恩と愛のエネルギーを滔々と捧げられ続けて


自然にそういった覇気や英氣・・よき習慣を会得し培ったのかもしれないです。




ということで、最後にまとめますが

山本翁や天風先生の覇気というのは、生まれ育った環境や
時代のうねりが生み出したもので、そうそう身に帯びるのは難しい

先に挙げた2事例も、ああいった出来事というのは
そうそうあるものでもない・・・


ですが



苦しみの原因を作れば苦しみの結果がある期間を経て生じるけれども、
強烈に感謝される喜びの原因を作れば喜びの結果が生じる因果法則
そして感謝されることと不思議な運の強さとの関係法則



これは働いてると思うんです。( 仮説ではありますけど )



もちろん運がよくなるのにはいろんな方法やルートがあって
本人の決意というのが大きく作用しているというのは間違いないですが、上記の法則はしっかり働いてる( と考えられる )

ですので



身近な方を大事にする・・親切にする・・困った人がいたら、出来る範囲で援ける・・
奥さん( 旦那さん )を大事にし
お互い感謝のエネルギーを注ぎ合い、形(行動)で示して、お互いを上げ間(あげまん)にしたほうがよい・・
あげまん(上げ間)の人は特に大事にする
という結論でした。


 こんなこと偉そうに書いてる私も気をつけることにします。


なお



前回のメルマガを書いたところ・・読者の方から

私なんて・・とか

私の夫なんて・・とかいうメールもいただきました。

別に卑下する必要は全くない・・と思われます。




 別に山本権兵衛翁に限らず、人それぞれ

その人でしか紡げない独自・独特に醸し出される、くすしきストーリーがあるはずです。 
 
 全くない・・という方は、これから決意して作ればいい・・





それに


私は、「 近頃の若いもんは・・」という言葉が好きではなく


私たち・・あるいは、これから生まれてくる方々のほうが

遺伝学的にも

宇宙の経綸ともいうべき進化・向上という点でも

確実に「 もっと優れた資質と立場で生まれる 」と思っていますので。

このブログの目的と指針

 
当ブログをご覧いただきありがとうございます。
このブログは、人間なら誰にでも内在する秘められた力( 潜在勢力 )を実際に解放し心をツールとして使用する力を高める実際方法の研究と速読や全脳活性化( 五感の官能を啓発する等 )に関するノウハウを扱っています。  
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 メールで少しずつ学んでいく形式のものについては、メイン・サイトの実践を助けるワーク形式のメール講座も作成しましたので参考にしてください。
   

 ワーク形式になっていまして、「 自らの生活様式を見つめたり、考える時間 」を確保する必要がありますので、その点はご容赦ください。
( ※感覚することのできない潜在意識を綺麗にし、上手にお願いするヒントにするとよいと思います )
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熊本地震について( 地震の余震対策で最低限確認しておくこと )




4月14日21時過ぎに続き16日01時25分頃、熊本で大きな地震がありました。

 ここ福岡でも4月16日午前4時現在、幾度か揺れが確認されています。

 夢うつつであまり定かではなかったですが携帯の地震速報が、4月16日午前4時時点で3度?4度?鳴りました。

 福岡はともかく・・熊本にお住まいの方、また親しい方々が熊本にいらっしゃる・・・という方は、非常に心配なさっているのではないでしょうか。

 一刻も早い状況確認と円滑な救助・・ご無事をお祈りいたします。

 このブログが情報収集や支援などに、ささやかでもお役に立てば・・と思います。



応急給水ポイント



避難所マップ


生活インフラの復旧状況やエコノミークラス症候群の予防法、各種特例制度などを提供している政府の公式被災者向けツイッター( 政府応援情報 )


平成28年熊本地震で被災された方へ向け各省庁から発信している情報をまとめてお伝えしてます。
https://twitter.com/kantei_hisai




Google クライシスレスポンス



熊本地震を受けて、googleでは人の安否を確認できる「 パーソンファインダー 」を提供しています。

「 パーソンファインダー 」では、人の安否を知りたいユーザーが相手を特定できる情報を登録しておき、
その人の消息を知る人が現在の状況を投稿することで、消息を伝えることができます。

パーソンファインダーの使い方

人を探している人は、その人の名前か名前の一部、または携帯番号を入力すれば情報を得ることができます。安否情報を提供したい方は、その人の名前を入力できます。

docomo・au・ソフトバンクが提供している「 災害伝言ダイヤル 」で情報が得られない場合は、このgoogle「パーソンファインダー」で確認する方法がありますので、ご活用ください。
↓      ↓      ↓

http://www.google.org/crisisresponse/japan/personfinder?hl=ja


自動車通行実績情報マップや災害情報マップ



拡大してお使いください。( ただし、情報が正確かどうかの責任は持てませんので、その点はご了承ください )

災害情報マップの使い方

自動車通行実績マップの使い方

http://www.google.org/crisismap/japan?hl=ja&gl=jp


災害時情報センター

↓      ↓      ↓

https://www.facebook.com/about/safetycheck/



熊本空港フライト情報


熊本地方では10〜20分おきに震度3〜4の余震があり、ストレスが半端ないと思います。
クンバハカや呼吸法等で耐久力は上げれますが・・・
それでもお辛いはずです。

もし身を寄せれる疎開先があって、疎開が可能で状況的に
それが許されるのなら、疎開したほうがよい気がします。

http://www.kmj-ab.co.jp/flight.html






被災しているわけではなく今回の熊本地震で個人で支援したいけれど何が必要で、どうしたらよいかわからないという方もいらっしゃると思いますので以下の連絡先も掲載しておきます。

救援物資の受入れ連絡調整先について 

平成28年熊本地震災害に伴う救援物資の受入れについて


福岡市の取り組み( 熊本地震 救援物資の提供について )



義援金については、以下で扱っています。


平成28年度熊本地震義援金の募集について



なお、日本のどこで地震が起こってもおかしくない状況なので、阪神淡路大震災を体験した方の体験談は、知っておいてよいと思っています。
 特に都会においては、大きな地震があっておさまったら・・安全を確保しながら、すぐにお風呂に水を目いっぱいためる・・というのは、大事な事だと思います。
地震が起こったらまずこれをしろ
↓      ↓      ↓

http://www.satonao.com/column/variety/jishin.html



地震の余震対策で最低限確認しておくこと・持ち物  ↓      ↓      ↓

http://trendsokuho.com/2681.html



 


情報が命という場合もあります。
危急の際に、電気・電子機器が使えなかったら、どうにもなりません。(^_^;)
スマホやアイフォン等のハイテク機器も通電しなかったら、ただの鉄とプラスティックの塊になってしまいます。
自家発電が可能な充電機器等( 自家発電グッズ)は、もし不備の方はイザという時の為に改めて備えておいた方がよいです。








当ブログについて

このブログは、仕事や生活をする上で
役立った方法や名著を紹介しています。
サイトで紹介した本を読んでメインサイトのSTEP1〜STEP5で書かれていることに注目して順々に丁寧に取り組んだ方々から、これまでにない心境の変化を実際の生活で感じている・・というご報告をメール等でいただくようになって、その数も少しずつ増えています。


 

 メルマガも発行しています。



※メルマガにつきましては、サイトに書いていることを実践している方に向けて執筆していますので、初めての方は、メインサイトのSTEP1〜STEP3で述べていることに注意して順々に取り組むとよき変化があることと思います。


( 実績も2016年現在800名以上の成果報告をいただいている手順です )  
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